ヒーローと探偵 作:タルマヨ
眩しすぎるストライカー
阿笠邸のリビングには、実況アナウンサーの熱を帯びた声が響いていた。
「さあ、後半アディショナルタイム! ビッグ大阪、比護がボールを持った! 鮮やかなフェイントで一人、二人と抜き去る! 決まるか、伝説の左足――っ!!」
テレビ画面の中で、背番号9を背負った男が放った強烈なシュートが、ゴールネットを激しく揺らした。
ソファに座り、食い入るようにその光景を見つめているのは灰原だ。普段の彼女からは想像もつかないほどに、その瞳は潤み、頬は淡い桜色に染まっている。
「……さすがね」
小さく、しかし確かな感嘆を込めた独白。
その隣で、圭人は何も言わずに座っていた。
博士は地下の実験室に籠もっており、居間には二人きり。静寂の中にテレビの音だけが響く空間で、圭人は灰原の横顔をじっと見つめていた。彼女の視線は一秒たりとも画面から逸れない。画面の向こうで汗を流すストライカーの挙動一つ一つに、彼女の感情が激しく揺さぶられているのが手に取るように分かった。
「……志保さん」
ようやく声をかけると、灰原は画面を注視したまま、わずかに肩を揺らした。
「そんなにいいかい? その選手」
少しの沈黙の後、圭人はそう問いかけた。
内心では、自分でも驚くほどに心がざわついていた。いつも自分の隣で冷静に、時に皮肉を交えながらも深い信頼を寄せてくれている彼女が、自分には決して見せないような「熱」を、画面の中の他人に注いでいる。
灰原は画面を見つめたまま、誇らしげに、どこか陶酔したような声で答える。
「ええ、格好いいわ。逆境に立たされても決して諦めず、自分の力で居場所を勝ち取る。その気高さ……あなたには分からないかしら?」
「…………」
分からないわけじゃない。比護という選手が背負っているもの、その覚悟がどれほどのものかは、圭人も十分に理解しているつもりだった。
だが、理屈では割り切れない感情が、胸の奥底で澱のように溜まっていく。
光の守護者として、どれほどの脅威から彼女を遠ざけようと、どれほど側に寄り添おうと、この「憧れ」に近い熱量に自分が敵うことはない。そんな、子供じみた、しかし逃れようのない劣等感。
「……そうか」
短く返した言葉は、テレビの歓声にかき消された。
圭人は、静かに視線を落とした。自分の手を見つめる。この手は、数多の破壊から彼女を守ることはできても、彼女の心をこれほどまでに輝かせることはできない。
その事実が、重く、苦しく、心にのしかかっていた。
やがて番組が終わり、エンドロールが流れ始めると、ようやく灰原が深い息をついて、隣の気配に気づいたように顔を上げた。
「あら、ごめんなさい。少し集中しすぎちゃったみたい」
「ああ、いいよ。志保さんが楽しそうなら、それでいいから」
圭人は努めて平静を装い、いつもの柔らかい口調で微笑んでみせた。だが、視線の端に映る、灰原が大切そうに抱えているスポーツ雑誌の表紙――比護の鋭い視線と目が合うたびに、言いようのない居心地の悪さがこみ上げてきた。
「博士は?」
「地下だよ。何か新しいメカの調整をしてるらしい。さっきから結構な音がしてたしね」
「そう。また変な爆発でもしなきゃいいけれど……」
灰原が小さく笑う。その穏やかな表情に救われる思いをしながらも、圭人は自分の胸の内にある「面白くない」という小さな感情を持て余していた。
そんな停滞した空気を破ったのは、インターホンの音と、玄関先から聞こえてくる騒がしい声だった。
「おーい、博士! 圭人兄ちゃん! 開けてくれよ!」
元太の声だ。続いて光彦と歩美の、弾んだ声も聞こえてくる。
「準備万端ですよ!」
「哀ちゃんもいるー?」
圭人は玄関へと向かうため、ゆっくりと立ち上がった。
賑やかな声が玄関ホールに響き渡る。圭人が扉を開けると、そこには期待に胸を膨らませた元太、光彦、歩美の三人が立っていた。その後ろには、所在なげにポケットに手を突っ込んだコナンもいる。
