ヒーローと名探偵   作:タルマヨ

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悲しき侵入者(後編)

「排除……ですって?」

圭人は耳を疑った。

土煙の向こうに蹲るその生物は、確かに異様だ。全身を覆う岩のような突起、不自然に肥大した四肢。その体躯は大型トラックにも匹敵する巨躯となり、かつての可愛らしいモルモットの面影は微塵もない。

だが、今この場において、この怪物は「脅威」ですらなくなっていた。

真昼の強烈な太陽光の下、この怪物はただ光を恐れるように頭を抱え、小さく震えているだけなのだ。その鳴き声は、かつて山本の掌の上で鳴いていた頃と同じ、どこか寂しげな響きを帯びていた。

「おい、待てよ! こいつは今、何もしてねーじゃねーか!」

元太が思わず前に出ようとするが、MDRの隊員が手にした特殊警棒でそれを遮る。

「下がれ、子供。これは警察庁直轄の公務だ。対象は『レベルB』の危険変異体と断定された。周囲に甚大な被害を及ぼす前に、現時刻をもって処分を行う」

指揮官の冷徹な宣告。その直後、漆黒の特殊車両の屋根に設置された熱線砲が、不気味なチャージ音を上げ始めた。

「圭人お兄さん……! 助けて、助けてあげて!」

歩美が圭人の服を掴み、涙ながらに訴える。その小さな手の震えが、圭人の胸に突き刺さった。

懐のスパークレンスが熱を帯びているように感じる。今ここで光を解き放てば、この無慈悲な砲火から怪物を救い出し、どこか安全な場所へ運ぶことができるかもしれない。

だが、圭人は唇を噛み締め、掲げようとした手を下ろした。

(ダメだ……。今ここで俺が動けば、博士やみんなを巻き込むことになる。それに、このMDRとかいう連中……俺が戦えば、間違いなく『排除すべき標的』として認識するはずだ)

まだ、その時ではない。

「……博士、今は一度引こう。ここじゃ危なすぎる」

「しかし、圭人君!」

「頼む。俺に考えがある……今は、みんなを安全な場所に!」

圭人の真剣な眼差しに、博士も言葉を飲み込み、頷いた。

博士は泣きじゃくる歩美を抱きかかえ、光彦と元太を促して、MDRが引いた規制線の外へと退避を始める。灰原だけが、立ち去り際に圭人の横顔をじっと見つめていたが、何も言わずにその場を離れた。

「照準、固定。照射開始」

無機質な命令と共に、熱線の塊がキングモーラットの背中を焼いた。

怪物は悲鳴を上げ、大型トラックのような巨体を地面に叩きつけた。だが、驚くべきことに、その皮膚の突起が熱を吸収し、致命傷を避けている。

「……対象の防御力が想定を上回っています。より高出力の照射が必要かと」

「構わん、続けろ。周囲の損害を厭うな」

隊員たちのやり取りを聞きながら、圭人は物陰へと身を潜めた。

怪物は痛みに耐えかねたのか、再び地中へと潜り込もうとしている。

(……日光の下じゃ、あいつも本気を出せない。あいつが逃げ延びるには、地下へ潜るしかないんだ。だが、夜になれば……)

夜、太陽が沈み、あの怪物が真の力を取り戻したとき。

MDRの冷酷な排除作戦と、変異した命の暴走が正面から衝突する。

そうなれば、この東都動物園どころか、周囲の街並みすら戦火に包まれるだろう。

圭人は、遠ざかるMDRの車両と、地中へと消えていく怪物の背中を見つめながら、静かに拳を固めた。

「悪いな、歩美ちゃん。……今はまだ、戦えない」

 

 

 

 

 

 

夕刻。

阿笠邸の居間には、重苦しい空気が流れていた。

テレビのニュースでは、東都動物園周辺が「大規模な地盤沈下の恐れ」を理由に、広範囲にわたって立ち入り禁止区域に指定されたことが報じられている。だが、それが警察庁の新設組織『MDR』による情報統制であることは、現場にいた圭人たちにしか分からない。

