ヒーローと探偵   作:タルマヨ

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死ぬほど美味いラーメン(後編)

「……被害者の名前は西津徳盛さん。不動産会社の社長で、この界隈の地上げを強引に進めていた人物……か」

目暮は高木が差し出した手帳に目を落とし、重々しく呟いた。店内の空気は依然として重く、醤油の香りに混じって鑑識のフラッシュが激しく焚かれている。

「はい。遺体からは、毛利さんの仰る通り、青酸系の毒物が検出されました。……ただ、不可解な点がありまして」

高木は当惑した様子で、カウンターの上に置かれたままの『閻魔大王ラーメン』を指し示した。

「被害者の食べていたラーメン、それから割り箸や水、コップの縁……それらからは一切、毒物が検出されなかったんです」

「何だと!?」

目暮が声を荒らげ、隣で腕を組んでいた小五郎も目を剥いた。

「バ、馬鹿な! 現にあの男は麺を啜った直後に苦しみ出したんだぞ! ラーメンに毒が入ってなきゃ、一体どこから口に入ったってんだ!」

「それが……店内の他の客、毛利さんや星野君たちが食べていたものからも、もちろん毒は出ていません。厨房の鍋や調味料もシロ。……つまり、この店で提供されたものに毒は入っていなかったということになります」

高木の説明を聞きながら、博士が眉をひそめて唸った。

「ううむ……。ワシらもずっと見ておったが、あの西津という男は確かにラーメンを口にしておったし、それ以外に何かを飲み食いした様子もなかったがのぉ。奇妙な話じゃ……」

「博士、俺たちはみんな同じものを食べていたんだ。店のものに毒が入ってない以上、俺たちが疑われることも、倒れる心配もないんだからさ」

圭人が博士の肩に手を置いてなだめると、店主の功雅が顔を真っ赤にして叫んだ。

「当たり前だ! 俺は毒なんて盛っちゃいねぇ! 俺が作ったラーメンを食って死なれるなんて、料理人として一番の屈辱だ!」

「ちょっと警部さん! 店長を疑うのはお門違いよ」

彩代が腰に手を当て、気の強い口調で目暮を睨み据えた。

「あんな横暴な地上げ屋、いなくなって清々したとは思うけど、うちは真っ当に商売してんの! 毒なんて入れる暇があったら、ラーメンの仕込みに精を出してるわよ!」

「そ、そうですよ警部さん……」

客として来ていた、理髪店主の谷中が、震える声で間に入った。

「小倉さんは口は悪いですが、腕は確かだ。……私も、西津さんには理髪店の方を立ち退けと脅されていましたが……まさかこんなことになるなんて……」

沈黙が流れる店内で、コナンは一人、西津が座っていた席を食い入るように見つめていた。

(ラーメンもハシも水もシロ……。なら、あの人が口にした『それ以外』の何かに毒があったはずだ……)

コナンの視線が、床に転がった西津の眼鏡に止まる。

「……おい、圭人。西津さんが店に来た時のこと、覚えてるか?」

コナンが周囲に聞こえないほどの低い声で問いかけた。その瞳には、工藤新一としての鋭い光が宿っている。

「……ああ。あの男は店に入るなり、テーブルに手をついて身を乗り出した。それから……」

圭人は床に視線を落とし、当時の光景を反芻するように言葉を継いだ。

「眼鏡を拭いてたよな。外との温度差で、レンズが真っ白に結露してたから」

「そう、結露だ……。冬のこの店ならではのな」

「む? 結露がどうしたんじゃ、コナン君」

博士が不思議そうに顔を覗き込んできたが、コナンは人差し指を口に当てて制止した。圭人も博士に向かって、今は静かに、と目配せをする。

「……目暮警部。西津さんはこの店に来る直前、隣の理髪店に寄っていたんですよね?」

圭人が捜査の進展を促すように、自然な口調で目暮に問いかけた。

「ああ、そのようだが……それが何か関係あるのかね、星野君」

「西津さんが店に入ってきた時、彼の手や持ち物に不自然な点はなかったか……特に、あの眼鏡です。鑑識の方に、もう一度詳しく調べてもらえませんか?」

目暮は圭人の落ち着いた態度に促されるように、鑑識に指示を出した。

「高木君! 被害者の眼鏡を詳しく調べるんだ。特に耳にかける部分……『ツル』の先端をな!」

「は、はい!」

高木は慌てて鑑識に指示を飛ばした。

しばらくして、鑑定結果を持った高木が駆け戻ってきた。

「警部! 出ました! 右側のツルの先端から、微量の青酸反応が検出されました!」

「何だと!?」

目暮の叫びが店内に響き渡る。小五郎も、毒のありかがまさか眼鏡だったとは思いもよらなかったようで、驚きに目を見開いている。

「なるほど……。眼鏡のツルに毒を塗り、それをかけた被害者の手に毒が移るように仕向けたのか。だが警部殿、それだけじゃ口には入りませんぜ! 毒を直接舐めるような真似をしなきゃよ!」

