ヒーローと探偵   作:タルマヨ

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降臨

東都水族館の夜は、不穏な熱気に包まれていた。

 リニューアルオープンを翌日に控えた園内は、招待客たちの歓声と、色とりどりに輝くイルミネーションで溢れかえっている。だが、その華やかさの裏側で、複数の組織が音もなく網を広げていた。

「風見、配置を急げ。あの女を逃がすなよ」

 観覧車の影、通信機に向かって低く命じたのは安室だった。公安警察としての鋭利な眼光が、閉鎖された園内の動線を冷徹に分析する。病院から逃走した記憶喪失の女性を確保するため、彼は「降谷零」としての顔で、風見率いる公安部隊に水族館の全出入り口を封鎖させていた。

 園外の駐車場、黒いシボレーの車内。ジェームズはジョディとキャメルを伴い、モニターを凝視していた。

「ジョディ君、彼女の足取りは?」

「ええ、ボス。公安が固めていますが、シュウが既にポイントを抑えています」

 その「シュウ」こと赤井は、水族館の喧騒から隔絶された高台にいた。愛銃のケースを傍らに置き、冷たい夜風を頬に受けながら、スコープ越しに巨大なダブル観覧車を見据える。彼にとっての獲物は、逃走した女性だけではない。彼女を「消去」しに現れるであろう、黒ずくめの組織そのものだった。

 一方で、そんな殺伐とした包囲網の中を、能天気に歩く一団があった。

「はっはっは! 見ろ蘭、園子! これがリニューアルした目玉のダブル観覧車だ!」

 小五郎が豪快に笑いながら、ライトアップされた巨大な車輪を指差す。

「すごい……綺麗だね、園子!」

「当然でしょ! 鈴木財閥が関わってるんだから。でも蘭、ガキンチョはどうしたのよ?」

 園子が呆れたように振り返ると、蘭は周囲を見渡して困ったように微笑んだ。

「あ、コナン君ならあっちで博士や哀ちゃんと一緒に……。あれ? 圭人もいないみたいだけど……」

 その言葉通り、灰原は博士の隣で、不安げに手元の探偵団バッジを握りしめていた。彼女の「センサー」は、先ほどから異常なまでの重圧を感じ取っている。警察、公安、FBI、そして組織。この水族館が、戦場に変わる予兆を、彼女だけが敏感に察知していた。

「……江戸川君なら、もうどこかで嗅ぎ回っているはずよ。……嫌な予感がするわ。この空気、間違いなく彼ら(組織)が来ている……」

 正門付近では、目暮が憤慨しながら部下たちを指揮していた。

「全く、公安の奴らめ! 勝手に封鎖などして、現場の混乱を煽るだけではないか! 高木君、佐藤君、我々は一般客の避難経路を確保しつつ、不審な連中がいないか目を光らせるんだ!」

「はい、警部!」

 目暮の怒号が響く中、高木、佐藤、千葉らは、パニックに備えて園内を警戒する。彼ら捜査一課にとっては、逃げた女性の正体よりも、この異常な包囲網そのものが大きな脅威だった。

 そして。

 誰もがそれぞれの思惑で動く中、観覧車の頂上付近では、運命の歯車が回り始めていた。

「わあー! すっげえ、宝石箱みたいだな!」

「見て元太君、海の方まで見えるよ!」

「歩美ちゃん、あんまり身を乗り出しちゃ危ないですよ!」

ゴンドラの中で無邪気に歓声を上げる元太と歩美。それを光彦がたしなめる。その隣には、コナンから手渡された「白いイルカ」を握りしめた彼女が座っていた。

 脳裏に焼き付いた五色の光。自分が何者で、何をすべきか。混濁していた意識は、この高さから見下ろす夜景の中で、冷徹なほど鮮明に形を成していた。

「……綺麗。でも、もうすぐ消えてしまう……」

 彼女が静かに呟いた、その時だった。

 水族館の遥か上空、漆黒の夜空を切り裂くように、その「死神」が姿を現した。

「……ターゲット確認。これより殲滅を開始する」

 V-22 オスプレイ。黒い巨鳥がその双翼を翻し、銃身を観覧車へと向けた瞬間、東都水族館の平和は無残に終わりを告げた。

 

 突如、水族館の平穏を切り裂いたのは、上空から降り注ぐ巨大なローター音だった。

 V-22 オスプレイ。その黒い機体が月を隠すように現れた直後、目も眩むような閃光と共にEMP(電磁パルス)弾が放たれた。

「な、なんだ!? 灯りが……!」

 地上で空を見上げていた小五郎が叫ぶ。

 一瞬だった。数秒前まで宝石を散りばめたようだった園内のイルミネーションが、一斉に、力尽きたように掻き消えた。華やかな喧騒は消え去り、水族館全体が、重苦しい沈黙と漆黒の闇に飲み込まれる。

「キャアアアアア!!」

 暗闇の中で爆発的に広がったのは、一般客たちの悲鳴だった。

 だが、真の絶望はそこから始まった。

 ダダダダダダダダッ!!

