ヒーローと探偵 作:タルマヨ
閉ざされたテーマパーク(結界編)
「……よし、これで安定したかな」
米花町、阿笠邸のリビング。午前中の柔らかな陽光が窓から差し込み、浮遊する埃がキラキラと舞う中、圭人はピンセットを置いて、デスクに広げた小型デバイスの基板からようやく視線を上げた。博士が開発を進めている、微弱な磁気の歪みを検知して可視化する試作機――その最終調整を、圭人が手伝っていたのだ。
「どうだ、博士。感度はさっきより良くなったと思うよ。ノイズのフィルタリングを少しタイトにして、バックグラウンドの干渉を削っておいたんだ。これで微細な変動も拾えるはずだよ」
「おお、さすが圭人君、助かるわい! ワシ一人じゃあ、この細かなハンダ付けと回路の修正に丸一日かかるところじゃったわ。最近はどうにも近くが見えにくくてかなわん。君のような若い助っ人がいてくれると心強いわい」
博士は感心したように眼鏡の奥の目を細め、淹れたてのコーヒーを圭人の前に置いた。
「……しかし、今日は本当に行かなくて良かったのかね? 新一君たちは今頃、新しくオープンした『米花スカイランド』に到着して、はしゃいでおる頃じゃろうに。せっかく園子君が招待してくれたんじゃろう?」
「あはは、俺が行ったら流石にワゴンの定員オーバーだよ。それに、今日は平次も来てるんだろ? あいつと和葉さんのいつもの喧嘩に一日中巻き込まれるのは、流石に勘弁かな。ここでのんびり博士の試作機をいじってる方が、よっぽど有意義だよ。コーヒー、いただきます」
圭人はコーヒーの香りを楽しみながら、ふっと表情を緩めた。今日は園子が「鈴木財閥が社運を賭けて作った最新のレジャーランドよ! 全アトラクション制覇するわよ!」と息巻いて一行を招待したのだ。小五郎が運転するワゴン車に全員で乗り込み、早朝から賑やかに出発していった。
その頃、米花町近郊の湾岸エリアに位置する『米花スカイランド』へと向かうワゴンの車内は、まさに圭人の予想を遥かに上回る騒乱の極みにあった。
「自分、さっきから黙って聞いとったら……アタシが行きたいんは絶叫マシンや言うてるやろ! 誰が今さらメリーゴーランドなんか乗るかいな! せっかく東京まで遊びに来てやったのに、お子ちゃま扱いやめてくれるか、このボケ!」
「ドアホ! 飯食うた直後にあんなグルグル回るもん乗ったら、リバースしてまうやろが! 最初はゆっくりしたもんから入って、三半規管を慣らすのが鉄則や! 自分、前の時もそれでダウンしてアタシのせいやとか抜かしとったん忘れんたんか!」
「なんやて、このヘボ探偵! あれは体調が悪かっただけやわ! 根性なしと一緒にせんといて!」
後部座席で火花を散らす平次と和葉。そのあまりの騒がしさに、運転席の小五郎がハンドルをバンバンと叩いて怒鳴り散らす。
「やかましいっ! どっちでもいいから静かにしろ! 俺はな、貴重な休日を返上で運転手させられてんだ。これ以上イライラさせると、入り口で全員降ろして、俺だけホテルのラウンジでビール飲みに行ってやるぞ、おい!」
「もー、お父さん落ち着いて。運転に集中してよ、危ないじゃない。……ごめんね、和葉ちゃん。服部君も、今日は園子がおすすめのルートを分単位で考えてくれてるから、二人ともそれに従いましょ?」
蘭が苦笑しながらフォローに回るが、助手席の園子はパンフレットを片手に「まずは限定グッズのショップを攻めて、それから話題のフォトスポットよ! 蘭、今日は自撮り棒持ってきたわよね?」と鼻息が荒い。
中列のシートでは、元太、光彦、歩美の三人が窓に張り付いて、流れる景色の先にある巨大な観覧車を楽しそうに見上げていた。
「ねえ、コナン君! あそこに見えるの、観覧車じゃない? すごく大きいよ! 頂上まで行ったら米花町も見えるかな!」
