ヒーローと探偵   作:タルマヨ

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深海からのSOS(後編)

暗雲が垂れ込め、荒れ狂う海を背景に、事態は最悪の局面を迎えようとしていた。

監視塔の最上階。冷たい電子音が響くサーバー室で、灰原は無数のウィンドウが踊るモニターを凝視していた。その細い指先が、鍵盤を叩く度に火花を散らすような速度で動く。

「……MDRのプロトコル、想像以上に強固だわ。表層の火器管制は一時的に誤魔化せても、深層の自律プログラムまでは……!」

灰原が奥歯を噛み締めたその時、背後で気配が動いた。圭人だ。彼は開かれた扉の傍らで、静かに外の喧騒を見据えている。

「……星野君。貴方がここにいても、これ以上のハッキングは加速しないわよ」

灰原が画面から目を離さずに告げる。圭人はその鋭い横顔を一瞥し、決然とした口調で応じた。

「分かっている。ここは志保さんに任せる。……俺は下へ行く」

「下って……まさか、あの混乱の中に飛び込むつもり?」

「蘭たちが危ない。……行ってくる」

「ちょっと、星野君!」

灰原の制止を聞く間もなく、圭人は翻ってサーバー室を飛び出した。非常階段を駆け下りる足音が、無機質な廊下に響き渡る。

 

 

 

 一方、研究所の正門前。激しい地響きと共に、潮風に晒されて脆くなっていた防護フェンスが、土台から無惨に崩れ落ちた。

「蘭ーーーっ!!」

園子の喉を切り裂くような絶叫が、荒波の音を掻き消した。バランスを崩し、身を乗り出していた蘭の体が、濁流の渦巻く広大なプールへと吸い込まれていく。

「蘭君!」

博士が柵に縋り付き、身を乗り出してその名を叫ぶ。

「蘭お姉さん!!」「蘭さん!」「蘭姉ちゃん!!」

歩美は泣き叫び、光彦は恐怖に顔を強張らせて立ち尽くす。元太は、自分たちのすぐ目の前で銃を構えたまま動こうとしないMDRの隊員たちに対し、激しい怒りを爆発させた。

「ふざけんな! 何見てんだよ、蘭姉ちゃんが落ちたんだぞ! 早く助けろよ、この野郎!!」

監視塔の司令室では、責任者の黒崎が冷ややかな瞳でモニターを凝視していた。

「標的が接触した。……これより高エネルギー熱線砲による一括焼却を開始する。再起動プロセス、最終段階へ」

「蘭ーーーっ!!」

その時、人々の耳を打ったのは、普段の幼い声ではない、切実で魂を絞り出すような少年の叫びだった。

コナンは「江戸川コナン」としての演技などかなぐり捨て、完全に新一としての顔を剥き出しにしていた。

「くそっ、離せ、離せよ!!」

制止しようとする警備員を力任せに振り切り、コナンは伸縮サスペンダーを建物の太い梁に固定した。

「蘭、今行くぞ!!」

弾丸のような速度で、コナンはレイロンスがその大口を開く水面へとダイブした。

着水と同時に、コナンは必死に蘭の腕を掴み、浮力に抗って彼女を抱き寄せた。

「蘭、大丈夫か!?」

「コナン……君……?」

意識が混濁する蘭を庇うように、コナンは正面を見据える。そこには、海水に混じった汚染物質を浴びて怒り狂ったレイロンスが、山のような体躯で迫っていた。

さらに、頭上の監視塔からは白熱した光が収束を始め、致死量を超えたエネルギーが二人を射線に捉える。

(……間に合え、間に合え!!)

