ヒーローと探偵   作:タルマヨ

60 / 88
崩れる対称(シンメトリー)

 森谷帝二の邸宅で開催されたガーデンパーティーから数日が経過した。米花町の街並みは新緑に包まれ、穏やかな午後の陽光が阿笠邸の窓から差し込んでいる。

居間では、コナンがソファに深く腰掛け、手元の資料に目を落としていた。その傍らでは、圭人が黙々とトレーニングに励んでいる。床に両手をつき、垂直に足を蹴り上げた彼は、微動だにせず三点倒立の姿勢を維持していた。

「……998、999……1000」

最後の一回を数え終え、圭人はしなやかな動きで着地した。額に薄く汗を浮かべてはいるが、呼吸は全く乱れていない。

「……お疲れ様、星野君。相変わらず人間離れした体力ね」

キッチンからトレイを運んできた灰原が、感心したような声をかけた。

「ああ、ありがとう。体を動かしておかないと、いざという時に反応が鈍るからね」

圭人はタオルで汗を拭いながら、博士の淹れた紅茶を受け取った。

「どうしたんだ?さっきからその資料、穴が開くほど見つめてるけど」

「……やっぱり、妙なんだよな」

コナンがポツリと独り言を漏らす。視線の先にあるのは、先日森谷邸でもらったパンフレットのコピーだ。

「あのパーティーの時、森谷帝二が言ってたろ。自分の若い頃の作品は、完璧な対称じゃないから消し去りたい汚点だって……。あのギャラリーに飾ってあった写真や模型、いくつか不自然に隙間があったのが気になってよ」

「……確かに、徹底したシンメトリーを謳う割には、展示の配置に偏りがあったね。俺も、彼が自分の過去を否定する時のあの目が、単なる芸術家の拘りには見えなかった。あの静謐な邸宅の中に、ひどく歪んだ熱量を感じたよ」

圭人は紅茶を一口啜り、コナンを見た。

「ほっほっほ、お待たせ。特製のロイヤルミルクティーじゃよ。哀君に手伝ってもらったから味は保証付きじゃわい」

博士が満足げに笑ったその時だった。居間の隅でつけっぱなしにされていたテレビの音声が、緊迫したアナウンサーの声に切り替わった。

『……続いてのニュースです。本日未明、東京都西多摩市にある建築家・森谷帝二氏の事務所に何者かが侵入し、保管されていた膨大な数の設計図——いわゆる「青図」が盗み出されたことが分かりました』

「なっ……!」

コナンと圭人の視線が、同時に画面に釘付けになる。

『森谷氏によれば、盗まれたのは彼が30代の頃に手がけた初期の作品群の設計図ばかりだということで、警察は怨恨、もしくは転売目的の犯行とみて捜査を開始しています。また、都内ではここ数日、不審な放火事件が相次いでおり——』

テレビ画面には、無残に焼け落ちた洋館の映像が映し出された。それを見たコナンの表情が、一気に険しくなる。

「おい、圭人……あの焼け跡、見覚えねーか?」

「……ああ。間違いない。先日、森谷邸のギャラリーで写真を見た『黒川邸』だ。それに、さっき映ったのは東都環状線の駅舎……。全部、森谷が『汚点』と呼んでいた初期の作品ばかりだ」

圭人の声から柔らかさが消えた。

「どういうことかしら。自分の作品を盗んで、自分で火をつけて回っているとでも?」

灰原がカップを置き、画面を凝視する。

「いや、被害者は森谷本人ってことになってる。だが……盗まれた設計図のリストが、燃やされた建物と一致しすぎる。これじゃあ、まるで……」

「……『完璧じゃない過去』を、この世から物理的に消し去ろうとしているみたいだね」

圭人の言葉に、居間の空気が凍りついた。

「しかし新一君、森谷帝二ほどの世界的権威が、そんなリスクを冒してまで自分の建物を壊すなんてことがあり得るんじゃろうか? せっかく築き上げた名声が台無しじゃぞ」

「博士、あの男の執着は名声なんて次元じゃねーよ。あの左右対称への異常なこだわり……。アイツにとって、自分の美学に反するものは、存在自体が『悪』なんだ。たとえそれが、かつての自分が生み出したものだとしてもな」

