ヒーローと名探偵 作:タルマヨ
元太少年の災難(前編)
平日の放課後、阿笠邸のリビングには、いつものように学校を終えた子供たちの賑やかな声が響いていた。
しかし、いつもなら部屋の真ん中で真っ先に騒ぎ立てているはずの、少年探偵団の自称団長である元太の姿が、今日に限ってどこにも見当たらない。
リビングの壁際で、スマホの画面をスクロールしながら気になるニュースをチェックしていた圭人は、ふと顔を上げて室内の顔ぶれを見回し、首を傾げた。
「あれ?光彦、歩美ちゃん。元太はどうしたんだ?いつもなら真っ先に博士の家に上がり込んでる頃だけど……」
圭人の問いかけに、ゲーム機を手に持っていた光彦が、困ったように眉を下げて振り返った。
「それが元太君……今日は珍しく、僕達の誘いを断ったんですよ。放課後はいつも『一緒に遊ぼう』ってうるさいくらいなのに、帰りのホームルームが終わったら、すぐに一人で帰っちゃいまして……」
「そうなの!」
隣でジュースを飲んでいた歩美も、光彦の言葉に大きく同調するように身を乗り出す。
「歩美が『元太君、一緒に博士の家に行こう』って声をかけたのに、なんだか元気のない顔で『今日は用事があるからダメだ』って……。いつもなら絶対にそんなこと言わないのに」
二人の話を小耳に挟みながら、キッチンで紅茶を淹れていた灰原が、マグカップを手にリビングへと戻ってきた。
「そういえば……今日の給食、あの子にしては珍しく、あまり食べていなかったわね。おかわりも一度もしなかったし、大好きなうな重のテレビ特集の話題にも、全然乗ってこなかったわ」
「な、なんじゃと!?」
ソファで試作中の発明品をいじっていた博士が、灰原のその言葉に、文字通り飛び上がるほど驚いた。
「あの元太君が給食を残すほど食欲がないじゃと!? それはただ事ではないのぉ……。もしかして、どこか身体の具合でも悪いんじゃろうか」
子供たちの証言と灰原の手厳しい観察眼から浮かび上がる、元太のあまりにも不自然な様子。
リビングの隅で静かに思考を巡らせていたコナンは、ふむ、と顎に手を当てながら、裏の顔のトーンで圭人に語りかけた。
「もしかしたら、体調不良っていうより、家庭内で何かトラブルでもあったのかも知れねーな。……よし、明日学校に行ったら、それとなく小林先生にでも家庭の様子に変わりがないか聞いてみっか」
「そう、だね……」
コナンはそう言っていつもの子供らしい表情に戻ったが、圭人はどうにも釈然としないものを感じていた。単なる子供の気まぐれや一時的な体調不良とは違う、何か不穏で重苦しい胸騒ぎが、じわじわと胸の奥に広がっていく。
圭人はスマホをポケットに収めると、ソファの端で再び本を開こうとしていた灰原の隣へと歩み寄り、その背もたれに軽く手を置いて腰を落とした。そして、他の子供たちに聞こえないよう、十分に声を潜めて囁きかける。
「ねえ、志保さん。明日、学校で元太の様子がおかしい理由が何か分かったら、俺にすぐ連絡を入れておいてくれないかな」
灰原はページをめくろうとしていた指を止め、少し意外そうな表情で、隣の圭人をじっと見つめ返した。
「わざわざ私から連絡する程のこと?……ただの小学生の不機嫌にしては、随分と神経質になっているじゃない。何か気になることでもあるのかしら?」
「いや……一応、念の為だよ。何事もなければ、それでいいんだけどさ」
圭人はどこか濁すように柔らかく微笑んで見せたが、その瞳の奥にある強い警戒の色を、灰原は見逃さなかった。元太の身に迫りつつあるかもしれない影を察知し、圭人は人知れず表情を引き締めるのだった。
翌日、帝丹小学校1年B組の教室。
「「「いっただきまーーす!!」」」
