ヒーローと探偵   作:タルマヨ

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強盗犯人入院事件


「全く、沖野ヨーコちゃんのコンサートに遅れるからって、階段から転げ落ちるなんて……。おじさんらしいというか、なんというか…」

米花総合病院の病室。圭人は呆れたような、それでいてどこか楽しげな溜息をつき、ベッドに横たわる毛利小五郎を見やった。

小五郎の右足は無残にもギプスで固められ、天井から吊り下げられている。

「バーロォ、笑い事じゃねーぞ! お前も探偵ならこの痛みが……痛てて!」

「はいはい、動かないでくださいね。せっかくお見舞いに来たんですから。あと、俺は別に探偵じゃないですからね」

小五郎を宥める圭人の後ろから、コナンと少年探偵団の面々がひょっこりと顔を出した。

「元気出してよ、おじさん! 歩美たちが来たからもう大丈夫だよ!」

「そうですよ! ほら、お見舞いのフルーツです!」

「俺はうな重が良かったんだけどよ……」

歩美、光彦、元太が口々に騒ぎ立て、病室は一気に賑やかになる。その傍らで、コナンは所在なげに窓の外を眺めていた。

「コナン君、どうしたんですか? さっきからボーッとして」

「え? ああ……別に。早く公園に行ってサッカーしたいなーって思ってさ」

光彦の問いに、コナンはいつもの子供らしい笑顔で返す。

 

その時、病室のドアが静かに開き、一人の男が入ってきた。関口良夫。この病室で同室となっている、ぎっくり腰の老人・大三郎の息子だ。

「……父さん、調子はどうだい?」

良夫の手には、有名店のものと思われるシュークリームの箱が握られていた。

大三郎はベッドから身を起こし、息子を迎え入れる。

「おお、良夫か。わざわざすまんな。……それより、お前の銀行は大丈夫なのか? 先週の強盗事件、まだ犯人は捕まってないんだろう?」

「……ああ。警察が調べてるけど、まだ何も……」

「そうか。そう言えば……弓ちゃんはどうした? 今日は一緒に来なかったのか?」

大三郎の問いに、良夫の手がわずかに震えた。

「弓子は……友達とアイススケートに行ったよ。夕方には帰るって言ってた」

「そうか…残念だ。孫娘の顔を見たかったんだか。しかしあの子は元気でいいな」

何気ない親子の会話。だが、その様子を背後で見ていた圭人は、良夫の視線が、同室のもう一人の患者――顔に火傷を負い、深く眠り続けている赤羽五石衛門――に向けられていることに気づく。

「(……随分と、怯えてるような顔だな)」

圭人は心の中でそう呟いたが、口には出さなかった。今はまだ、それが何を意味するのか、確信が持てなかったからだ。

 

「それじゃ、僕たちはもう行くね。おじさん、お大事に!」

コナンが探偵団を促し、病室を後にする。

小五郎の罵声を聞き流しながら、一行はロビーへと降りた。

「よし! 公園に行って思いっきりサッカーするぞ!」

「元太君!病院で走ったら駄目ですよ!」

元気に駆け出そうとする探偵団。だが、コナンだけは自動ドアの前で足を止め、ロビーのベンチに座り込んでいる良夫の背中を、じっと見つめていた。

良夫は、先ほど病室に持っていたはずの「シュークリームの箱」を膝に置き、震える手で携帯電話を握りしめている。その視線は、病院の向かいにあるデパートの屋上を、狂ったように何度も往復していた。

「……圭人」

コナンが、隣に立つ圭人を短く呼んだ。その声は、もはや子供のそれではない。

「……ああ。俺も何となく気づいてる」

圭人は姿勢を正し、ロビーの隅で「一般客」を装いながら、良夫を包囲するように立っている不審な男たちに鋭い視線を向けた。

 

 

 

 

 ロビーの喧騒から少し離れたベンチ。関口良夫は、魂が抜けたかのように座り込んでいた。その手は、先ほど病室で見かけた時よりも激しく震えている。

「ねえ、おじさん」

不意にかけられた子供の声に、良夫の肩が跳ねた。見上げると、そこには眼鏡をかけた少年――コナンが、真っ直ぐな視線で立っていた。その傍らには、どこか超然とした雰囲気を纏った圭人も静かに佇んでいる。

「な、なんだい、ボク……。おじさんは今、忙しいんだ。あっちへ行ってなさい」

「嘘だね。おじさん、弓子ちゃんのこと心配してるんでしょ?」

コナンの冷徹な一言に、良夫の顔から血の気が引いた。

「な、何を……ボク、何を言って……」

「おじさん、さっきから向かいのデパートの屋上ばかり気にしてるよね。それに、おじいさんは糖尿病なのに、お見舞いはシュークリーム。おかしいと思わない?」

良夫は絶句した。コナンの観察眼は、ロビーに潜む違和感を全て拾い上げていた。病院内は携帯電話が厳禁であるにもかかわらず、良夫を包囲するように立ち、携帯を握りしめている男たちがいる。彼らは一般の客ではない――監視役だ。

「……なるほど」

圭人が低く呟く。圭人もまた、周囲の男たちの不自然な動きと良夫の様子から、事態の異様さを完全に理解した。

良夫は震える手で顔を覆った。警察に相談しようにも、監視役の目が光り、何より向かいのデパートで見張られている娘の命が懸かっている。絶望に打ちひしがれる良夫を横目に、コナンは腕時計に目を落とした。

15時25分。タイムリミットまであと5分。

(……しゃーねーか。これしか手はねぇ!)

