ヒーローと名探偵   作:タルマヨ

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排気ガスの復讐(前編)


 夜の静寂に包まれた米花町のグラウンド。その片隅で、数人の若者たちが車を乗り付け、大音量で音楽を流しながら酒を酌み交わしていた。

地面には乱雑に投げ捨てられたビールの空き缶や、中身が散らばったスナック菓子の袋が放置され、夜風に揺れている。

「おい、そろそろ次の一缶あけようぜー」

「あー、マジで今夜は最高だな!」

無責任な笑い声と音楽が響く中、グラウンドの奥深く、鬱蒼と生い茂る木々の隙間から、地を這うような重苦しい唸り声が漏れ聞こえていた。

だが、騒音とアルコールに溺れる彼らが、その不気味な異音に気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

翌日。陽光が照りつける同じグラウンドでは、一転して健やかな声が響いていた。

「へへ、行くぞコナン!」

元太が力任せに蹴り出したボールを、コナンは軽くステップを踏んで容易にトラップする。

「おっと、そっちへは行かせねぇよ!」

圭人が回り込んで進路を塞ぎにかかるが、コナンは目にも留まらぬフェイントでその脇を鮮やかにすり抜けた。

「うわっ、速っ!? オイオイ、いくら何でもキレが良すぎだ」

「悪いな圭人、手加減はなしだ!」

コナンは不敵に笑うと、瞬く間に光彦の守るゴール前へと肉薄する。まさに無双状態だった。

「ひぇぇ、コナン君、ストップです!」

光彦がキーパーとして身構える中、コナンはシュートを打つと見せかけ、右サイドへ優しいパスを出した。

「歩美ちゃん、決めて!」

「うん! えーいっ!」

歩美が勢いよく小ぶりな足を振り抜く。しかし、ボールは明後日の方向へと転がり、グラウンドの隅にある茂みの方へと転がっていってしまった。

「あちゃあ……ごめんなさい、変な方にいっちゃった」

「もー、歩美何やってんだよー! 俺が取ってきてやるからよ!」

元太が小走りでボールを追いかけていく。ベンチに腰を下ろし、冷めた目でその光景を眺めていた灰原が、小さくため息をついた。

「相変わらずのワンマンショーね。少しは周りに合わせたらどうかしら、江戸川君?」

「ハハ……まぁ、サッカーになるとついな」

コナンが苦笑しながらポリポリと頭を掻く。

そのとき、グラウンドの隅に到達した元太が、転がったボールの周りを見て顔をしかめた。そこには、大量の空き缶やゴミが散乱していた。

「なんだよこれ、ゴミだらけじゃねぇか! 汚ねぇなぁ、誰だよ片付けねぇで捨てた奴は!」

元太が小言を言いながらボールを拾い上げた、その瞬間だった。

 

ジジ……ジジジ……。

 

奇妙な耳鳴りのような音が響き、元太の足元の草木が一瞬にして黒ずみ、みるみるうちに枯れ果てていく。それだけに留まらず、周囲のコンクリートの地面が、まるで熱した高熱の泥のように、ドロドロと気味の悪い音を立てて溶け始めた。

「う、うわあああああーーっ!? なん…なんだこれぇぇ!」

元太の悲鳴がグラウンドに響き渡る。只事ではない大声に、コナンを先頭に5人が一斉に駆けつけた。

「元太、どうした!?」

「これ、一体何が起きているの……!?」

変わり果てた光景を目の当たりにし、全員が息を呑む。

異様な熱気と、生物の気配を削ぎ落とすような禍々しいエネルギーが、溶けゆく地面から立ち上っていた。

「うわ、何だこれ……。草木が枯れて、コンクリートまでドロドロに溶けてる……」

圭人が顔を強張らせ、目の前の異常な光景を凝視する。

「嘘……。熱で溶けているんじゃないわ。これ、物質の分子構造そのものが崩壊させられている……!?」

灰原が冷や汗を流し、本能的な恐怖に目を見開いた。

「ひ、ひぃぃ!? 地面が……地面がドロドロに溶けて消えていきますよぅ!」

光彦が腰を抜かしそうになりながら、パニック状態で叫ぶ。

「キャーッ! 怖い、何かがいるよぉ!」

歩美がコナンの背中にすがりつき、ガタガタと震えだす。

コナンは鋭い視線を溶けゆく地面の奥、あの唸り声が響いていた深い闇へと向け、油断なく身構え、即座にポケットからスマートフォンを取り出すと、登録された番号を素早くタップした。

コール音が数回鳴るのを待たず、相手が出ると同時に低く緊迫した声を浴びせる。

「もしもし高木刑事? 悪いけど今すぐMDRの一条さんに繋いで!」

 

