ヒーローと探偵 作:タルマヨ
夜の成田空港。第1ターミナルの出発ロビーは、深夜便を待つ利用客でごった返していた。
パトカーから飛び出した目暮、高木、そして小五郎と蘭は、人混みをかき分けるようにして走り回る。
「阿部……! どこだ、どこに隠れやがった!」
小五郎は額に汗を浮かべ、血走った眼で周囲をねめつける。だが、搭乗手続きの列は長く、阿部の姿を特定するにはあまりに広すぎた。
「高木君、各ゲートの検問は!?」
「今、空港警察に応援を要請しましたが、まだ時間がかかります!」
「クソッ、このままじゃ国際線の彼方に逃げられちまう……!」
小五郎は自身のデスクにあった写真を思い出し、拳を硬く握りしめた。
「あの野郎、俺を……この俺を人殺しのアリバイ工作に利用して、高みの見物かよ! そんなことが許されるか!」
「お父さん、落ち着いて……!」
蘭が必死に呼びかけるが、小五郎の怒りは収まらない。自分のプライドを泥靴で踏みにじった犯人への憎悪が、事務所の絨毯を汚したビールの匂いと共に蘇る。
その時、空港内の全スピーカーから、静寂を切り裂くようなチャイムが鳴り響いた。
『ピンポンパンポン――。お客様のお呼び出しを申し上げます。東京からお越しの阿部豊様。お連れ様の根岸正樹様が、北駐車場でお待ちです。至急、北駐車場までお越しください――』
「……え?」
蘭が足を止める。小五郎も、目暮も、その場に凍りついた。
「今、根岸って言ったか……?」
一方、エスカレーターで搭乗ゲートへと向かっていた阿部豊は、その放送を聞いた瞬間、全身の血が逆流するような衝撃に襲われた。
「ば、馬鹿な……。根岸が生きているはずがない……!」
阿部は手にしたバッグを床に叩き落とし、周囲を狂ったように見渡した。
「俺はこの手で殺したんだ! 赤鬼村の火祭りの薪の下で、あいつは灰になったはずだ! 幽霊……? いや、まさか警察の罠か!?」
極限のパニックに陥った阿部は、理性をかなぐり捨て、出口へと向かって逆走を始めた。搭乗ゲートという安全圏を自ら捨て、死人が待つという闇の中へ。
街灯が等間隔に並ぶ、静まり返った北駐車場。
阿部は荒い息を吐きながら、誰もいないアスファルトの上を彷徨っていた。
「根岸……! どこだ、根岸! 出てこい!」
「……呼んでも無駄だよ。根岸さんはもう、ここにはいないんだから」
暗がりに置かれた大型バンの影から、一人の少年――コナンがゆっくりと姿を現した。
「……ガキ……!? 貴様、今の放送は貴様の仕業か!」
「おじさんの名前を勝手に使わせてもらったよ。じゃないと、アンタはここに来てくれないだろ?」
コナンはポケットに手を入れ、冷徹な視線で阿部を射抜いた。
「ふ、ふざけるな! 私には完璧なアリバイがあるんだ! 私が山形にいた間、根岸は東京にいて、それを証明したのは他ならぬ毛利小五郎だ!」
「ああ、おじさんは『根岸さん』を追ってたよ。でも、それはアンタが雇った『左利きの替え玉』だ」
コナンの言葉に、阿部の表情が凍りつく。
「本物の根岸さんは右利きだ。でも、おじさんが撮った写真の男はタバコもコーヒーも全部左手。……時計を右腕に付け替えても、長年の習慣までは消せなかったみたいだね」
「……ぐ、ぐ……!」
「阿部さん、アンタは山形へ発つ火曜日の朝、すでに根岸さんを殺していた。そして替え玉に毛利のおっちゃんを尾行させ、完璧なアリバイを作ったつもりだったんだ。……そうだろ?」
「証拠だ! 証拠を出せ、クソガキ!!」
阿部が激昂し、コナンに詰め寄る。コナンは不敵に笑い、懐からボイスレコーダーを掲げた。
「あるよ。今、アンタが放送を聞いてパニックになった時に漏らした、決定的な独り言がね」
コナンが再生ボタンを押す。
『俺はこの手で殺したんだ! 赤鬼村の火祭りの薪の下で、あいつは灰になったはずだ! 幽霊……? いや、まさか警察の罠か!?』
駐車場に響き渡る自分自身の告白。阿部の顔から表情が消え、深い絶望と殺意が混じり合った歪な笑いが浮かんだ。
「……ああ、そうだ。私がやったよ。だがな、その録音機ごと貴様を消せば、証拠は消えるんだよぉ!!」
阿部は懐からナイフを抜き放ち、猛然とコナンへ飛びかかった。
「死ねぇ!!」
コナンは冷静にベルトのバックルを叩き、射出されたボールを足元に捉えた。即座にシューズのダイヤルを回す。
「これで……終わりだ!」
バチッ……!
だが、放たれたのは力強い電光ではなく、力尽きたような空虚な火花だった。
(……!! バッテリー切れ……!?)
あまりの激しい追跡に、メカの限界が来ていた。キックの衝撃を失った足は、空しくボールを掠める。
「しまっ――」
目の前には、狂気に満ちた阿部の顔と、眼前に迫るナイフの切っ先。
「死ねぇぇ!!」
その時だった。
闇を切り裂き、手裏剣状の鋭い光弾が超高速で飛来した。
《シュバッ!》と空気を切り裂く音と共に、放たれた速射ビーム光線が、阿部の持つナイフを正確に弾き飛ばし、その肩を衝撃が襲う。
「ぐ、あああっ!?」
凄まじい衝撃に阿部の身体は数メートル後方へと吹っ飛び、アスファルトに叩きつけられた。
「……助かったぜ。完璧なタイミングだな、圭人」
コナンが眼鏡のブリッジを押し上げ、視線を向けた先。
北駐車場の街灯の上、その細い支柱の先端に、月光を背負って静かに佇むの
そこへ、パトカーのサイレンと共に小五郎たちが雪崩れ込んできた。
「阿部!! 貴様、この期に及んでガキに手を出すとは……!」
小五郎は車を降りるなり、阿部の背中に膝を突き立て、屈強な力で手首を捻り上げた。
「観念しろ。この名探偵、毛利小五郎をアリバイ作りの道具に使い、その上子供に刃物を向けるとは……。地獄までその罪、持って行かせねえぞ!!」
事件が解決し、警察車両が阿部を連行していく。
「コナン君、怪我はない!? もう、心配させないでよ!」
蘭が目に涙を浮かべてコナンを抱き寄せた。
「えへへ、ごめんね蘭姉ちゃん。でも、おじさんの名誉が守れて良かったよ」
「本当よ……。お父さんも、最後はかっこよかったわね」
少し離れた暗がり。博士のビートルの横で、圭人は夜空を見上げていた。
「……名誉、か。おじさんにとっては、何よりの報酬だな」
「全くだ。……次はシューズのバッテリー、もっと保つように頼むぜ、博士」
歩み寄ってきたコナンが、圭人の隣で肩を並べる。
「わ、わかっとるよ圭人君……。新一君も、無茶はほどほどにするんじゃぞ」
ビートルから顔を出した博士の言葉に、二人は顔を見合わせ、静かに笑った。
夜の空港を吹き抜ける風が、事件の残り火を消し去るように、冷たく、そして清々しく通り過ぎていった。