ヒーローと探偵 作:タルマヨ
「……教授……!?」
コナンの叫びが、虚しく広間に響き渡る。
広間の中央、床板が完全に腐り落ちて奈落のような闇が広がるその真上。山脇教授の遺体は、一本の縄に繋がれ、高い天井の梁から無機質に揺れていた。
「工藤……! あんな高い場所、どうやって吊るしたんや。梯子も何もありゃせんで……!」
平次がライトを上方に向けたまま、驚愕のあまり素の名前を口にして呟く。光の先にあるのは、腐った床という「空白」と、数メートルの高さにある梁という「隔絶」。人間が死体を抱えて辿り着ける場所ではなかった。
「……イチ、平次。ここは俺に任せて。二人は入り口で蘭たちの足止めを」
圭人が静かにバックパックを下ろし、登山用ロープを取り出した。その時、廊下から激しい足音と悲鳴が近づいてきた。
「今の叫び声、コナン君!? どこにいるの!」
「平次! 何があったんや!」
蘭と和葉が、ゼミ生たちを引き連れて広間に駆け込んできた。圭人は素早く動いて彼女たちの視線を遮るように立ち、鋭い声で制止した。
「止まって! 蘭、和葉さん、こっちに来ちゃダメだ!」
「圭人……? 何、これ……」
蘭の足元でライトの光が揺れる。その光の端に、宙に浮く教授の靴が映り込んだ瞬間、和葉が短い悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。
「う、嘘……教授……?」
「先生! 先生、しっかりしてください!」
助教の男と学生たちが狂乱したように叫び、崩落した床の際まで駆け寄ろうとする。
「近寄らないで! 足場が抜けてる。これ以上進んだら、君たちもあそこに落ちるぞ!」
圭人の制圧するような厳しい声に、ゼミ生たちは凍りついたように立ち止まった。圭人は彼らの混乱を背中で受け流しながら、素早くロープの端を入り口付近の頑丈な柱に固定した。
「コナン、ライトで俺の行く先を照らしてくれ」
「わかった。……無理はするなよ」
コナンが腕時計型ライトを絞り、梁の一点を鋭く照射する。圭人はロープの輪を肩にかけ、壁際のわずかに残った梁の端に飛び移った。
「ちょ、圭人!? 危ないわ、そんなところ!」
蘭が悲鳴のような声を上げるが、圭人は迷いなく壁を蹴り、驚異的なバランス感覚で天井付近の横梁へと這い上がっていく。
埃が舞い、ギシリと屋敷全体が嫌な音を立てて軋む。梁の上に辿り着いた圭人は、そこでライトを教授の遺体へと向けた。
「……なぁ、二人共。よく見てくれ」
圭人の声が、高い天井から降ってくる。
「教授の首にかかっている縄……これ、ただ吊るされてるだけじゃない。結び目が……『影』の形を模してる」
「何やて!?」
平次が下から必死に目を凝らす。伝説の通り、梁に吊るされた死体は、下にある深い穴に向かって「影」が伸びているように見える。そして、その影を縫い止めるかのように、縄の端が複雑な形状で固定されていた。
「それに、もう一つ……」
圭人が遺体のポケットから覗いているものを見つけ、手を伸ばした。「宝の地図らしき紙の……半分だ。破られて、ここにある」
その言葉に、下にいたゼミ生たちの顔色が変わった。
「破られてる……? じゃあ、残りの半分は誰が……」
その時、屋敷のさらに奥、二階へ続く階段のあたりで、再び『ギギ……』という重い家鳴りが響いた。
「……まさか、もう一人……!」
コナンが弾かれたように廊下へと飛び出した。圭人は身軽な動作でロープを伝い、床が残っている入り口付近へと降り立った。
「平次、ここは任せていいか。俺はアイツを追う」
「おう、分かっとる。星野、工藤……やなくてコナン君を頼むわ! こっちの連中は俺が逃がさへんように見張っとくさかい」
平次は鋭い眼光で、狼狽えるゼミ生たちを射貫いた。
「……助教のアンタ、それにアンタら二人もや。教授のポケットにあった地図の半分、誰が持ってるか知らんとは言わせへんで?」
「し、知りません! 教授は……教授は独り占めするつもりだったんだ。我々には見せてもくれなかった!」
平次は彼らの主張を聞き流しながら、一人一人の足元を観察していた。
(……おかしいな。さっき星野が言うとった隠し通路の泥や機械油の跡……アンタらの靴、綺麗すぎへんか?)
