ヒーローと名探偵   作:タルマヨ

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日常4
圭人の告白


ひどく深い、闇の底に沈んでいくような感覚だった。

全身の細胞がじわじわと熱を持ち、絶え間なく組み替わっていくような奇妙な感覚のあと、心地よい温かさがゆっくりと身体を包み込んでいく。

「……ん、……っ」

かすかな声を漏らしながら、圭人はゆっくりと瞼を持ち上げた。

視界に飛び込んできたのは、見慣れた天井の模様だった。自分が横たわっている場所が、阿笠邸のゲストルームのベッドの上であることに気づくまで、数秒の時間を要した。

枕元には水の張られた桶と、固く絞られた濡れタオル、そしてスパークレンスが置かれている。部屋の空気には、かすかに消毒液のような匂いと、どこか落ち着く香りが混ざり合っていた。

(確か俺は……あの後、屋上で……)

記憶の断片を手繰り寄せながら、圭人は寝返りを打ち、そっと右手で自身の胸元に触れた。

衣服の隙間から素肌に触れてみるが、指先に伝わってきたのは、傷一つない滑らかな皮膚の感触だけだった。カマキリゾルブの大鎌によって深く切り裂かれ、光の粒子が溢れ出していたあの生々しい傷が、まるで最初から存在しなかったかのように綺麗に消え去っている。

「あら、やっとお目覚めかしら? ヒーローさん」

静かにドアが開く音と共に、冷ややかでありながらも、どこか安堵を含んだ声が部屋に響いた。

見れば、部屋に入ってきたのは、盆に載せた湯呑みを持つ灰原と、そのすぐ後ろから心配そうに顔を覗かせる博士だった。

「志保さん、博士……。俺は、あの後どうなった?」

上半身をゆっくりと起こしながら、圭人は掠れた声で尋ねた。ベッドの横に歩み寄った博士は、白髪の頭を掻きながら、大袈裟にため息をついて見せる。

「中々大変じゃったぞい。あの日の夜、中々君が帰って来ないし、新一君やワシたちが何度携帯に電話しても一向に出んのじゃ。流石に心配になってのぉ、ワシのビートルで、ワシと哀君と新一君の3人で夜、もう一度あの駅ビルに向かったんじゃよ」

圭人は何も言わず、布団を握りしめながら博士の話を黙って聞き続けた。

「すると、屋上のコンクリートの上で、君が怪我して寝ていたんじゃ。本当に肝が冷えたぞい。すぐに君をワシがおんぶしてビートルまで運び、ここに帰ってきたんじゃよ。新一君はそのあと、夜遅くに探偵事務所に帰ったがの……」

「そうだったのか……。ごめん。心配かけたね」

自分の無茶が引き起こした結果を思い知り、圭人は申し訳なさそうに眉を下げて頭を下げた。胸の傷は消えていても、内側にある疲弊までは消え去っていない。

そんな圭人の態度を見て、灰原は盆をサイドテーブルに置くと、腕を組んでジロリと鋭い視線を向けた。その口調には、普段以上の強い語尾が込められている。

「無茶しすぎね。光の身体にも、怪物達との戦闘にもだいぶ慣れてきたんでしょうけど……こっちの身にもなってほしいわね。もしあのまま、貴方が目を覚まさなかったらなんて、考えもしなかったのかしら?」

「ご、ごめんよ……」

灰原の正論の前に、圭人は完全に形無しとなり、まるで叱られた子供のようにシュンと肩を落とした。

その様子を見かねたのか、博士がすかさず口を挟んでフォローを入れる。

「まあまあ、哀君。圭人君も反省しとるようじゃし……。それでも哀君は圭人君、君のことを誰よりも一番心配しておったぞい! 君がここに運ばれてから途中、もの凄い熱が出たときも、夜通し必死になって治療と看病をしておったのはこの哀君じゃからな!」

「ちょっと、博士! 余計なことを言わないで頂戴!」

博士の暴露に、灰原は一瞬で頬を朱に染め、そっぽを向いてツンとした態度を取った。

「私はただ、実験体としてのサンプルを失うのが惜しかっただけよ。あんな未知のエネルギーを宿した身体、途中で死なれたらデータの取りようがなくなってしまうもの。勘違いしないでほしいわね」

少し早口でそう言い切る灰原の横顔を見つめながら、圭人は心の底から温かい感情が湧き上がるのを禁じ得なかった。不器用な彼女なりの優しさが、痛いほど伝わってきたからだ。