給食のチャイムが鳴り響き、配膳を終えたクラスの児童たちが一斉にハキハキとした声を上げる。
「いーい、みんな! 好き嫌いなく、よく噛んで食べるのよーーっ!」
教壇の前で、担任の小林澄子先生が両手を広げて元気よく呼びかけると、児童たちも負けじと「「「はぁーーい!!」」」と声を揃えて返事をした。
机を並べた少年探偵団の席では、コナンが先ほど配られたばかりの先丸スプーンを見つめ、トレイの上のメニューを眺めていた。
(高校生にもなって給食とは……何て最初は思ってたけど、案外美味いもんだな)
心の中でそんな贅沢な独り言を呟きながらスープを口に運んでいると、向かいの席から灰原がクスリと小さく笑って声をかけてきた。
「あら、私は最初から結構気に入ってるけど?」
「あん?」
コナンが片眉を上げて灰原を見ると、彼女はスプーンを丁寧に動かしながら、どこか遠い目をして言葉を続ける。
「私が通ってたアメリカの学校じゃ、セルフサービスの学食で一人で食べてたから……。こうしてみんなでわいわい食べる給食は、私にとってすごく興味深くて楽しめるわよ」
「そりゃー、俺だって最初は懐かしいとは思ってたけどよー……」
コナンが苦笑交じりにスープ皿を置いたその時、隣の席から歩美の鋭い指摘が飛んだ。
「あー、光彦君、また人参残してる!」
「あ、違いますよ歩美ちゃん! これは後でまとめて食べるために、一時的に選別してるんですよ!」
必死になって言い訳をしながら、皿の端へ綺麗に人参を避けている光彦の姿を見て、コナンは内心で呆れ顔になる。
(そうそういたいた、嫌いな物をのけて食べる奴……。そして、必ずクラスに一人はいるのが、早食いを自慢するアホな奴……)
「やったー! 僕一番!!」
コナンの思考を見透かしたかのように、別の席の男子児童が空になったトレイを掲げて大声を上げる。いつもならその声に対抗して「俺の方が早えぞ!」と食いつくはずの男が、今日も不自然なほど静かだった。
「あれ? 元太……?」
コナンが視線を向けると、元太は自分の机に配られた給食のパンやおかずにほとんど手をつけないまま、ただうつむいていた。そして、重い足取りで椅子から立ち上がると、教壇の小林先生の方へと歩いていく。
「小林先生……俺、なんか気分悪いから……保健室で寝てていーか?」
「え、ええ……大丈夫? 無理しないでね」
小林先生が心配そうに見送る中、元太は力なく教室を出ていってしまった。その様子をじっと見つめていた光彦が、深刻な顔でコナンたちに身を乗り出す。
「やっぱり事件ですよこれは! 今日も元太君、給食をほとんど残してます!!」
「もしかして、ダイエットしてるのかなぁ?」
首を傾げる歩美に対し、光彦はさらに声をひそめて推理を巡らせる。
「もしかして……怖い上級生にいじめられてるんじゃ……」
「バーロ、元太はいじめられるようなタマじゃねーし、そうだとしても、それなら俺達と一緒に帰った方が安全だろ?」
コナンの現実的なツッコミに光彦が言葉を詰まらせると、それまで静かに聞いていた灰原が、スプーンを置いてぽつりと言った。
「家庭の問題じゃないかしら……」
「え?」
光彦と歩美の視線が灰原に集まる。
「家族の誰かが大病を患っているとか……毎日大ゲンカしているとか……。まあ、最悪のケースとしてご両親が離婚なんて事になっていたとしたら、私達が部外者として口を出せる問題じゃないけれどね……」
「そ、そんなの嫌だよ……」
灰原の現実的でシビアな推測に、歩美が今にも泣き出しそうな顔を浮かべたその時、背後から強い否定の声が割り込んできた。
「それは全くありません!」
「せ、先生……」
いつの間にか子供たちの机のそばまで来ていた小林先生が、真剣な表情で話を続ける。