コナンは心の中で毒づくと、離れた場所にいた探偵団へ手短に指示を飛ばした。

「元太、光彦、歩美ちゃん! お願いがあるんだ。今すぐ向かいのデパートの屋上へ行って!」

3人が怪訝な顔をしながらも走り去るのを見送り、コナンは良夫の手からシュークリームの箱をひったくるように奪い取った。

「弓子ちゃんを助けてあげる」

その一言だけを良夫に投げかけ、コナンは迷いなく箱の蓋を跳ね上げた。

「あ……! ああっ!?」

良夫が悲鳴に近い声を上げる。中身が「お見舞いの品」ではないことを知っている彼は、子供がその凶器を白日の下に晒したことに、心臓が止まるほどの衝撃を受けた。

コナンは中に入っていた拳銃を指差し、わざとらしく、ロビー中に響き渡るような大声を上げた。

「わあーっ! カッケー! これ、本物のピストルだよね!?」

コナンの叫び声は、静まり返ったロビーに爆弾でも投げ込まれたかのような衝撃を与えた。

瞬時に、良夫を包囲していた空気の色が変わる。

「な、なな、何を……ボク、何を言って……!」

良夫は顔面を蒼白にさせ、ガタガタと膝を震わせた。子供が無邪気に指差したその「おもちゃ」が、自分を、そして娘を地獄へ叩き落とす引き金になりかねない。その恐怖で、声すらまともに継げない。

だが、その絶叫に誰よりも早く反応したのは、ロビーに潜んでいた二人の男だった。

一般客を装っていたはずの彼らは、一瞬にしてその擬態を剥ぎ取り、獣のような鋭さでコナンへ向かって踏み出す。

「ガキが、返しやがれ!」

「そいつをこっちへ寄越せ!」

怒号とともに男たちが迫る。だが、コナンは焦るどころか、その眼鏡の奥で冷徹に敵の動きを計算していた。

(……一人、二人。院内はこいつらだけだな!)

コナンは脇に抱えていたサッカーボールを地面に叩きつける。

その瞬間、キック力増強シューズの火花が、コナンの右足に爆発的なエネルギーを充填した。

「いっけえぇぇ!!」

放たれたボールは、空気を引き裂く轟音とともに一直線に伸びた。

先頭の男が回避する間もなく、その腹部に強烈な一撃が突き刺さる。

「ぐはっ……!?」

男はくの字に折れ曲がり、数メートル後方にある待合室の椅子をなぎ倒して昏倒した。

すぐさま、コナンは反動を利用してもう一発。跳ね返ったボールを、二人目の男の顔面に向けて正確に蹴り抜く。

「がっ……あ……」

鼻柱を砕かれたような鈍い音が響き、二人目もまた、白目を剥いて床に沈んだ。

ロビーにいた見舞い客たちが悲鳴を上げ、パニックが広がる。

だが、その混乱の隙を突き、物陰に潜んでいた三人目の男が、非常階段へと脱兎のごとく駆け出した。

(三人目か……!)

コナンが視線を走らせたが、ボールはすでに勢いを失い、足元にはない。

逃げた男は懐の携帯電話に手を伸ばしている。屋上にいる女へ報告される前に、あの男を止めなければならない。

「……圭人!」

コナンの短い呼びかけ。

その言葉が終わるより早く、圭人の体はすでに風のように動いていた。

男が非常階段の重い扉に手をかけた瞬間、背後から音もなく伸びてきた圭人の手が、その首筋を正確に捉えた。

「悪いが……ここから先は行き止まりだ」

「な、なんだお前……離せっ!」

男が必死に振り向きざまに拳を振るう。だが、圭人はそれを紙一重でかわすと、男の腕を巻き込むようにして関節を極め、そのまま冷たいコンクリートの壁へと叩きつけた。

「ぐあっ……!」

肺の空気をすべて吐き出させるような、鋭い衝撃。

男の手から携帯電話が滑り落ち、圭人はそれを空中で鮮やかにキャッチすると、無慈悲に踏み砕いた。

「……確保だ。コナン、外はどうする?」

圭人の問いかけを背中で受けながら、コナンはすでに玄関へと駆け出していた。

「外は俺がやる! 圭人はそいつを頼む!」

病院の正面玄関を飛び出したコナンの視線の先、一台の乗用車が急発進しようとしていた。院内での騒動を察知した四人目の男だ。

(逃がすかよ……!)