圭人は窓の外を眺めていた。空は刻一刻と、怪物の活動時間である夜へと近づいている。

「……星野君、本当に行くの?」

背後から、静かに、しかし鋭い声が掛かった。

振り返ると、そこにはいつもの幼い少女の仮面を脱ぎ捨てた、宮野志保としての眼差しを持つ灰原が立っていた。

「ああ、志保さん。MDRの連中は、夜のあいつの恐ろしさを分かってない。奴らが中途半端に攻撃を再開すれば、街が戦場になる」

「……あの子を守るため、だけじゃないのね。自分を危険に晒してまで」

「それもあるよ。あいつを元の姿に戻せるかどうかは分からない。でも、せめて……あんな冷たい連中に、ただの『サンプル』として殺させたくはないんだ」

圭人が覚悟を決め、玄関へ向かおうとしたその時だった。

激しくチャイムが連打され、扉が勢いよく開く。

「博士! 圭人兄ちゃん!」

「行かせてください! 僕たちも動物園に!」

なだれ込んできたのは、元太、光彦、そして目に涙を溜めた歩美だった。

「お、お前さんたち、どうして……!」

博士が驚いて声を上げる。

「だって、あんなの放っておけねーよ! MDRとかいう奴ら、あいつを殺すつもりなんだろ!?」

「お願い、圭人お兄さん! もう一度動物園に連れて行って! 歩美、あの子に伝えたいの、逃げてって!」

子供たちの真っ直ぐな瞳に、圭人は言葉を詰まらせた。本来なら、これからの戦場に彼らを連れて行くべきではない。だが、この熱意を無視して一人で行くことが、果たして彼らにとっての正解なのか。

圭人は博士と視線を交わした。博士もまた、覚悟を決めたように愛車の鍵を握りしめる。

「……分かった。ワシのビートルで向かおう。ただし、現場では絶対にワシや圭人君の指示に従うんじゃぞ!」

「やったぁ!」

「よし、急ぐわよ。夜が完全に降りる前に」

灰原もまた、冷静に、しかし子供たちを支える決意を秘めて後に続いた。

一行は博士のビートルに飛び乗り、封鎖された東都動物園へと急行する。

車内では、誰もが沈黙していた。

窓の外を流れる景色が、徐々に街の灯りから、人影の消えた封鎖区域の暗闇へと変わっていく。

圭人はポケットの中のスパークレンスを握りしめ、夜の闇を見つめた。

(待ってろよ、モグ……。今、助けてやる)

動物園の入り口付近には、昼間よりも増強されたMDRの部隊が展開していた。

漆黒の装甲車が牙を剥くように並び、巨大な照明車が地中の「怪物」が再び現れるのを今か今かと待ち構えている。

その時、大地を切り裂くような地響きが周囲を震わせた。

昼間とは比較にならない、禍々しくも悲痛な咆哮。

「ターゲット、再浮上! 照明班、照射開始!」

指揮官の怒号と共に、サーチライトが一斉に一点を照らし出す。

そこには、大型トラックと同等の巨体を月光の下でさらに肥大させ、耳から青白い電光を迸らせるキングモーラットの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 東都動物園を包囲するMDRの重装甲車が、不気味なエンジン音を響かせ、逃げ場のない檻の中を投光器で白く焼き払っていた。

「ターゲット確認! 攻撃開始!」

隊員の号令と共に、闇の中から巨影が躍り出た。かつての愛らしい面影を失い、家屋ほどもある異形の怪物へと変異したモーラットのモグだ。巨大な耳から迸る青白い電撃が空気を焦がし、苦痛に満ちた咆哮が夜空を震わせる。

