ヒーローと探偵 作:タルマヨ
廃村の迷い家殺人事件(事件編)
激しい雨が、深い山々の木々を容赦なく叩きつけていた。
東京に遊びに来ていた平次と和葉に誘われ、キャンプのテスターを兼ねた「廃村探索」にやってきた圭人たちだったが、状況は最悪の一言に尽きた。
「……ったく、えらい大雨になってきよったな」
平次が、ぬかるんだ足元を恨めしそうに睨みながら、手持ちのライトで前方を照らす。
「せやから言うたやんか! こんな山奥、絶対嫌な予感するって……」
和葉が蘭の腕にしがみつきながら、不安げに周囲の闇を見回した。彼女たちが怯えるのも無理はない。先ほど通ってきた唯一の山道は、土砂崩れによって完全に塞がってしまったのだ。
「仕方ないよ。道が通れるようになるまで、どこかで雨宿りさせてもらおうよ」
コナンが幼い声を出し、蘭の顔を見上げてなだめる。だが、その視線は鋭く前方の闇を射抜いていた。
一行の先頭を行く圭人は、バックパックの重みを感じながら、腕時計型ライトのスイッチを入れた。鋭い光の筋が、霧の向こうにそびえ立つ巨大な影を映し出す。
「……見えた。あれが例の屋敷だ」
圭人の言葉に、全員が息を呑んだ。
そこにあったのは、窓のほとんどが板張りされ、まるで侵入者を拒むかのような異様な威圧感を放つ古い屋敷だった。
「あ、あれ……先客がおるみたいやぞ?」
平次が照らした先、屋敷の軒先には、泥にまみれた一台のワゴン車が停まっていた。
中に入ると、埃っぽい玄関ホールには、大学のゼミ一行だという4人の男女が、疲れ果てた様子で暖を取っていた。
「君たちも、あの崩落で足止めを食らったのかい? 私はこのゼミを率いている、山脇だ。災難だったね」
眼鏡を光らせてそう語った山脇教授の周りには、助教の男と、何やら不機嫌そうな男女の学生が二人。彼らは一様に、この屋敷の不気味さに当てられたような顔をしていた。
「……助教の戸田です。山脇先生の調査に同行していますが、まさかこんな足止めを食らうとは」
神経質そうに眼鏡を直す助教の男が、どこか落ち着かない様子で周囲を伺っている。
「ここ、ただの廃屋じゃないわよ」
女子学生の佐伯が、和葉たちを牽制するように吐き捨てた。
「この村に伝わる『迷い家(マヨイガ)』の伝説……主の不興を買えば影を縫い付けられるっていう、呪われた屋敷なんだから」
「ちょっと、そんな怖いこと言わんといてよ!」
和葉が声を震わせ、平次の背後に隠れる。
「よせよ佐伯。そんなの迷信だろ」
ガッシリした体格の男子学生、小島が鼻で笑うが、その手は落ち着きなくリュックのストラップを弄っていた。
「それより先生、例の『隠し部屋』の調査、今日中に終わらせるんですよね? 戻れなくなった以上、時間はたっぷりあるんだし」
「ああ。この『影を繋ぎし迷宮』の謎、今夜こそ解き明かしてみせるよ」
山脇教授は不敵な笑みを浮かべ、手に持った古びた羊皮紙――宝の地図の半分を広げた。
「……謎、か」
圭人は壁の至る所に打ち付けられた板を見やった。外の嵐の音に混じって、時折、屋敷の奥から『ギギ……』という家鳴りとは違う何かが擦れるような音が聞こえてくる。
「……よし、少し見てくる。蘭、和葉さん。勝手にあちこち歩き回っちゃダメだよ。足場が悪いから」
圭人が静かに告げると、和葉は不安そうに顔を歪めた。
「えぇ……。星野君、一人で大丈夫なん? めっちゃ不気味やんか、ここ」
「大丈夫。危ない場所がないか確認してくるだけだから。平次、そっちは任せたよ」
「おう、分かっとる。……気ぃ付けや」
平次の視線を受け止め、圭人は一人、暗い廊下の奥へと足を進めた。
背後で蘭たちがゼミ生と話す声が遠ざかり、代わりに雨音が屋根を叩く激しい音と、屋敷全体が重く軋む音だけが支配する空間になる。
圭人は腕時計型ライトの光を足元に落とした。
「……ひどいな」
一見、立派な板張りに見える廊下だが、湿気で木が完全に腐りかけている。光を当てると、一部の床板が不自然に浮き上がっており、不用意に体重をかければそのまま階下へ踏み抜いてしまいそうだ。
圭人はその浮きを避け、壁際や梁の太い部分を選んで音を立てずに進む。
途中でいくつかの部屋を覗いたが、どこも家具一つ残されていない空っぽの部屋ばかりだ。ただ、どの部屋の窓も執拗なまでに厚い板で塞がれており、逃げ道を塞ぐというよりは、外から何かを入れないようにしているかのような閉塞感があった。
(……この屋敷、迷路みたいだな)
曲がり角を過ぎるたびに、構造が少しずつ歪んでいるのを感じる。図面を引いた人間の意図が読めない、ちぐはぐな増築の跡。
その時、圭人の鼻をかすめたのは、カビ臭い空気とは別の、微かな「機械油」のような匂いだった。
(油? こんな廃屋に……?)
