ヒーローと名探偵 作:タルマヨ
人気芸人のハニートラップ(前編)
週末の午後、毛利探偵事務所の窓からは穏やかな陽光が差し込んでいた。いつもなら賑やかなはずの事務所だが、蘭は朝から空手部の合宿で不在にしている。
そんな事務所に、日向という若い依頼人の男が尋ねてきていた。
小五郎はソファにどっかりと腰を下ろし、依頼を聞いている。その側にはコナンと、そして圭人が控えていた。小五郎の正面には、ローテーブルを挟んで日向がソファに座っている。
小五郎がこれまでの依頼内容を聞いていた。しかし、何故か日向は黙ったまま、ぶるぶると拳を震わせるばかりで何も答えない。
それを見た小五郎が眉をひそめる。
「……? あ、あの?……」
小五郎がまた聞くと、日向は突如として声を荒らげた。
「チ、チクショー!」
日向は目の前のテーブルを両拳で激しく叩いた。
「うおっ!?」
「!?」
小五郎とコナンと圭人は目を見開いて同時に驚く。
「ど、どうしたの? お兄さん……」
コナンが引きつった笑みで尋ねると、日向はガシガシと自分の頭を抱え込んで話し始めた。
「すみません……。俺をハメたあの女の事を思い出したら……つい」
「一体何があったんです? 日向さん」
小五郎が尋ねると、日向はがっくりと肩を落として続ける。
「ご存知か分からないんですが、自分芸人をやっていて、若手イケメン芸人なんて言われて……最近人気が出てきたんですが……」
(自分で言うのか……)
圭人は心の中でそっとツッコミを入れた。小五郎は少し気まずそうに頷く。
「ほ、ほぅ……そうでしたか……」
「でも、今は活動休止中でして……」
日向はポケットから四つ折りにされた週刊誌を取り出すと、テーブルの上に置き、そのページを開いて3人に差し出してきた。
「その理由がこれです。つい先日、スキャンダルで週刊誌に載りまして……。未成年と関係を持った上に飲酒したって書かれたんです」
そこには『日向公太郎』とでかでかと書かれたスキャンダル記事が載っていた。誌面に目を落とした圭人が言う。
「相手が未成年なら、流石にアウトなんじゃ……」
「違うんです! あの女、俺には23歳って言っていたんですよ!」
日向は年齢を偽られていたのだと大きく否定した。さらに、自分自身も23歳であり、同い年ということで意気投合した結果なのだと熱弁する。日向はスマホを取り出し、画面を3人に見せてきた。
「名前は蜂谷飛鳥。これがあいつの写真です」
画面に映っていたのは、金髪のギャルのような女だった。
「このスキャンダルのせいで、番組は降板、慰謝料も払わされ、毎日マスコミに追われて酷い目に合っているんです!」
「日向さん、アンタさっき、この女は年齢を偽っていたと言っていましたな?」
小五郎が聞くと、日向は悔しそうに顔を歪めた。
「ええ。ハメたと思ったらハメられていた。要するにハニートラップです」
「ハハ……」
コナンと圭人は顔を見合わせ、引きつった愛想笑いをする。
「酷い話です。SNSでは『ハメ太郎』なんてあだ名までつけられて。まあ、ハメたのは本当なんですけど。むしろハメられていた方なのに」
日向が自虐を言うのを聞き、コナンは呆れる。
(ややこしいな……)
「分かりました。じゃあ、ハメ太郎君。もっと詳しい話を聞かせてくれ」
小五郎が真面目な顔で言うと、日向は勢いよく声を荒らげた。
「公太郎です!」
「あ、あぁ……悪い……つい……」
小五郎が頭をかきながら謝ると、日向は蜂谷飛鳥についてさらに説明を足した。
「年齢確認のために、マイナンバーカードも見せてもらったんですよ!」
「しかし、週刊誌には未成年と書いてありますな。アンタの主張とは違う」
「自分にもわけが分からないんです。でも、マイナンバーカードはちゃんと見たんです!」
日向が改めて主張すると、コナンが身を乗り出した。
「じゃあ、その蜂谷って女の人と会った日のこと、詳しく聞かせてくれる?」
「ガキは出しゃばるな!」
「痛ったぁい!!」
小五郎の容赦のない拳骨が炸裂し、コナンは声を荒らげて痛がる。すかさず圭人がフォローを入れた。
「……で、その蜂谷って女性と会った日のこと、教えてくれます?」
日向はコキコキと首を鳴らし、その日の出来事を詳細に語り始めた。