「ありがとう、志保さん。……ところで、俺はどのくらい寝てたの? 今日、何曜日?」

ふと気になった疑問を口にすると、灰原はすぐに平静を取り戻し、冷徹な現実を告げた。

「今日は土曜日よ。貴方は丸二日は寝ていたわね」

「土曜日……! じゃあ、木曜と金曜の学校は……」

驚いて目を見開く圭人に、博士が優しく笑いかける。

「それなら心配いらんぞい。高校には、圭人君が急な発熱で動けんということで、ワシから連絡を入れて病欠扱いにしておいたからの。あ、それから、君が着ておったあのボロボロになって破れた帝丹高校の制服じゃが、哀君が綺麗にミシンで縫い直して、洗濯までしてくれたんじゃよ。もう新品同様じゃ」

「志保さんが、制服を……?」

圭人が驚いて灰原を見ると、彼女は再び顔を背け、「あんな無残に引き裂かれた布切れを放置しておくのが、精神衛生上耐えられなかっただけよ」と、小さく呟いた。

 

 

 

数時間後、正午を大きく過ぎた頃。

阿笠邸のリビングでは、ようやく体力が回復した圭人が、少し遅めの昼食を摂っていた。メニューは、病上がりの身体を気遣って灰原が作ってくれた、出汁の優しいお粥だった。

少し離れたリビングのソファでは、灰原が静かに文庫本に目を落としており、部屋にはページをめくる音だけが静かに響いている。博士は「頼まれておった発明品の調整がある」と言って、すでに地下のラボへとこもっていた。

スプーンを置き、温かいお茶を飲み干した圭人は、しばらく灰原の横顔を見つめていたが、意を決して声をかけた。

「ねぇ、志保さん。……この後、二人でどこかに出かけない?」

本のページをめくろうとしていた灰原の指が、ピタリと止まった。

彼女はゆっくりと本を伏せ、冷ややかな、しかしどこか試すような視線を圭人に向ける。

「別にいいけれど……どこに行くつもり? そもそも、貴方のその身体、もう本当に大丈夫なのかしら。二日間も昏睡していたのよ?」

「うん、身体はもう全く問題ないよ。ほら、この通り」

圭人は両腕を軽く回してみせて笑った。

「むしろ、このままずっと部屋に閉じこもっていたら、身体がなまっちゃいそうでさ。リハビリも兼ねて、少し外の空気を感じながら歩きたいんだ。どうかな?」

灰原はしばらく圭人の顔を観察していたが、やがて小さくため息をつくと、観念したように口元を緩めた。

「仕方のない人ね。いいわ、少し付き合ってあげる。その代わり、途中で足がもつれても、私は絶対に肩を貸したりしないわよ」

二人は地下のラボに向かって「少し出かけてくるね」と博士に声をかけた。地下から「おお、気をつけていくんじゃぞ。若いもんはええのぉ……」と、何処か嬉しそうな博士の声が返ってくるのを聞きながら、圭人と灰原は阿笠邸を後にした。

 

 

 

外は抜けるような青空が広がり、五月の心地よい風が通りを吹き抜けていた。

圭人と灰原は、並んで米花町内の公園を目指して歩き始めた。お互いの歩幅を合わせるように、いつもより少しゆっくりとしたペースでの足取りだった。

「それにしても、二日間も学校を休んじゃったから、月曜日に蘭や園子に言い訳するのが大変そうだな」

圭人が苦笑しながら切り出すと、灰原は前を向いたままフッと鼻で笑った。

「工藤君に上手く口裏を合わせてもらうことね。貴方が急な高熱で寝込んでいたなんて、あの2人なら大騒ぎして体に良いお見舞い品を大量に持って押しかけてくるかもしれないわよ?」

「あはは、確かに。蘭ならお粥とか作ってくれそうだし、園子なら高級なフルーツゼリーとか持ってきそうだな。それはそれで有り難いけど、嘘を突き通すのが心苦しい…いや、熱が出てたんなら嘘ではないのか」

「どちらにしろ自業自得よ。それだけの心配を周囲にさせているっていう自覚を、もっと持ちなさい」

 

そんな他愛のない会話を交わしながら歩いていると、やがて目的地の公園が見えてきた。

土曜日ということもあり、園内には色とりどりの遊具の周りで楽しそうに走り回る子供たちや、それを笑顔で見守る親子連れの姿がチラホラと見受けられた。

二人は池の見える、少し離れた静かな木陰のベンチへと足を運び、並んで腰を下ろした。

風が木の葉を揺らす音が、心地よく耳に届く。

圭人はしばらく前方の芝生を見つめていたが、やがて真剣な面持ちになり、隣に座る灰原へと向き直った。

「志保さん。……今回の件、それから、少し前の八丈島での件も……改めて、本当にごめん。俺の力不足のせいで、何度も君に怖い思いをさせて、何度も命懸けの無茶をさせてしまった」