コナンは立ち上がり、窓の外を見つめた。

「……嫌な予感が止まんねーぜ。あの森谷って男、まだ何か大きなことを企んでやがる。設計図を盗むってことは、ただ燃やすだけじゃなく、構造上の弱点を調べている可能性もあるんだ」

「……その通りだね。もし、もっと大規模な建物を狙っているとしたら、被害はこれまでの比じゃない」

圭人が静かに立ち上がると、その全身から微かに、しかし確かな闘志が溢れ出した。その時、コナンのスマートフォンが震えた。画面には「蘭」の名前。コナンは瞬時に声色を切り替え、通話ボタンを押した。

「もしもし、蘭姉ちゃん?」

『あ、コナン君? 今ニュース見てる? 森谷先生の事務所が大変なことになってるみたいで……お父さんも「これは俺の出番だ!」って大騒ぎして、今目暮警部と連絡取ってるのよ』

「……おじさんも? 参ったな。蘭姉ちゃん、今どこにいるの?」

『私は探偵事務所よ。でも、新一にも知らせてあげようと思って。……あ、そうだコナン君! 圭人にもよろしく伝えておいてね。パーティーの時は、お父さんの面倒を見てくれて助かりましたって』

「うん、分かった。伝えておくね。じゃあ!」

電話を切ると、コナンは深いため息をついた。

「……圭人。おっちゃんも動き出すみたいだ。俺達も、いつまでもここでじっとしてるわけにはいかねーな」

「分かってるよ。俺も、あの森谷の瞳に映っていた『歪み』の正体を突き止めたい。……博士、悪いけど森谷が最近関わっていた建築プロジェクトのリストを洗っておいてくれるかな?」

「任せなさい。ワシのネットワークで、彼の周りの怪しい動きを片っ端から調べてみるわい」

灰原はその様子を横目で見ながら、独り言のように呟いた。

「……完璧を求める心は、時に破壊衝動と紙一重。左右対称という呪縛に囚われた男が、次に何を『不完全』として排除するのか……。気をつけてね、工藤君、星野君。炎は、すべてを飲み込むまで止まらないわよ」

灰原がそういったとき、阿笠邸の居間に、電話のベルが鳴り響いた。工藤邸にかかってきた電話が、転送設定によってこちらで鳴っているのだ。

「おや、電話じゃ」

博士は手近な受話器を取った。

「はいはい、工藤邸……あ、いや、留守を預かっておる阿笠でございますが。……ほう、新一君に? 少々お待ちを」

博士は受話器の送話口を掌で押さえ、隣にいるコナンに小声で耳打ちした。

(新一君、工藤邸への電話は全部こっちに来るようになっとるからな。……ほれ)

コナンは頷き、首元の蝶ネクタイ型変声機のダイヤルを調整して受話器を受け取った。

〈はい、工藤です。……あ、博士から代わりました。どなたですか?〉

変声機を通した新一の声が響く。しかし、受話器から返ってきたのは、機械的に加工された不気味な声だった。

『……工藤新一。日本警察の救世主とまで呼ばれた名探偵の君に、面白いゲームを提案したくてね』

〈ゲームだと?〉

コナンの表情が瞬時に険しくなる。その変化を隣で見ていた圭人も、即座に身を乗り出した。キッチンから戻ってきた灰原も、冷ややかな視線を電話へと向ける。

「……ただのファンじゃなさそうね、工藤君」

灰原が小さく呟く。

『今から西多摩市の再開発に関わった建築物を、順番に爆破していく。最初のヒントをやる。……堤向公園だ。そこにあるラジコン飛行機に、プレゼントを仕掛けておいたよ。手遅れにならないうちに、回収したまえ』

