ヒーローと名探偵 作:タルマヨ
「な、何なんだよ、コイツは……!?」
高木刑事をはじめとする刑事たちは、銃口を向けたまま、目の前で起きたあまりに非現実的な光景に驚愕し、戦慄していた。その隙に、眼鏡と髭を外した理髪店の店主は、恐怖のあまり悲鳴を上げて自身の店へと一目散に逃げ込んでいく。
「うわあああん!」
「「ひっ……!」」
歩美、元太、光彦の3人は、怪物の威圧感に圧倒され、互いに固まって抱き合いながらガタガタと震えることしかできなかった。その様子を横目で捉えながら、灰原は表情を極限までこわばらせ、静かに唇を噛む。
「昨日の星野君の胸騒ぎは……的中したってわけね……」
冷や汗が頬を伝う。
一方、銃を構える高木刑事の脳裏には、かつて一条恵美から受けた凄惨な報告が蘇っていた。日常の裏側に潜み、ごく普通の人間にある日突然姿を変えて牙を剥く異形。その存在を改めて目の当たりにし、背筋に冷たいものが走る。
「佐藤刑事、早く皆を逃がせ!! 全員揃って死にたいのか!?」
緊迫した空気を切り裂くように、圭人が声を荒らげた。普段の穏やかで柔らかい口調とは真反対の、余裕のない怒号。しかし、佐藤刑事は毅然とした目を崩さず、銃口を怪物に向けたまま叫び返す。
「警察官として、そんなことはできないわ! あなた達こそ早く下がりなさい!」
「僕達がここでコイツを食い止めますから、星野君は子供達を連れて奥へ!!」
高木刑事もその言葉に同調し、必死に盾になろうと一歩前へ出る。
2人の強い覚悟を前に、圭人は心の中で(クソッ……!)と激しく毒づいた。このままここで銃撃戦になれば、狭い空間での跳弾や怪物の大鎌によって、確実に誰かが巻き添えになる。
猶予はない。圭人は意を決し、すぐ隣にいたコナンにだけ聞こえるような小さな声で、素早く耳打ちした。
「――イチ。アストロウォッチのフラッシュを使う。1日1回限定の超高輝度機能だ。その隙にあいつをここから出す」
コナンの目が鋭く見開かれた。裏の顔としての「工藤新一」に向けられた言葉の意味を、コナンは瞬時に理解する。
「……了解」
「その後のこと……それから、志保さんと皆を頼むぞ」
圭人が静かに告げると、コナンは大きく頷き、すぐさま全員に向かって声を張り上げた。
「皆、すぐに目を閉じろーーっ!!」
コナンの突拍子もない叫びに誰もが反応する間もなく、圭人はすでにアストロウォッチへ指をかけていた。
「よし……!」
アイコンをタップすると、駅ビルの7階フロア全体が、まるで太陽が爆発したかのような、凄まじい純白の超高輝度フラッシュに包み込まれた。
「グアアアッ!? ギチ、ギチィッ!?」
強烈な目眩ましを正面からモロに浴びたカマキリゾルブは、視界を完全に奪われて激しく悶え、その場でのたうち回る。
コナンたちの指示で間一髪目を閉じていた一同が視覚を保護される中、圭人は光の渦の中で制服の内ポケットから静かにスパークレンスを掴み取った。
声は出さない。ただ、揺るぎない決意と共に、それを胸の前に掲げる。
スパークレンスの翼が力強く左右に展開し、フロアを埋め尽くしていたフラッシュの光をさらに凌駕する、神聖なまでの眩い光が圭人の全身を包み込んだ。
光の中から現れたティガは、一瞬の躊躇もなくカマキリゾルブの巨体をその強靭な両腕でガシッと掴み上げると、そのまま圧倒的な力で駅ビル7階の巨大なガラス窓へと突撃した。
ガシャアアアアアン!!!