 闇を切り裂き、曳光弾の軌跡が夜空を走る。V-22に搭載されたガトリング砲が、観覧車のシャフト部分へ向けて容赦のない掃射を開始した。火花が激しく散り、鋼鉄が削れる嫌な音が足元から響く。

「うわあああ!?」

「怖い、怖いよぉ……!」

 激しく揺れるゴンドラの中で、元太と歩美が悲鳴を上げる。光彦も床に這いつくばり、恐怖に歯を食いしばっていた。その瞬間、キュラソーは迷うことなく動いた。彼女は震える三人の体を、まるで壊れ物を守るかのように、その細い体ですべて包み込むようにして床に伏せさせた。

「……動かないで! 伏せていなさい!」

 その声は、かつて冷徹に任務を遂行していた頃の彼女のそれではない。三人の命を預かる、一人の守護者の響きだった。

「お姉さん……」

「大丈夫。……私が、歩美たちを絶対に守るから」

 三人の頭を抱え込む彼女の瞳には、上空を旋回するV-22に対する鋭い敵意が宿っていた。かつて自分を駒として扱った組織が、今は自分を消そうとしている。だが、今の彼女が守りたいのは自分自身ではない。自分に「色」を教えてくれた、この温かな体温を持つ子供たちだった。

 一方、観覧車の通路。

 闇に紛れて移動していた安室は、上空のV-22を睨みつけながら歯噛みしていた。

「……強引すぎるぞ、ジン……! ここにどれだけの人間がいると思っているんだ!」

 安室は腰を落とし、銃を構えるが、相手は漆黒の空を飛ぶ鉄の塊。EMPによって全電源を喪失したこの状況では、赤井の狙撃をサポートする一瞬の「灯り」さえ作り出せない。

「クソッ、このままでは……」

 安室が焦燥を募らせ、引き金に指をかけたその時――。

 

 

東都水族館から遠く離れた米花町。

 阿笠邸の屋上には、夜風に吹かれながら一人立つ圭人の姿があった。

 まだ完全には癒えぬ全身の細胞が、無理な起動を予感して軋みを上げる。だが、視線の先、遥か彼方の空が不自然に暗転したのを、彼は逃さなかった。EMPによる停電。それは、組織による蹂躙が始まった合図に他ならない。

「……待ってろ。今、行く……!」

 圭人の右手には、すでにスパークレンスが握りしめられていた。

 誰に語りかけるでもないその言葉は、決意という名の刃となって夜の静寂を切り裂く。

 彼は迷うことなく、右手を高く天へと掲げた。

 スパークレンスの翼が力強く展開し、その中心部から溢れ出したのは、この世の次元を超えた純白の輝き。

 ――眩い光が、阿笠邸の屋上を起点に夜空を貫いた。

 それは圭人の生命エネルギーそのものの爆発。

 彼の肉体は一瞬にして純粋な光へと変換され、物理法則を置き去りにした超スピードで夜空を滑走する。一筋の白銀の矢となった彼は、悲鳴と火花が渦巻く東都水族館の上空へと、一気に到達した。

 

 

 漆黒の闇に包まれていた戦場が、突如として白銀の輝きに塗り潰された。

 空から降り注いだ光の筋が実体へと変わり、着地したのは水族館中央にそびえる、巨大な展望塔の頂上だった。そこに降り立ったのは、白銀に輝く光の戦士――ティガ(圭人)

 ティガは展望塔の最上部にその足を据え、両腕を大きく広げて自身のエネルギーを全方位へと解放する。その光は塔を巨大な灯台へと変え、水族館の隅々までを白日の下に晒し出した。

「な、何だぁ……!? 一体何が起きているんだ!」

 地上で目を剥いたのは目暮だった。降り注ぐ神々しいまでの光に圧倒され、脱げそうになる帽子を必死に押さえながら、塔の頂上で輝く「光」を仰ぎ見る。

 そして、その光を誰よりも強く、痛切な思いで見つめる者たちがいた。

「……星野君……!」

 博士の隣で、灰原は震える声でその名を呼んだ。

 まだ傷も癒えきらぬ体で、自分たちのために、子供たちのためにその命を燃やしている。彼女の鋭い「センサー」は、その光が圭人の限界を超えた生命力の叫びであることを感じ取り、胸が締め付けられるような思いで塔を見上げた。

