ヒーローと探偵   作:タルマヨ

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悪魔の審判(後編)

夕闇が米花町を不気味な紫黒に染め上げ、影が長く伸びる路地裏。

圭人は、脇腹の裂傷を左手で強く押さえつけ、崩れかけたゴミ集積場の陰に身を潜めた。

大通りでは、MDRの装甲車がエンジン音を響かせ、逃げ惑う群衆と空を仰ぐ狂信者たちを掻き分けて展開している。

「……ここなら、見えないな」

圭人は、追撃のレーザーが届かない死角で、血の気の引いた指先をスパークレンス・ハイパーにかけた。

地獄の門が脈動するたび、街に冷たい風が吹き抜ける。

翼が左右に展開し、凝縮された眩い光が溢れ出した。

光の奔流が路地の壁を真っ白に焼き、収束した中心には、夕闇を撥ね退けるティガ(光の戦士)が立っていた。

圭人は無言のまま、正面のビルを垂直に駆け上がる。

その背後、門から降り立った190cmほどの等身大の影――キリエロイドIIが、ビルの屋上で待ち構えていた。

怪人は、嘲笑うように細長い指を動かし、鋭利な爪を月光に反射させる。

圭人は着地と同時に拳を振るったが、キリエロイドIIは重力を無視したような側転でその一撃をかわし、そのままビルの側面に張り付くように移動した。

《……っ!》

背後から迫るキリエロイドの鋭い蹴り。圭人はそれを瞬時に察知し、翻って腕でガードする。衝撃で屋上の貯水槽がひしゃげ、水飛沫が舞った。

圭人は、一瞬の集中と共にその肉体を鮮やかな紫へと変容させた。

俊敏なスカイタイプへと姿を変えた圭人は、キリエロイドIIの反応速度を上回る跳躍を見せる。屋上のアンテナや室外機を足場に、空中で目にも止まらぬ連撃を繰り出した。

しかし、キリエロイドIIもまた、背中の組織を蠢かせ、翼のような突起を形成する。

形態を変化させた怪人は、圭人の加速に呼応するように空中でその身を翻し、鋭い爪で圭人の肩口を深く切り裂いた。

さらに、地上からの銃声が静寂を切り裂く。

『ターゲット補足。無差別掃射を開始する。……キリエロイドごと、ティガを排除せよ』

車内のモニターで戦況を追う黒崎の冷徹な命令。

MDRの放った電磁熱線弾が、戦い合う両者の間を縫って降り注ぐ。

爆炎が屋上のコンクリートを削り、圭人の視界を奪った。

その隙を突かれ、キリエロイドIIの重い回し蹴りが圭人の脇腹――先ほどの負傷箇所を的確に捉えた。

《がはっ……!》

激痛に意識が飛びかける。

 

