ヒーローと探偵   作:タルマヨ

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定義と潜伏

深夜。米花町2丁目、阿笠邸。

 

静まり返った住宅街の中で、その屋敷の地下室だけがモニターの青白い光に照らされ、異様な熱気を帯びていた。

「……遅かったわね、星野君」

地下への階段を降りてきた圭人を迎えたのは、白衣の袖を捲り、冷めたコーヒーカップを片手に顕微鏡を覗き込む灰原だった。

「悪い、志保さん。真純さんを撒くのに手間取ってさ……」

圭人は疲弊した様子で椅子に腰を下ろした。一ノ瀬との戦闘、そして世良の追及。肉体的にも精神的にも、今日の消耗は激しい。

「……無理もないわ。搬送先の病院で、彼女、相当な剣幕だったもの」

灰原が視線を向けたモニターの陰から、コナンがゆっくりと歩み寄ってきた。彼はすでに帝丹高校での騒動を「江戸川コナン」として見届け、一足先にここへ戻っていたのだ。

「一ノ瀬先生は命に別状はねーよ。……ただ、現場にいた世良が荒れててな。『星野君はどこへ行ったんだ!』って、血眼になって周りを探し回ってたぜ。俺は子供のフリして、圭人兄ちゃんはパニックになってどこかに走り去ったはずだって誤魔化しておいたけどよ」

コナンは腕を組み、探偵としての鋭い眼差しを圭人に向けた。

「悪かったね、イチ。……おかげで、これを持ってくることができたよ」

圭人が上着のポケットから取り出したのは、密閉された小さな小瓶だ。その中では、昨夜の戦いで回収した「銀色の砂」が、磁流体のように不気味に蠢き続けていた。

「……! 気持ち悪りぃ動きしてやがるな」

コナンが顔を顰め、瓶を覗き込む。

「ワシにも見せてくれんかの、圭人君」

作業デスクの奥から、博士が顔を出した。その手つきは驚くほど正確で、迷いがない。博士はピンセットで慎重に小瓶を受け取ると、最新式の電子顕微鏡のステージへとセットした。

「……信じられん。これはナノマシン……というより、意思を持ったプログラムそのものじゃ。個々の粒子が互いに通信し合い、一つのネットワークを形成しておるわい」

「博士、モニターに繋げる?」

圭人の問いに、博士は力強く頷き、キーボードを叩いた。

メインモニターに映し出されたのは、顕微鏡が捉えた銀色の粒子の拡大図だ。それは細胞の隙間に入り込み、神経伝達物質を模倣して電気信号をジャックしようとする、ミクロの侵略者の姿だった。

「……志保さん、これはどういう定義になる?」

圭人が尋ねると、灰原は冷徹な声で告げた。

「置換。……それ以外の言葉が見当たらないわ。ゾルブは対象を殺すんじゃない。その存在を『定義し直す』のよ。容姿も記憶もそのままで、中身だけを自分たちの端末に書き換える。昨日の戦いで一ノ瀬先生が『呼吸をしていない』と感じたのは、彼女の肺が酸素ではなくナノマシンの循環で動いていたからでしょうね」

「じゃあ……もし一ノ瀬先生をあのまま放っておいたら」

コナンの言葉を引き継ぐように、灰原がモニターのデータを指差した。

「一ノ瀬先生という人間は消滅し、外見だけが一ノ瀬先生の『ゾルブ端末』が誕生していたわ。そして、その端末は周囲の人間――つまり、生徒や他の教師にまで感染を広げていく。ウイルスのようにね」

「学校全体が、気づかないうちにゾルブに置き換わるってわけか……」

圭人は拳を握りしめた。帝丹高校という日常が、音もなく蝕まれようとしている事実に、背筋に冷たいものが走る。

「……でも、昨日の圭人の技が効いたんだろ?」

「ああ。ちゃんと撃ち込んだよ。ナノマシンの結合だけを強制的に解除できたはずさ」

「問題は、これが一ノ瀬先生一人だけじゃない可能性が高いことじゃな」

博士が神妙な面持ちで、解析結果のグラフを表示させた。

「圭人君、この砂が発信している微弱な周波数を解析したところ、面白いことがわかった。こ奴らは、常に外部から『マスター信号』を受け取って同期しておる。つまり、司令塔がどこかに存在するということじゃ」