「いいか、博士。この先はMDRがなりふり構わず撃ちまくってくる。悪いけど、ここでみんなのことを頼むよ」

ビートルの運転席にいる博士に、圭人は真剣な、それでいて信頼を込めた口調で告げた。

「しかし圭人君、一人では……」

「大丈夫、無理はしないからさ。……元太、光彦、歩美ちゃん。ここから先は本当に危ないから、絶対に車から出ちゃダメだぞ。約束だ」

圭人は優しく諭すように、三人に言い含めた。不安を感じさせないよう、努めて柔らかな微笑みを浮かべる。

「哀ちゃん、少しの間だけ博士とみんなをお願い。……じゃあ、行ってくる」

「星野君……」

灰原の制止を背に、圭人は一人、瓦礫の山へと駆け出した。背後でMDRの大型熱線砲が火を吹き、モグの悲鳴が上がる。圭人は古い飼育舎の裏影、完璧な死角に入り込むと、激しく脈打つ鼓動を鎮め、懐からスパークレンスを取り出した。

(待ってろよ、モグ。……今、助けてやる)

翼が開くと同時に、まばゆい白銀の光が夜の闇を塗り潰した。その瞬間、車の中にいた探偵団の3人は、窓の外に溢れた光に目を剥いた。

「な、なんだあの光!?」

元太が身を乗り出す。

「見てください! 誰かいます!」

光彦が指差した先。光の中から現れた赤と紫、そして銀の模様を纏った姿に、歩美が息を呑んだ。

「あ……光の戦士さん……!」

ティガは、マルチタイプの姿でモグの前に降り立った。

「ターゲットの前に正体不明の個体が出現! 構うな、まとめて消し去れ!」

MDRの隊長の無慈悲な命令が下る。集中砲火がティガを襲うが、ティガは咄嗟に左腕を振り上げ、エネルギーの壁で弾丸と熱線を弾き飛ばした。だが、真の脅威はその背後にいた。恐怖で理性を失ったモグが、その巨体を生かして猛然と突撃してきたのだ。

《……!》

ティガは正面からモグを受け止めようとしたが、その衝撃は凄まじかった。ドォォォンという轟音と共に、ティガの巨大な体が数十メートル後退する。足元の地面が大きく削り取られ、土煙が舞う。

モグは休む間もなく、鋭い前足の爪を振り下ろしてきた。ティガはそれをチョップでいなし、攻撃を避ける。だが、相手は本来無抵抗な生き物だ。ティガは拳を叩き込むことを躊躇し、あくまで受けに徹してモグを宥めようとする。

しかし、モグの変異した耳から放たれた数万ボルトの放電がティガを捉えた。

バチバチッ! と激しい火花が散り、ティガの銀色の体が火花に包まれる。一瞬の硬直を逃さず、モグがティガの体に飛びついた。背中にのしかかるようにしがみつき、その凄まじい質量でティガを押し潰そうと暴れ狂う。

《……くっ、はぁぁぁっ!》

至近距離での電撃と、背後からの重圧。マルチタイプの機動力ではこの膠着状態を打破できない。ティガは苦悶の声を上げながら、額のクリスタルに全ての意識を集中させた。

眩い光が溢れ、ティガの体色が燃えるような赤一色へと変貌する。剛力の戦士、パワータイプだ。

隆起した筋肉がモグの圧力を押し返す。ティガは自分におぶさるようにしがみついていたモグの両前足をがっしりと掴むと、驚異的な豪力でそのまま前方へと放り投げた。モグの巨体が宙を舞い、ティガは間髪入れずに、その腹部へ渾身の回し蹴りを叩き込む。

ドォォォォン!!