「お、みんな早いな。……どうかしたのかい?」
圭人は努めていつも通り、穏やかに問いかける。元太が真っ先に鼻の穴を膨らませて身を乗り出してきた。
「どうかしたじゃねーよ、圭人兄ちゃん! 今日はビッグ大阪の限定ストラップの発売日だろ! 早く行かねーと売り切れちまう!」
「そうですよ! 比護さんのモデルは特に競争率が高いんですから!」
「哀ちゃんも一緒に行くって言ってたよね?」
歩美が居間の方を覗き込むと、灰原がゆっくりとこちらへ歩いてきた。その手には、先ほどまで眺めていたスポーツ雑誌がしっかりと握られている。
「ええ、もちろん行くわよ。……吉田さん、円谷君、小嶋君。準備はできているわ」
灰原の言葉に、探偵団の三人は「おーっ!」と拳を突き上げた。彼女の比護に対する情熱は、今や子供たちの間でも周知の事実となっている。
「ワシも準備できたぞい!」
地下から顔を出した博士が、愛車の鍵を指先で回しながら笑う。
一行は連れ立って庭に出ると、そこにはいつもの黄色いフォルクスワーゲン・ビートルが停まっていた。
「さあ、みんな乗りなさい。あんまり遅れると、比護君のストラップがなくなってしまうからのう」
博士の言葉に、探偵団の三人は我先にと後部座席へ乗り込んだ。
「俺、真ん中がいい!」
「元太君、狭いですよ。もう少し詰めてください!」
「歩美、窓側がいいなー!」
ぎゅうぎゅうになりながらも楽しそうな三人を、コナンが少し呆れた顔で見送り、自分もその隙間に体を滑り込ませた。
灰原はといえば、助手席のドアを悠然と開ける。
「悪いわね、星野君。今日は私がここをもらうわ」
「ああ、構わないよ。俺は後ろでイチと一緒に行くから」
圭人は柔らかく微笑み、コナンの隣、後部座席の端に腰を下ろした。
博士がエンジンをかけると、ビートル特有の小気味いい排気音が住宅街に響き、車はゆっくりと走り出した。
車内は、まさに比護隆佑一色だった。
助手席で灰原が雑誌を熱心に読み上げ、それに元太たちが大声で反応する。
「見て、このシュートフォーム。完璧な重心移動だわ。これこそがビッグ大阪の心臓と言われる所以ね」
「へぇー、灰原さん、本当に詳しいですね!」
「当たり前だろ! 灰原は比護さんの大ファンなんだからよ!」
圭人は、窓の外を流れる景色を眺めながら、その盛り上がりを背中で聞いていた。
灰原のあんなに弾んだ声は、自分と二人の時にはなかなか聞けないものだ。博士が運転しながらバックミラー越しに圭人の顔を覗き、少しだけ困ったように眉を下げた。
「圭人君、そんなに暗い顔をせんで。哀君はただ、純粋にスポーツ選手を尊敬しておるだけじゃよ」
バックミラー越しに、博士がのんきな声で語りかけてくる。圭人は窓の外を見つめたまま、小さく苦笑いを返した。
「……分かってるよ、博士。ただ、なんていうかさ……」
言い淀む圭人の肩を、隣に座るコナンが肘で小突いた。
「圭人、オメーさっきから溜息ばっかりだぜ?」
子供らしい声を装いつつも、正体を知る相棒としての低い声。
「……そんなについてたか?」
「ああ。比護選手に熱を上げてる灰原を見て、相当落ち込んでるみたいだな。光の戦士様も、サッカー選手が相手じゃ形無しってわけか」
コナンの皮肉交じりの言葉に、圭人はわずかに眉を寄せた。
「……揶揄うなよ。別に、そういうんじゃない。……ただ、あんなにいいのかい? あの選手」
「さあな。だが、オメーにしかできない『守り方』があるだろ。サッカー選手には真似できねえ、オメーだけの役割がさ」
その言葉に、圭人はわずかに顔を上げた。
(俺だけの、役割……)
そうこうしているうちに、ビートルは米花町にある大型スポーツショップ「BIGスター」の駐車場に滑り込んだ。
車を降りると、そこには開店を待つファンの行列ができていたが、何やら入り口付近の空気が重い。
「うわぁ……すごい人……」
歩美が足を止める。
行列の先、ショップの入り口付近には、明らかにファンではない、柄の悪い男たちが数人、通行人を威圧するように屯していた。