歩美が身を乗り出して指差す先を、コナンは「そうだね、楽しみだね」と、子供らしい営業用の笑顔を貼り付けて応じた。
(……ったく、おっちゃんは朝から全開だぜ。まあ、事件も組織の影もねーこんな平和すぎる休日も、たまには悪くねーか。圭人の奴は、今頃博士の長ったらしい新作の自慢話に捕まって、あくびでもしてんだろうな)
隣で静かに科学雑誌をめくっている灰原を横目に、コナンは窓の外に広がる青空を見つめていた。
やがて車は、色鮮やかな巨大ゲートをくぐり、広大な駐車場へと滑り込む。
「よっしゃ着いたぁ! 遊び倒すでー!」
「待てや和葉、自分走るな! 迷子になっても知らんで!」
車を降りた瞬間、平次と和葉を先頭に、一行は弾かれたように園内へと駆け出していった。午前中の『米花スカイランド』は、雲一つない快晴に恵まれ、まさに最高の行楽日和だった。
入園ゲートをくぐると、そこには色鮮やかな非日常の世界が広がっていた。巨大な噴水がクラシック音楽に合わせてリズミカルに踊り、あちこちから楽しそうな歓声と、ポップコーンの甘い香りが漂ってくる。
「わあ、すごい! 見て見て、光彦君、元太君! あの着ぐるみ、すごく可愛いよ!」
「噴水が音楽に合わせて踊っていますよ! 水圧とタイミングの制御が完璧ですね。最新のプログラムを使っているに違いありません!」
「そんなことより、あっちの屋台の匂い嗅いでみろよ! ジューシーなソーセージに甘いチュロスだぜ! コナン、まずはあそこから制覇しようぜ、腹が減っては遊びができねえ!」
歩美、光彦、元太の三人は、キラキラと目を輝かせて広場を駆け回る。
その少し後ろで、小五郎は腰に手を当てて、園内の地図を見上げながら大きなため息をついた。
「ったく、広すぎてどこに何があるかさっぱり分からねえ。……おい、ボウズ。お前、ガキどもの迷子札代わりについてってやれ」
コナンは小五郎を見上げ、苦笑いしながら頷いた。
「分かったよ、おじさん! 迷子にならないように見張ってるよ」
「頼んだぞ。……さて、俺はあそこのベンチで一服……」
「ダメよ、お父さん! 今日はみんなで回るって約束したでしょ? ほら、行くわよ!」
「へいへい……分かったよ蘭、そう引っ張るな。ネクタイが歪むだろ」
蘭にガッチリと腕を組まれ、小五郎は力なく肩を落きながら歩き出した。
お昼時になると、一行は大きな広場にあるパラソル席に集まった。
「うめぇ! やっぱ遊園地で青空の下で食う特大テリヤキバーガーは最高だぜ!」
宣言通り、自分の顔ほどもあるバーガーを両手で掴み、口の周りをソースだらけにしながら元太が笑う。
「元太君、そんなに急いで食べなくても誰も取ったりしませんよ。……ほら、歩美ちゃん。こっちのポテトも揚げたてで美味しいですよ。一緒に食べませんか?」
「ありがとう、光彦君! あ、蘭お姉さんの作ってくれたサンドイッチもすごく美味しそう! 一つもらってもいい?」
歩美の問いかけに、蘭は顔を綻ばせてサンドイッチのケースを差し出した。
「もちろんいいわよ、歩美ちゃん! たくさん作ったからいっぱい食べてね。コナン君もどう?」
「ありがとう、蘭姉ちゃん!」
蘭と和葉は、お互いに持ってきたお弁当を交換しながら、楽しそうに笑い合っている。
「これ、和葉ちゃんが作ってきたの? お出汁がしっかり効いてて、すごく美味しい! プロみたい」
「ホンマ? よかったぁ。蘭ちゃんの卵焼きこそ、どうやったらこんなにふわふわに焼けるん? アタシ、いっつも焦がしてまうんよ。……なぁ、平次。自分もこれ食べて感想言いなさいな!」
「お, おう……。まあ、食えんことはないわ。悪うないな。……ちょっと味が濃い気もするけどな」
「なんやて!? せっかく作ったのにその言い草なんや!」
平次はそっぽを向きながら、不器用な手つきで和葉の差し出したおかずを口に運んでいた。
