ヒーローと探偵   作:タルマヨ

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流水亭に流れる殺意


「ほう……こりゃまた風流な店だな」

小五郎が感心したように声を上げた。訪れたのは、評判の料亭「流水亭」。この店の最大の特徴は、廊下から各個室、そして厨房までを繋ぐように張り巡らされた「水路」だ。

「見て見て、圭人兄ちゃん! 料理が船に乗って流れてくるよ!」

コナンが目を輝かせ、水路をゆっくりと進む小さな木造船を指差した。船には美しく盛り付けられた料理が載っており、指定された個室の前でぴたりと止まる仕組みになっている。

「本当だ、面白い仕組みだね」

圭人はコナンの隣で、船の動きを興味深く見守った。客が料理を下ろした後、備え付けのボタンを押すと、空になった船は再び水路を流れて厨房の船着き場へと戻っていく。そのシステマティックかつ雅な光景に、蘭も「素敵ね」と微笑んだ。

三人が案内されたのは「二の間」。そのすぐ隣、「三の間」からは賑やかな話し声が漏れ聞こえていた。

「いやぁ、金田君! 助教授昇格、本当におめでとう!」

「ありがとうございます、岩間教授。これも教授のご指導のおかげです」

隣室には、縄文大学物理学教授の岩間信夫、助教授に昇任したばかりの金田圭三、そして講師の新井隆一の三人がいた。祝賀会の最中らしく、テーブルには豪華な料理が並んでいる。

「わあ、あっちの部屋はフグの白子が届いたみたい。豪華な香りがしてくるわね……」

三の間の前に停まった大きな船を眺めながら、蘭が感心したように声を上げた。物理学の権威たちが集まる隣室では、新井が手際よく船から料理を下ろしている。

「けっ、白子なんざ痛風の元だぜ。俺あこのキンキンに冷えたビールさえありゃあ……」

小五郎は届いたばかりのグラスを煽り、満足げに鼻を鳴らす。

「お父さん、あんまり飲みすぎないでよ? 今日は圭人も来てくれてるんだから」

「分かってるよ。……しかし圭人、この店はいいな。料理を運ぶ店員がバタバタしねぇから、落ち着いて話ができる」

「ええ、そうですね。水路を船が流れる音も、耳に心地いいです」

圭人は運ばれてきた先付を箸で取りながら、穏やかに答えた。

宴もたけなわとなった19時50分頃、隣の三の間から障子越しに岩間の苛立った声が響いた。

「おい、金田君。君の頼んだ白子だ、早く下ろしたまえ……。おや? 目がゴロゴロするな。……新井君、悪いがコンタクトレンズを落としたらしい。一緒に探してくれないか」

続いて、バタバタと何かを探すような激しい物音が聞こえてくる。圭人とコナンは顔を見合わせ、隣室の騒がしさを感じていた。

それから数分後の20時00分。

「あれ……? 圭人兄ちゃん、見てよあの船」

コナンの声に、圭人は再び水路に目を向けた。自分たちの部屋の前を、一艘の大きな船がゆっくりと通過していく。しかし、その広々とした荷台に載っているのは、小さなウイスキーのボトルがたった一本だけだった。

(……変だな。あんな大きな船を使うほどの内容じゃないのに)

圭人は、船が水面を押しのける位置――喫水線を凝視した。ウイスキー一本にしては、船体が妙に深く沈み込んでいる。

その直後だった。

「キャアアアアアアーーー!!」

静まり返った料亭に、引き裂くような悲鳴が響き渡る。

「な、なんだ!? 今のは!」

小五郎が勢いよく立ち上がり、真っ先に部屋を飛び出した。コナンと圭人がその後を追い、最後に蘭が続く。辿り着いたのは「八の間」。そこにはレジ係の安西京子が腰を抜かして震えていた。

小五郎が障子を開け放つと、そこには凄惨な光景が広がっていた。テーブルに突っ伏すようにして、金田圭三が倒れていた。その胸元には鋭利な刃物が深々と突き刺さり、周囲の畳を赤く染めている。

「わあーっ! 死んでるよ、おじさん!」

コナンが真っ先に遺体のそばへ駆け寄り、身を乗り出して覗き込んだ。

「クソガキはあっちへ行ってろ!」

――ゴツッ!!

「いったぁ~……」

小五郎の強烈なゲンコツがコナンの頭に落ちた。コナンはたんこぶを抑えながらも、その視線は金田の遺体の親指を鋭く捉えていた。そこには、不自然な黒い液体が付着している。

(……黒いタレ? それに、金田さんは下座に座っていたはずなのに、なんで正面から刺されてテーブルに倒れ込んでるんだ?)