「その日はテレビの収録の後、共演者と飲みに行ったんです。その共演者は同い年で友人で、同じ芸人の日暮コタツっていうんですけど……ほら、その週刊誌の同じページに写真が載っている奴です。そいつに誘われて、米花町の奥にある『バッカム』というお店で飲んだんですよ。そしたらコタツが『男だけじゃ寂しい』と言い出し、友達の女子を呼んだんです。俺は、日暮コタツと2人だけで良かったんですけどね……」
「じゃあ、その呼んだ子が、その蜂谷飛鳥って女性だったと?」
小五郎が確認すると、日向は大きく頷いた。
「ええ。コタツは蜂谷と前に合コンで知り合ったらしくて。でも、その日は蜂谷に景気よく呑まされてコタツが酔い潰れちゃって、一人タクシーに乗って帰ったんです。俺が蜂谷と本格的に飲み始めたのはその後からでした。で、あっちもボディタッチが多いし、酒の勢いでその気になっちゃって……その後はホテルに向かいました。コタツは今回のことで俺をかなり気にかけてくれていて、色々弁護してくれてるんです。『悪いのは俺だ』って周囲にも言ってくれているらしくて……」
ずっと話を聞いていたコナンは、黙って何かを考えるように日向をじっと見ていた。
「おおよその話は分かりました。それで、依頼は?」
小五郎が尋ねると、日向は身を乗り出して懇願する。
「毛利さん、俺には自分がハメられたという証拠と、できればあの蜂谷をギャフンと言わせたいんです。依頼料は、30万でお願いします!」
「さ、30万……!」
小五郎の目が一瞬で金額に反応した。
「お願いします!」
日向はそう言うと、「これは俺の連絡先です」と、連絡先が書いてある紙をテーブルに置いた。
小五郎はわざとらしい咳払いをすると、隣にいた圭人の背中をバシッと叩いた。
「よし分かった! 実はな、他にも依頼が入っているので、この件は、ここにいる俺の助手に任せる!」
「えっ!?」
圭人は目を丸くして驚く。慌ててコナンのそばに寄り、小声で囁いた。
「おじさん、他に依頼なんかあった?」
「無いな……多分。競馬か、知り合いと麻雀だろ……」
コナンがジト目で呟くと、圭人は渋々といった様子で日向に向き直った。
「星野です。この件、引き受けます」
「お願いします! 星野さん」
日向は感激した様子で頭を下げ、そのまま探偵事務所を出て行った。男が退室した途端、小五郎は上着を引っ掴んで立ち上がる。
「じゃあ任せたぞ! 圭人!」
小五郎もまた、足早に探偵事務所を出て行ってしまった。静まり返った室内で、コナンが深くため息をついてぼやき始める。
「……ったく、しゃーねぇーな……あのオヤジも……蘭がいたら雷だぞ」
「全くだよ……」
圭人も呆れながら、テーブルに置いてある日向の連絡先が書いてある紙を拾い上げ、ズボンのポケットにしっかりと仕舞い込んだ。
排気音を響かせながら、マットブラックに塗装されたホンダのXR250が米花町の道路を滑るように疾走していた。
ハンドルを握る圭人の背中には、小さな体をぎゅっと縮めたコナンがしがみついている。コナンは子供用のヘルメットの奥から、圭人のお腹にしっかりと両手を回して落されないように身を寄せていた。
信号待ちでバイクが停止した瞬間、コナンはヘルメットのシールドを押し上げ、前方の圭人の背中に声を掛けた。
「圭人、オメー…こんなバイクいつの間に持ってたんだ?」
「博士が昔、知人にもらってたのが今になって出てきたんだよ。倉庫にしまってたのをすっかり忘れてたんだと」
圭人が苦笑混じりの声を返すと、コナンは呆れたように半眼になった。
(博士…相変わらず物持ちがいいっつーか、片付けがズボラっつーか……)
バイクが再び軽快な音を立てて加速する。風を切りながら、圭人がバックミラー越しに背後の相棒へと問いかけた。
「それよりどう思う?この依頼」
「あの日向って依頼者も、週刊誌側も……まだどっちを信用するか決めるには情報が少ないな」
コナンの冷静な分析を聞きながら、圭人は深く頷いた。まずは当事者たちの足取りを追うのが鉄則だ。
バイクは日暮コタツが蜂谷飛鳥を呼んだという、米花町の奥にあるバー「バッカム」へと到着した。
落ち着いた照明が灯る薄暗い店内に足を踏み入れた二人は、さっそくカウンターの奥にいたマスターへと近づく。圭人はスマホの画面に表示した蜂谷飛鳥の写真を見せながら、柔らかいトーンで声を掛けた。
「すみません。この女性、ここに来たことありませんか?」
マスターは差し出された写真をじっと見つめた後、ゆっくりと首を横に振った。