男たちは整理券を手に持っていない客に因縁をつけたり、無理やり列の間に割り込もうとしたりと、現場は一触即発の状態だった。
「……哀ちゃん、離れないで。ここは少し様子がおかしい」
圭人はすぐに表情を引き締め、灰原の隣へと一歩踏み出した。先ほどまでの所在なげな雰囲気は完全に消え、その瞳は鋭く周囲の危険を察知し始めている。
「そうね、あまり近づかない方が良さそうだけれど……でも、今日を逃すとストラップは手に入らないわ」
灰原が不安そうに、しかし決意を秘めた瞳で行列を見つめる。
その時、男たちの一人が、列に並んでいたお年寄りを突き飛ばし、強引にショップの自動ドアの前を陣取った。
「どけよ! 俺らが先に中に入るんだよ!」
「ちょっと、危ないですよ!」
光彦が思わず声を上げるが、男は「あぁん?」と光彦を睨みつけ、威圧するように一歩踏み出してくる。
「ガキはどっか行ってろ!」
男の太い腕が、光彦を突き飛ばそうと伸びる。
「……させないよ」
その腕が光彦に触れる直前、圭人が音もなく二人の間に割り込んだ。伸ばされた男の手首を、圭人はまるで見えない壁で遮るように、的確に、かつ最小限の力で押さえる。
「な、なんだてめぇは!」
男が顔を真っ赤にして怒鳴るが、圭人は眉一つ動かさない。その瞳には、先ほどまでの「比護選手への嫉妬」に揺れていた面影はなく、静かな、しかし圧倒的な威圧感を湛えた守護者の光が宿っていた。
「子供相手に、ずいぶんと威勢がいいね。この子は順番を守るように言っただけだ。……違うか?」
圭人の声はどこまでも柔らかく、穏やかだ。しかし、手首を掴まれた男は、まるで鉄の枷に嵌められたかのように、指先一つ動かせないことに気づき、顔を引き攣らせた。
「うるせぇ! 俺たちは客だぞ! どけよ、兄ちゃん!」
仲間の男たちも加勢しようと一歩踏み出してくる。殺気立った空気がショップの入り口を包み、周囲の客たちが怯えて身を引いた。
「危ないわ、星野君!」
背後から灰原の鋭い声が飛ぶ。圭人は視線だけをわずかに動かし、背中に隠れるように立ち竦む灰原と、彼女を庇うように構えるコナンの姿を確認した。
「……大丈夫だよ、哀ちゃん。博士、みんなを連れて少し下がってて」
圭人は博士にそう告げると、掴んでいた男の手をパッと離した。男は勢い余ってたたらを踏む。
「……コナン。後ろ、頼めるか?」
「ああ……任せとけ」
コナンは眼鏡の縁に指をかけ、鋭い視線で周囲を警戒しつつ、灰原や歩美たちの前に立ちはだかった。圭人とコナンの間に、言葉を超えた阿吽の呼吸が流れる。
「野郎……まとめてぶっ飛ばしてやる!」
逆上した男たちが一斉に掴みかかってこようとした、その時。
「――そこまでにしてもらおうか」
低く、響くような声がショップの入り口に届いた。
全員の視線が、声の主へと向かう。
そこには、スーパーの袋を下げた眼鏡の男が立っていた。
沖矢昴だ。
「昴さん……」
圭人が小さく呟く。沖矢はゆっくりと歩み寄り、一触即発の男たちと圭人の間に割って入った。
「おやおや……限定品を求める列が、随分と物騒なことになっているようですね。……あまり騒ぎを大きくすると、店員さんが警察を呼んでしまいますよ?」
沖矢の声音は丁寧だが、その糸のような細い目の奥からは、隠しきれない鋭いプレッシャーが放たれていた。男たちは、圭人から感じた得体の知れない強さと、新たに現れたこの男の威圧感に気圧され、舌打ちをして列の最後尾へと去っていった。
「……ふぅ。助かったよ、昴さん。買い物ですか?」
圭人は構えを解き、いつもの柔らかい表情に戻って沖矢に声をかけた。
「ええ、カレーの材料を切らしてしまいましてね。……ところで星野君。大切な『彼女』を、あまり不安にさせてはいけませんよ?」
沖矢が視線を向けた先では、灰原がまだ少し強張った表情で、じっとこちらを見つめていた。
「……分かってます」
圭人は苦笑いを浮かべ、灰原の元へと駆け寄った。