 一方、観覧車の反対側で機を伺っていたコナンも、眼鏡のレンズを白く染めながら、塔の上の親友を凝視していた。

「……圭人、オメー……無茶しすぎなんだよ……!」

 毒づきながらも、コナンの口角はわずかに上がっていた。この最悪な闇を払い、勝機を繋いでくれるのは、いつだってこの不器用な「光」だった。コナンは彼が作ってくれたこの一瞬の舞台を無駄にしないよう、深く息を吸い込んだ。

「……ああ、分かってる。最高のパスだぜ!」

 コナンは即座にキック力増強シューズのダイヤルを最大まで回し、スイッチを入れる。火花を散らすシューズに力を込め、ティガが照らし出したV-22へと狙いを定めた。

「いっけえええええ!!」

 光の海を切り裂き、放たれた渾身の花火ボールが夜空で爆ぜる。

 それと同時。遥か高台から、赤井が静かに引き金を引いた。

「……墜ちろ」

 放たれたライフルの弾丸は、ティガの光に照らし出されたV-22のローター連結部を、寸分の狂いもなく正確に射抜いた。

「なっ!? ローターが死んだだと!?せ、 制御不能です!」

「クソッ、退くぞ、ウォッカ!」

 火を吹く機体の中で、ジンの忌々しげな声が響く。だが、墜落しかけたV-22のガトリングが、最期のあがきのように観覧車の車輪へと無差別に掃射された。

 

 

 

 

 V-22から放たれた断末魔の掃射。それが観覧車の車輪を支える巨大なボルトを破壊し、軸から外れた巨大な鋼鉄の輪が、悲鳴を上げながら地上へと転がり始めた。

《観覧車が……動き出しただと!?》

 展望塔の頂で、ティガ――圭人は、自身のカラータイマーが激しく、そして弱々しく点滅を繰り返しているのを感じていた。

 全力の光の放出。それは回復しきっていない彼の体に、内側から焼き切れるような負荷を与えていた。視界が激しく歪む。

《……くっ、まだだ……! まだ、あの中に……!》

 ティガは残された最後の力を振り絞り、倒れゆく観覧車を止めようと一歩踏み出した。だが、その瞬間、白銀の体が激しく明滅し、光の粒子となって霧散し始める。

「星野君!!」

 地上から灰原の悲鳴に近い叫びが響く。

 光を使い果たした圭人の体は、展望塔の頂上から重力に引かれるまま、漆黒の闇の中へと真っ逆さまに転落していった。

 一方で、軸を離れた観覧車の車輪は、逃げ遅れた一般客たちがいる広場と水族館本館へ向かって、凄まじい質量で転がり始めた。

「止まれ……止まれええええ!!」

 コナンがスケボーで追いすがりながら、キック力増強シューズで瓦礫を蹴り飛ばして軌道を逸らそうとするが、巨大な鋼鉄の怪物には通用しない。

 だがその時、一台の重機が猛然とエンジン音を響かせ、死の車輪の進路へと割り込んだ。

 クレーン車の運転席にいたのは、キュラソーだった。

「……お姉さん! 逃げて、危ないよ!!」

 地上にいた歩美が、潰されようとしているクレーン車を見て叫ぶ。

 キュラソーは、ハンドルを握りしめながら、バックミラーに映る自分の瞳を見た。かつて組織の色に染まり、無機質だったその瞳は、今は子供たちがくれた五色の記憶で満たされている。

「……逃げないわ。……私はもう、塗り替えられたんだから」

 彼女は微笑んだ。それは、組織の構成員としてではなく、一人の人間として、自分の色を選び取った者の美しい微笑みだった。

「止まりなさい……!!」

 キュラソーはアクセルを底まで踏み込み、巨大な車輪を食い止めるべく、自らを盾にして突っ込んだ。

 凄まじい金属音。クレーン車の車体が見る間に押し潰され、火花が夜を染める。だが、彼女の命を賭したその一撃が、死の車輪の勢いを確実に殺した。

 ゆっくりと、本当にゆっくりと、巨大な車輪がその動きを止めた。

 

 

 

 

 

水族館に、痛いほどの静寂が訪れた。

 逃げ惑っていた人々も、何が起きたのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くしている。

 コナンは崩落したクレーン車の残骸へと駆け寄った。だが、そこに彼女の姿はなく、ただ、真っ黒に焦げ、形を失った「白いイルカ」のキーホルダーだけが、瓦礫の隙間に落ちていた。