激しい音を立てて窓ガラスが粉々に砕け散り、ティガは怪人の身体をホールドしたまま、夕闇の空へと一気に飛び出していった。
やがて、網膜を焼き尽くさんばかりだった強烈な閃光の明かりがだんだんと収まり、フロアの視界が元に戻っていく。
恐る恐る目を開けたコナン、灰原、元太、光彦、歩美。そして佐藤刑事と高木刑事、その他の刑事たちが周囲を見回したが、そこには割れた窓ガラスの破片が散乱しているだけで、先ほどまで空間を支配していたゾルブの姿は跡形もなく消え去っていた。
「な、何が起きたの……!? あの怪物はどこへ行ったのよ!?」
あまりの急展開に、佐藤刑事が銃を構えたまま困惑の声を上げる。
コナンは割れた窓の向こう、遥か上空を見上げながら、大人の刑事たちを安心させるように、いつもの子供らしい口調で小さく笑ってみせた。
「ティガが来てくれたんだよ! さっきの光と一緒に、あの怪物を外に連れ出してくれたんだ!」
強風が吹き荒れる駅ビルの屋上。
周囲に遮るもののない高所は、夜の帳が降りつつある空の下、完全に2体だけの戦場と化していた。
ティガは7階の窓から飛び出した勢いのまま、その強靭な両腕で捉えていたカマキリゾルブを屋上のコンクリートの床へと叩きつけていた。しかし、寄生生物ゾルブの肉体は恐るべき復元力と頑強さを誇る。即座に身を翻して立ち上がったカマキリゾルブは、その不気味な複眼を鋭く光らせ、右腕に持った巨大な大鎌を鈍く輝かせた。
ヒュオオオ、と風が激しさを増す中、カマキリゾルブは凄まじい踏み込みでティガへと襲いかかった。
空間を引き裂くような大鎌の横薙ぎ。ティガは上体を深くしゃがみ込ませてその一撃を紙一重でかわすと、続く縦の一閃を右、左へと最小限の動きで避けていく。刃がかすめるたびに風圧がティガの身体を打つが、冷静に相手の動きを見極めたティガは、後方へと大きく跳躍して距離を取った。
着地と同時に、ティガは両腕を鋭く左右に振るった。
手の先から放たれたのは、切れ味の鋭いV字型のカッター状エネルギー弾――ティガスライサー。
空を切り裂き、鋭い音を立てて2発の光弾がカマキリゾルブへ肉薄する。だが、カマキリゾルブは瞬時にその大鎌を盾のように正面に構え、火花を散らしながらティガスライサーを強引に弾き飛ばした。
《……ッ!》
ティガの身体がかすかに反応する。飛び道具を真っ向から防がれたその刹那、今度はティガが自ら地面を強く蹴り、凄まじいスピードで肉薄した。
カマキリゾルブが左側から容赦なく大鎌を振るってくる。ティガはその軌道を見切り、自身の右腕を突き出して大鎌の刃の根元をガシッと掴み取った。強大な力が激突し、互いの腕が軋む。その硬直の瞬間を逃さず、ティガは空いている左拳を固め、カマキリゾルブの剥き出しの胸部へと電撃的な連続パンチを叩き込んだ。
ドスッ、ドスッ、ドス、と重苦しい打撃音が響き、カマキリゾルブの身体がのけ反る。しかし、怪人もそのまま引き下がりはしなかった。
カマキリゾルブは打撃に耐えながら、自身の身体を左回りに激しく回転させた。投げの要領で遠心力を利用し、ティガのホールドを強引に振りほどきながら、その身体をコンクリートの床へと転がせる。
ティガは鋭く床を転がりながらもすぐさま受け身を取り、体勢を立て直そうとした。
だが、その瞬間にはすでに、カマキリゾルブは大鎌を両手で持ち替え、満身の力を込めて大きく振りかぶっていた。
正面を向いたティガの視界に、迫り来る大鎌の刃が映る。
防御が間に合わないタイミングだった。
ズバァッ!!!