コナンは並走するように走りながら、無言で腕時計型麻酔銃の照準を男の首筋に固定した。

放たれた麻酔針が正確に命中し、男はハンドルに突っ伏す。車は力なく縁石に乗り上げて停止した。

コナンはすぐさま車に駆け寄り、男が握りしめていた携帯電話を奪い取ると、蝶ネクタイ型変声機を起動させた。男の声に合わせてダイヤルを回す。

15時29分。タイムリミットまで、あと1分。

コナンは迷わず、着信履歴の最上部にある番号――デパート屋上の女へと発信した。

数秒の呼び出し音の後、女の焦れたような声が響く。

『……どうしたの!? 病院の方が騒がしいじゃない! 計画通りに片付いたんでしょうね!?』

コナンは男の声で、低く短く言い放った。

「……下だ! 下を見ろ!」

『えっ? 下……? どういうことよ!』

電話を切り、デパートの屋上を見上げる。

数秒後、フェンス越しに一人の女が病院の玄関を確認しようと、大きく身を乗り出した。

(かかった……!)

コナンは最後の一球を拾い上げ、キック力増強シューズのスイッチを最大に捻った。全身の力を右足に溜め、デパート屋上のターゲットを静かに見据える。

鋭い衝撃音とともに放たれたボールは、空気を引き裂きながら夜空へと舞い上がった。

病院とデパートの間の空間を一直線に貫き、女の顔面を正面から捉える。

「……あがっ!?」

悲鳴を上げる間もなく女が意識を失うのとほぼ同時に、屋上の重い鉄扉が勢いよく撥ね退けられた。

「いたぞ! 弓子ちゃんだ!」

「こっちです! 早く!」

飛び込んできたのは、息を切らした元太、光彦、歩美の3人だった。

彼らは倒れている女には目もくれず、縛られて隅で震えていた弓子のもとへ駆け寄る。

「もう大丈夫だよ、弓子ちゃん! 歩美たちが助けに来たからね!」

「怪我はないですか!? すぐに縄を解きますから!」

歩美が優しく弓子を抱きしめ、光彦と元太が手際よく縄を解いていく。不安と恐怖に耐え続けていた弓子の瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出した。

「う……うあ、ああぁぁん!」

その泣き声は、階下の病院の玄関まで響き渡った。

病院のロビーから駆け出してきた良夫が、デパートの屋上を見上げて震える声を上げる。

「弓子……! 弓子ぉぉ!」

屋上のフェンス越しに、元太たちが大きく手を振った。

「おじさーん! 弓子ちゃん、無事だぞー!」

その様子を地上で見届けたコナンは、ようやく肩の力を抜いた。

「……ふぅ。これで終わりだな」

新一としての低い呟きが、夕暮れの風に消える。

背後から、院内の後始末を終えた圭人が、静かな足取りで歩み寄ってきた。

「……終わったな。見事な連携だった」

圭人の言葉に、コナンは何も答えず、ただ不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 パトカーの赤色灯が辺りを照らし始める中、良夫は探偵団に連れられた弓子を、折れんばかりに抱きしめていた。

泣き崩れる親子の光景を少し離れた場所から見守っていたコナンに、良夫が気づいて歩み寄ろうとする。だが、コナンは人差し指を口に当てて、静かにそれを制した。

「おじさん……弓子ちゃんを二度と離しちゃダメだよ」

短くそれだけを告げ、コナンは踵を返した。

「……見事なもんだな。あの距離、あの状況で、迷いなくボールを蹴るとは」

並んで歩き出した圭人が、誰に聞かせるでもなく独り言のように呟く。

「……しゃーねーだろ。あのおじさんの絶望した顔を見ちまったらよ」

コナンはポケットに手を突っ込み、新一としての声で吐き捨てた。

ふと、コナンが足を止める。視線の先には、病院の庭に転がっている数個のサッカーボール。先ほど、院内と屋上の敵を仕留めるために使い切ったものだ。

「……あっ」

「どうした?」

圭人が足を止め、コナンの視線を追う。そこには、変わり果てた姿のボールたちが転がっていた。

「……やべ。ボール、全部使い切っちまった……」

「…………」

あんなに格好良く事件を解決した直後だというのに、手元に残ったのは空っぽのボールケースだけだ。コナンは顔を引き攣らせ、圭人はその様子を見て、堪えきれずに低く笑い声を漏らした。

「おい、笑うなよ……! 予備がねーんだからよ!」

「ああ、悪いね。……だが、今日のお前のシュート、ヨーコちゃんのコンサートよりは価値があったと思うよ?」

「バーロ……。比べる対象が違ぇっつの」

二人の影が、夕暮れ時の病院の影に溶けていく。

結局、小五郎が病院を退院できたのは、それから一週間も後のことだった。

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