 圭人は、瞬時に全身を燃え盛るような赤へと染め上げた。

剛力を誇るパワータイプへと変容した圭人は、追撃を仕掛けるキリエロイドIIの腕を掴み、力任せに屋上の壁へと投げ飛ばす。

だが、キリエロイドIIもまた、即座に全身の筋肉を隆起させた剛力形態へと変貌した。

壁に激突した衝撃を吸収し、怪人は猛烈な勢いで地面を蹴る。弾丸と化したキリエロイドIIのショルダータックルが、圭人の腹部を直撃した。

《ぐあぁっ……!》

凄まじい衝撃に、圭人の体は屋上のフェンスをなぎ倒し、宙へと投げ出された。

背中から夜の闇へと落下する。視界が高速で回転し、街灯の光が筋となって流れる。

ドォォォォン! と、地響きを立てて圭人の背中が大通りのアスファルトに叩きつけられた。

衝撃で路面がクレーター状に陥没し、砂塵が舞う。

「いいぞ! 悪魔を殺せ!」

「天使様万歳! 汚れを焼き払え!」

瓦礫を避けることもせず、人々が空に向かって狂ったように叫ぶ。

その負の感情が、圭人のカラータイマーを無慈悲に追い詰めていった。

ピコン、ピコン……。

点滅を始めた命の灯火。

《はぁ、はぁ……っ》

夜の帳が降りた米花町大通りのアスファルトに横たわり、指先一つ動かすのが精一杯の圭人の上に、キリエロイドIIが屋上から静かに降り立つ。

着地の衝撃でさらにアスファルトが砕け、怪人は右手に不浄な業火を収束させた。

地上のMDRもまた、動けなくなった圭人の頭部に、巨大なガトリング砲の銃口を向け、その回転を速めていく。

 

凄まじい衝撃音が止んだ後、そこには死のような静寂が横たわっていた。

砕けたアスファルトのクレーター。圭人は背中から伝わる衝撃に視界を歪ませ、肺に残った僅かな空気を絞り出すように呼吸を繋いでいた。

《はぁ、はぁっ……、……っ》

変身中であるはずの肉体。しかし、人々の憎悪が実体化したような重圧が、光の力を内側から蝕んでいる。

仰向けに倒れた圭人の目に映るのは、自分を嘲笑うかのように鈍く光る「地獄の門」と、それに向かって無機質な祈りを捧げる群衆の影だ。

かつて守り抜いたはずの笑顔はどこにもない。そこにあるのは、偽りの救済に魂を売り渡し、異形の隣人を「悪魔」と罵る、醜く歪んだ正義の姿だった。

 

上空から、音もなく190センチメートルの影が降り立つ。

キリエロイドIIは、鋭利な爪を月光に反射させ、勝利を確信した肉食獣の足取りで圭人へと歩み寄った。

さらに、MDRの装甲車がエンジン音を唸らせ、全砲門を圭人の頭部へと固定する。

『最終宣告。……全砲門、斉射用意』

車内の黒崎は、銀縁眼鏡を指先で押し上げ、冷酷な光を湛えてその時を待っていた。

だが、その沈黙を切り裂いたのは、一人の少女の必死な叫びだった。

「やめて……やめてよ!!」

警察の制止をすり抜け、歩美が圭人の前に駆け寄る。

震える小さな両手を広げ、圧倒的な暴力と怪人の前に立ちはだかった。

「歩美! 何をしているの、早く戻りなさい!」

群衆の中から上がる母親の制止。だが、歩美は涙を流しながらも、空を仰ぐ大人たちを真っ直ぐに射抜いた。

「みんな、目を覚まして! ティガさんは……ティガさんは、悪魔なんかじゃない!!」

歩美の絶叫が、狂気に染まった大通りに響き渡る。

その背後、人混みの陰で、コナンは周囲に悟られぬよう、鋭い視線で大人たちの動揺を観察していた。そして、隣に立ち尽くす一人の男の袖を強く引いた。

「……ねえ、おじさん。ニュースで見なかった?あの日、遊園地で怪物をやっつけてくれたのは誰だった? ……いつも皆を助けてくれるのは誰?」

低く、けれど通る声。それは拡声器を通した叫びよりも深く、男の良心に突き刺さった。

コナンは冷静に、人々の心の「綻び」に言葉の楔を打ち込んでいく。

「天使様が何かしてくれた? ……ううん、違うよね。ボロボロになって、みんなのために石を投げられても、ずっとそこに立ってたのは、誰だったのか……本当は分かってるはずだよ」

コナンの言葉が波紋のように広がり、周囲の大人たちが一人、また一人と視線を落とした。

「……そうだ、あの時……」

「俺たちは、何を……」

灰原は、混乱する群衆の中で目立たぬよう、被っていたキャップのつばをさらに深く引き下げた。影に隠れた冷徹な瞳で歩美の母親を見据え、氷のように鋭い言葉を投げかける。

「滑稽ね。偽物の光に踊らされて、自分たちを救ってきた本当の光を泥靴で踏みつけるなんて。……あなたたちが天使と呼ぶものは、ただの捕食者よ。獲物が跪くのを待っているだけ」