廊下側の扉には鍵がかかっており、水路側からも人が侵入した形跡はない。完璧な密室の中で、金田は一人、命を落としていた。

間もなくして、通報を受けた目暮と高木が現場に到着した。

「ふむ……死因は鋭利な刃物による心臓一突き。死亡推定時刻は19時50分頃か」

目暮が遺体を見分しながら呟いた。その背後で、高木が手帳に情報を書き留めていく。

「目暮警部、レジ係の安西さんの話では、被害者の金田さんは『一人でゆっくりフグを楽しみたい』と言って、この八の間を一人で使っていたそうです」

「一人でだと? 祝賀会の最中にわざわざ別室に移るとは妙だな」

目暮が眉をひそめ、部屋の入り口に立っている岩間と新井に視線を向けた。

「岩間教授、新井さん。お二人の19時50分頃のアリバイを伺いたい」

「私はタバコを買いに外へ出ていました。これがその時のレシートです」

新井が震える手で差し出したレシートには、正確に「19時50分」の文字が刻まれている。

「私は三の間におりましたよ。コンタクトレンズを落として探していたんです。その時の音は、隣の部屋にいた毛利さんたちも聞いていたはずですがね……」

岩間が落ち着き払った態度で小五郎を見た。

「ええ……確かに、何かを探すような物音や岩間さんの声は聞こえていました」

小五郎の証言を聞き、目暮は腕を組んで唸った。

「となると、二人ともこの部屋に来ることは不可能。犯人は外部から……?」

「いいえ警部。廊下の鍵もかかっていましたし、水路側からも人が通れる隙間はありません」

高木の報告に、現場は沈黙に包まれた。その隙に、コナンは圭人に目配せをして、そっと部屋を抜け出した。

「……イチ。やっぱり、あの『船』だな」

圭人が静かに声をかけると、コナンは不敵に微笑み、厨房の船着き場へと急いだ。

 

 

「あの、お姉さん。ちょっといい?」

コナンが子供らしい声を出しながら近づくと、京子はびくりと肩を揺らして振り返った。

「え、ええ……。ボク、どうしたの?」

「さっきおじさんたちが乗ってた大きな船のことなんだけど……あれって、いつも使ってる船なの?」

コナンが水路に浮かぶ大型の船を指差すと、京子は困ったように眉を下げた。

「いえ、あんな大きな船は滅多に使わないんだけど……。岩間教授が『今日は祝いの席だから、料理が映える一番大きな船で運んでくれ』って、わざわざ指定されたのよ」

「……指定した? 教授が自ら?」

圭人が隣で問い返すと、京子はこくりと頷いた。

「ええ。それだけじゃないわ。あの方たち、ウイスキー一本を追加注文した時も『あの大きな船で持ってきてくれ』って仰って……。一本だけなら小さな船の方が早いのに、変だなって思ってたの」

コナンは圭人と顔を見合わせ、そのまま船着き場に引き上げられている大型の船へと歩み寄った。船底に近い板の部分に、何かがこびりついたような跡がある。

「見て、圭人兄ちゃん。ここ……黒い染みがついてる」

コナンが指した先には、乾きかけの黒い液体の跡があった。

「本当だ。それに、さっき俺たちの部屋の前を通った時、この船……。ウイスキー一本にしては、水面ギリギリまで沈んでいた。空っぽのはずの船底に、大人が一人隠れていれば、その重さで船は深く沈み込む……」

「ああ。物理学教授なら、自分の体重で船がどれだけ沈むか、その『計算』も済んでいたはずだぜ」

コナンは不敵な笑みを浮かべ、確信を持って立ち上がった。

「お姉さん、ありがとう! 助かったよ!」

二人は礼を言うと、再び足早に客室エリアへと戻った。

 

次に向かうのは、岩間たちがいた「三の間」だ。

部屋を覗き込むと、そこには不可解な痕跡が残されていた。テーブルの隅にこぼれた黒いタレ、そしてあるはずの割り箸の袋が一つだけ見当たらない。

「なぁ、あそこ……」

圭人が指差したのは、障子の下部だった。そこには小さな穴が開いており、その周囲だけが不自然に濡れている。

「……決まりだ。氷、ピン、そしてゴム。物理現象を利用した、最低の密室トリックだ」

 

 

二人は「八の間」に戻り、コナンは腕時計型麻酔銃の蓋を跳ね上げ、現場で「外部の犯行だ」と騒いでいる小五郎へと狙いを定めた。

「……さて、圭人。教授の『完璧な計算』の解答合わせを始めようぜ。」

「了解、イチ。おじさんの影は俺がカバーするよ」

圭人が小五郎の背後に回り込み、周囲の視線を遮る位置に立つ。その瞬間、コナンの放った麻酔針が小五郎の首筋に命中した。

 

