ヒーローと探偵   作:タルマヨ

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歪んだ美学

 東都環状線の全車両が爆弾の感知範囲を脱した直後、夕闇が迫る線路沿いには、赤色灯を激しく明滅させた警察車両が波のように押し寄せていた。

「警部! 爆発物処理班、第5地点までの全爆弾を特定しました!」

指令室に響く白鳥の鋭い報告。モニターを凝視する目暮は、無線機を握りしめ、現場の隊員たちへ迷いのない指示を飛ばした。

「よし、直ちに解除作業に入れ! 日没まで残り時間はわずかだ。影が完全に線路を飲み込む前に、一秒でも早く無力化しろ! 私が全責任を負う、一発たりとも爆発させるな!」

現場では、高木のパトカーから降りた圭人と灰原が、バラストの間に潜む装置を見つめていた。防護服に身を包んだ処理班が、特殊な機材を用いて慎重に起爆装置を露出させていく。

「……あれが、歩美ちゃんたちを狙っていた爆弾……」

圭人が険しい表情で呟く。その隣で、灰原は冷徹な瞳を崩さぬまま、PCを閉じた。

「ええ。光センサーをビル影に反応させるなんて、周到というより、もはや狂気の沙汰ね。……でも、これでひとまず環状線の危機は去ったわ。子供たちも、ひとまずは安全よ」

隊員たちの精密な作業により、起爆装置の配線が次々と遮断されていく。最後の爆弾のタイマーが「00:00」を前にして沈黙したという報告が無線に入った瞬間、指令室と現場には、張り詰めていた糸が切れたような安堵の吐息が漏れた。

病室のベッドでその一報を聞いたコナンは、静かに息を吐き、枕元に置かれた眼鏡を手に取った。

「……ようやく、反撃の時間だな」

「新一君、無茶は承知の上だが……せめてワシの車で向かおう。もう毛利君たちは森谷教授の屋敷へ向かったようじゃぞ」

博士の言葉に、コナンは鋭い眼光を向けた。爆破された4軒の民家、そして今回狙われた環状線の橋。そのすべてに共通する「設計者」の名。コナンは博士の端末に表示された地図と建築データを見比べ、確信を深めていた。

「ああ。あの野郎の『美学』とやらを、完膚なきまでに叩き潰してやる。……行こう、博士!」

 

 

 

一方、環状線沿線。作戦を終えた高木が、圭人と灰原に駆け寄ってきた。

「圭人君、哀ちゃん! 爆弾はすべて無事だったよ。……さあ、現場はもう大丈夫だから、君たちはパトカーで安全な場所まで送り届けるよ。これから僕達は、重要参考人の森谷教授の屋敷へ向かわなきゃならないんだ」

高木が促すが、圭人はその場を動かず、真っ直ぐに高木を見据えた。

「……高木刑事。俺達だけ帰るなんて無理ですよ。爆弾の設置場所を絞り込む手伝いをしたのは哀ちゃんだし、この事件には俺達の仲間が巻き込まれてるんだ。最後まで見届けさせてください」

「えっ、いや、でも君たちはまだ学生だし、哀ちゃんは子供なんだから……危ないよ!」

「……的外れな心配ね」

灰原が高木を一瞥し、淡々と言葉を重ねる。

「私がいなければ、指令室とのデータ連携も滞るわ。それに、森谷教授の建築データと爆破地点の照合を続けているのは私よ。現場で直接確認が必要なことが出てきたら、どうするつもり?」

「それは……そうだけど……でも……」

「高木刑事、お願いします。俺が彼女を守りますから。……それに、目暮警部だって、真相を暴くためには一分一秒が惜しいはずだ」

圭人の気迫と、灰原の正論に挟まれた高木は、「うう……」と唸りながら頭を抱えた。

「わ、分かったよ……。ただし、絶対に僕のそばを離れないこと。目暮警部には僕から上手く言っておくからね!」

タジタジになった高木が降参するように手を挙げると、圭人は微かに口角を上げ、灰原と視線を交わした。

オレンジ色から深い藍色へと変わりゆく空の下、警察車両の列が、巨大なシンメトリーの館へと一斉に走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 西多摩市の郊外、深い緑の静寂を切り裂くように、数台の警察車両が完璧な左右対称を誇る森谷邸の門を潜った。夕闇が迫る中、その巨大な石造りの館は、一度パーティーで訪れた時とは異なり、冷徹な威圧感を放っている。