圭人の真っ直ぐな謝罪を受け、灰原は静かに目を伏せた。彼女は膝の上で自身の小さな手をそっと見つめながら、静かに、語りかけるように応える。

「八丈島のときは……正直、本当にすべてが終わったと思ったわ。組織に見つかり、海に沈められ、もう二度と光の差す場所には戻れないって。でも、あの暗い海の底に、貴方が来てくれた。……私ね、あのとき確信したのよ。どんな絶望の淵に落されても、貴方だけは絶対に私を見捨てないって」

灰原はそこで言葉を区切り、顔を上げて圭人の目を真っ直ぐに見つめた。

「だから、謝る必要なんてないわ。私は貴方に、何度も救われているんだから」

彼女の言葉は、圭人の胸の奥に深く染み渡っていった。

それと同時に、圭人の心の中で、ずっと温めていた強い感情が溢れ出しそうになる。ここで伝えなければ、きっと後悔する。そう直感が告げていた。

圭人は深く息を吸い込み、灰原の瞳から目を逸らさずに、自らの気持ちを真っ直ぐに言葉にした。

 

「志保さん。俺は……君のことが好きだ。ただの仲間としてじゃなく、一人の女性として、君のことが愛おしい。君がどんな過去を背負っていようと、これからどんな困難が待ち受けていようと、俺のこの命を懸けて、君を一生守り抜きたいと思ってる。これが、俺の本当の気持ちだ」

 

あまりにも唐突で、あまりにもストレートな告白。

常に冷静沈着な灰原も、これには完全に意表を突かれたようだった。彼女は大きく目を見開き、その白い頬をみるみるうちに真っ赤に染めていく。動揺を隠せない様子で、視線を泳がせながら口元を手で覆った。

「な、何言ってるのよ、貴方……。急に, そんなこと……」

心臓の鼓動が、ベンチの距離を超えて伝わってきそうなほどの静寂が二人の間に流れる。灰原はしばらく赤くなった顔を伏せていたが、やがて意を決したように少し意地悪な、しかし愛おしそうな笑みを浮かべて圭人を睨んだ。

「……貴方、本当に何も覚えていないのね」

「え? 覚えてないって, 何が?」

不思議そうに首を傾げる圭人に、灰原はさらに頬を赤らめながら、ささやくような声で告げた。

「八丈島の海の中のことよ。意識を失って溺れかけていた貴方に、私、人工呼吸をしたのよ? ……つまり、その、貴方とはもう、キスしちゃってるのよ。覚えてないわよね?」

「ええっ!?」

今度は圭人が声を上げて驚く番だった。あまりの衝撃の事実に、圭人の顔も一気に沸騰したように赤くなる。

「じ、人工呼吸……!? じゃあ、あれは……知らなかった、ごめん! 俺、そんな大事なことを……」

慌てて手を振りながら謝る圭人を見て、灰原はクスッと小さく、本当に愛おしそうに微笑んだ。

「別に、謝らなくていいわよ。あれは緊急事態だったんだし、貴方の命を救うための医療行為なんだから。……それに、嫌じゃなかったしね」

後半の言葉は、風の音にかき消されそうなほど小さな声だった。

圭人は赤くなった顔を抑えながら、彼女の横顔を見つめ、真摯なトーンで言葉を続けた。

「……君の応えは、今すぐじゃなくていい。いつでも、何年先でも待つよ。今の君の姿は『灰原哀』だし、色々と整理がつかないこともあると思うから。君のタイミングで、いつか応えてくれたら嬉しい」

圭人のどこまでも優しく、自分を尊重してくれる言葉を聞き、灰原はそっと目を和らげた。

その瞳には、今までにない深い信頼と、確かな好意の光が宿っている。

灰原はベンチからゆっくりと立ち上がり、振り返って圭人を見下ろすと、これまでに見せたことのない、心からの美しい微笑みを浮かべた。

「ええ……。じっくり時間をかけて考えさせてもらうわ。……だから、それまで私の側から離れないでね。――圭人君

初めて耳にする、彼女の口から紡がれた自分の下の名前。

その響きの温かさに、圭人は胸がいっぱいになりながら、力強く「勿論」と頷いた。

五月の爽やかな風が、そんな二人の間を優しく吹き抜けていった。

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