「小嶋君のご両親はとってもお元気で、仲良く自分の家の酒屋をやってらっしゃるわ! 実は昨日、先生もあまりに気になって元太君の家に行ってみたから間違いないわ。でもね……元太君が何かにおびえているのは、本当みたいなの……」
小林先生の声のトーンが、一段と深刻なものに変わる。
「ご両親の話だと、学校から家に帰るなり、自分の部屋の布団を頭からかぶって、ガタガタ震えてるっておっしゃってたし……」
「いったい、何に怯えているんですか?」
灰原が冷静に尋ねるが、小林先生は困惑したように首を振るしかなかった。
「それが、誰が何度聞いても教えてくれないのよ……。『何でもねーよ』って口を閉ざしちゃって……。でも、もしかしたら、いつも一緒にいるあなた達なら話してくれるかもしれないわ! 理由がわかったら、先生に教えてくれる?」
小林先生からの切実な頼みに、コナンは表情を引き締め、小さく頷いた。
「う、うん……わかったよ、先生」
いつもなら豪快に笑っているはずの元太をそこまで恐怖させている正体は何なのか、コナンと灰原は、教室の出口をじっと見つめながら、背後に潜むただならぬ気配を感じ取っていた。
放課後、人通りの少なくなった通学路の脇。
「…………」
元太は周囲をキョロキョロと何度も気にしながら、学校の塀の上から不格好にドサリと飛び降りた。そのまま背中を丸めてコソコソと逃げ出そうとした、その時だった。
「待てよ元太! コソコソ何やってんだオメー……」
「うわあああっ!?」
死角から突然かけられた声に、元太は文字通り飛び上がって狼狽した。慌てて振り返ると、そこには腕を組んでジト目を向けるコナンの姿があった。そしてコナンの周りには、当然のように灰原、光彦、歩美の3人も揃って待ち伏せていた。
「もー、驚かせないでよ元太君! あ、もしかして忍者の特訓?」
歩美が目を輝かせて無邪気に問いかけると、光彦がポンと手を叩いて納得の表情を浮かべる。
「なるほど! だからシェイプアップしようと、今日の給食をほとんど残して体を作っていたんですね!」
「そ、そうなんだよ! この前テレビでカッコイイ忍者映画観ちまってよー! 拙者、ただいま修行中でござる!」
元太は頭をかきながら必死に調子を合わせて誤魔化そうとするが、コナンは全く騙される様子もなく、ため息混じりに真っ向から否定した。
「バーロォ! んな特訓してる奴が、家に帰るなり布団かぶってガタガタ震えるわけねーだろ?」
「げぇっ!? なんでそれを……!」
図星を突かれて絶句する元太に対し、今度は灰原が読書用の文庫本を片手に、冷ややかな視線を投げかける。
「どーせ血みどろの落ち武者に斬られる夢でも見て、居もしない幻想相手に鍛えてんじゃないの?」
「ゆ、夢なんかじゃねぇー!! 俺は本当に……本当に見たんだよ!!」
灰原のからかうような物言いに、元太はついに感情を爆発させて顔を真っ赤にした。そのただならぬ必死さに、光彦が少し気圧されながら声をかける。
「本当に……何ですか?」
「お、俺……実はよー……」
元太は一度ごくりと唾を飲み込み、周囲の路地に誰もいないことを確認すると、声を極限までひそめて、しかし必死の形相で告白した。
「い、命を狙われてんだ!!! 殺し屋によォ!!!」
「殺し屋!?」
コナンの目が一瞬で鋭く見開かれる。だが、光彦は肩の力を抜いて、あははと笑い声を上げた。
「冗談やめてくださいよ元太君! 小学生が殺し屋に狙われるわけないじゃないですか!!」
「そうね……私や貴方じゃあるまいし……」
「オイ……」
光彦の笑い声に紛れさせるようにして、灰原がコナンの隣でボソッと小さな声で呟く。その言葉の重みを知るコナンは、複雑な表情で灰原に視線を向けた。