低い笑い声を残し、電話は一方的に切れた。

「今の……まさか爆弾魔か!?」

圭人が鋭い声を上げる。コナンは受話器を置き、玄関へと走り出した。

「ああ、間違いねー。西多摩市の再開発……やっぱり森谷帝二が関わった建物が狙われてやがる! 圭人、堤向公園だ! 急ぐぞ!」

「分かった。博士、警察に連絡しといてくれ!」

圭人とコナンは阿笠邸を飛び出し、昼下がりの街を駆け抜けた。圭人はコナンのスケボーの速度に並んで疾走する。

 

 

 

 

 

 堤向公園に到着すると、そこには見慣れた顔ぶれがあった。元太、光彦、歩美の3人が、広場のベンチの近くで集まっている。

「あ、コナン君に圭人お兄さん!」

歩美が笑顔で手を振る。元太の手には、見たこともない大きなラジコンのリモコンが握られていた。

「見てくれよ! さっき知らないおじさんからこのラジコンのリモコン貰ったんだぜ。あっちの茂みに本体があったんだけどよ、すっげー速いんだ!」

元太が誇らしげに空を指差す。青空を切り裂くように、一機のラジコン飛行機が不気味な金属音を立てて旋回していた。

「……待て、それだ! 元太、今すぐそのリモコンを置いてそこから離れろ!」

コナンの怒鳴り声に、元太は呆然とする。

「え、ええ!? 何だよ、いきなり」

「いいから早く! 離れるんだ!」

圭人が割って入り、子供たちの体を抱えるようにしてラジコンの旋回軌道から遠ざけた。コナンは機体の動きを凝視し、機首のところに信管が仕込まれているのを見抜く。

(止める術はねぇ……なら、あっちまで飛ばすしかねー!)

ラジコンが高度を下げ、公園の中央へと突っ込んでくる。コナンはすぐさまベルトのボタンを押し、射出された特殊ゴムのボールを膨らませた。同時にキック力増強シューズのダイヤルを最大まで回し、放電する足元でボールを捉える。

「いっけえぇぇ!!」

コナンの渾身のキックが放たれた。凄まじい衝撃を伴って撃ち出されたボールは、急降下してきたラジコン飛行機を真っ向から捉え、そのまま遥か上空へと押し上げた。

ドォォォォォン!!

上空で凄まじい爆発音が響き、火の粉が昼の光の中に散った。

「な、なんだよ今の……」

「……爆弾……だったんですか?」

腰を抜かした元太と光彦、震える歩美を、圭人が静かに見守っていた。その視線は、爆破が起きた空の向こう、姿を見せない犯人の悪意へと向けられていた。

「……子供たちを巻き込むなんて。許されることじゃない」

圭人の拳が、怒りで強く握りしめられていた。

 

 

 

 

 堤向公園での爆発から間を置かず、阿笠邸の居間に再び不吉なベルの音が鳴り響いた。博士が震える手で受話器を取り、無言でコナンに差し出す。

〈……工藤だ。何のつもりだ〉

変声機を通した新一の低い声が室内に響く。

『工藤新一。……次は米花駅前広場だ。プレゼントを一つ置いておいたよ。急がないと、可愛い中身が消し飛ぶことになる。……ククク』

機械的な笑い声と共に通話が途切れると、コナンは険しい表情で立ち上がった。

「圭人、米花駅前だ! 急ぐぞ!」

「分かった!」

玄関へ走る二人を、灰原が鋭い眼差しで呼び止めた。

「待ちなさい。……相手はあなたの反応を楽しんでいるようね。江戸川君、深入りしすぎないことね。今のあなたは、少し周りが見えなくなっているわよ」

「分かってる……。けど、止まってらんねーんだよ!」

コナンは灰原の忠告を背に受け、圭人と共に阿笠邸を飛び出した。

 

 

 

 

 

 米花駅前、ファストフード店の2階。窓際から眼下の広場を俯瞰したコナンの目が、ベンチの下のケージを捉える。

「……いた。あそこだ!」

階段を駆け下りたコナンは、ケージを拾おうとしていた老婆に迷わず駆け寄った。

「お婆さん、借りるよ!」

ひったくるように確保したケージの中、デジタルタイマーは「45秒」を刻んでいた。

「圭人、こいつを川まで運ぶ! 先に行って道を空けてくれ!」

「あぁ、任せろ!」

コナンは近くの少年から自転車を借り、ケージを前カゴに入れて猛烈な勢いでペダルを漕ぎ出した。圭人が先行して通行人を退避させる中、コナンは必死にハンドルを握る。だがその途中、美しく装飾されたガス灯が並ぶエリアに差し掛かった瞬間、コナンの目が見開かれた。

(……!? タイマーが……止まった!?)