「……平和ね。あっちの騒がしい二人組も、こっちの江戸川君も。今はただの、どこにでもいる平和な少年少女に見えるわ」
灰原が、隣でアイスティーを飲んでいるコナンにだけ聞こえる声で呟く。
「へっ、たまにはいいだろ、こういうのも。……灰原だって、さっきパンダの着ぐるみと写真撮る時、結構いい顔してたぜ?」
「……記録抹消案件ね。言ったら消すわよ、貴方の存在を、物理的に」
灰原が冷ややかな視線を向けると、コナンは「冗談だよ」と苦笑いして空を見上げた。
午後は、光彦が分単位で作成した「最短攻略ルート」に従って、一行は次々とアトラクションを制覇していった。
絶叫マシンでは和葉と園子が凄じい叫び声を上げ、平次が「耳がキーンとするわ!」とぼやき、メリーゴーランドでは歩美が嬉しそうに手を振り、コーヒーカップでは元太が勢いよく回しすぎて小五郎が本気で目を回してベンチへ沈没した。
夕暮れ時。
オレンジ色の夕陽が、立ち並ぶアトラクションの影を長く地面に伸ばし、幻想的でありながらどこか寂しげな空気が園内を包み始めた。
「あー、遊び尽くしたぜ……。もう一歩も歩けねぇ。明日までここで寝ていきてぇくらいだぜ」
「元太君、最後までだらしないですよ。……でも、確かに足がパンパンですね。僕も今日はぐっすり眠れそうです」
満足げな子供たちを連れて、一行は帰り支度を整えながら広い駐車場へと向かっていた。
「おーい、服部君! 和葉ちゃん! 遅れないでよ、お父さんがもう車出したがってるから!」
蘭が前を歩く二人を振り返って声をかける。すると、一足先にこちらへ向かってきていた和葉が、困ったように眉を下げた。
「わかってるって、蘭ちゃん! 今、平次がトイレから出てこんのよ。……全く、あいつは大事な時にいつもこれや。アタシ、あんなに食べ過ぎんときって言うたのに、腹でも壊したんやろか」
和葉が腰に手を当てて、溜め息混じりに愚痴をこぼす。
その時だった。
「あだっっ!! ……な、なんだぁ!? 誰だ、俺を突き飛ばしたのは!」
先行して車のキーを取り出そうとしていた小五郎が、何もない空間で派手な音を立てて尻餅をついた。
「どうしたの、お父さん? 足でも滑らせたの?」
蘭が不審そうに駆け寄ろうとしたが、彼女もまた、数歩手前でまるで見えない壁にぶつかったように、その場から一歩も前に進めなくなった。
「え……? 嘘、何これ。進めない……」
蘭が恐る恐る、目の前の空間に手を伸ばす。すると、指先が触れた瞬間に、空中に紫色の幾何学的な光の波紋が走り、バチバチと激しい放電のような音が響いた。
「な、なんだこれ!? 透明な壁か?」
コナンが駆け寄り、その現象を凝視する。その視線の先で、遊園地を囲むように、空を覆う巨大なドーム状のエネルギー体が形成されていくのが見えた。
「お、おい、空を見てみろよ!」
元太が上空を指差す。夕闇が迫る空の一部が、歪んだガラスのように波打ち、不気味な紫色の光を放ち始めていた。
「……空間隔離ね。どうやら、ただの迷子騒ぎじゃ済まないようよ」
灰原が冷静に周囲を分析する。その足元から、地響きのような重低音が響き渡った。
「きゃあああ!!」
歩美の悲鳴が上がる。
園内の美しい芝生が、まるで内側から巨大な力で押し上げられるように盛り上がり、どす黒い土を撒き散らして裂けた。そこから、ぬるりと這い出してきたのは、赤黒い岩のような質感に、粘液のような光沢を帯びた、数本の巨大な『触手』だった。
触手は生き物のように周囲の空気を探る動作をすると、真っ直ぐに――コナンたちのいる駐車場の方へと、蛇のように鎌首をもたげた。
「みんな、逃げろ!!」
コナンの叫び声が、夕暮れの遊園地に響き渡った。
その混乱の最中、灰原は迷うことなくスマホを取り出し、短縮ダイヤルを押した。
発信先は、阿笠邸。
画面に表示された通話先の名前は――『星野圭人』。