「ちぇっ! お前らに話した俺がバカだったよ! もういい!」
完全にオオカミ少年扱いされたと思った元太は、怒りと悔しさの混じった顔で、探偵団の面々を突き放すようにしてドカドカと先を歩き始めてしまう。
「あ、ちょっと……元太君!」
歩美が慌ててその背中に向かって手を伸ばしたが、元太は一度も振り返ることなく、足早に角を曲がって消えていくのだった。
一行は元太を追うようにして、隣町の米花市にまで移動していた。夕暮れ時の街並みを歩きながら、光彦がなおも元太の背中に向かって必死に言葉を投げかける。
「げ、元太君! もう少し詳しく話してくださいよ! もう絶対に笑いませんから!」
光彦の真剣なトーンに、元太は少しだけ足を緩めると、苦渋に満ちた表情でポツリポツリと語り始めた。
「……線路下の道路を歩いていた時に聞いたんだよ、変な足音を。周りは真っ暗で姿は見えなかったけどよ……そいつ、俺が止まると止まって、俺が走ると走りやがってよー……」
「きっとそれ、元太君の足音が道路の壁に反射して、時間差で聞こえてきたんですよ」
科学的な根拠を基に宥めようとする光彦だったが、元太は「それだけじゃねーよ!!」と激しく首を振って声を荒らげた。
「歩道橋の階段からいきなり突き飛ばされたし、昨夜なんか、信号無視したバイクが真っ直ぐ俺の方に突っ込んできそうになったんだぞ!」
隣で聞いていた歩美が、怖くなって自分の両手をぎゅっと握りしめる。
「た、偶々だよ! 絶対に偶然が重なっただけだよ!」
「偶々なんかじゃねー!!」
元太の目は本気だった。冷や汗を流しながら、恐怖を押し殺すように拳を握りしめる。
「だってそいつは……そいつは俺に……」
元太が次の言葉を言いかけた、その瞬間だった。カラン、と頭上から何かがコンクリートの床に落ちて跳ねる硬い音が響いた。
「え?」
歩美が声を漏らす。足元に転がってきた金属の塊を見つめ、光彦が顔を近づけた。
「大きなネジ……?」
次の瞬間、コナンの直感が最大の危険信号を鳴らした。
「みんな、避けろ!!!」
コナンの鋭い叫びと同時に、5人が一斉にその場から飛び退く。直後、頭上から凄まじい風切り音と共に、巨大な構造物が凄まじい轟音を立てて落下し、さっきまで5人がいた地面を直撃して激しく粉砕した。
周囲に火花と破片が飛び散る。煙が立ち込める中、間一髪で難を逃れた光彦が、ガタガタと震えながらそれを見上げた。
「デ、デパートのネオンが……」
そう、彼らの頭上に落ちてきたのは、デパートの壁面に設置されていた巨大なネオン看板の一部だった。
「き、きっとボルトが老朽化して、偶然落ちてきたんですよ……! 厄日ですよ、今日は本当に厄日です!」
光彦が自分を落ち着かせるようにまくしたてると、歩美も涙目になりながら頷いた。
「元太君、明日神社でお祓いしてもらった方がいいかも……」
「いや……偶然でも厄日でもねーよ……」
看板の残骸に近づいていたコナンが、冷徹な裏のトーンで、ぶら下がったままの配線の紐を指先で触りながら言った。
「え?」
光彦が問い返すと、コナンは鋭い視線を配線の断面へと向ける。
「見ろよ、ネオンの配線を刃物で綺麗に切った跡がある……。ボルトをあらかじめ緩めておいて、いざネオンを落とす時に引っ掛かって失敗しないよう、前もって切ってたんだ……」
「そ、そうだとしたら、ネオンの真下を通る人を、誰かが無差別に狙ったテロじゃ……」
怯える光彦の横で、デパートの壁際に設置されている筐体に目を止めた灰原が、フッと息を漏らして告げた。
「いや……標的は最初から決まっていたみたいよ。ホラ、これを見て」