小五郎が声を荒らげ、得意げに自説を展開しようと身を乗り出す。その背後で、コナンは静かに腕時計型麻酔銃の蓋を跳ね上げた。

(……理屈は簡単だ…。冬の結露と、あの男の無意識の『癖』。その二つが揃えば、毒は勝手に口の中へ運ばれる……)

コナンは圭人と視線を交わす。圭人は無言で頷き、小五郎の体が崩れた際に支えられるよう、自然な動作でその背後へと回り込んだ。博士は、二人の不穏な動きに気づき、「お、おい、まさかここでやるのか……?」と言わんばかりの表情で固まっている。

小五郎がさらに何かを言おうと口を開きかけた、その刹那。

「……っ!」

シュッ、という微かな空気を切り裂く音と共に、小五郎の首筋に麻酔針が命中した。

「……う、ううっ。……なんだか急に、いい気分に……」

 

小五郎が椅子に深く沈み込み、頭を垂れる。圭人は慣れた手つきでその肩を支え、目暮たちの死角にコナンが隠れるよう、自然な動作で立ち位置を調整した。

「おっ、やっと来たか!、毛利君!」

目暮が居住まいを正し、高木と千葉も手帳を構えて緊張の面持ちでそれを見守る。博士は少し離れた場所から、「お迎えが来たわい」とばかりに二人の様子をハラハラしながら見つめていた。

〈……警部殿。高木刑事が言った通り、ラーメンにも水にも、毒は一滴も入っていませんでした。犯人が毒を仕込んだのは、食べ物でも飲み物でもない……西津さんがかけていた、あの眼鏡のツルだったんですよ〉

「やはりか…」

目暮がため息混じりの声を出す。谷中の肩が目に見えて跳ねるのを、圭人は鋭い視線で見逃さなかった。

「……目暮警部、思い出してください。西津さんが店に入ってきた時、レンズが真っ白に曇っていましたよね」

圭人が静かに、だが確信を持った声で言葉を添える。

「あの時、彼は眼鏡を外してレンズを拭こうとしていた。冬のこの店ならではの『結露』が、犯人の計算通りに働いたんです」

〈その通りだ、圭人君。西津さんは結露した眼鏡を拭くために、何度もツルの部分に触れた。その際、あらかじめ塗られていた粉末状の毒が、彼の指に付着したんです……それも、左手の親指と人差し指にね〉

「し、しかし毛利君。指に毒が付いただけで、死に至るほどの量が口に入るものかね?」

目暮の尤もな疑問に、小五郎の声を借りたコナンが淀みなく答える。

〈ええ。普通なら口には入りません。ですが西津さんには、ある『癖』があった。……店主、あんたなら知っているはずだ。西津さんが考え事をしたり、苛立ったりした時に見せる、あの癖をね〉

功雅がハッとして、カウンター越しに西津の座っていた席を指差した。

「……あ! あの野郎、昔から割り箸を割った後、その先をカチカチと前歯で噛む癖があった!」

「それが答えですよ、店主さん」

圭人が功雅に視線を向け、冷徹に事実を告げる。

「彼は毒の付いた指で割り箸を割り、その箸先を口に含んで噛んだ。微量ずつ、確実に毒を口の中へ運び込んでいたんだ」

「そ、そんな……。でも警部、西津さんは右手で箸を持っていたはずですよ?」

高木が不思議そうに首を傾げると、博士が「あ、そういえば……」と思い出したように声を上げた。

「ワシも見ておったが、あの西津という男、箸を割る時だけは左手を使っておったようじゃな。右手に持ち替える前に、左手で箸を整えておったわい」

〈阿笠博士の言う通り、西津さんは元々左利きで、幼い頃に右手を使うよう矯正されていた。だが、箸を割るような無意識の動作の時だけは、どうしても左手が出てしまう。犯人はその性質、そして箸を噛む癖を熟知した上で、眼鏡の右側のツル……ちょうど左手で掴みやすい位置に、毒を仕込んだんです〉

静まり返った店内に、小五郎の厳格な声が響く。

〈そんな工作ができたのは、事件前に西津さんの眼鏡を預かることができた人物……隣の理髪店主、谷中篤さん。あんただけだ。西津さんが髪を切っている間に、預かった眼鏡に毒を塗る時間は十分にあったはずですからね〉