「哀ちゃん、皆、怪我はない?」
そう言って灰原の肩にそっと手を置くと、彼女はフイと顔を背けた。だが、その耳たぶがわずかに赤くなっているのを、圭人は見逃さなかった。
「……別に。あなたが余計なことに首を突っ込むのは、今に始まったことじゃないもの」
素直になれない灰原の言葉に、圭人が苦笑いを浮かべていると、背後から元気な声が飛び込んできた。
「すっげー! 圭人兄ちゃん、今のあいつの腕をパッて止めたとこ、マジで格好良かったぜ!」
元太が目を輝かせながら、圭人の腕をバンバンと叩く。
「本当ですよ! まるでアクション映画の主人公みたいでした! さすが圭人さんです!」
光彦も興奮冷めやらぬ様子で、眼鏡の位置を直しながら感嘆の声を上げる。
「歩美、ちょっとドキドキしちゃった。でも、圭人お兄さんが守ってくれるって信じてたよ!」
歩美は頬を少し赤くして、嬉しそうに圭人を見上げた。
「……はは、大げさだよ。みんなに怪我がなくて良かった」
圭人は子供たちの頭を順番に撫で、ようやく心からの笑顔を見せた。
憧れのヒーローである比護に夢中だった子供たちの視線が、今は自分に向けられている。その誇らしさと、隣で呆れたように、けれどどこか安心したように自分を見つめている灰原の温度を感じながら、圭人は静かに一歩を踏み出した。
「さあ、限定ストラップ、買いに行こうか」
「おーっ!!」
探偵団の威勢のいい声が、米花の街に響き渡った。
「……やれやれ。随分と頼りにされているようですね、星野君」
隣に並んだ沖矢が、穏やかな、しかしどこか含みのある声で語りかけた。
「……見てたんですか、昴さん」
「ええ。あなたが彼らを庇う姿、実に堂に入っていましたよ。まるで、どんな外敵からも大切なものを守り抜くと誓った、守護者のようでした」
「……買いかぶりすぎですよ。俺はただ、あの子たちに怖い思いをさせたくなかっただけです」
圭人は少しだけ照れくさそうに頭を掻き、敬語で言葉を返した。そのまま、ショップの入り口付近で騒ぎを見守っていたコナンと博士の方へと視線を向ける。
「圭人、さっきのはナイスだぜ」
コナンが歩み寄り、不敵な笑みを浮かべて親指を立てた。その隣では、博士がふぅと大きな溜息をついて胸を撫で下ろしている。
「いやはや、一時はどうなることかと思ったぞい。圭人君がいてくれて助かったわい」
「博士、大げさだよ。……それより、昴さんは本当にカレーの材料を買いに?」
「ええ。ですが、この騒ぎです。ついでに私も、その『限定ストラップ』とやらを拝見していこうかと思いましてね」
沖矢は糸のような目をさらに細め、すでに店内で比護のグッズを物色している灰原の方をちらりと見た。灰原は沖矢の視線に気づいたのか、一瞬だけ背筋を凍らせたような仕草を見せたが、すぐに目の前の比護モデルのストラップに意識を戻したようだ。
「……あ、哀ちゃん! 見て見て、これ最後の一個だよ!」
店内の奥から歩美の弾んだ声が聞こえる。灰原は小走りでそちらへ向かい、念願の品を手に取ると、今日一番の輝かしい笑顔を見せた。
その光景を遠目に見ながら、圭人はどこか切ないような、それでいて温かい感情を抱いていた。
「……嬉しそうだな、哀ちゃん」
「ああ。あの『灰原』があんなツラすんのは、比護選手の時くらいだからな」
コナンが隣で、圭人にしか聞こえない小さな声で囁く。
「……そうみたいだね。正直、少しだけ焼けるけど……」
「バーロ。オメーにしか守れねえもんがあるって、さっき言っただろ?」
コナンはそう言うと、博士を促してレジの方へと歩き出した。
後に残された圭人と沖矢。沖矢はゆっくりと眼鏡の位置を直し、圭人の耳元でだけ聞こえる低域の声――赤井秀一としての響きに変えて、こう告げた。
「……彼女を笑顔にするのは彼の役割かもしれないが、その笑顔が踏みにじられないよう世界を繋ぎ止めるのは、我々の役目だ。……頼んだぞ? ボウヤ」
圭人は一瞬目を見開き、それから静かに頷いた。