灰原が指さした先には、いつも元太が熱心に覗き込んでいた、新作の『仮面ヤイバー』のガシャポンマシンがあった。ネオン看板は、まさにそのマシンの真上に正確に落ちてきていたのだ。
「どうやら、元太の命を誰かが本気で狙っている事は……間違いないみたいだな……」
コナンが厳しい表情で断言すると、光彦は慌ててデパートの入り口を振り返った。
「だ、だったら急いでデパートの中を捜しましょう! きっと犯人は、まだこの中に……!」
「バーロ、犯人の顔も特徴も知らねーのに、どーやって捜すんだよ?」
「もう他の買い物客に紛れちゃってるでしょうし、今から踏み込んでも空振りね」
コナンの冷静な指摘に灰原が淡々と同意し、捜索を断念させる。コナンは再び元太の方へと向き直り、その肩に手を置いた。
「とにかく元太、もっと詳しく話してもらおうぜ。オメーがそこまで執拗に狙われてる、本当の理由をな!」
「……っ」
元太は青ざめた顔のまま唇を噛み締め、終始ガタガタと震えながら黙り込むしかなかった。
自分を殺そうとしている正体の見えない恐怖に、完全に圧し潰されている元太。
そんな彼ら5人の姿を、デパートの影、薄暗い路地の奥から、不気味に目を光らせた怪しい人物がじっと見つめていた。
場所は移り、米花市内にあるファーストフード店のボックス席。
この移動の合間に、灰原はメッセージアプリを使い、元太の身に起きた一連の不可解な出来事を詳細に圭人に送信していた。
「元太、連続ひったくり犯を見かけたって言うのは本当?」
店内で無事に合流を果たした圭人が、トレイをテーブルに置きながら尋ねる。肩には帝丹高校の鞄をかけ、制服のままだ。
「連続ひったくり犯と言えば……まさか最近、この辺りで老人や女性ばかりを狙って街を荒らし回っている、あの犯人のことですか!?」
光彦が身を乗り出して驚きの声を上げると、元太は少し冷めたポテトをつまみ、口に放り込みながら頷いた。
「ああ……警察の貼紙にあった似顔絵にそっくりだったよ……」
「その事、ちゃんと警察には言ったのか?」
コナンの問いかけに、元太は少しバツが悪そうに視線を外す。
「ああ……一週間ぐらい後でな……。見た時はまだ似顔絵なんかどこにも貼ってなかったからよ……。でも俺、そいつを見た肝心の場所を忘れちまってよー……。だけど、俺とその犯人を一緒に見たはずの兄ちゃんなら見つけたんだぞ!」
「一緒に見た、って?」
圭人が制服の襟元を少し緩めながら問いかける。
「ああ……五日前に俺ん家の近くで同じひったくり事件があってよ、見に行ったんだ。そしたら集まってた野次馬の中にいたんだよ……! 俺がその犯人を見た時に、俺のすぐ横にいた金髪の兄ちゃんがさ!!」
「それで? 慌てて声をかけたの?」
灰原がストローを指先で弄びながら尋ねると、元太は鼻を鳴らした。
「もちろん、その兄ちゃんの手を引っ張って、そこにいた刑事の所に連れてったよ!『この兄ちゃんなら犯人を見た場所知ってるぞ』ってな! ……なのにその兄ちゃん、『俺はお前のことも犯人のことも何も知らない』って言い張りやがってよ……」
「本当にその若い男と犯人を一緒に見たのかい?」
圭人が少し身を乗り出し、確認するように元太の目を見つめる。
「ああ……犯人を見た時、その兄ちゃんも俺の横に座ってたみたいだから、絶対にあいつも見てると思ったんだけどよ……」
「みたいって……?」
コナンの眼鏡の奥の目が、引っかかるものを捉えて鋭くなる。
「俺、その時なんか無性に眠くてよ――……気づいたら、その金髪の兄ちゃんが横に座ってたんだよ!」
「その時、ひったくり犯はそこにいたのかい?」
圭人の追及に、元太は頭を抱えて唸った。
「いたような……いなかったような……」