圭人は建物の死角、誰の目にも触れない暗がりに滑り込んだ。

彼は懐からスパークレンスを取り出し、指先が白くなるほど強く握りしめる。

「……俺たちの海を、これ以上汚させはしない」

圭人が強い意志を込めて掲げると、スパークレンスの翼が鋭い音を立てて展開された。中心部のクリスタルから、純白の光が爆発的に溢れ出し、圭人の全身を飲み込んでいく。

《…………ッ!!》

凄まじい閃光が、嵐の夜を昼間のように白く塗り潰した。

MDRの放った熱線が蘭たちを直撃する寸前、その全てのエネルギーを正面から受け止めるように、光の中から現れた紫と赤のラインを持つティガが降り立つ。

ティガは咄嗟に右腕を突き出し、放たれた熱線を火花と共に弾き飛ばすと、そのまま蘭とコナンを庇うようにして膝をつき、二人をその体で保護した。

「……光の……」

蘭が呆然と見上げる。コナンもまた、新一としての鋭い眼差しのまま、自分たちを守るその背中に息を呑んだ。

だが、獲物を横取りされたレイロンスが、その不気味な咆哮を轟かせて水面を激しく叩いた。

ティガは静かに立ち上がり、鋭い手刀を構えた。

レイロンスが波を蹴立てて突進してくる。ティガはマルチタイプの俊敏さを活かし、サイドステップでその猛攻を紙一重で回避。すれ違いざまにレイロンスの脇腹へ鋭い手刀を叩き込んだ。

しかし、変異したレイロンスの皮膚は、打撃の衝撃を吸収し、さらには弾き返すほどの弾力と硬度を併せ持っていた。

レイロンスは長い尾をムチのようにしならせ、水面を叩きつけて波飛沫の壁を作る。視界を遮られた一瞬を突き、レイロンスの鋭い角がティガの胸元へ迫った。

ティガは両手で角を掴み、その勢いを殺そうとするが、足場の悪いプール内では踏ん張りが効かない。じりじりと後退させられ、背後の壁に衝突する寸前、レイロンスがその醜悪な口を大きく開いた。

喉の奥からせり上がってきたのは、ヘドロのような暗緑色の毒液だ。

《……っ!?》

至近距離から放たれた毒液が、ティガの左肩を直撃した。

触れた場所から白い腐食煙が上がり、圭人の意識に刺すような激痛が走る。

この毒液は単なる化学物質ではない。海を汚された生命の、逃げ場のない怒りと怨嗟が濃縮されたものだ。

ティガは苦悶に膝をつく。レイロンスは勝利を確信したかのように、さらに毒液の飛沫を雨あられと撒き散らした。

プール内に充満する悪臭と腐食性の霧。回避しようにも、守るべき蘭とコナンが背後にいる。ティガは盾となるようにその場に踏みとどまるしかなかった。

「負けないで!!」

「頑張って、お願い!!」

正門前では、歩美たちが身を乗り出し、喉が枯れるほどの声で祈り続けていた。

(……お前の痛みは分かっている。だが、その怒りのままに全てを壊させてやるわけにはいかないんだ……!)

圭人の意志が、光の中で激しく燃え上がる。

ティガは毒液の霧を振り払うように立ち上がると、額のクリスタルに右手をかざした。

眩い赤の光が奔流となって全身を駆け巡り、細身だったシルエットが、隆起する筋肉と共に逞しく変貌していく。

パワータイプへのタイプチェンジ。

《…………ッ!!》

ティガは、正面から突進してくるレイロンスの突き出た角を、その両手で力強く掴み取った。

先程までとは比較にならない剛力がレイロンスを押し返す。プールサイドのコンクリートが、ティガの足元からかかる圧力に耐えかねて、粉々に砕け散った。

レイロンスは必死に咆哮を上げ、全身の体重を乗せて押し込もうとするが、パワータイプの剛腕は、岩盤のように微動だにしない。

 

ティガは唸りを上げると、レイロンスの両脇に腕を差し込み、その凄まじい重量を剛腕一本で支えるようにして頭上高くへと掲げた。

暴れるレイロンスを頭上で静止させたティガは、そのまま全身のバネを使い、その巨体を力任せに前方へと放り投げた。

ドォォォォン!!

