ヒーローと探偵 作:タルマヨ
土曜日の午前。学校が休みであるこの日、阿笠邸の地下室には、外の穏やかな陽光を拒絶するような重苦しい沈黙が横たわっていた。
「……これを見てくれ。空になった石箱の底、その剥がれ落ちた表面の裏側に、別の記述が隠されておったんじゃ」
博士が震える指先でモニターを操作すると、赤外線スキャンの波形とともに、石箱の内壁に刻まれた未知の文字群が浮かび上がった。それは幾何学的でありながら、どこか生物の脈動を連想させる歪な羅列だった。
「――ティガ。そう読むらしい。超古代の言葉で『光を継ぐ者』を意味する言葉じゃ。……圭人、君が手にしたその力は、単なる武器ではない。かつてこの地球を闇から守り、そして歴史の彼方に消えた……『何か』の遺志そのものなんじゃよ」
「ティガ……光を継ぐ者、か」
圭人はデスクに置かれたスパークレンスを手に取った。指先に伝わるのは、プラスチックのような乾いた質感。だが、その無機質な手触りとは裏腹に、内部からは圭人の心臓の鼓動に呼応するように、微かだが熱い拍動が絶え間なく流れ込んでくる。
「その力は強大すぎるがゆえに、使い手の命すらも飲み込む劇薬だった可能性が高いわ。……星野君、これを見て」
灰原が、真っ赤な警告が表示されたサブモニターを叩いた。そこに映し出されているのは、圭人の細胞組織の拡大図だ。
「細胞の再生速度が代謝の限界を超えている。あなたの体の中で、常に小規模な爆発と再生が繰り返されているようなものよ。今のあなたの肉体は、光のエネルギーに内側から焼き切られようとしている。……このまま戦い続ければ、あなたの心臓は、負荷に耐えかねて破裂するわ」
「……そうか。やっぱり、そんなに甘い話じゃないんだな、志保さん」
圭人は困ったように微苦笑を浮かべ、スパークレンスを優しく撫でた。その物腰は柔らかいが、瞳の奥には決して引き下がらない静かな炎が灯っている。
「でも、止まるわけにはいかないんだ。……イチが命を懸けて追ってる闇がある。それと向き合うには、俺も相応の準備をしておかないと。体が悲鳴を上げる前に、なんとかこの力に慣れてみせるよ」
「……勝手にしなさい。その代わり、手抜きは許さないわよ。あなたが壊れる前に、私がその『器』の限界を無理矢理にでも広げてあげるから」
灰原は呆れたように溜息をついたが、その手は既に博士と共同開発した、肉体への過干渉プログラムを非情な速度で走らせていた。
数時間後。圭人は阿笠邸の裏手、人目のない深い森の中にいた。
「ぐ、あぁ……っ、ふぅ……っ!!」
全身の毛穴から蒸気が上がるほどの熱気。
博士に調整してもらった高密度合金製のウェイトが、皮膚を裂かんばかりに食い込む。さらに、灰原が処方した神経過敏剤が、普段なら無視できる筋肉の微細な断裂を、鋭利な刃物で削られるような激痛として脳に叩き込んでいた。
(……まだ、だ。まだ、あいつの隣で胸を張れるほどじゃない……)
一歩踏み出すごとに、足下の土が爆ぜる。
あえて生身の、それも極限まで痛覚を研ぎ澄まされた肉体だけで己を追い込んでいた。細胞が壊れるたびに、手元のスパークレンスから光が溢れ出し、壊れたそばから強引に組織を接合・強化していく。
それは、自らの肉体を一度破壊し、人知を超えた力に耐えうる「器」へと作り変える、壮絶な自壊と再生の繰り返しだった。光のエネルギーが血管を焼き、神経を焼き、その焼け跡をさらに強靭な組織が埋めていく。
「あいつが……命を懸けて戦ってるんだ。……俺だって、これくらいで弱音を吐いてられないだろ……!」
泥にまみれ、肺を焼くような呼吸を繰り返しながら、圭人は何度も急斜面を駆け上がり、己の限界を叩き潰していく。モニター越しにその様子を見守る灰原は、数値がデッドラインを超えるたびに指先を震わせながらも、決して「止まれ」とは言わなかった。
夕刻。特訓を終えて地下室に戻った圭人の体からは、陽炎のような熱気が立ち上っていた。
衣服は泥と汗にまみれ、四肢は小刻みに震えている。だが、その瞳に宿る光は、午前中よりも明らかに鋭さを増していた。
「……死に損なったようね、星野君。あんな数値、まともな人間なら三回はショック死しているところよ」
灰原がタオルを差し出しながら、冷ややかな、しかしどこか安堵を含んだ声で言う。
「……ありがとう、志保さん。でも、不思議なんだ。体はボロボロのはずなのに、内側から力が湧いてくる。スパークレンスのあの……乾いた質感の奥にある熱が、俺の血の中に溶け込んでいくような感覚だ」
圭人はスパークレンスを見つめた。プラスチックの玩具のようにさえ見えるそれは、今や圭人の肉体の一部となりつつある。
「……それが『光を継ぐ』ということなのかもしれん。圭人君、その石箱に刻まれていた記述は、まだ続きがあるんじゃ」
博士がモニターをスクロールさせる。そこには、さらに禍々しい意匠の文字が並んでいた。
「『光が強まれば、呼応するように闇もまた深くなる。継承の儀が成るとき、古の封印は破られ、審判の獣が目を醒ますだろう』……。圭人君、君の肉体改造が必要なのは、君自身を守るためだけではない。君がその器を完成させたとき、それに見合う『何か』が、この街に現れるという予兆なのかもしれんぞ」
「……望むところだよ、博士」
圭人は静かに、だが揺るぎない力強さでスパークレンスを握りしめた。
週末の静寂の中、光の守護者の「器」は、着実に、そして苛烈にその形を変え始めていた。