残り「30秒」を指したまま、デジタル表示が微動だにしない。理由は不明だが、チャンスには違いなかった。

「……今しかねぇ!」

コナンはさらにペダルを踏み込み、一気に距離を稼ごうとした。しかし、そのガス灯のエリアを抜けた瞬間、止まっていたタイマーが再び冷酷にカウントを再開した。

「クソっ、また動きやがった!!」

河川敷の土手の頂上。タイマーが残り数秒を告げる中、コナンは全速力の自転車から決死の覚悟でダイブした。無人の自転車はケージを乗せたまま斜面を滑り落ちていく。

「いっけえぇぇ!!」

ドォォォォォン!!

凄まじい爆発音が響き、至近距離での爆風を背に浴びたコナンは前方へと吹き飛ばされた。

「!!……イチッ!」

圭人が喉を潰さんばかりに叫び、転がり落ちる小さな体へと駆け寄る。コナンの体は土手の街路樹に頭部を激しく打ち付けていた。額から鮮血を流し、意識を失ったコナンの傍らで、圭人はその名を呼び続けた。

 

その様子を、少し離れた建物の陰で、眼鏡をかけた一人の男が静かに受話器を置いていた。

昴だ。彼は独自のルートで爆破予告を察知し、影から状況を把握していた。圭人がコナンを確保したのを見届け、静かにその場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

数時間後、米花共済病院の一室。

頭に包帯を巻いた姿でコナンが目を覚ますと、そこには圭人、灰原、博士、小五郎、そして元太、光彦、歩美の姿があった。

「……気がついたかしら、江戸川君」

灰原がベッドの横で安堵の吐息を漏らす。

「……ああ。灰原……」

「コナン君、大丈夫!?」

「心配したんだぞ!」

「コナン君、無茶しすぎですよ……」

探偵団の3人が口々に声をかける。その様子を後ろで見ていた圭人が、コナンの顔色を確認して口を開いた。

「コナン、顔色が戻ってきたな。……無茶しやがって、本当に肝が冷えたぞ」

「……圭人……兄ちゃん……」

「……礼なら後でいいさ。哀ちゃん、コナンが目を覚ましたし、俺達は一度戻ろう。博士、ここは頼むよ」

圭人が灰原を促しながら、博士に後を託した。

「あ、ああ。二人とも、後のことはワシに任せておきなさい。……コナン君、お前さんは今は何も考えず、ゆっくり休むんじゃぞ」

博士が優しくコナンの肩に手を置いた。灰原も小さく頷き、コナンを一度見つめてから静かに告げた。

「あまり無理はしないことね。……次は、私達が先に動くから」

圭人と灰原は事態を見届け、静かに病院を後にした。残された小五郎は、腕を組んだまま、険しい表情でコナンを見下ろした。

「おい、コナン!……新一に挑戦状が届いたのに、何でお前がこんな無茶な真似をしたんだ? 言ってみろ!」

「し……新一兄ちゃんは、今すごく忙しいから……代わりに僕にやってくれって……」

コナンの弱々しい嘘を聞いた瞬間、小五郎の拳がプルプルと震え始めた。

「あの野郎、こんな子供に爆弾の処理なんてさせやがって……! あの探偵小僧!今度会ったらタダじゃおかねぇ!!」

小五郎の怒号が病室に響く中、コナンは痛む頭を押さえながら、あの不自然に停止したタイマーとガス灯の光景を静かに反芻していた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告