その正体を探ろうとさらに奥へ進もうとした時、背後で微かな足音がした。圭人が瞬時に振り返ると、そこにはゼミの男子学生、小島が青白い顔で立っていた。
「……何か用かな?」
圭人が穏やかな声で尋ねるが、小島はガタガタと震えながら、廊下のさらに奥を指差した。
「行かない方がいい……。さっき、教授が言ってたんだ。『主が影を縫いに来る』って……。あの人、この屋敷の宝の地図を持ってたんだ。だから、呪いが……」
「宝の地図?」
圭人が聞き返そうとした瞬間、屋敷の奥から『ドォォォォン……!』という、地鳴りのような重い振動が響いた。
「ひぃっ!!」
小島が短い悲鳴を上げて逃げ出す。圭人は振動のした方を鋭く見据えたが、独りで深追いするのは危険だと判断し、一度平次たちの元へ戻り、不穏な情報を共有することにした。
◆
「……イチ、平次。奥で少し気になることがあった」
声を潜め、圭人は二人にだけ聞こえるように告げる。
「さっき、あっちで大きな振動がした。雷じゃない、建物の中で何かが起きた音だ。それに、あの教授……『宝の地図』を持ってるらしい」
「宝の地図、ねぇ……」
コナンが眼鏡の縁を指で押し上げた。「動機としては十分すぎるな」
「せやな。……あれ? そういやあの教授のオッサン、どっか行ったきり戻ってけえへんな」
山脇教授の姿はない。助教の戸田によれば、教授は二階の書斎へ向かったという。
「二階か……。ねぇ、平次兄ちゃん。僕、ちょっとトイレに行きたくなっちゃった」
コナンがわざとらしい声を出すと、平次も「ついでに様子を見てくるか」と立ち上がろうとした。しかし、その時。
『ギ……ギギ……ッ……』
屋敷の天井裏から、何かが重いものを引きずるような音が、一階の奥から響いてきた。
「……待って。二階の前に、あっちを確認したほうがいい。さっきの振動も、音の方角もあっちだ」
圭人の判断に、コナンと平次も頷く。三人は和葉と蘭に声をかけ、再び暗い廊下へと足を踏み出した。
「……圭人、さっきの振動。床が抜けた音じゃなかったんだな?」
歩きながら、コナンが低音で尋ねる。
「ああ。もっと重い、石か何かが擦れるような音だった。それに……見てくれ。ここの埃だけ、不自然に舞い上がってる」
圭人が光を当てた壁には、巧妙に隠された回転扉があった。
「……おい、ここ。隠し扉になっとるぞ」
平次が扉を押し開け、三人はその先の隠し通路へと潜り込んだ。通路の床には、泥にまみれた見慣れない靴跡が点々と続いていた。
「この靴跡、さっきのゼミ生たちのものじゃないな……」
コナンが観察を続ける中、圭人は壁の継ぎ目に挟まった古びた紙片を見つけた。
「『主の影を拝む者、北辰の梁に其の身を捧げよ』……」
圭人が読み上げた直後、再びあの不気味な音が響く。三人は通路の出口となっている扉をゆっくりと押し開けた。
そこは、天井が異常に高い、巨大な吹き抜けの広間だった。
平次のライト、そして圭人とコナンの腕時計ライトが、同時に「それ」を捉えた。
「……おい、嘘やろ」
平次の声が震えた。
広間の中央。床が完全に腐り落ち、深い穴が口を開けているその真上。
数メートルもの高さにある梁に、一本の太い縄がかけられ、その先には――。
「……教授……!?」
コナンの叫びが響く。そこには、梁から吊るされた山脇教授の遺体が、暗闇の中でゆっくりと揺れていた。