静まり返る大通り。

歩美の叫び、コナンの静かな問いかけ。それらが重なり合い、街に撒き散らされた精神干渉の霧を強引に晴らしていく。

人々の心に、変化が起きていた。

盲信という闇の中に、確かな「光」が灯り始めた。

彼らが放つ無数の、小さくとも強い希望の輝きが、倒れ伏した圭人の肉体へと吸い込まれていく。

《……ぁ……》

圭人は、胸の奥から湧き上がる圧倒的な熱を感じた。

カラータイマーの点滅が限界を超えたその瞬間。

圭人の全身から、夜の闇を真昼に変えるほどの眩い光が爆発した。

「……チッ、構わん、全弾発射! 障害物ごと消し去れ!」

黒崎の焦燥に満ちた命令。

一斉に火を噴くガトリング砲。キリエロイドIIが放つ業火。

だが、そのすべてを、再誕した光の衝撃波が無造作に弾き飛ばした。

砂塵の中から、無言で立ち上がったのは、全身の色彩を取り戻したマルチタイプの圭人だった。

《……待たせた。……ここからは、俺の番だ》

 

 低く響くその声に、キリエロイドIIは明確な敵意と焦りを見せた。再びその体を剛力形態へと変質させ、アスファルトを爆砕しながら突進してくる。だが、圭人は避けることさえしなかった。

正面から繰り出されたキリエロイドの重い拳を、圭人は左手一本で軽々と受け止める。

《その程度か》

衝撃波が周囲の空気を震わせる。圭人はそのまま右拳をキリエロイドの腹部へと叩き込んだ。

ドォォォォン! と、内臓を揺さぶるような鈍い音が響き、剛力形態の装甲を誇る怪人が、紙屑のように後方のビルまで吹き飛んだ。

間髪入れず、圭人は全身を紫の光に包んだ。

俊敏なスカイタイプへと姿を変えた圭人は、次の瞬間にはキリエロイドが激突したビルの壁面に到達していた。

キリエロイドIIも必死に翼を展開して空中に逃れようとするが、スカイタイプの速度はその遥か上を行く。

空中での超高速格闘。

圭人の放つ鋭いキックが、逃げ場を失ったキリエロイドを何度も捉え、火花を散らす。

地上で見守るコナンは、眼鏡の奥でその戦いを見据えていた。

(……間違いない。今のあいつには、街中の人々の想いが乗ってる……!)