「……あいつ、最後まで……」

 コナンがそのイルカを拾い上げた時、背後から荒い息遣いと共に、ふらふらとした足取りの影が近づいてきた。

「……おい、コナン……。みんな……無事か……?」

 土を被り、服の至る所が裂けた圭人だった。展望塔から転落した際、辛うじてティガの残光がクッションとなったものの、その体はもう指一本動かすのがやっとの状態だった。

「圭人……」

 コナンが駆け寄り、肩を貸す。

 そこへ、博士と共に灰原が駆け寄ってきた。彼女の瞳には、安堵と、言葉にできない複雑な感情が入り混じった涙が浮かんでいた。

「……星野君。貴方って人は、本当に……」

 灰原は圭人のボロボロになった手を、壊れ物に触れるようにそっと包み込んだ。

「……悪いな、哀ちゃん。……ちょっと、光を使いすぎちまった……」

 圭人は力なく笑い、そのまま安堵したように、コナンの肩に頭を預けて意識を失った。

 東の空が、微かに白み始めていた。

 多くの犠牲と引き換えに守られたこの平和を、夜明けの光が静かに照らし出していく。

 

 

 

 

 

 

 

 東都水族館の事件から数日後。米花中央病院の個室には、初夏の柔らかな陽光が差し込んでいた。

 真っ白なベッドの上、体中に包帯を巻かれた圭人が、ゆっくりと上体を起こす。驚異的な回復力とはいえ、内側から焼き切れるような感覚は未だ残っており、肺に溜まった熱を吐き出すように短く息をついた。

 コンコン、と控えめなノックの後に扉が開いた。

「あら、もう起きていたの。少しは大人しくしていればいいのに」

 入ってきたのは灰原だった。手には果物の籠、そしてその上には真っ黒に焦げ、形を失った「白いイルカ」のキーホルダーが乗せられている。

「……悪いな、哀ちゃん。博士は?」

 看護師が巡回している可能性を考え、圭人は表向きの呼称を使いながら彼女を迎えた。

「受付で手続き中よ。それにしても……貴方が展望塔から落ちてきたときは、流石に私も生きた心地がしなかったわ」

 灰原はベッド脇の椅子に腰掛け、リンゴを剥き始めた。その手つきは迷いがない。周囲に誰もいないことを確認し、彼女はふと声を落とした。

「でも……ありがとう。貴方が夜空を照らしてくれなかったら、きっと私達は……」

「礼なんていいよ。……それに、俺一人の力じゃない。あいつも、あいつも……みんながいたから守れたんだ」

 視線は、皿の上の焦げたイルカに注がれた。記憶を、そして命を賭して子供たちを守り抜いた一人の女性。彼女が最期に見た景色は、きっと組織の「黒」ではなく、子供たちが教えてくれた「色」に満ちていたはずだ。

 そこへ、勢いよく扉が開け放たれた。

「圭人兄ちゃん!!」

「圭人さん、お見舞いに来ましたよ!」

「圭人お兄さん、これ、歩美たちが選んだお花!」

 元太、光彦、歩美が、博士を追い越すようにして部屋に飛び込んでくる。その後ろから、苦笑いしたコナンが続いていた。

「おいおい、オメーら…。まだ重病人なんだから静かにしてやれよ」

 コナンの言葉もどこ吹く風、探偵団の三人は圭人の周りを囲み、水族館での騒動や、あの不思議な光の戦士の話で持ちきりになった。

「本当に凄かったんだぜ! あんなにキラキラした光、俺、見たことねえよ!」

「僕、あれはきっと神様が助けてくれたんだと思います!」

「でも、お姉さんがいなくなっちゃったのは寂しいね……」

歩美が少し寂しげに瞳を伏せると、圭人はそっとその頭を撫でた。

「……あのお姉さんは、ずっと歩美ちゃんたちの中にいるよ。その綺麗な色の思い出を忘れない限り、な」

 その言葉に、子供たちは力強く頷いた。

 やがて騒がしい見舞い客たちが帰り、部屋には再び静かな時間が流れる。コナンだけが残り、窓の外を眺めていた。

「……おい」

「うん?」

「……しばらくは、無理すんじゃねーぞ。お前が倒れたら、誰がフォローすんだよ」

 皮肉めいた言い方だったが、その瞳には確かな信頼が宿っていた。

「……ああ。分かってるよ」

 短く返し、圭人は再び右手を握りしめた。そこには、明日を照らすための勇気が、静かに、しかし力強く灯っていた。

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