その時、平次の鼻を焦げ臭い匂いがかすめた。
「……? ねぇ、服部君、何だか煙たくない?」
蘭が鼻をひそめて周囲を見回すと、天井裏から微かな白い煙が漏れ出していた。
「……あかん! 姉ちゃん、和葉、みんなここから離れろ!!」
平次の叫びと同時に天井から火の手が上がった。火は瞬く間に梁を伝い、教授の遺体を吊るしている縄へと燃え広がる。無残にも焼き切れた縄から、教授の遺体は炎を纏ったまま床下の穴へと落下していった。
ガコン……!
遺体が底に激突した瞬間、重々しい金属音が響き、巨大な石の台座が穴からせり上がってきた。同時に台座の側面から奇妙なガスが噴き出し始める。
「ゴホッ……! 何や、この煙……ただの火事の煙やないぞ!」
「平次! 苦しい、アタシ……」
「和葉! シャキッとせぇ、しっかりするんや!」
和葉が意識を朦朧とさせ、膝を突きかけるのを平次が必死に支える。蘭も袖で口を覆いながら和葉の体を支えていた。逃げようとするが、広間の扉は外から何者かに閂をかけられ、びくともしない。
(……待てよ。このガス、台座が上がりきった瞬間に噴き出し始めた。っちゅうことは、この台座が「栓」になってた別の道があるはずや!)
平次は、教授の遺体が横たわる台座の上へ跳ね上がった。熱気で遺体の服が焦げ始める中、台座の中央、遺体の頭部の下に、奇妙なくぼみがあるのを見つける。
「これや……! この穴に、さっきの『地図の半分』を差し込めば……!」
だが、その地図は今、二階の書斎へ向かった圭人たちが手にしているはずだった。
「くそっ、手元にない……! 星野! 工藤! どこにおんねん!!」
一方、二階の書斎。
「……圭人、この部屋おかしいぞ。机の位置が、さっき入った時と数センチずれてる。……この部屋全体が、さっきの振動で動いたんだ!」
コナンが指摘する通り、部屋は下降を始めていた。
「……イチ、のんびり探索してる時間はなさそうだよ。平次たちのいる一階で、何かが起きてる。力技で行くよ。しっかり捕まっててくれ」
圭人はバックパックから高強度ワイヤーを取り出し、板張りされた窓を強引にこじ開けた。下降を続ける部屋から、圭人はコナンを抱えて激しい雨の中へと躍り出た。
「待たせたな、平次!」
広間の窓を外側から粉砕し、圭人が突入する。
「平次、これを使え!」
投げ渡された『地図の残り半分』を、平次は台座のくぼみへと叩き込んだ。
ゴゴゴ……!
地鳴りとともに台座がスライドし、地下へと続く石階段が現れた。
「道ができたぞ! 蘭、和葉さん、こっちだ!」
圭人が蘭と和葉を階段へ促す。二人が飛び込んだのを確認すると、平次はまだ腰を抜かしていた助教と二人の学生を怒鳴りつけた。
「おい、アンタらも死にたなけりゃ早よ入れ! ぐずぐずしとる暇はないぞ!」
「ひ、ひぃぃっ!」
火の粉が降り注ぐ中、助教の男を先頭に、ゼミ生たちは雪崩を打つように石階段へと飛び込んでいく。平次は彼らの背中を突き飛ばすようにして地下へ追いやり、最後に自らも階段へ飛び込んだ。
その直後、背後で凄まじい轟音が響いた。天井の梁が完全に焼け落ち、石階段の入り口を瓦礫と共に火の海が塞いでしまった。
「はぁ、はぁ……。危ないところやったな……。姉ちゃん、和葉、怪我はないか!? ……おい、アンタらも生きてるか!」
平次が懐中電灯を向けると、先に飛び込んだゼミ生たちが通路の隅でガタガタと震えながら蹲っていた。蘭に抱えられた和葉も、ようやく意識をしっかりさせつつある。
「……迷宮、って感じだね。出口が塞がれた以上、ここを進むしかないか」
圭人が先頭に立ち、周囲を警戒しながら歩き出す。
「足元に気をつけて。ここ、さっきのガスがまだ溜まってるかもしれない」
コナンの言葉に、全員が姿勢を低くして慎重に進んでいく。
やがて通路は円形の広間に突き当たった。壁一面に描かれた「影」が、一点に向かって収束している場所。
そこには、自分たちと共に逃げていたはずのゼミ生の一人が――いつの間にか列から外れていたのか――血に濡れたナイフを握ったまま、呆然と壁を見つめて立ち尽くしていた。
「……どうやら、迷宮の主にご対面みたいだね」
コナンが眼鏡の縁を光らせ、鋭い視線を向けた。