ヒーローと探偵 作:タルマヨ
殺意のストライク(前編)
護送車の冷たい空気の中、MDRの元指揮官の黒崎凱は揺られていた。
手錠の鎖が擦れ合う音が、静まり返った車内に規則正しく響く。
凱は目を閉じ、自身の奥底でうごめく感覚に神経を集中させていた。
(……間違いない。あの男、星野圭人からは、俺と同じ血の匂いがする……)
それは数万年の時を超えて受け継がれてきた、超古代のDNAが呼び合う共鳴。
凱にとって圭人は、もはや単なる標的ではない。己の渇望を満たすための唯一無二の鍵だった。
彼が光の戦士そのものであることにはまだ気づいていない。だが、本能が叫んでいた。あの男を手に入れろ、と。
凱の唇が、薄く、歪んだ弧を描く。
警備の者たちがわずかに気を緩めたその瞬間。
凱の瞳に冷徹な知略の光が宿った。
(光を繋ぐ者か……面白い。まずは、この檻から出させてもらうぞ)
車窓の外を流れる地下道の照明が、凱の顔を断続的に照らし出していく。
彼はまだ動かない。ただ、脱走の機を冷徹に見定めながら、獲物の名を心の中で反芻していた。
◆
昼下がりの毛利探偵事務所。
小五郎はデスクで腕組みをしながら、目の前の客人に神妙な面持ちで向き合っていた。日売エージェンシーの大和田会長だ。二人は旧知の仲であり、今日は極秘の相談があるという。
たまたま蘭に誘われ、昼食の差し入れを持ってきていた圭人は、辞去しようとした矢先に小五郎に呼び止められていた。
「おい、圭人。お前もそこに座れ。大和田さんの依頼だ、お前の若い力も必要になるかもしれんからな」
小五郎はそう言って、圭人を同席させた。制作部長・平田の失踪と、消えた三千万円。会社の名誉に関わるスキャンダルを隠密に処理するには、信頼できる人間で固めたいという小五郎なりの判断だった。
「なるほど、三千万ですか……。表沙汰にせず、平田部長を連れ戻すと。……わかりました、おじさん」
圭人が内容を確認していると、蘭が心配そうに口を挟む。
「お父さん、圭人にまでそんな危ないこと頼まないでよ」
「ガタガタ抜かすな。これでもこいつは俺の助手みたいなもんなんだ」
小五郎が鼻を鳴らしたその時、事務所のドアが勢いよく開いた。
「まいど! 邪魔するでぇ!」
「……服部君に和葉ちゃん!?」
蘭が驚きの声を上げる。大阪から現れた平次と和葉は、相変わらずの騒々しさで事務所へ足を踏み入れた。それを見たコナンは、手にしていた漫画から目を上げ、露骨に顔を顰めた。
(げっ、また服部のやつかよ……。ろくなことにならねーんだよな、あいつが来ると……)
コナンの呆れ顔を余所に、平次が圭人に鋭い視線を向ける。
「なんや、星野も一緒か。……相変わらず、小五郎のオッチャンの手伝いさせられとるんやな」
挨拶こそ交わすが、平次の内面には拭いきれない疑念があった。以前の事件で見せた、圭人の「底知れなさ」。それをただの「お人好しの兄ちゃん」として受け入れるには、平次の勘が働きすぎていた。
「平次、挨拶くらいちゃんとしぃ! ……なぁ蘭ちゃん、これ見てぇな! ボウリング大会のチケット、懸賞で当たったんよ!」
和葉が差し出したペアチケット。それを横から覗き込んだコナンが、不自然な一致に気づいて表情を険しくした。
「あれ? 和葉姉ちゃん、このチケットの会場……大和田会長が言ってた、平田部長が最後に向かった場所だよ」
「な、何だと!?」
小五郎が立ち上がる。依頼の内容と、和葉のチケットが指し示す場所が完全に一致した。
