ヒーローと探偵   作:タルマヨ

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影の継承者(前編)

 初夏の陽光が、米花総合病院の白い壁を眩しく照らしていた。

正面玄関から、蘭と園子に付き添われて世良が出てくる。頭の包帯こそまだ痛々しいが、その足取りは軽く、友人たちと談笑する姿はいつもの彼女そのものだった。

「……真純さん、無事に退院できてよかったな」

少し離れた街路樹の陰から、圭人はその様子を見届けて静かに息を吐いた。隣に立つコナンも、眼鏡の奥の瞳を和らげながら頷く。

「ああ。世良のやつ、相当しぶといからな。……でも、これで一旦はあいつを危険から遠ざけられたはずだぜ」

「そうだといいけどね。……さて、俺たちも戻るか。後手に回るなよ、ここからは」

圭人は心の中で自分に言い聞かせ、コナンと共に阿笠邸へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜。阿笠邸の地下実験室では、灰原がモニターに向かって指を走らせていた。

コーヒーの香りが充満する室内で、彼女の表情は昨日にも増して険しい。

圭人は、そんな彼女の細い肩を見つめ、博士とコナンがすぐそばにいる中で、自然な様子で声をかけた。

「志保さん、少しは休めよ。これ以上は君の体の方が持たない」

「あなたが無茶ばかりするから、解析を急いでいるのよ。……星野君。あの鮫の破片、調べれば調べるほど不気味だわ」

灰原はキーボードを叩く手を止めず、モニターに映る異様な分子構造を指差した。

「まるで獲物の位置を常に特定し続ける、呪いの装置みたい」

「ワシのメカでも、これほどの追跡機能は持たせられんわい」

博士が唸り、コナンも腕を組んで画面を覗き込む。

その時、一階からインターホンの音が響いた。

博士が玄関へ向かい、やがて聞き覚えのある穏やかな声が地下まで届く。

「夜分にすみません。カレーを作りすぎてしまってね……」

現れたのは、工藤邸に居候している大学院生――昴だった。

灰原は一瞬で体を硬くし、圭人の背後に身を隠すように避ける。昴はその気配を察しながらも、手に持った鍋をテーブルに置いた。

「おや、コナン君も一緒でしたか。……星野君、少し耳を貸してくれないかな?」

 

 

 

博士と灰原が少し離れた場所で片付けを始める中、圭人とコナン、そして昴の三人はテーブルを囲んだ。

昴は柔和な笑みを消し、眼鏡の奥から赤井としての鋭い眼光を覗かせた。

「昨夜、港で面白い『光』を見たものでね。……それと、病院の方も少し覗かせてもらったよ。彼女――真純の容態が気になってね。どうやら無事に退院できたようで安心したが……」

赤井は一度言葉を切り、懐から数枚の資料を取り出した。そこには、FBIの独自ルートで入手した黒崎の過去――世界各地の未確認遺構調査で、不審な死者を出してきた記録が並んでいた。

「黒崎か……。やっぱり、ただの狂信者じゃないんだな」

圭人が資料を手に取ると、赤井は静かに頷く。

「奴は『力』を求めている。星野君、君という器が持つ、底知れないエネルギーをね。……必要なら私も動こう。彼女を守るための盾が必要なら、私を使いなさい」

赤井の視線が、圭人の背後にいる灰原――「彼女」へと一瞬だけ向けられる。その言葉の重みを、圭人は正面から受け止めた。

「恩に着るよ、赤井さん。……でも、奴の狙いは俺だ。真純さんや志保さんをこれ以上巻き込ませるわけにはいかない」

「あぁ。だが、相手は現代の常識が通じない相手だ」

コナンが資料の一点を指差しながら付け加える。

「赤井さんまで動くとなると、黒崎のヤロー……とんでもねぇ爆弾を抱えてやがるな。……おい圭人、準備はいいか?」

「……あぁ。奴の狙いが俺の『光』だってんなら、正面から受け止めてやるまでだ」

圭人は右手に残る微かな熱を感じながら、闇の向こうで笑う黒崎の影を見据えた。

緋色の協力者を加え、運命の歯車はより激しく回り始める。

 

 

 

 阿笠邸の地下実験室には、低く唸るサーバーの排熱音だけが響いていた。

モニターに映し出されたのは、米花町から少し離れた埋立地――「扇ヶ浜コンテナターミナル」の座標だ。かつては物流の要所だったが、新港の完成により現在は廃墟同然となり、積み上げられた赤錆びた鉄の箱が迷路のように連なっている。