「元太君、その場所がどこだか、本当に全く覚えてないんですか?」
光彦が呆れたように尋ねるが、元太はただ弱り切った様子で首を振るだけだった。
「席に座って眠くなるって言ったら、映画館とか……」
「電車の中とかかなぁ……」
光彦と歩美がそれぞれ推理を口にする中、圭人は腕を組んで深く息を吐き出した。
「どうやら元太。お前の話を聞く限り、お前の命を執拗に狙っているのは十中八九、その連続ひったくり犯のようだね」
「でも、だったら何で警察にすぐ言わなかったんだ? 命を狙われてるって……」
コナンが当然の疑問をぶつけると、元太の顔が急激に恐怖で歪み、鬼の形相に変わった。
「で、電話がかかって来たんだよ……!『俺を見た事を警察にバラしたらぶち殺す!!』『おまえも、おまえの仲間も家族も、全員皆殺しにしてやるからな』ってな!!」
絞り出すような元太の告白に、歩美が思わず口元を両手で覆った。
「……だから元太君、今までずっと一人で抱え込んで黙ってたんだね……」
「でも弱ったわね……。家の電話番号を知られているとなると、恐らく住所も特定されているでしょうし……」
灰原が冷静ながらも懸念を口にすると、圭人も深刻な表情で同意する。
「うん……。ヘタに今すぐ警察に駆け込むと、元太がすべての記憶を思い出したと犯人に勘違いされて、そいつも躍起になって何をしでかすかわからないからね」
「そうだな……。もしかしたら今も、この店の中で俺達の様子をじっと見張ってるかもしれねーし……」
コナンが裏の顔で周囲の客席へ鋭い視線を走らせると、歩美が「えぇ!?」と怯えて圭人の制服の袖をぎゅっと掴んだ。
「それで? 犯人を捜す手掛かりになるような事は、他に何か覚えてないの?」
灰原が話を本筋に戻すように促すと、元太は記憶を必死に手繰り寄せた。
「そういや刑事にも言ったけど、タバコを左手で持って吸ってたぞ!」
「じゃあ、犯人は左利きですね!」
光彦が即座に反応する。
「あとは……なんか変なTシャツを着てたなぁ……。黒地に白いドクロが大きく入った…………あ……あ、あ~~~っ!!」
突然、元太が大きな声を上げ、通路を通りかかったお盆を持っている男性を勢いよく指差した。その男性はキャップを被り、まさに黒地にドクロのシャツを着ていた。
「アレアレ! アレと全く同じTシャツだぞ!!」
「まさかあなたですか!? 元太君の命を狙っている犯人は!!」
光彦がガタッと椅子を蹴立てて立ち上がり、その男性に血相を変えて詰め寄る。
「え? ……え?」
いきなり小学生に凄まれた男性は、お盆を持ったまま完全に困惑している。その顔を間近でまじまじと見つめた元太が、すぐにバツが悪そうに声を落とした。
「……あ、でも、顔が全然違うなぁ……」
「ちょっと、元太君!」
「それに、俺があの時見た犯人のTシャツの文字は、1999じゃなくて『202』だったぞ!!」
元太がドクロの下にプリントされた数字の違いを指摘する。すかさず立ち上がった圭人が、戸惑う男性に向けて柔らかく頭を下げた。
「突然すいません。その個性的なTシャツ、どこで買ったか覚えてますか?」
「え? ああ……駅前にある『ボーンズ』っていう服屋だけど……」
男性が不審がりながらも教えてくれると、光彦が拳を握りしめて皆を振り返った。
「じゃあ、とりあえずその店に行ってみましょう! 何か手がかりがあるはずです!」
5人は急いでランドセルを背負い直し、圭人も鞄をしっかりと肩にかけ直して、ファーストフード店を後にした。
「…………」
彼らが店を出ていく様子を、少し離れた席から、ストローで飲み物をズズズと不気味にすすりながら見つめる、怪しい何者かの影があった。