その頃、警視庁の執務室で書類に目を通していた高木刑事は、スマートフォンのスピーカーから飛び出してきたコナンの尋常ならざるトーンに、思わず背筋を伸ばした。

「え、コナン君!? 一条さんにって……どうしたんだい、いきなり」

『説明してる時間がないんだ! 今、米花町のグラウンドで、草木が一瞬で枯れてコンクリートの地面が泥みたいに溶け出してる! 明らかに普通の自然現象じゃないんだ、早く!』

高木刑事は一瞬、頭が混乱した。何かの化学薬品の漏洩か、あるいは特殊な自然災害か。しかし、受話器の向こうから聞こえるのは、子供の悪戯とは思えないほどのコナンの激しい焦燥と、背後で微かに聞こえる子供たちの怯えた悲鳴だった。

「わ、分かった。ただの事故じゃないんだね……。僕たちもすぐに現場に向かう! それと同時に、すぐ上を動かして警察庁経由でMDRに緊急要請を回すよ!」

『頼むよ、高木刑事!』

通話が切れると同時に、高木刑事は隣の席の千葉刑事に声を張り上げた。

「千葉! 米花町のグラウンドで異常事態だ、臨場するぞ!!」

「えっ、高木さん!? 一体何が……」

高木刑事の顔には、かつてないほどの緊張が走っていた。あのコナンがここまで取り乱すような事態、ただの事件であるはずがない。

高木刑事からの緊迫した報告は、警視庁から警察庁へと瞬く間に最優先ラインで跳ね上がった。

 

警察庁内、厳重なセキュリティに守られた一室。

『MDR(警察庁怪物対策室)』の指揮官である一条恵美は、デスクに滑り込んできた緊急指令書を鋭い目で見つめた。

「米花町グラウンドにて、不可解な物質崩壊現象が発生。現場には一般市民、および子供たちが取り残されている模様……」

一条は即座に椅子から立ち上がり、壁に掛けられたジャケットをひったくるように羽織った。

「高木刑事の報告通りなら、これはただの災害じゃない。間違いなく奴らの出現前兆よ」

彼女は背後に控える部下たちへと振り返り、毅然とした声で命を下す。

「MDR、出動するわよ! 直ちに現場へ急行、事態を鎮圧するわ!」

「了解!」

緊迫した空気が走る中、一条を先頭に黒い制服に身を包んだ部下たちが一斉に動き出す。米花町のグラウンドへと向かう彼らの表情には、未知の脅威に対峙する覚悟が宿っていた。

 

 

 

サイレンの音と共に、特殊車両がグラウンドへ滑り込んできた。

車体から降り立ったのは、警察庁怪物対策室『MDR』を率いる一条恵美と、黒い制服に身を包んだ部下たち。ほぼ同時に、パトカーで急行した高木刑事と千葉刑事も現場に到着し、ただならぬ空気の中で合流した。

一条は鋭い視線を周囲に走らせながら、すでに警察によって規制線が張られた現場の奥へと足を進める。高木刑事と千葉刑事を伴い、変色した地面の調査を始めた。

「……酷い有様ね」

一条は手袋をはめた手で、真っ黒に立ち枯れた草木の表面に触れ、さらにドロドロの泥状になって固まりかけているコンクリートの痕跡を凝視した。

その傍らで、特殊な測定器を持ったMDRの部下が深刻な顔でデータを読み上げる。

「熱反応はすでに低下していますが、周囲の物質の組成データが完全に破壊されています。通常の酸や高熱による溶解とは明らかに異なります」

一条は立ち上がり、険しい表情のまま高木刑事たちを振り返った。

「間違いないわ。この草木の枯れ方、放置されたコンクリートの崩壊の痕跡……これは通常の自然現象や化学薬品の漏洩なんかじゃない。未知の怪物が引き起こした可能性が極めて高いわね」