先頭のパトカーから目暮、白鳥、そして小五郎が降り立った。

「……またここに来ることになるとはな。胸糞悪いぜ」

小五郎が忌々しげにネクタイを締め直したその時、後続の車両からも次々と人影が降りる。

高木のパトカーからは圭人と灰原が。そして、独特のエンジン音を響かせて到着した黄色いビートルからは、阿笠博士に支えられるようにして、包帯を巻いたコナンが姿を現した。

「な、何ィ!? お前ら、なんでここにいるんだ!」

小五郎の怒声が響き渡る。目暮も驚愕の表情で、隣に立つ高木を振り返った。

「高木君! これはどういうことだね。何故子供たちまでここに!」

「あ、いや……それは……」

目暮に詰め寄られた高木が、タジタジになりながら言い淀む。すかさず、博士が小五郎をなだめるように手を振った。

「まあまあ目暮警部に毛利君、そう怒らんでくれ。新一君……あー、コナン君がどうしても真相を自分の目で見届けたいと言ってきかんでな。ワシが責任を持って連れてきたんじゃよ」

「責任だぁ? 博士、ここはガキの来る所じゃねえんですよ! 圭人も、お前たちまで何考えてやがる!」

小五郎は圭人を睨みつけ、その隣に立つ灰原をも「お前たち」と一括りに吐き捨てた。

「……おじさん、落ち着いて下さい。俺たちは邪魔はしないから」

コナンが殊更に子供らしい声を装って小五郎をいなすが、その瞳には鋭い光が宿っている。

「……的外れな心配ね」

「な、何ィ!?」

灰原が小五郎を一瞥し、冷淡に言い放った。

「私達がいなければ、ここにある建築データの精査も滞るわよ。そうでしょう、目暮警部?」

「う、うむ……。確かに、阿笠さんや君たちの協力には助けられたが……。しかし、森谷教授の身辺を洗う場に子供を立ち会わせるわけには……」

目暮が困惑しながらも、警察官としての正論を口にしたところで、重厚な玄関ホールから森谷帝二が姿を現した。

「おやおや、毛利さんに目暮警部。……それに、先日のお若い探偵さんや、可愛らしいお客様方もご一緒ですか。私の作品が壊された件で、何か進展でも?」

森谷は優雅に微笑み、英国製のパイプを燻らせながら一行を迎え入れた。その瞳の奥には、自らの罪を完全に隠し通せると信じている、傲慢なまでの冷徹さが渦巻いている。

「ええ、森谷教授。……少々お聞きしたいことがありましてな」

 

目暮の重々しい言葉を合図に、一行は応接間へと通された。

完璧なシンメトリーで構成された応接間。配置されたソファーも、壁に掛けられた絵画も、ミリ単位の狂いもなく左右対称に整えられている。そのあまりの徹底ぶりに、圭人はわずかな寒気を感じていた。

白鳥と高木が入り口付近を固め、小五郎が対面のソファーに座った森谷に対し、これまで起きた爆破事件の共通点――それらすべてが森谷の設計物であることを、叩きつけるように突きつけた。

「フム……。私の過去の作品が狙われたのは事実だ。だが目暮警部、それは私が『被害者』であるという証左ではないかね? なぜ私を犯人のように扱うのか、理解に苦しむよ」

森谷が平然と紅茶を口にし、優雅に脚を組む。その隙を突き、コナンはスッと気配を消した。

「……トイレ、行ってくるね」

「あ、コラ待て! ……ったく、あのガキは落ち着きがねえ」

小五郎の呆れ声を背に、コナンは迷うことなく廊下へ躍り出た。一度訪れているこの屋敷の構造は、既にコナンの頭の中に完璧にインプットされている。

 

 

 

応接間から漏れ聞こえる小五郎の怒声と森谷の冷ややかな反論を背後に聞きながら、コナンは音もなく廊下を駆けた。目指すは、この館の心臓部とも言える「建築展示ギャラリー」だ。

一度パーティーで訪れた際、森谷はこの部屋を「私の魂の遍歴」と称して自慢げに紹介していた。だが、今その扉の前に立つと、重厚なマホガニーの質感さえもが、真実を拒む拒絶の壁のように感じられた。