「マスター信号……? どこから?」

「それがのう……特定しようとした途端、強力なジャミングがかかって場所が絞り込めないんじゃ。……ただ、一つだけ言えるのは、その発信源は今も『帝丹高校』の敷地内のどこかにある、ということじゃよ」

地下室に重苦しい沈黙が流れる。

敵はまだ、学校に潜んでいる。それも、中枢となるような場所か、あるいは誰かの姿を借りて。

「……明日も学校には行かなきゃならない。真純さんに疑われながら、その発信源を叩く。……かなり厳しい戦いになりそうだ」

圭人の言葉に、コナンが不敵な笑みを浮かべ、予備のキック力増強シューズの紐を締め直した。

「一人で抱え込むんじゃねーよ、圭人。相手が『置換』だろうがなんだろうが、事件の尻尾を掴むのは探偵の仕事だ。俺も潜り込んでやるよ」

「イチ、お前……」

「……ま、無茶はしないことね、星野君。貴方に死なれたら、解析のサンプルも取れなくなるし」

灰原は皮肉げに言いながらも、圭人の身体の負担を案じるように、手近な場所に救急箱を引き寄せていた。

「あ、あのさ……。心配してくれるのは嬉しいけど、せめて建前だけでも『君の身が大事だから』とか言ってくれないかな」

圭人の呆れたようなツッコミに、コナンが横で小さく噴き出した。灰原は取り合わずに包帯の準備を始めている。

「冗談言ってる余裕があるなら大丈夫そうだな。……よし、明日は俺も学校を洗ってみる。圭人は世良のマークをどうにか凌いでくれよ」

「わかってる。……明日、必ず尻尾を掴んでやる」

 

 

 

 

 

 

 深夜の作戦会議を終え、数時間の仮眠を取った圭人は、重い身体を引きずるようにして帝丹高校の門をくぐった。

初夏の陽光が校庭を照らしているが、圭人の目には、その光の届かない校舎の影が昨日よりも濃く、不気味に映る。

「……おはよう、圭人。顔色が悪いわよ?」

教室に入るなり、蘭が心配そうに声をかけてきた。その隣には、いつも通りにぎやかな園子が控えている。

「ああ、蘭。ちょっと昨日、寝つきが悪くてさ……。一ノ瀬先生のことが気になっちゃって」

「無理もないわよね。まさか先生が急に倒れるなんて。……でも、病院に運ばれた後は落ち着いたみたいだし、今日はゆっくり休んでるはずよ」

蘭の言葉に、圭人は愛想笑いで応える。一ノ瀬の体内から「銀色の砂」を叩き出したのは自分だが、それを誰にも明かすことはできない。

「あ!それと星野君、あんた昨日、先生が倒れた後どこに行ってたのよ? 世良ちゃんが血相変えて探してたわよ」

園子がジロジロと圭人の顔を覗き込んできた。その直後、背後から低く、しかし通る声が響いた。

「ボクも、それが聞きたくて朝を待っていたんだ」

振り返ると、そこにはポケットに手を突っ込み、鋭い眼光を隠そうともしない世良が立っていた。彼女の視線は、圭人の表情の僅かな動きすら逃さないという執念に満ちている。

「おはよう、真純さん。……昨日も言っただろ? 気が動転して、気づいたら校舎の裏まで走ってたんだ」

「ふうん……。君、運動神経は悪くない方だけど、あの短時間でボクの視界から消えて、しかもあんな高い屋上に先生と一緒に現れるなんて……まるで魔法だね。それとも、ボクの知らない『力』でもあるのかな?」