現場の「八の間」で外部犯の可能性を議論していた目暮たちの前で、小五郎が不意に力なく椅子に座り込み、深く俯いた。

「お、お父さん?」

蘭が心配そうに駆け寄ろうとするが、圭人がそっと手を出してそれを制した。

「待って、蘭。……おじさんの推理が始まったみたいだ」

その言葉に応えるように、小五郎の口から低く鋭い声が響いた。

〈フッフッフ……。目暮警部殿、外部犯なんて不確かなものを探す必要はありませんよ。犯人は、この料亭のシステムを完璧に把握していた人物……。岩間教授、あなただ!〉

「な、何だと!? 毛利君、君は何を言って……」

目暮が驚愕して声を上げる。岩間は鼻で笑い、眼鏡を指先で押し上げた。

「馬鹿馬鹿しい。私には19時50分のアリバイがある。コンタクトレンズを探していた音は、そこの毛利さんたちも聞いていたはずだ!」

〈ええ、確かに音は聞こえていました。ですが、あれはあなたが事前に仕掛けておいたテープレコーダーの声。そして、バタバタという物音は……あなたが『大きな船』に乗ってこの部屋へ移動するために、船底へ潜り込む際の音だったのですよ〉

「船に乗って移動!? そんな馬鹿なことが……」

高木が思わず水路を覗き込む。

〈安西さんの証言によれば、あなたは不自然なほど大型の船を使うことにこだわっていた。船底の空間なら、物理学教授であるあなたの体格でも十分に隠れられる。あなたは三の間の明かりを消し、新井さんがいない隙に船の下に入り込んだ。そして、センサーを足で操作してこの八の間へ辿り着いた。ここで金田さんを殺害し、再び船の下に隠れて三の間へ戻ったんです〉

「証拠は! 証拠があるのかね!」

岩間が声を荒らげる。

〈証拠は船着き場に残された船の板についた黒い染み。そして、金田さんの親指についた黒い液体……それはフグの白子のタレだ。彼を刺した際、返り血と共にあなたの服に飛んだタレに、彼が最期の力で触れた……。あなたの服を調べれば、彼の指紋とタレの成分が出るはずだ〉

岩間の顔がみるみるうちに青ざめていく。

〈さらに三の間の密室工作……。あなたは割り箸の袋に氷を詰め、ピンとゴムを使って、氷が溶けた瞬間に障子が閉まるように細工した。圭人が見つけた障子の下の濡れ跡と小さな穴。それが、あなたがこの部屋を密室に見せかけるために使ったトリックの残骸ですよ〉

「……くっ、ふふ……。さすがは名探偵、毛利小五郎……」

岩間はその場に膝をつき、力なく項垂れた。

「教授、どうして……」

戻ってきた新井が絶望的な声を出す。

「……金田君は、私の論文を盗用して今の地位を築いた。それをネタに、私にさらなる推薦状と5000万円を要求してきたのだよ。物理学を金に換えるような男に、これ以上私の学問を汚させるわけにはいかなかったんだ……」

岩間は目暮と高木に連行され、静かに現場を後にした。

事件が解決し、流水亭の外へ出た頃には、夜風が少し冷たくなっていた。

「いやぁ、さすがはお父さん! 今日も冴えてたわね!」

蘭が嬉しそうに小五郎の腕を叩く。

「……あ、あれ? 俺、いつの間に事件を解決したんだ?」

後頭部をさすりながら、小五郎が寝ぼけ眼で辺りを見回した。

「おじさん、格好よかったよ!」

コナンがいつもの子供らしい笑顔で小五郎を見上げる。

「流水亭、事件で有名になっちゃうかもしれないけど、またみんなで来たいわね。今度は事件抜きで」

「おう、いいぜ蘭! 次に来る時は、俺が船に乗って、お前の部屋に白子を届けてやってもいいぞ!」

「もう! お父さんのバカ! そんなことしたら船が沈んじゃうでしょ!」

「なんだとぉ!?」

怒って先に歩き出す蘭と、それを追いかける小五郎。圭人とコナンは、そんな二人を眺めながら、顔を見合わせて苦笑いした。

「……お疲れ様」

圭人が静かに声をかけると、コナンは前を歩く親子を見つめたまま、小さく息を吐いて答えた。

「ああ。……でも、フグの白子、一口くらい食べたかったな」

月明かりの下、二人は苦笑いを浮かべながら、賑やかな二人の背中を追って歩き出した。

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