「いや……私はちょっと知らないねぇ。だが、そういうことなら、あそこにいる男の方が詳しいかもしれないよ」
マスターが顎で示したのは、カウンターの端の席に腰掛けていた、濃紺のキャップ帽を被った男だった。年齢は30代くらいだろうか、心なしか周囲を警戒するような独特の雰囲気を纏っている。
男はマスターの言葉に反応し、こちらへ向き直ると、人当たりの良さそうな笑みを浮かべて挨拶をしてきた。
「どうも。何かお探しですか?」
「ええ、ちょっと……」
圭人がカウンターを移動し、三度その蜂谷飛鳥の写真をキャップ帽の男に見せる。すると、男は写真を見るなり目を見開いた。
「おいおい、蜂谷飛鳥じゃないか!君もあの『ハメ太郎』について調べてるのか?」
「ま、まぁ……そうですね。情報が無くて困ってたところです」
圭人が曖昧に話を合わせると、男は嬉しそうにパッと表情を明るくした。
「そうか、奇遇だな!俺は平岡勝。実は俺も、そのハメ太郎こと日向について調べていたんだよ」
平岡と名乗った男は、そこでふと圭人の背後にちょこんと立っていたコナンの存在に気づき、眉をひょいと上げた。
「それにしても、子連れで調査かい?」
「あぁ……。コイツは俺の弟で、どうしてもついてきたいと言うもんで」
圭人は自然な手つきでコナンの頭をポンポンと叩きながら紹介する。コナンはすかさず、くりくりとした大きな目で平岡を見上げ、愛想よく声を弾ませた。
「よろしくね、お兄さん!」
子供特有の無邪気な演技を完璧にこなすコナンを見て、平岡は特に疑う様子もなく「よろしくな」と笑った。
「俺は星野といいます。平岡さん、何か新しいネタはありますか?」
圭人が本題を切り出すと、平岡はがっくりと肩を落として、手元のグラスを慣れた手つきで回した。
「もうさっぱりだよ。あの女のSNSのアカウントは見つけたんだけどさ、意外と慎重な性格なのか、この件に関しては何も呟いてないんだよねぇ……」
その言葉を聞き逃さず、コナンが平岡の服の裾をくいっと引っ張った。
「ねぇねぇお兄さん! そのアカウント、僕達に教えてくれない?」
「教えてもいいけど……それなら交換条件だな。君たちが何か新しい情報を持ってきたら、それを俺に教えてくれればいいよ」
平岡の提案に、圭人は少し拍子抜けしたように聞き返した。
「え?そんなのでいいんですか?」
「共同戦線さ。俺達、持ちつ持たれつの業界だろ?」
平岡はニヤリと笑ってウインクをしてみせる。その態度を見たコナンは、内心で苦笑いを浮かべながら呟いた。
(この人、圭人のことを同業の記者か何かだと勘違いしてるみてぇだな……)
「じゃあ、女のアカウントと俺の連絡先を教えておくわ」
平岡はそう言って、手際よくメモ帳に情報を書き写すと、それを圭人へと手渡した。席を立ち上がりながら、キャップ帽の位置を直す。
「じゃ、何か掴んだら頼むわ!」
そう言い残し、平岡は足早にバッカムを後にした。
「それじゃ、俺達も行こうか」
平岡に続くように、圭人とコナンも店を出て表の通りへと戻る。夜の帳が下りつつある米花町の空気の中で、コナンがさっそく圭人を促した。
「早速その蜂谷飛鳥のアカウントを見てみるか……」
「そうだね」
圭人はポケットからスマホを取り出し、平岡から教えられた蜂谷飛鳥のSNSのアカウントを検索して画面に表示させた。
プロフィールには派手な自撮り写真が並んでおり、スクロールしていくと、彼女は自分の日常や行動をかなり事細かに呟いているようだった。
「慎重っていう割には、結構投稿してるよ……。あ、一分前の呟きがあるね」
圭人が画面を指差す。そこには最新の投稿として、『ここのオニオンリング美味しい!』という一文と共に、揚げたてのオニオンリングの画像がアップされていた。
コナンがその画面を覗き込み、顎に手を当てて鋭い目を光らせる。
「オニオンリング……もしかしてファストフード店にいるのか?このバッカムの近くにもあるけど……とりあえず行ってみっか?可能性は薄いけどよ」
「米花町内だけでもファストフード店なんて沢山あるしね……」
圭人はそう言いながらも、手がかりの少なさを考えれば動かない手はないと判断した。二人は再びマットブラックのXR250に跨り、ヘルメットのシールドを下ろして、まずは一番近くにあるファストフード店を目指してバイクを急発進させた。