凄まじい衝撃波が走り、モグは広場まで吹き飛んだ。着地と同時に地響きが鳴り、土煙が周囲を覆い尽くす。ティガは追撃の手を緩めず、起き上がろうとするモグを正面から捕らえ、その頭部と両腕を力任せに地面へと抑え込んだ。

ギ、ギギギ……と、力と力が正面からぶつかり合う凄まじい音が響く。ティガの足元が地中深くにめり込むが、パワータイプの底力で、暴走するモグを完全に封じ込めていく。

《……モグ、もういい。もう、怖がらなくていいんだ……》

ティガの太い腕が、必死に暴れるモグを地面に縫い付ける。モグの爪がティガの腕を傷つけ、放電が視界を白く染め上げるが、ティガは決して離さない。

その制圧にも見える光景に、遠くの車の中から歩美の声が響いた。

「やめて!! モグは、モグは泣いてるの! 怖いから怒ってるだけなの! ……光の戦士さん……あの子を助けてあげて!!」

その悲痛な願いが、ティガの心に届く。

ティガは再びマルチタイプへと姿を戻し、ゆっくりとモグを解放した。そして大きく両腕を広げ、胸の前で交差させる。破壊の必殺技・ゼペリオン光線の予備動作だ。

だが、圭人の脳裏に歩美の涙が浮かんだ。

(……いや、これじゃあいつを殺してしまう。……やるしかないのか)

ティガは放とうとした光のエネルギーを、瞬時に別の性質へと組み替えた。右手を額のクリスタルに掲げ、全生命エネルギーを一点に凝縮させる。それは対象を元のサイズへ還元させる、ティガの能力の中でも最も消耗の激しい奇跡の光。

《はぁぁぁぁっ!!》

掌から放たれたのは、虹色に輝くセルチェンジビームだった。

光がモグの巨体を優しく包み込む。細胞一つ一つを元の形へと再構成していくこの技は、ティガ自身の生命エネルギーを極限まで削り取る諸刃の剣だ。

光が収まった時、そこには怪物の姿はなかった。

荒れ果てた地面の中央に、一匹の、小さく丸まったモルモットが静かに横たわっていた。

「モグ……! モグなのか!?」

飼育員の山本が、涙を流しながら駆け寄る。

その直後、戦場に響き渡ったのは、ティガの限界を告げる音だった。

ピコン、ピコン、ピコン……。

ティガの胸のカラータイマーが、激しく赤く点滅している。セルチェンジビームは、一個体の遺伝子を書き換えるほどの超常の力。その代償として、体力を極限まで使い果たしたティガには、もはや立っている力すら残っていなかった。ティガは荒い息をつきながら、ガクリとその場に片膝をついた。

「……何をしている! ターゲットを捕獲、あるいは抹殺しろ!」

MDRの隊長が叫ぶが、隊員たちはその神々しい姿に気圧され、誰一人動くことができない。

ティガは安堵したように山本とモグを見届けると、そのまま光の粒子となって霧散していった。

数分後、車から飛び出してきた子供たちが、飼育舎の裏で壁にもたれかかっている圭人を見つけた。

「圭人お兄さん!!」

圭人は全身から滝のような汗を流し、顔は土気色に変わっていた。

「……あ、みんな……。モグ、元に戻ったんだな……よかった……」

「圭人さん! 大丈夫ですか!? 顔色が真っ青ですよ!」

光彦が必死に肩を貸そうとする。

「星野君……あなたって人は、本当に……」

灰原が小さく溜息をつき、反対側の肩を支えた。

「……山本さん、モグのこと……頼むよ……」

「ありがとうございます! 本当に、ありがとうございました!」

山本がモグを抱きしめながら叫ぶ。

一方、現場に踏み込んでこようとしたMDRの隊員たちの前に、怒りに燃える博士が立ちはだかった。

「これ以上の乱暴はやめんか! ターゲットは元の姿に戻り、事件は解決したんじゃ! 怪我人の救護が先じゃろうが!」

博士の気迫に押され、大義名分を失ったMDRは、苦々しい表情を浮かべながらも撤退を開始した。

「……博士、サンキュ。……悪い、ちょっと……いや、めちゃくちゃ疲れたよ……」

圭人は荒い息を整えながら、博士や子供たちの支えを借りて、ようやく安堵の吐息を漏らした。静岡にいるコナンには、明日あいつが帰ってきたらなんて説明しようか。心地よい疲労感の中で、圭人はただ、静かに夜の風を感じていた。

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