激しい鋭晶音と共に、大鎌がティガの胸部を深く切り裂いた。
《う、ああっ……!》
ティガの口から、苦悶の声が漏れ出る。切り裂かれた胸の傷口からは、鮮血の代わりに神聖な光の粒子が激しく溢れ出し、夜の闇にきらきらと霧のように霧散していく。
あまりの激痛に、ティガは思わず右手で深く胸を抑え、ドサリと両膝を地面について崩れ落ちた。
カマキリゾルブはその隙を逃さない。
勝利を確信したように不気味な羽音を響かせ、再び両手で大鎌を大きく振りかぶる。今度は、膝をついてうつむくティガの背中を、上から一思いに突き刺そうと、凶刃を容赦なく振り下ろした。
《……はっ!》
背後に迫る死線を感じ取ったティガは、咄嗟に前方へと身体を丸めた。でんぐり返りの要領でコンクリートの上を激しく回転し、直撃の寸前でその一撃を執念で回避する。大鎌が激しく床に激突し、コンクリートの破片が派手に飛び散った。
距離を取り、再び立ち上がって身構えたティガだったが、その胸のカラータイマーが、不穏な電子音と共に赤く点滅を始めた。ピコンピコンピコンピコン、と刻まれる警告音が、残された時間の少なさを告げる。
カマキリゾルブは三度、逃がさないとばかりに距離を詰め、両手で大鎌を天高く振りかぶった。
今度こそ叩き潰すと言わんばかりの、最大の一撃。
だが、ティガは退かなかった。
振り下ろされる最凶の刃に対し、両手を真っ直ぐに突き出す。
パシィィィィンッ!!!
凄まじい衝撃波と共に、ティガは迫り来る大鎌の刃を、両の手のひらで完璧に挟み込んだ。真剣白羽取り――。
怪人がいかに力を込めようとも、ティガの両手は微動だにしない。ティガはそのまま、カラータイマーの点滅に呼応するかのように、全身のエネルギーを両腕に集中させた。ぐっと力を込め、挟み込んだ大鎌を内側からへし折るように捻り上げる。
パキィィィン!!!
金属が爆発したかのような高い音が響き渡り、カマキリゾルブの絶対的な武器であった大鎌が、根元から粉々に破壊されて夜空に飛び散った。
「ギ、ギチィッ!?」
自身の肉体の一部でもある武器を壊され、カマキリゾルブが明確に驚愕し、たじろぐ。
その僅かな隙を、ティガは見逃さなかった。
怒涛の反撃が始まる。
ティガは一歩踏み込むと、まずは渾身の右ストレートを怪人の顔面に叩き込み、怯んだところへ左のボディブローを深く突き刺した。さらに、流れるような動作から右のハイキックがカマキリゾルブの首元を捉え、間髪入れずに放たれた左右の連続突きが、怪人の外骨格を内側から破壊していく。
仕上げとばかりに、ティガは軸足を深く踏み込み、全身のバネを利かせた強烈な右の回し蹴りをその胴体に炸裂させた。
ドガァァァンッ!!
凄まじい衝撃と共に、カマキリゾルブの巨体が床を激しくスライディングするようにして、後方へと派手に吹き飛んでいった。
怪人が完全に体勢を崩し、起き上がろうともがくその一瞬。
ティガは、決着をつけるべく両腕を静かに構えた。
両腕を真っ直ぐ前へと力強く突き出し、胸の前で両腕を交差させるようにして引き絞る。その瞬間、ティガの身体のラインに沿って、目も眩むような光のラインが幾筋も走り、周囲の闇を白銀に照らし出した。
広げた両腕を大きく左右に回し、空間のエネルギーを限界までその肉体へと溜め込んでいく。タイマーの点滅が最高潮に達したその時、ティガは両腕を胸の前で「L字型」に激しく構えた。
《――ッ!!》
発射。
右腕から放たれたのは、圧倒的な破壊力を持った白色の超高熱光線――ゼペリオン光線。
光の濁流が夜の空気ごと押し包み、起き上がろうとしていたカマキリゾルブの全身へと直撃した。
「ギ、ギギギギ、ギチ、ガァァァァァァッッ!!!!」
光線に貫かれたカマキリゾルブは、肉体を激しく震わせ、鼓膜を裂くような断末魔の悲鳴を上げた。その硬質な身体が内側から崩壊を始め、血液の代わりに、まばゆく輝く銀色の砂が大量に溢れ出していく。怪人の原型を留めなくなった光の塊は、そのまま大気に還元されるようにして、一瞬にして消滅した。
激しい戦闘の音が止み、静寂が戻った屋上の地面には、風にさらわれる一握りの銀色の砂だけが、寂しく残されていた。
《はぁ、はぁ、はぁ……》
光線を放ち終えたティガは、再び右手で胸の深い傷を抑え、ガクリと両膝を床についた。カラータイマーの音が弱々しく響く中、その身体がまばゆい光の粒子へと分解されていく。
光が完全に霧散した後に残されたのは、元の姿に戻った圭人だった。
「……くっ、……う、あ……!」
圭人は荒い呼吸を繰り返しながら、痛む胸を強く押さえた。帝丹高校の制服は無残に引き裂かれ、その下にある肌には、大鎌で受けた生々しく大きな傷跡が刻まれている。じわじわと滲み出る痛みに意識が遠のきそうになるのを、圭人は必死に堪えた。
(みんなは……あいつらは無事か……?)
