ヒーローと探偵   作:タルマヨ

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解析と予兆

阿笠博士の家の扉を潜ると、そこにはコーヒーの香りと、それ以上に重苦しい「待ち兼ねた」空気が満ちていた。

「おお、二人とも! 無事だったか……って、なんじゃその格好は! 泥だらけじゃないか!」

玄関まで飛んできた博士が、二人の凄惨な姿を見て声を荒らげた。

「……わりぃ博士。ちょっと派手に転んじまってな。……それと、これ」

圭人が壁に手をつき、苦笑いしながら荒い息を吐き出す。その後ろで同じく泥にまみれたコナンが、険しい顔で続いて入ってきた。その手には、空になったあの「超古代の石箱」が握られている。

「ちょっとで済むボロボロさじゃないわね……。工藤君、説明しなさい。何があったの?」

ソファで文庫本を広げていた灰原が、静かに立ち上がって二人を射抜くように見た。彼女の瞳には冷徹なまでの観察眼と、隠しきれない懸念が同居している。コナンは泥を払いながら、居間のソファに圭人を座らせると、重い口を開いた。

「……信じられねえことが起きたんだ。博士、博士が見つけてきたあの石箱の中身……。路地裏で正体不明の化け物に襲われたとき、圭人があれを掲げた瞬間、全身が光に包まれ……別の姿、光を纏った戦士に変わっちまったんだよ」

「な……なんじゃと!? 圭人が、姿を……? いや、しかしそんな……」

博士は狼狽し、何度も眼鏡を拭き直した。だが、目の前で肩を上下させている圭人の身体から、パチパチと静電気のような光の粉が零れ落ち、それが床に触れる前に消えていく光景を見て、言葉を失った。

「……SF映画の観すぎじゃないかしら。と言いたいところだけど、星野君のそのバイタル……ここからでも異常だとわかるわ。呼吸音も心拍も、人間のリズムじゃない。……まるで、体内で別の生命維持システムが動いているみたい。……ただし」

「……ただし?」

「そのシステムが、今のあなたの肉体と適合しているかは別問題よ。……星野君、悪いけどちょっと、上を脱いでくれる?」

「……え? ああ、脱ぐのはいいけど……」

「血液の採取と心電図、それに皮下の組織チェックよ。あなたのその身体に何が起きたのか、原因を突き止めない限り、安心して夕飯も食べられないわ」

「オメー、相手は医者代わりだと思って諦めろよ」

コナンのからかうような視線を適当にいなしながら、圭人は自分より精神的に一つ上の冷静さを持つ彼女に気圧され、少し戸惑いつつシャツを脱いだ。

リビングの作業用モニターに、圭人のバイタルデータが次々と映し出される。心拍数はアスリートの限界値を遥かに超え、体温は40度を上回っている。だが、当の本人は少し息が荒い程度で、意識ははっきりとしていた。

「……信じられない。血液中の白血球数が異常に増加しているのに、炎症反応が出ていないわ。それどころか、傷口が……」

灰原が圭人の脇腹に残っていた擦り傷を指差す。そこにあったはずの裂傷は、見る間に塞がり、数分前にはあったはずの出血の跡すら、滑らかな肌へと戻っていた。

「……なぁ、そんなに近くで見なくても……。ちょっと、恥ずかしいんだけど」

圭人は頬を少し赤く染め、困ったように視線を泳がせた。

「……静かにして。心拍数が異常に速いわよ。それとも、私の手が冷たくて緊張しているのかしら?」

「……まあ、それもあるかもしれないけどさ、いきなりこんな美人に真剣な顔で触られたら、誰だってドキドキするでしょ」

さらりと、だが一人の女性に対する素直な言葉として出た圭人のセリフに、灰原は一瞬だけ、文字通りフリーズした。常に冷静な彼女の頬に、微かな赤みが差したのをコナンは見逃さなかった。

「……っ、……お世辞はいいから、じっとしてなさい。脳まで変異して、おめでたい思考回路になったのかしら?」

一歳年上の余裕を取り戻そうと毒づきながらも、灰原は少しだけぎこちない手つきで心電図の波形を確認した。

「……ミトコンドリアの活性レベルが通常の数千倍……星野君、今のあなたの肉体は、ホモ・サピエンスが何万年かけても到達できない領域に、一夜にして変異しているわ。……ただし、工藤君」

「……ああ。さっきの戦いを見て確信した。こいつ、今の自分のパワーを制御しきれてねえ」

灰原はタブレットに映し出される、圭人の波打つDNA配列のシミュレーションを見つめ、声を震わせた。

「その通りよ。その出力に血管や神経系といった既存の生体システムが耐えきれていない。今のあなたは、ジェットエンジンの出力を軽自動車のフレームで受け止めているようなものよ。あなたが感じている『負荷』は、肉体がそのスペックの高さに悲鳴を上げている証拠。……いい、星野君。この力が何であれ、今の未完成な状態で無茶をすれば、あなたの命を削ることになるわよ」