駅前にあるカジュアルな服屋『ボーンズ』の店内。ハンガーにかかった多くの服が並ぶ中、圭人と子供たちは店員である若い女性に元太の目撃したドクロのTシャツについて尋ねていた。
「ええ、そうよ! そのドクロTシャツ、ウチの店のオリジナルよ! でも、色々バージョンを作ったけど……『202』なんて数字のやつ、あったかなぁ?」
若い女性店員は人差し指を顎に当て、記憶を辿るように天井を見上げる。その様子に、圭人が一歩前に出て丁寧に問いかけた。
「他にどんなバージョンがあったんですか?」
「1999とか、HELPとか、ESCAPEとか……なんだか切羽詰まった言葉ばかりね。ほら、1999年って、あの年は例の恐怖の大王の予言のせいで世間が色々と騒いでたでしょ? それに悪ノリして作ったってわけ!」
「そのTシャツを買った人の中に、何か怪しい人っていなかった?」
コナンが子供らしい口調で尋ねるが、女性店員は困ったように眉を下げて肩をすくめた。
「さあ……2000年になったらそのシリーズは売るの止めちゃったし……。それに、お客さんの顔なんていちいち覚えてないわね……」
有力な手がかりが得られぬまま、一行は重い足取りでボーンズの店舗から外へと出た。
「はぁ……収穫ゼロですね。せめて元太君が、どこでその犯人を見たのかさえ思い出してくれるといいんですが……」
光彦がため息をつきながら歩道を進むと、歩美がランドセルの位置を直しながら隣で言葉を重ねる。
「やっぱり、映画館とか電車の中じゃないのかなぁ?」
「いや……映画館じゃタバコは吸えないね」
圭人が制服のポケットに手を入れ、冷静に矛盾点を指摘した。
「じゃあ、ファミリーレストランとかですか?」
光彦の提案に、歩美がパッと表情を明るくする。
「きっとそこよ! お腹いっぱいになっちゃって、眠くなっちゃったんだよ!」
「でもよ、そいつは何も食ってなかったぞ……。ずーっと俺がそいつを見てたけど、新聞読んだりタバコ吸ったりしてただけだったよ……」
元太のその言葉を聞いて、光彦は信じられないといった様子で声を尖らせた。
「どーしてそこまで細かく思い出せるのに、そこがどこだか覚えてないんですか?」
「知るかよ!」
元太はバツが悪そうにそっぽを向く。そんな二人のやり取りを、歩道の端を歩きながら観察していた灰原が、冷淡な口調で疑問を口にした。
「でも変ねぇ……。普通、そんなにジロジロと他人を見つめていたら、不審がられて怒られそうなものだけど……」
「…………」
灰原のその呟きを耳にした瞬間、コナンの足がピタリと止まった。眼鏡の奥の瞳が、これまでに得た断片的な情報を急速に繋ぎ合わせ始めていく。
「怒られた?」
歩美が不思議そうに覗き込むと、元太は頭の後ろで手を組んで答えた。
「いいや、目が合わなかったしよ……」
(そうか……そうだったんだ……!)
元太の最後の一言が引き金となり、コナンの脳裏でバラバラだったパズルのピースが、音を立てて完全に一つに噛み合った。
コナンが不敵な笑みを浮かべ、完全に裏の顔――工藤新一の鋭い表情に変わったのを、隣にいた圭人は見逃さなかった。圭人は少し腰を落とし、コナンの顔を覗き込むようにして声を潜める。
「コナン、その顔は……何か分かったね?」
コナンはズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、鋭い視線をギロリと圭人に向け、確信に満ちた強いトーンで告げた。
「あぁ……『202』のドクロのTシャツ、左利き、そしてずっと見ていても目が合わず怒られない場所……。読めたぜ全て……元太が犯人を目撃した、あの現場の正体がな!」
自信満々に微笑むコナンの瞳の奥に、事件の真相と犯人の意図が完全に映し出されていた。