呼吸を整えようと深く息を吸い込みながら、圭人は辛うじて動く左手を持ち上げ、アストロウォッチを操作した。すぐさま、コナンのスマートフォンへと連絡を入れる。現在の状況を把握するためだ。
コールは、わずか一回で繋がった。
『――圭人!? 無事なのか!?』
スピーカーから、コナンの焦燥に満ちた、しかし周囲を警戒して声を極限まで潜めた「裏」の声が聞こえてくる。
「はぁ、……ああ、イチ……。こっちは、片付いたよ……。……そっちの、状況は、どうなって、る……?」
圭人は傷の痛みに耐えながら、できる限り声を震わせないようにして尋ねた。電話の向こうのコナンは、緊迫した現場の音を背景に、早口で状況を説明し始める。
『今、駅ビルの7階には、連絡を受けた警察庁の極秘組織・MDRとその指揮官の一条さんが到着して、現場の特殊な処理を進めてる。佐藤刑事や高木刑事たち捜査一課の刑事には、一条さんが上層部からの指示として「ここから先は本庁の特命だ」って言って、情報を統制しながら現場の整理をさせてるよ。日常に潜むゾルブの隠蔽も含めてな……』
「そうか……。一条さんが、来てくれたなら……一安心、だな……」
『ああ。それに、もう夕方から夜になって外も暗くなってきたから、僕達5人は、迎えに来てくれた博士のビートルの車内で待機させられてる。これ以上、刑事たちに子供が詮索されないようにな』
コナンはそこまで言うと、少しバツが悪そうにため息をついた。
『……急に姿を消したオメーのことだけどよ。元太たち3人には「圭人兄ちゃんは、ティガのバックアップをしに走っていったんだ」って説明しといたぞ。あいつら、大興奮で信じ込んでる。……もう、そう言うしかなかったんだよ』
苦笑混じりのコナンの言葉に、圭人は痛む胸を押さえたまま、フッと微かに口元を緩めた。だが、すぐに襲いかかる激痛に、どうしても息が荒くなってしまう。
「……ありがと、な……。悪いけど、……俺は、少し……やることが、あるから……。皆と、一緒に、……先に、帰ってて、くれ……」
痛みを隠そうとする、あまりにも不自然で荒い息遣い。
電話の向こうのコナンは、その僅かな異変を瞬時に察知した。圭人が自らの負傷を隠し、子供たちや灰原に余計な心配をかけまいとしていることを、その驚異的な洞察力で完全に見抜いたのだ。
コナンは一瞬だけ沈黙し、それから全てを察した大人のトーンで、静かに、しかし力強く答えた。
『……分かった。灰原やあいつらのことは、俺がちゃんと責任を持って連れて帰る。……無理はするなよ、圭人』
そう短い台詞を残し、コナンはそれ以上深く追及することなく、静かに通話を切った。
ツーツーという非情な電子音が響き、アストロウォッチの画面が暗くなる。
それを見届けた圭人は、張り詰めていた緊張の糸が完全に切れたように、持ち上げていた左腕を力なく床へと落とした。
「はぁ、……はぁ、……クソ、……まともに、動けねぇや……」
強風が吹き荒れ、冷たい夜気が傷口を打つ中、圭人は夜空を見上げたまま、その場に大の字になって倒れ込んだ。
星が瞬き始めた暗い空を見つめながら、圭人はただ、荒い呼吸を繰り返して激痛が引くのを静かに待つことしかできなかった。