その言葉に、現場の誰もが顔を険しく歪めた。またしても、あの悪夢のような脅威がこの街を脅かそうとしているのだ。

「やっぱりまた例の超古代の怪物か……。おい千葉、またこの米花町を狙ってきやがったぞ……」

高木刑事は忌々しげに周囲を見回し、これまでの遭遇からくる恐怖を押し殺しながら、鋭い口調で言った。

「ええ……。何度も対策を講じているはずなのに、今度はこんな一般のグラウンドにまで現れるなんて、本当に油断ができませんね……」

千葉刑事も拳を握りしめ、またしても自分たちの管轄に現れた脅威に対して、強い憤りと警戒を顕わにする。

「クソッ、またかよ! 今度は俺たちのグラウンドをめちゃくちゃにしやがって!」

元太が悔しそうに歯噛みし、これまでに見た怪物の姿を思い出して怒りを露わにする。

「う、うわぁ……。またあの怖い怪物が、僕たちのすぐ近くに隠れてるかもしれないんですね……っ」

光彦は何度も味わったあの独特の恐怖を思い出し、喉を鳴らしながらガタガタと身震いした。

「やだぁ……。またあの怖い怪物さんが近くにいるの……? 歩美、もうあんなの見るの嫌だよぅ……」

歩美はコナンの後ろに隠れ、これまでの過酷な戦いの記憶に怯えながら、涙目を浮かべて体を震わせた。

周囲が緊迫感に包まれる中、一条は冷徹なまでに冷静だった。部下たちに向けて的確な指示を飛ばし始める。

「怯えている時間はないわ。奴らがいつ、どこから本格的に姿を現すか分からない。MDRは直ちにこの米花町周辺に特殊センサーを配置。24時間体制の監視ネットワークを構築しなさい」

「了解!」

一条の号令の元、MDRの隊員たちが一斉に動き出し、グラウンドの各所や周辺の道路に向けて監視機材を設置していく。米花町の穏やかな日常の裏で、目に見えない巨大な脅威への包囲網が、急速に敷かれようとしていた。

 

 

 

 

 

翌日、事態はさらに深刻な局面を迎えていた。

米花町の別の区画にある商業施設の裏手でも、前日と全く同じ物質崩壊現象が発生。アスファルトの道路が抉れるようにドロドロに溶け、周囲の街路樹がまたしても一瞬で立ち枯れた。

度重なる異常事態を受け、警視庁の本部会議室では、目暮警部ら捜査一課の面々と、警察庁から招集されたMDRによる合同捜査会議が緊急で開かれていた。

重苦しい沈黙が広がる中、教壇に立った一条は、背後のスクリーンにいくつかの解析データを映し出す。

「昨日から米花町で相次いでいる物質崩壊現象について、MDRの最新の調査結果を報告します。現場残留エネルギー、および組成破壊のパターンから、原因となっている存在が特定されました。……奴の名前は、リトマルスです」

その聞き慣れない名前に、会議室に並ぶ刑事たちが一斉にざわめいた。最前列に座る目暮警部が、厳しい表情で身を乗り出す。

「リトマルス……。一条君、それはやはり、我々が追っている例の存在なのかね?」

「ええ、警部。MDRが過去の古代文書や地質データを解析した結果、これはただの生物ではないことが判明しました。リトマルスは、はるか昔に地中深くへと身を潜めていた超古代の生物です。長年眠っていた彼らが目覚めた最大の特徴は、その生態にあります。奴は……現代の車や工場が吐き出す『排気ガス』に含まれる汚染物質を吸収し、それをエネルギーに換えて成長、繁殖する性質を持っているのです」

一条の説明を受け、高木刑事は隣の千葉刑事と顔を見合わせ、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。高木刑事は資料に目を落としながら、疑問を口にする。

「排気ガスを吸って育つ超古代の生物……。じゃあ、一条さん。奴がこの大都会の、それも排気ガスが充満している東京に現れたのは、偶然じゃないってことですか?」

「その通りです、高木刑事」

一条は鋭い視線で頷き、スクリーンを切り替えた。そこには、米花町を中心とした詳細な広域地図と、不気味に赤く光るいくつものポイントが示されていた。

「リトマルスはより濃い汚染物質、つまり奴らにとっての『栄養』を求めて移動しています。過去の出没データと、昨日から今日にかけて米花町で発生した被害地点の座標をシミュレーションした結果、ひとつの確実な事実が浮かび上がりました。……リトマルスは現在、明確な意志を持って、確実にこの米花町に向かって接近しています」

「何だって!?」

千葉刑事が思わず声を荒らげ、持っていたペンをデスクに叩きつけるように置いた。

「た、高木さん……。今までの出没とは訳が違いますよ。これ、完全にこの街が標的にされてますよ」

「ああ……。今まではどこか別の場所で起きた事態の余波だったり、一時的な出現だった。だけど、今回は明確にこの米花町を目指して進んできている……。もし、あの凄まじい溶解現象を引き起こす奴が本格的に街の真ん中に現れたら米花町どころか、都心はひとたびで壊滅してしまうぞ……!」

高木刑事は額に浮き出た冷汗を拭うことも忘れ、拳を固く握りしめた。これまでに何度も怪物たちの恐怖を目の当たりにしてきたからこそ、その接近が意味する絶望的な破壊の規模が、嫌というほど想像できてしまう。