「決まりやな。オッチャン、不自然な調査より、遊びに来た客を装う方が怪しまれへんやろ? 俺らも行かせてもらうで」
「……ちっ、仕方ねぇ。圭人、お前は俺と大和田会長のサポートだ。いいな!」
「分かってますよ」
小五郎に釘を刺され、圭人は苦笑混じりに頷いた。平次はそんな圭人の横顔を、値踏みするようにじっと見つめている。
「……なぁ、星野。ボウリング、得意か?」
「ん?さあ、どうかな。平次に負けないくらいには頑張るよ」
圭人は平次の探るような視線を柔らかく受け流した。その様子を見ていたコナンは、平次の執拗なマークに危うさを感じながらも、即座に思考を事件へと切り替える。
(消えた三千万に、制作部長の失踪……。もし何かの事件に巻き込まれているとしたら、一刻を争うかもしれねーな)
コナンは表情を引き締め、眼鏡の奥の瞳に真剣な光を宿した。
「ねぇ、おじさん! 早く行こうよ! その平田って人、困ってるかもしれないし!」
コナンの促す声に、小五郎も重い腰を上げた。
「ああ、そうだな。よし、大和田さん、案内をお願いします! ……よし、野郎ども、ボウリング場へ殴り込みだ!」
小五郎の威勢のいい号令に、蘭や和葉も「待ってよ!」と慌てて後に続く。結局、事務所にいた全員が連れ立って階段を駆け下りることになった。
一行はそれぞれの思惑と一抹の不安を抱えたまま、事件の舞台となるボウリング場へと向かった。
一行が到着したボウリング場は、華やかな大会を控えた異様な熱気に包まれていた。
場内の大型スクリーンには、圧倒的な実力と美貌を兼ね備えた「クイーン」こと一条蘭子と、その座を狙う新鋭、瀬戸奈々美の二人が映し出されている。
「……めっちゃピリピリしとるなぁ、あの二人。まるで戦場やんか」
和葉が呟く通り、練習投球を行う二人の間には火花が散るような緊張感が漂っていた。一条が冷徹なまでの精度でストライクを連発すれば、瀬戸は若さゆえの荒々しいエネルギーでそれに応酬する。
大和田が平田の行方を確認するため関係者入口へ向かった後、小五郎たちはボウリング場の喧騒から少し離れた、管理棟付近の植え込み付近を通りかかった。
「……!?」
先頭を歩いていた小五郎が、何かに気づいて急に足を止めた。その表情が瞬時に険しくなり、背後に続く蘭や和葉を遮るように片手を広げる。
「おい……蘭、和葉ちゃん、お前らここで待ってろ。……圭人、大阪のボウズ! こいつらを頼むぞ」
「え、お父さん? どうしたのよ……」
蘭が不安げに覗き込もうとするのを小五郎が鋭く制し、一人で植え込みの死角へと踏み込んだ。そこには、変わり果てた姿の平田部長が横たわっていた。
「……なんてこった……」
小五郎の声を聞きつけ、大和田も駆け寄る。その惨状に、大和田は絶句して膝をついた。
「平田部長……! そんな、嘘だ……!」
小五郎は遺体の首筋に手を当て、苦い顔で首を振った。
「……死んでる。争った形跡もねーし、遺書らしき紙がポケットから覗いてやがる。会社の金三千万を使い込んで、責任を感じての自殺……ってところか。大和田さん、あんたも心当たりがあるんだろ?」
「……確かに、平田は最近資金繰りに悩んでいる様子でした。ですが、まさか横領までして命を絶つなんて……。彼は責任感の強い男だったんです」
大和田が顔を覆う横で、コナンと平次は小五郎の制止を潜り抜け、遺体の足元に目を凝らしていた。
(いや、これは自殺なんかじゃない! ……この靴の擦れ跡、どこか別の場所で殺されて、ここまで運ばれてきたんだ!)