「……ええ。分かってますよ。…赤井さん」
二人の間に、一瞬だけ鋭い「戦士」としての空気が流れる。
だが、次の瞬間には、圭人はいつもの柔らかい顔に戻って、店内の騒がしい一団へと駆け寄っていった。
「元太、光彦、歩美ちゃん! 買い忘れはないか?」
その背中を見送りながら、沖矢は満足げに口角を上げた。
ショップの中は、ストラップを手に入れた子供たちの歓喜と、それを優しく見守る大人たちの空気で満たされていく。
◆
ビートルは夕暮れ時の米花町を、心地よい排気音を鳴らしながら走っていた。
後部座席では、念願のストラップを手に入れた元太たちが、今日一番の盛り上がりを見せている。
「見てくれよ、この比護さんの凛々しい顔! 俺、一生大事にするぜ!」
「本当ですね、元太君。僕も早速、探偵団バッジの隣につけちゃいました」
「歩美も! 哀ちゃんとお揃い、嬉しいな」
三人の楽しげな声を背中で聞きながら、助手席に座る灰原は、手元の小さなフィギュアストラップを愛おしそうに指でなでていた。その横顔には、ショップで見せた興奮とはまた違う、穏やかで満たされた笑みが浮かんでいる。
「よかったのう、哀君。あんなに喜んでもらえると、連れて行った甲斐があるわい」
博士がハンドルを握りながら嬉しそうに言うと、灰原は少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。
「……ええ、そうね。少し騒がしかったけれど、悪くない一日だったわ」
その後ろで、圭人は窓の外を見やりながら、静かに笑みをこぼしていた。ショップでの一幕を思い出す。柄の悪い連中を追い払った時の感触、そして赤井と交わした短い視線。
(守護者の役割、か……)
比護選手がピッチの上で彼女に希望を与えるヒーローなら、自分は彼女の日常が壊れないよう、影から支え続ける楯。それでいい、と今は素直に思えた。
「おい圭人。オメー、さっきのショップでのやり取り、昴さんと何話してたんだ?」
隣に座るコナンが、子供たちに聞こえないよう身を乗り出して、探るような目で圭人を見てきた。
「……別に。今日の晩飯はカレーにするって言ってただけだよ」
「へぇー……。あの『昴さん』が、わざわざオメーに献立の相談ねぇ」
コナンは絶対嘘だと言わんばかりのジト目を向けてきたが、圭人は「本当だよ」と肩をすくめて笑い飛ばした。
やがて車は、見慣れた阿笠邸の前へと滑り込む。
車を降りる際、灰原が圭人の隣を通り過ぎる瞬間に足を止めた。
「星野君」
「……ん? どうかした?」
灰原は一瞬だけ圭人の目を見つめ、それから手元のストラップをギュッと握りしめて小さく口を開いた。
「……さっきは、助かったわ。あなたがいてくれて、良かった」
それだけ言うと、彼女は「吉田さん、待って!」と歩美たちの後を追うように家の中へ駆け込んでいった。
夕闇が迫る庭で、圭人は呆然とその場に立ち尽くす。
隣でその様子を見ていたコナンが、盛大な溜息をついて圭人の膝を小突いた。
「……おーおー。良かったな、圭人。サッカー選手に勝ち目はねーかと思ったけど、今の『一点』で同点ってところか?」
隣でニヤニヤと笑うコナンを、圭人は少しだけ困ったような、それでいて吹っ切れたような顔で見返した。
「……イチ。お前、本当にそういうのだけは鼻が利くよな。別に、勝ち負けでやってるわけじゃないさ」
そう言いながら、圭人は軽くコナンの頭に手を置いた。
「ただ、比護選手に負けないくらい、俺も彼女の日常を大事にしたいって思っただけだ」
その言葉には、先ほどまでの焦りや劣等感は混じっていない。
圭人は、先に家の中へ消えていった灰原の背中を思い浮かべながら、小さく息を吐いて歩き出した。
「ほら、博士も待ってる。早く行こう」
夕闇に溶けゆく阿笠邸の明かりを目指し、二人の影が並んで伸びていく。
憧れのヒーローにはなれずとも、彼女の隣で戦い、守り続けるこの場所こそが、自分の真実なのだと再確認しながら。