「……っ! 証拠……証拠はあるんですか! 私は……私はただ、商店街を思って……!」

谷中が額の汗を拭い、激しく動揺しながら叫ぶ。その姿を見つめる圭人の瞳は、どこまでも冷ややかだった。

「谷中さん……あんたが西津さんの上着の内ポケットに忍ばせた、あの毒の包みが証拠ですよ」

圭人の指摘に、谷中の顔から一気に血の気が引いた。

「自殺に見せかけようとしたんだろうけど、あいにく西津さんはその包みに触れていない。代わりに、それを仕込んだ貴方の指紋が、そこから検出されるはずだ。……違う?」

「…………っ!!」

谷中は膝から崩れ落ち、震える手で顔を覆った。

「……そうだよ。私がやったんだ……。この汚らしい、死ぬほど美味いだけの店を消すためにな……!」

谷中の口から漏れたのは、商店街への執着が生んだ、あまりに歪んだ本音だった。

「谷中さん……この店のためって、あんたそれ本気で言ってるのか?」

圭人が、崩れ落ちた谷中を冷ややかに見下ろしながら問いかけた。

「本気さ! 私はこの商店街を盛り上げようと必死にやってきた! なのに、あの西津という男は地上げを盾に嫌がらせを繰り返し、商店街の調和を乱し続けてきたんだ……。それに、小倉!」

谷中の矛先が、カウンターの中で呆然としている功雅に向けられた。

「お前もだ! 弟分のように思っていたが、いつまで経ってもこの店は小汚いままだ。西津に狙われても改善しようとせず、ボロボロの暖簾を下げて……。こんな店があるから、商店街全体の再開発が進まないんだよ!」

「なっ……なんだと!?」

功雅が絶句する。谷中の言い分はあまりに独善的だった。

「西津を殺せば、地上げの脅威は消える。そして、この『死ぬほど美味いラーメン屋』で死者が出れば、店はスキャンダルに耐えられず潰れるはずだ……。そうなれば、商店街は一気に綺麗に、近代的に生まれ変われるんだ! 私は……私はただ、この街を一流にしたかっただけなんだよ!」

〈……馬鹿げた理屈だ。街の誇りである店を犠牲にして手に入れた『綺麗』な再開発に、一体何の価値があるというんだ?〉

小五郎の声を借りたコナンの言葉が、静まり返った店内に重く響く。

「……谷中さん、貴方が愛していたのは商店街じゃない。自分の理想通りに動く『模型』のような街だったんじゃないのか?」

圭人が静かに、だが厳しく告げると、谷中はそれ以上何も言えず、ただ肩を震わせて泣き崩れた。

「……目暮警部、あとはお願いします」

圭人が目暮にそう言うと、目暮は重々しく頷いた。

「ワシからはもう何も言うことはない。高木!千葉!谷中氏を連れて行きなさい」

「「はい!」」

高木と千葉に両脇を抱えられ、谷中が店を出て行く。その背中を、功雅と彩代は複雑な表情で見送るしかなかった。

 

 

 

 

 

 事件から数日後。閉店作業を進める『ラーメン小倉』の前に、小五郎、コナン、圭人、そして博士の姿があった。

「へぇ、店を移転するんですか?」

圭人が驚いたように尋ねると、功雅は暖簾を下ろし、どこか晴れやかな顔で頷いた。

「ああ。谷中の兄貴があんなことをしでかしたのは、俺の店に甘さがあったからかもしれないって思ってな。もっと広い場所で、誰にも文句を言わせねぇような、最高の店を作り直すことに決めたんだ」

「店長、あんまり大きなこと言ってると、また借金背負うわよ!」

彩代がいつもの気の強さで釘を刺すと、功雅は「へへっ、分かってるよ」と頭を掻いた。

「よし! じゃあ移転前の最後の食い納めだ。オヤジさん、四人分頼むぜ!」

小五郎の威勢の良い注文に、功雅が腕をまくる。

「へいよ! 待ってな、最高のヤツを出してやるからよ!」

 

カウンターに並んだ四つの丼。立ち昇る熱い湯気を顔に受けながら、四人は一斉に麺を啜った。

「……ふぅ。やっぱり、ここのは本当に死ぬほど美味いな」

圭人が額の汗を拭いながら微笑む。

「ワシも同感じゃ。移転しても、この味だけは変えないでほしいのぉ」

博士も満足げにスープを飲み干した。

「……博士。今のところは、哀ちゃんには内緒だよ? 食べ過ぎだって怒られるからね」

圭人が茶目っ気たっぷりに囁くと、博士は「分かっておる、分かっておる!」と慌てて口の周りを拭いた。それを見ていたコナンは、心の中で呆れたように呟く。

(オイオイ……。博士の服からこんなにスープの匂いがしてたら、灰原が気づかないわけねーだろ……)

コナンの予感通り、明日の博士がどんな説教を食らうかは目に見えていたが、今はただ、この一杯の温もりを噛み締めていた。

冬の夜、小さな店から漏れる笑い声は、新しく生まれ変わる商店街の明日を静かに照らしていた。

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