「……罠ね。それも、驚くほど露骨な」

灰原がキーボードから手を離し、椅子の背もたれに体を預けた。その瞳には、解析結果がもたらした不吉な予兆が色濃く影を落としている。

圭人は、そんな灰原の細い肩に視線を送り、静かな声で言った。

「志保さん、解析の方は頼んだよ。俺たちが出ている間、何かあったらすぐに連絡してくれ。……無理はしないでくれよ」

「罠に飛び込むあなたに言われたくないわ。……星野君、その身体に流れているエネルギーは、あなただけのものではないことを忘れないで。あなたが無茶をして光を使い果たせば、残るのは……」

灰原が言いかけた懸念を、圭人は優しい笑みで遮った。

「分かってるよ。必ず戻ってくる。博士、志保さんのこと頼むよ」

「任せなさい。ワシもバックアップ体制を万全にしておくわい」

夜の臨海道路。

圭人は大型バイクのアクセルを一定に保ち、漆黒の海を右手に眺めながら加速していた。隣では、コナンがターボエンジンを唸らせるスケボーで、低い姿勢のまま併走している。

二人の背後には、米花町の不夜城のような明かりが遠ざかり、前方には街灯の途切れた暗い埋立地が口を開けていた。

ヘルメット内の通信機から、コナンの冷静な声が届く。

「おい圭人、準備はいいか?」

「あぁ。赤井さんには連絡済みだろ?」

「ああ。あの人はもうとっくにポイントに潜伏してるはずだ。……黒崎の奴、俺たちと赤井さんの連携をどこまで読んでるか見ものだな」

やがてバイクのライトが、錆びついた巨大なフェンスを照らし出した。

圭人はゲートの脇にバイクを滑り込ませ、サイドスタンドを蹴り下ろす。ヘルメットを脱ぎ、シートに引っ掛けると、潮風と共に混じる鉄錆の匂いが鼻を突いた。

「……ここか」

「ああ。身を隠すには絶好の場所だぜ」

コナンもスケボーを止め、眼鏡のスイッチを切り替えて周囲をスキャンする。

二人は、三階建てのビルほども高く積み上げられたコンテナの間――細く暗い「路地」へと足を踏み入れた。

その時だ。

頭上のクレーンに設置されていた投光器が一斉に旋回し、二人の姿を白日の下に晒した。

「よく来たね、星野圭人。そして、恐るべき知恵を持つ少年、江戸川コナン君」

迷路のようなコンテナの壁に反響し、黒崎の歪んだ声が降ってくる。

「君の光が、この極限状態でどこまで純度を増すか……私の新しい神体のための、最高のテストデータを提供してもらおう」

合図とともに、コンテナの最上段から無数の銀色の影が飛び出した。ゲオザークの技術をさらに小型化・高速化させた偵察型無人機の群れだ。それらは獲物を逃さない猟犬のように、コンテナが作る壁の隙間を縫い、鋭い円を描きながら二人を包囲した。

「……ッ、上からも来るぞ!」

コナンが周囲を警戒し、物陰へ飛び込む。

圭人は退路を断たれた中央で、ジャケットの内側に隠していたスパークレンスハイパーを力強く抜き放った。

「……させるかよ!」

親指でスイッチを叩くと、クリスタルの翼が鮮烈な光を放って展開する。

《ティガ!》

夜の闇を塗り潰すほどの眩い光が収束し、そこには銀と赤、青紫のラインを宿した戦士の姿があった。

圭人は等身大のまま、重力を無視したような跳躍でコンテナの壁を蹴り、迫り来るドローン群のレーザーを回避する。

鋼鉄の拳を叩き込むたびに無人機は火花を散らすが、敵は破壊されることを厭わず、圭人の周囲に奇妙な幾何学模様を描き始めた。

ドローンから放たれる目に見えるほどのエネルギーの糸が、圭人の光を吸い上げ、不可視のネットワークへと送信していく。

(……嫌な感覚だ。こいつら、俺の力を写してやがるのか?)

その時、背後の死角。コンテナの影から急加速した一機が、圭人の無防備な背中を狙った。

回避が間に合わない――その直後、闇を切り裂く一閃の火線が走り、そのドローンを正確に粉砕した。

数百メートル離れた廃ビルの屋上。

昴の姿をした赤井が、狙撃銃を構えたままコナンのバッジへ通信を繋ぐ。その声は圭人の耳にも届いた。

「仕事の時間だ。星野君、深追いするな。奴は君の力を餌にして、何かを育てようとしている」

《助かるよ、赤井さん……!》

圭人は空中で反転し、残る無人機を光の斬撃で一掃する。

《イチ、中枢を探してくれ。どこかに指揮車があるはずだ!》

「分かってる! あのコンテナの裏、微弱な電波が出てる場所があるからな!」

コナンはスケボーの反動を使い、鉄の箱の迷路を疾走していく。

連携は完璧だった。だが、戦闘が激化するにつれ、圭人の脳裏には不気味な既視感が広がり始めていた。

敵の動き、その冷徹なエネルギー。それは、かつて彼が持っている光の記憶とは対照的な、昏い情動を孕んでいた。

「素晴らしい……素晴らしいよ! その怒り、その焦りこそが、影を濃くするのだ!」

ヤード中央の巨大な壁面モニターに、ノイズ混じりの映像が映し出された。

それは、ティガと同じ姿をしていながら、瞳には禍々しい光を宿し、全身に不吉な紋章を刻んだ「漆黒の戦士」の幻影だった。

(……黒崎、お前がやろうとしていることは……あの悲劇の再来か。イーヴィル……まさか、あの影を呼び覚まそうってのか……!)