コナンが確信するのと同時に、平次もまた遺体の不自然な点を見抜いていた。遺体の指先に残った微かな白い粉――ボウリングの滑り止め用パウダーのような付着物。そして、周囲に飛び散っているはずの血痕が、遺体の状況に対して少なすぎる。
平次は立ち上がり、周囲を検分しながら隣に立つ圭人の様子を伺う。
「……なぁ星野。お前はどう思うんや? オッチャンは自殺や言うとるけど、俺の目は誤魔化せんで。お前の目にはどう映っとるんや?」
平次の問いに、圭人は悲痛な表情で平田の遺体を見つめたまま、静かに答えた。
「……分からないよ。でも、これだけ綺麗なボウリング場なんだ。こんな悲しい終わり方、あんまりだよね。三千万なんて大金より、もっと大切なものがあったはずなのに……」
圭人の柔らかな、しかしどこか核心を避けるような物言いに、平次は目を細める。この男はいつもそうだ。本質に気づいているような素振りを見せながら、最後は「お人好し」の皮を被って煙に巻く。
一方、ボウリング場の中では、一条蘭子と瀬戸奈々美の練習が続いていた。一条は背後に河合副部長の冷ややかな視線を感じながら、無言でボールを手に取る。
一条は知っていた。平田が横領などするはずがないこと。そして、三千万を実際に動かしたのは目の前の河合であり、平田はその罪をなすりつけられた末に消されたのだということを。
「一条さん、集中力が欠けているようですよ。クイーンの名が泣きますね」
河合が嫌味な笑みを浮かべて近づく。一条は彼を睨みつけるが、その手は微かに震えていた。彼女もまた、口封じのターゲットにされていることを自覚していた。
小五郎が遺体のポケットから見つかった「遺書」に気を取られている隙に、コナンと平次は遺体の足元へ潜り込むようにして観察を始めていた。
「……なぁ工藤、これ見てみ。大型のカートか何かを引きずった跡やな」
平次が周囲の目を盗み、低い声で耳打ちする。それに応じるコナンの声も、子供のフリを捨てた、鋭い探偵のそれへと変わっていた。
「あぁ、平田部長を運ぶのに使ったのかもしれねぇな……。遺体の靴のつま先だけが不自然に擦れてる。台車に乗せられて、足だけが地面に引きずられた跡だ」
二人の視線は、遺体から管理棟へと続く、微かな轍(わだち)を捉えていた。小五郎が「自殺」と断定した状況を、二人の名探偵は音もなく覆していく。
その様子を少し離れた場所で見守っていた圭人は、平次の鋭い観察眼に感心しつつも、周囲の「気配」に意識を割いていた。蘭と和葉を背後に庇いながら、管理棟の影に潜む殺気に神経を研ぎ澄ませる。
(……やっぱり、ただの事件じゃないな。あの男たち、平田部長の遺体を見ても動揺してない。それどころか、次の獲物を狙ってる……)
圭人の視線の先、管理棟の窓からこちらを覗き見る影があった。河合副部長だ。彼は自分の計画が露呈するのを恐れ、平田と繋がりのあった一条蘭子を「事故」に見せかけて始末する準備を着々と進めていた。
「平次、蘭ちゃん達のところ戻らな。……あいつら、なんか不穏やで」
和葉が不安げに声をかける。平次は「分かっとる」と短く返し、立ち上がった。
「……なぁ星野。お前、さっきからあっちの管理棟ばっかり気にしてるみたいやけど、何か見えたんか?」
平次の問いかけは、単なる確認ではない。圭人が自分たちと同じ、あるいはそれ以上の「何か」を察知しているのではないかという、強い探りだった。
「いや……。ただ、こんなに静かなボウリング場なのに、どこか空気が重たい気がしてね」
圭人はいつものように柔らかく微笑んで見せたが、その瞳の奥には、迫りくる危険に対する光の戦士としての警戒が宿っていた。
その時、ボウリング場内から一条蘭子の鋭い投球音が響き渡る。
それはまるで、これから始まる惨劇の幕開けを告げる号砲のようだった。