世良がじり、と距離を詰める。周囲の生徒たちが何事かと注目し始める中、圭人はポケットの中で博士から受け取った小型デバイス――「逆探知ガジェット」を握りしめた。

「……買い被りだよ。必死だっただけさ。それより、予鈴が鳴るよ」

圭人は逃げるように自分の席に着いた。背中に突き刺さる世良の視線が、物理的な痛みのように感じられる。

(……悪いけど、今は君に構ってる暇はないんだ、真純さん)

圭人は授業中、ノートを取るフリをして、机の下でデバイスのスイッチを入れた。

博士が徹夜で調整したこのガジェットは、ゾルブが発する特有の通信波を視覚化する。

液晶画面に表示された校舎のマップ上に、ノイズ混じりの波形が広がる。

(やっぱり、まだいる……。一ノ瀬先生は中継点の一つに過ぎなかったんだ)

ノイズの密度が最も高い場所。それは、この校舎のさらに深い場所を示していた。

昼休み。

圭人は、購買へ向かうフリをして人混みに紛れ、旧校舎へと続く渡り廊下へ向かった。

背後には、付かず離れずの距離で尾行してくる世良の気配がある。彼女はあからさまに正体を暴こうとしている。

(……しつこいな。でも、このままじゃ埒が明かない)

圭人はあえて人目のない資料室の角を曲がり、足を止めた。数秒後、予想通り世良が姿を現す。

「……ボクを撒くつもりかい? 残念ながら、君の歩幅と呼吸の癖はもう覚えたよ」

「……真純さん。悪いけど、今は放っておいてくれないか? 俺、本当に入れ込みたくないことに巻き込まれてるんだ」

「入れ込みたくないこと、ね。……それって、君の身体から出たあの『光』に関係があるのかい?」

世良の言葉に、圭人の心臓が跳ねた。やはり、変身の瞬間の輝きを完全には隠せていなかった。

「……何のことか、さっぱりわからないな」

「とぼけても無駄だよ。ボクはこの目で見た。君が先生を抱えた瞬間、世界が白く染まったのをね。君は一体、何者なんだ? 星野圭人」

「俺は、ただの高校生だよ。……君と同じ、ね」

圭人が静かに言い返したその時、手元のデバイスが激しく振動した。

液晶画面が真っ赤に染まり、警告音が鳴り響く。

『警告:高密度ナノマシン集合体を検知。座標、地下2階、旧ボイラー室付近』

(……来たか!)

同時に、校内放送のスピーカーから、不快な高周波のノイズが流れ出した。

キィィィィィィィン、という耳を劈く音が、校舎全体に響き渡る。

「な、なんだ!? この音……!」

世良が耳を塞いで蹲る。しかし、圭人にはそのノイズの中に、混じり合う「声」が聞こえていた。

『――全細胞、同期開始。置換率、40%達成。定義を上書きせよ――』

「……まずい。真純さん、ここを動くな!」

「待ちたまえ、星野君!」

世良の制止を振り切り、圭人は旧校舎の地下へと駆け出した。

階段を一段飛ばしで降りる。空気が重く、冷たくなっていく。

壁の至る所に、昨日見た「銀色の砂」がカビのように付着し、脈動していた。

(学校全体を、一つの巨大なゾルブに変えるつもりか……!)

地下2階。錆びついた扉を蹴破った圭人の目に飛び込んできたのは、銀色の蔦のようなナノマシンに絡め取られた、数人の警備員と教師たちの姿だった。

彼らの瞳は濁り、口からは絶え間なく銀色の霧が漏れ出している。

「……見つけたぜ、親玉」

部屋の中央、古びたサーバーラックが銀色の物質で塗り固められ、巨大な心臓のようにドクン、ドクンと鼓動していた。それが、博士の言っていた「マスター信号」の発信源。

圭人は周囲に誰もいないことを確認し、胸元からスパークレンスを取り出した。

だが、その背後の暗闇から、冷ややかな声が届く。

「……やっぱり、君だったんだね」

振り返ると、そこには息を切らした世良が立っていた。

彼女の手には、スマホのカメラが向けられている。

「その手に持っている変な道具……。それが君の『光』の正体かい?」

(……最悪のタイミングだ)