圭人の拳が、怒りに震える。

その隙を突くように、新たな無人機の群れが、より洗練された「影」の動きを見せながら襲いかかってきた。

赤井の弾丸と、名探偵の知恵、そして光を継ぐ者の覚悟。

三つの力が混ざり合う戦場は、やがて来る絶望の幕開けに過ぎなかった。

 

 

 

 

深夜の阿笠邸、地下実験室。

コンテナヤードでの激戦を終え、帰還した圭人とコナンを待っていたのは、低く唸るサーバーの音と、モニターを凝視する灰原の険しい横顔だった。

「……これを見て」

灰原がキーボードを叩くと、解析されたばかりの無人機のデータが展開される。そこには圭人の戦闘中の動きが、骨格レベルのシミュレーションとして冷徹にグラフ化されていた。

「星野君、あの無人機はあなたを倒すための兵器じゃなかったわ。あなたの反射速度、光の出力タイミング……そのすべてを抽出するための、生きた観測機だったのよ」

圭人はデスクに置かれたコーヒーの湯気を見つめ、静かに問いかけた。

「……つまり、黒崎は俺の動きを完全にコピーしたってことか?」

「ええ。奴らが持ち去ったデータは、あなたの光の波長そのものよ。これを、あの地下で見つけた石像の残片データと合成すれば……」

灰原の言葉が途切れる。その先に待つ結論に、彼女の指先が微かに震えていた。

「空虚な器に、あなたの写し鏡となる力が吹き込まれる。……星野君、次に現れるのは、あなたと全く同じ力を持つ、漆黒の戦士よ」

あぁ。あの戦闘中に感じた不吉な予兆。かつて光であった者が、強すぎるエゴゆえに闇に堕ちたという、あの最悪の記憶が現実になろうとしている。

「……分かってるよ、志保さん。黒崎は、俺という正解を使って、偽物の神を作ろうとしてるんだな」

博士が沈痛な面持ちで頷き、コナンも腕を組んでモニターを睨みつける。

その時、地下室へと続く階段から、静かな足音が響いた。

灰原の肩が、びくりと跳ねる。彼女は瞬時に圭人の背後に回り込み、その裾を強く握りしめた。

それと同時に、圭人も表情を引き締め、呼称を切り替える。

現れたのは、落ち着いた足取りの昴だった。

「夜分に失礼。お近づきの印に、カレーのお裾分けを……というのは、建前のようですね」

「……昴さん」

圭人が呼びかけるが、背後の灰原は顔を伏せ、彼を直視しようとはしない。昴はその様子を細められた眼鏡の奥で見据えながら、テーブルに数枚の資料を置いた。

「……星野君、君にこれを見せておく必要があると思ってね。FBIの知人が、アイランド・ゼータの深部を撮影したものだ」

資料には、無数のケーブルに繋がれ、脈動する闇のような光を放つ、銀と黒の戦士の姿があった。

灰原は圭人の背中越しにその写真を一瞬だけ覗き込み、すぐにまた視線を逸らした。この男が放つ独特の圧迫感に、彼女の本能が警鐘を鳴らし続けている。

「黒崎はこれを『プロジェクト・E』と呼んでいる。……イーヴィル。星野君、君のデータを上書きすることで、奴は制御可能な神を作り上げようとしているようだ。……自分自身と戦う覚悟はできているか?」

「……あぁ。自分を乗り越えなきゃ、誰も守れないのは分かってる」

「バーロ。一人で戦うなんて思ってんじゃねぇぞ」

コナンが不敵な笑みを浮かべ、圭人の肩を叩いた。

「奴がいくらデータをコピーしたところで、その中身は空っぽだ。土壇場でのひらめきや、誰かを守りてぇっていう執念まではトレースできねぇよ」

「……サンキュー、コナン」

圭人は頷き、背後にいる灰原に、安心させるように声をかけた。

「哀ちゃん、大丈夫だよ。必ず戻ってくる」

「……死なないでよ、星野君。コーヒーの淹れ方を教える前にいなくなられたら、寝覚めが悪いわ」

灰原は圭人の服を離し、再びモニターへと向き直った。その背中は、昴の視線を避けるように頑なだったが、圭人を送り出す決意だけは、その小さな肩に宿っていた。

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