人々の洗脳は完全に解けていた。

「頑張れ……!」

「ティガ……行けぇ!!」

先ほどまで罵声を浴びせていた大人たちが、今度は拳を握りしめ、自分たちの過ちを拭い去るように声の限り応援を送っている。

業を煮やしたキリエロイドIIは、空中から不浄な業火を無数に放った。

街を焼き尽くそうとするその炎に対し、圭人は空中で再び色彩を戻した。

万能のマルチタイプへと戻った圭人は、両腕を交差させ、迫り来る火球をバリアでことごとく霧散させていく。

「……チッ、最大出力で撃て! 奴らを纏めて消滅させろ!」

指揮車内の黒崎が、狂気的な表情で叫ぶ。

MDRの装甲車両が、エネルギーチャージを終えた主砲を圭人へと向けた。

だが、その時。

「そこまでだ、黒崎!」

通信回線に割り込んだのは、目暮警部の怒号だった。

「貴様の独断による無差別攻撃の許可は取り消された! 直ちに全ユニットを停止させろ!」

「……何だと……!?」

黒崎が愕然とする中、MDRの車両群の周囲を、目暮や高木たちが率いる警察車両が包囲していく。人々の心が戻ったことで、上層部も動かざるを得なくなったのだ。

邪魔者の消えた戦場で、圭人はキリエロイドIIを地上へと叩き落とした。

地獄の門の真下。

無惨にひび割れたアスファルトの上で、怪人はもはや立ち上がる力すら残されていない。

圭人は、静かに地獄の門を見上げた。

そこから漏れ出す邪悪な波動が、今まさに最後の手を打とうとしている。

《終わらせる。……お前たちの望む絶望など、ここにはない》

圭人は両腕を左右に広げ、全身のエネルギーを胸のカラータイマーへと集約させる。

眩い光が、夜の米花町を昼間のように照らし出す。

キリエロイドIIが、断末魔のような悲鳴を上げながら門へと逃げ込もうとする。

《ゼペリオン光線!!》

圭人が放った究極の光が、キリエロイドIIを貫き、そのまま背後の地獄の門へと直撃した

 

不浄な門が、内側から光に侵食され、崩壊を始める。

凄まじい爆発が、地獄の門とキリエロイドIIを跡形もなく消し飛ばした。

衝撃波が去った後の大通りには、ただ、夜空から雪のように降り注ぐ清浄な光の粒子だけが舞っていた。

人々の心から憑き物が落ち、静寂が戻る。その中心に立つ戦士の姿は、降り注ぐ粒子に溶け込むように、次第にその輪郭を淡くしていった。

《……》

圭人は無言のまま、一度だけ歩美たちを見つめる。そして、人々の驚きと感謝の視線に包まれながら、その肉体は眩い光の粒へと還り、夜風にさらわれて霧散していった。

 

 

 

 

 

 

 数十分後。混乱の収束し始めた大通りから少し離れた路地で、圭人は壁に背を預けていた。

脇腹の傷は変身の余波で幾分和らいではいるが、依然として鈍い痛みが走る。圭人は周囲に誰もいないことを確認すると、手にしていたスパークレンス・ハイパーを静かに懐へと収めた。

「……星野君」

 背後から声をかけられ、圭人は振り返った。そこにはキャップを深く被り直した灰原と、いつもの冷静な表情に戻ったコナンが立っていた。さらにその奥には、母親に抱きしめられながら泣きじゃくる歩美の姿が見える。

「終わったよ。イチ、志保さん」

圭人が静かに告げると、灰原は歩美の方をちらりと見やり、少しだけ表情を和らげた。

「ええ。人々の集団心理を利用した精神干渉……厄介な事件だったわね。でも、最後にあの子たちの声が届いたのは、あなたの光が本物だったからじゃない?」

「あぁ、しっかり届いたよ」

 続いてコナンがポケットに手を突っ込み、空を見上げながら言った。

「黒崎の野郎は目暮警部たちに連行されたよ。越権行為と無差別攻撃の責任、たっぷり取られるだろうな。……もっとも、あの手の男はまた這い上がってくるだろうけど」

「はは、手厳しいな……」

圭人は苦笑し、歩美の方へと歩き出した。歩美の母親は、まだ震えながらも、駆け寄ってきた圭人の顔を見て、申し訳なさそうに深く頭を下げた。

「圭人さん……ごめんなさい。私、あんな、恐ろしいものを信じて……歩美にも、あんな酷いことを……」

母親の言葉に、圭人は穏やかな首を振る。

「いいんです。みんな、少し疲れてただけだですよ」

そう言って、圭人は歩美の頭を優しく撫でた。

「圭人お兄さん……! ティガさんが、ティガさんが助けてくれたの!」

歩美は泣き腫らした目で、必死に戦士の勇姿を語ろうとする。圭人はその瞳を見つめ、力強く頷いた。

「ああ。……見てたよ。歩美ちゃんが一番、勇敢だった」

夜の米花町に、ようやく穏やかな空気が戻り始める。地獄の門が消えた空には、皮肉にも今さら、美しい月が顔を出していた。圭人は仲間たちと共に、阿笠邸への家路についた。

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