圭人は苦渋の決断を迫られた。

今、ここで変身すれば、正体は完全に露見する。だが、変身しなければ、この校舎にいる全員が「置換」され、ゾルブの肉人形と化してしまう。

「……真純さん。カメラを下げて、今すぐ上に戻れ。……死にたくなかったら」

「断るよ。ボクは真実を知る義務がある。……君が何者で、ここで何が起きているのかをね!」

サーバーラックから伸びた銀色の蔦が、獲物を見つけた蛇のように鎌首をもたげ、世良へと襲いかかる。

「危ない!」

圭人は世良を突き飛ばし、自らその蔦を右腕で受け止めた。

ジリジリと、皮膚をナノマシンが侵食し始める激痛。

「ぐっ……ああああっ!」

「星野君!?」

「……下がれって、言ってるだろ……!」

圭人は右腕の痛みを堪え、スパークレンスを強く握りしめた。

もはや、隠し通せる状況ではない。

侵食の激痛に膝をつきながらも、圭人は右手に握ったスパークレンスに指をかけた。

迫りくる銀色の蔦。カメラを構えたまま硬直する世良。

ここで変身すれば、この地下室の脅威は一瞬で消し飛ばせるだろう。だが、それは世良に「星野圭人は人間ではない」と証明するも同然だった。

(……いや、まだだ。博士がくれたこれなら……!)

圭人は歯を食いしばり、スパークレンスのバレルを力任せにスライドさせた。

カシャッ、と精密な金属音が地下室に響く。ウィングが折り畳まれ、グリップが展開。それは瞬時に、一丁の洗練されたハンドガンへと姿を変えた。

「なっ……!? 君、それは――」

世良の驚愕を余所に、圭人はカートリッジを「徹甲熱線弾」へとセットした。銃身がオーバーロード寸前の高熱を帯び、オレンジ色の光がスリットから漏れ出す。

「悪いな、真純さん。……今は、撮るのをやめててくれ」

圭人は両手で銃を構え、銀色の心臓――サーバーラックの核へと照準を合わせた。

ナノマシンの蔦が、圭人の顔を貫こうと鋭く突き出される。

「消えろ!」

トリガーを引き抜く。

ドンッ! と重厚な衝撃波が地下室を揺らし、銃口から放たれた高熱のエネルギー光弾が、空気を焼き切りながら一直線に突き進んだ。

閃光。

次の瞬間、サーバーラックを覆っていた銀色の物質が、悲鳴を上げるような高周波を放って弾け飛んだ。

徹甲熱線弾の直撃を受けた「マスター信号」の発信源が、内部からドロドロに融解し、激しい火花を散らして沈黙する。

「……あ……」

世良の指からスマホが滑り落ち、カタンと乾いた音を立てた。

先ほどまで校内を覆っていた不快なノイズが止み、蔦に絡め取られていた教師たちが、糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。

「……はぁ、はぁ……」

圭人は、熱を帯びたスパークレンス・ハイパーを即座に元の形態へと戻し、ポケットへとねじ込んだ。

一度の射撃で回路は限界を超え、グリップ越しにも火傷しそうなほどの熱が伝わってくる。これで、あと24時間はガンモードも変身も大きなリスクを伴うことになる。

「……星野君……。今の、何だい……?」

世良が震える声で問いかけてくる。

彼女の目は、倒れた人々ではなく、今しがた「奇跡」を起こした圭人の背中に釘付けになっていた。

「……言っただろ、真純さん。俺はただの高校生だ。……これは、阿笠博士に無理言って作ってもらった、護身用の特注品だよ」

圭人は振り返らずに答えた。

嘘だ。世良のような探偵が、今の言い訳を信じるはずがない。

だが、正体そのものを突きつけられるよりはマシだった。

「……行こう。他の先生たちを助けなきゃ。……イチも、そろそろ合流する頃だ」

圭人は侵食された腕の痛みを無視し、倒れている教師のもとへ駆け寄った。

背後で世良が立ち上がり、落としたスマホを拾い上げる。

彼女は録画ボタンを止めたが、その瞳に宿った深い猜疑心までは消えていなかった。

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