目暮警部も深く腕組みをし、重々しい口調で会議室の空気を引き締める。

「うむ……。排気ガスをエネルギーにするとなれば、交通量の多いこの都心部は奴らにとって格好の餌場というわけか。一条君、奴の現在地や、正確な到達予想時間は割り出せないのかね?」

「現在の地下移動速度から推測すると、本格的な地上への出現はそう遠くないと考えられます。MDRの特殊センサーが捉えたエネルギーの波動は、刻一刻と強くなっています。これ以上の被害を出さないためには、地上に姿を現した瞬間に総力を挙げて叩くしかありません」

一条の言葉には、一切の迷いも妥協もなかった。その毅然とした態度に、捜査一課の刑事たちもまた、覚悟を決めたように表情を引き締めていく。

会議室の大型モニターに映し出された米花町の地図は、刻々と迫る目に見えない脅威の影を静かに捉え続けていた。互いの管轄を越えた警視庁とMDRの合同会議は、作戦の細部に至るまで徹底的な議論が交わされ、重苦しい緊張感を孕んだまま、延々と続けられた。

 

 

 

警視庁で重苦しい合同会議が行われているのと同時刻、圭人、コナン、灰原、元太、光彦、歩美の6人は、再び前日の米花町グラウンドへと向かっていた。昨日起きた物質崩壊現象が気になり、様子を見にきたのだ。

しかし、グラウンドの周囲はすでに黄色い規制線が張り巡らされ、それだけではなく黒い制服に身を包んだMDRの隊員たちが厳しい目で見張りを続けていた。一般市民はもちろん、子供たちであっても一歩も中へ入れないよう、完全に閉鎖されている。

「うわぁ……。本当に立ち入り禁止になっちゃってますね……」

光彦が規制線の手前で足を止め、肩を落としながら呟いた。元太もフェンスに掴まり、悔しそうにグラウンドの奥を睨みつける。

「チェッ、なんだよ。俺たちのグラウンドなのに、MDRの奴ら、ケチケチしやがって!」

そんな子供たちの様子を見つめながら、圭人はポケットに手を突っ込み、小さくため息をついた。周囲を警戒するMDRの厳重な体制を見れば、事態がどれほど深刻化しているかは一目瞭然だった。

「まあ、仕方ないよ。今の俺たちができることなんて何もないしね。下手に近づいて巻き込まれたら危ないしさ」

圭人の丸みのある砕けた口調に、コナンも神妙な面持ちで頷いた。目の前の惨状と、そこから弾き出される不気味なエネルギーの正体。一般の警察だけでなく、あのMDRがここまで必死に動いている以上、この米花町にいつ最大の危機が訪れてもおかしくない。コナンは振り返り、元太たち3人の顔をまっすぐに見つめた。

「圭人兄ちゃんの言う通りだ。まだ何が起きるか分からねぇし、危ないから今日はもう帰るぞ」

コナンの指示に、歩美は不満そうに唇を尖らせた。

「えーっ? もう帰っちゃうの? 歩美、なんだかモヤモヤするよぅ……」

「そうですよコナン君! 僕たち少年探偵団なんですから、ここで大人しく引き下がるなんて……!」

光彦が食い下がろうとし、元太も拳を握って同調する。

「そうだそうだ! 俺たちでその怪物の正体を暴いてやろうぜ!」

3人が不満の声を上げて今にも規制線を越えそうな勢いを見せたその時、背後から冷徹で鋭い声が響いた。

「いい加減にしなさい」

腕を組んだ灰原が、冷ややかな、しかし有無を言わせぬ強い眼差しで3人を睨み据えていた。

「貴方たちがここで騒いだところで、何の解決にもならないわ。これはこれまでの事件とは訳が違うの。専門の対策室が動いている意味を、少しは頭で考えたらどうかしら? 足手まといになって取り返しのつかないことになる前に、大人しく江戸川君の言う通りに帰ることね」

灰原の容赦のない、そして本質を突いた厳しい忠告に、元太、光彦、歩美の3人は完全に気圧されてしまった。

「う……。分かったよ、灰原……」

「す、すみません、灰原さん……。僕たちが軽率でした……」

元太と光彦はシュンと首をすくめ、歩美も大人しくコナンの後ろに下がった。灰原の言葉の重みを理解し、3人はそれ以上我が儘を言わずに引き下がる。

重苦しい空気の中、6人はグラウンドの閉鎖されたフェンスを背に、静かにその場を後にするしかなかった。見えない脅威の足音が、すぐそこまで迫っていることを肌で感じながら。

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