水飛沫を上げて背中から着水し、もがくレイロンスを前にして、ティガは初めて自由になった右手を天高く突き上げた。

《……もう、終わりにしよう》

ティガの指先が虚空を掴むと、周囲に漂っていた汚染の霧を浄化するかのような、清らかな光の粒子が手のひらに吸い込まれていく。

ミラクルバルーン光線。

集束した光をティガが振り下ろすと、光の帯は着水したばかりのレイロンスを逃さず包み込み、虹色に輝く巨大な球状の泡を作り出した。

レイロンスは咆哮を上げるが、その声さえも泡の中に閉じ込められ、巨体は重力を失ったかのようにふわりと浮き上がる。

浮遊する泡を正面に見据え、ティガは腰を深く落として大地を鳴らすような踏み込みを見せた。

右拳を腰に溜め、全身のエネルギーを一点に凝縮させる。

《…………ッ!!》

ティガのパワーパンチ。

空気を切り裂く速度で放たれた一撃は、泡の外壁を突き破ることなく、その内部へ凄まじい衝撃波だけを叩き込んだ。

「グォォォン……!」

衝撃を受けた泡は、レイロンスを閉じ込めたまま弾丸のような速度で遥か上空へと射出され、厚い雲を突き抜けて成層圏まで殴り飛ばされた。

夜空の彼方、月光を反射して輝く虹色の泡を見上げ、ティガは両腕を大きく広げた。

胸のカラータイマーが激しく点滅し、熱い慈愛のエネルギーが両の掌へと溢れ出す。

《…………ッ!!》

放たれたデラシウム光流が、夜空を切り裂く紅の閃光となって上空の泡を貫いた。

だが、そこに爆発の衝撃はない。光を浴びたレイロンスは、その猛り狂った細胞を鎮められ、瞬く間に縮小していく。

 

やがて掌に乗るほどの小さな影へと変わったレイロンスは、同じく小さくなったミューと共に、ティガが放った光の繭に守られながら、静かに外海へと送り届けられた。

 

 

 

 

 

 

 夜明けの光が水平線を染め、荒れ狂っていた海面を穏やかな黄金色に染め上げていく。

「蘭姉ちゃん!!」

「蘭さん!!」

「蘭お姉さーん!!」

波打ち際まで駆け寄ってきたのは、元太、光彦、歩美の三人だった。その後ろから、息を切らした博士も続く。

「ああ……良かった。蘭君、本当に無事で……」

博士は膝をつき、安堵のあまり眼鏡を曇らせた。

「みんな……心配かけてごめんね」

ずぶ濡れの蘭を、歩美が泣きながら抱きしめる。

「だって、あんなにすごかったんだもん……でも、あの光の人が助けてくれたんだよね!」

「……ええ。とっても温かかったわ」

蘭は、先ほどまで自分たちを守っていた大きな背中の余韻を思い出すように、静かに空を見上げた。

そこへ、何食わぬ顔をした圭人が、建物の陰から歩み寄ってきた。

「……助かったんだね、二人とも」

「あ、圭人兄ちゃん! どこ行ってたんだよ、一番いいところ見てねーのかよ!」

元太が不満げに声を上げる。圭人は苦笑しながら、濡れたコナンの頭を軽く小突いた。

「悪い悪い。避難誘導に手いっぱいでさ。……無事で良かったよ、コナン」

「……ああ」

コナンは、圭人の服の裾にわずかに付着した「焦げ跡」に目を留めたが、今は何も言わずに不敵な笑みを返した。

正門側では、園子が目暮を引き連れ、MDRの隊員たちに猛烈な勢いで詰め寄っていた。

「鈴木財閥の研究所をめちゃくちゃにして、蘭を危険な目に合わせて、ただで済むと思わないことね! パパに言って、徹底的に査察を入れてもらうんだから!」

「ま、まあ園子君、落ち着きなさい……。目暮警部、彼らの身柄と装備の押収については、こちらで責任を持って行います」

目暮に宥められながらも、高木と千葉が困り顔でMDRの残党たちを誘導していく。黒崎は忌々しげに舌打ちをし、敗北を認めたように護送車へと乗り込んだ。

少し離れた監視塔の入り口。

ハッキングを終えた灰原が、静かに一行の元へ戻ってきた。

「……お疲れ様、吉田さん。それと、江戸川君も」

「哀ちゃん! 哀ちゃんも大丈夫だった?」

「ええ。博士の作ったプロテクトが役に立ったわ」

灰原は淡々と応じながらも、圭人と一瞬だけ視線を交わした。その瞳には、互いに「秘密」を守り抜いた者同士の信頼が宿っている。

海を見つめる蘭。そこへ、自由になったミューが一度だけ水面に姿を現し、蘭に別れを告げるように跳ねた。

「……バイバイ、ミュー。元気でね」

蘭は優しく手を振った。

レイロンスの敗北と縮小により、海の汚染は収束へと向かうだろう。だが、人間のエゴが生んだこの悲劇への警鐘は、消えることはない。

「さて、とりあえず着替えに行こうか。博士の車に予備のタオルがあったはずだよ」

圭人の促しに、子供たちが元気よく返事をする。

「賛成! 俺、腹減っちゃってさ、うな重食いてぇ!」

「元太君、またそれですか!」

光彦のツッコミに笑い声が広がる。

蘭とミューの、種族を超えた絆。

その感動的な余韻を胸に、彼らは新しい朝の光の中、家路へと歩き出した。

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