「命を削る、か……。そんな大層なもんじゃないと思ってたんだけどな。でも、このままじゃ守れるもんも守れないってことだな」

圭人は机のスパークレンスを手に取ると、その白銀のボディを愛おしむように眺めた。

「……圭人君。哀君の言う通りじゃ。あまりに超常的な現象を前にして、ワシは君がどこか遠いところへ行ってしまうような気がして……怖くてたまらんのじゃよ」

博士の不安げな吐露に、圭人は安心させるように力強く頷く。

「分かってるよ、博士。心配してくれてありがとう。でも、このを使いこなすには、今の俺じゃ器が足りないんだ。……明日から、さらに自分を追い込まないと。このエネルギーを御しきれるだけの、もっと強い受け皿に……この体を作り変える必要がある」

「圭人君、あまり無理はしちゃいかんぞ……」

「無理しなきゃいけない時なんだよ、今は。……イチ、お前が追ってるってのも、待ってはくれないんだろ?」

圭人の射貫くような視線を受け、コナンはふっと不敵な笑みを浮かべた。眼鏡の奥にあるその瞳は、数々の死線を潜り抜けてきた探偵のものだ。

「……ああ。あいつらは容赦ねえ。いつ、どこから、どんな形で日常を壊しに来るか分かったもんじゃねえからな。オメーがそのを選んだってんなら、俺も全力で乗ってやるよ。オメーが戦える『器』を作る間、情報の盾になるのは俺たちの役目だ。……だろ、灰原、博士?」

「……ええ。工藤君がそう言うなら、私も解析の手は緩めないわ。星野君、明日からはトレーニングと並行して、定期的なバイタルチェックも欠かさないで。……死なれたら、寝覚めが悪いもの」

灰原が少しだけ口角を上げ、皮肉を交えながらも絆を感じさせる言葉を添える。

「もちろんじゃ! ワシも圭人君の体に負担をかけんような、補助アイテムの開発を急ぐとしよう!」

博士も力強く拳を握った。

「サンキュー、みんな」

圭人は立ち上がり、全身を巡る熱い感覚を噛み締めた。その熱は、単なる力の奔流ではなく、信頼という名の重みでもあった。

「……あいつらが狙っているのは、コレ(スパークレンス)か、それともこの力を宿した圭人自身か……。あの化け物は『光の塵が』と言っていた。……ってことは、奴等にとって、圭人は最初から排除すべき対象だったってことか。組織とはまた別の、得体の知れないヤバい連中に目をつけられちまったな」

「いずれにせよ、このままだと米花町の平穏も終わりね。……博士、補助アイテムだけじゃなくて解析データも暗号化して。このデータが表に出れば、世界中の研究機関が彼を解体しに来るわよ」

灰原は圭人にシャツを貸し、そっと肩に手を置いた。その手は少しだけ、震えていた。彼女にはわかっていた。圭人が足を踏み入れたのは、一度入れば二度と戻れない、孤独な戦場だということが。

 

 

 

 

 

 

翌日。

全身の節々に残る鈍い痛みを感じながら、圭人は帝丹高校の校門を潜った。昨夜の出来事が嘘のように穏やかな朝。だが、圭人の「直感」は、校舎の中に紛れ込んだ「異質な視線」を敏感に察知していた。

「……よぉ、星野君。今日はずいぶん、顔色が悪いじゃないか」

廊下を歩いていると、背後から軽快な、だが鋭い声が掛かった。

世良真純だ。彼女は八重歯を見せて笑いながら、圭人の隣に音もなく並んだ。

「……別に。昨日、ちょっと夜更かししただけだ」

「へぇ、そうか? ボクの目には……昨日の夜、どこかの猛獣と死闘を繰り広げてきたような、物凄い『覇気』が漏れ出してるように見えるんだけどな」

世良の目が、探るように圭人の瞳を覗き込む。彼女のジークンドーで培われた洞察力が、圭人の「抑制しきれていない力」の余韻を捉えていた。

「……気のせいだろ、真純さん」

「だといいんだけど。……さっき、その首筋のあたり。……銀色の光が走ったように見えたのは、ボクの幻覚かな?」

世良が指先で圭人の襟元に触れようとした瞬間――。

圭人の身体が、本人の意思とは無関係に、超人的な速度でその指を回避し、彼女の手首を掴んでいた。

「……っ!」

「……あ」

圭人がハッとして手を離すが、世良の瞳は驚愕と、それ以上に確信に満ちた喜悦に輝いていた。

「……今の反応。ボクが本気で打ち込んでも、今の速度には反応できないぜ? ……やっぱり隠してるな、星野君。キミ、一体何者だ?」

日常という仮面の下で、光と探偵たちの追走劇が、静かに幕を開けようとしていた。

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