コナンは周囲を警戒しながら、ゆっくりとドアノブを回した。

「……っ」

扉が開いた瞬間、鼻を突いたのは古い紙とインク、そして微かな薬品の匂いだった。

カーテンの隙間から差し込む月光が、展示された数々の白い模型を青白く浮かび上がらせている。コナンはポケットから懐中電灯を取り出し、光の束を絞って床近くを照らした。

まずコナンの目を引いたのは、部屋の中央に鎮座する「西多摩市ニュータウン開発計画」の巨大な模型だった。

「……やっぱりこれか」

光を当てると、完璧な左右対称で構成された街並みが、ミニチュアとは思えない威圧感を持って迫ってくる。中央の広場から放射状に伸びる道路、鏡合わせのように配置された公共施設。

だが、その一部――市長の邸宅が建つはずだった区画だけが、不自然な空白となっていた。

コナンは懐中電灯を口に咥え、模型の土台にあるプレートを接写するように見つめる。

『西多摩市:調和と均衡の理想郷』

その文字を刻んだプレートは、どこか虚しく、そして呪わしく見えた。新一が解決した岡本市長の事件により、この「理想郷」は完成の一歩手前で永久に凍結されたのだ。森谷にとって、それは自らの魂に泥を塗られたも同然の屈辱だったに違いない。

コナンはさらに歩を進め、ギャラリーの壁際に並ぶポートフォリオを一枚ずつめくっていった。

そこには森谷が若かりし頃に手掛けた、いわば「習作」時代の設計図が収められていた。

「……ひでぇな、これ」

コナンの眉が深く寄せられる。

かつては斬新なデザインとして称賛されたはずの、左右非対称な初期の建築物たち。それらの図面は、持ち主の手によって執拗なまでに黒いインクで塗り潰されていた。紙の繊維が破れるほど強く、、何度も、何度も。

それは単なる否定ではない。自らの過去を、存在そのものを「悪」として断罪する、狂気じみた抹消の跡だった。

「非対称なものは美しくない……。だから、この世から消し去らなきゃならない……。そう考えて、あの人は自分の設計した家や橋を次々と爆破したのか……」

ゾッとするような思考に辿り着いたその時、コナンの靴がわずかに不自然な音を立てた。

床に敷かれた絨毯の端が、ほんの数ミリだけ浮いている。

コナンは膝をつき、絨毯をめくった。そこにあったのは、床板と同色に塗られた隠し蓋だった。

指をかけて引き上げると、そこには黒いアタッシュケースが収められていた。

「見つけたぜ……」

慎重にラッチを外すと、中から現れたのは、犯行現場で目撃されていた「男」の正体そのものだった。

使い込まれた付け髭。そして、度の入っていない黒縁の眼鏡。

新一に罪を擦り付け、自らを被害者の背後に隠すために用意された、卑劣な虚飾の残骸だ。

コナンは懐中電灯の光を反射させるその眼鏡を見つめ、不敵な笑みを浮かべた。

「……とんだシンメトリー狂いだな。だが、アンタの『完璧』も、ここまでだ」

コナンは予備として持っていた自分の眼鏡を取り出すと、森谷の変装用眼鏡と密かにすり替えた。

準備は整った。

あとは、この館の主人に、最もふさわしい「断罪」を突きつけるだけだ。

コナンは素早く隠し蓋を閉じ、懐中電灯を消した。暗闇の中、応接間へと戻るコナンの瞳には、冷たく燃える名探偵の光が宿っていた。

 

 

 

 

応接間には、静まり返った空気の中に森谷が吐き出す紫煙だけが揺れていた。目暮たちが確信を持って追い詰める中、森谷は「芸術家に冤罪を被せるとは、日本の警察も堕ちたものだ」と、不敵な態度を崩さない。

その沈黙を、圭人の手元で鳴り響く着信音が鋭く切り裂いた。

「イ……いや、工藤新一からです!」

「なにィ!?」

小五郎が椅子を蹴り上げ、目暮と白鳥が驚愕に目を見開く。圭人が落ち着いた動作でスピーカーを起動すると、凛とした少年の声が室内に満ちた。

『〈お久しぶりです、毛利探偵、目暮警部。……少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか〉』

「工藤君! 今どこにいるんだね!?」

目暮が叫ぶように問いかけるが、新一の声は淀みなく先を促す。

『〈……森谷教授。あなたの構築した完璧な論理の綻び、僕が全て繋ぎ合わせましたよ〉』

「お、おい工藤! 現場に居なかったお前が、何故そこまで確信を持って話してやがる!」

たまらず小五郎が怒鳴り散らして横槍を入れる。だが、新一はその声を完全に無視して、淡々とロジックを展開し始めた。

『〈教授、あなたの美学は『シンメトリー』……左右対称こそが絶対の美であるという信念だ。……ですが、世の中の全てがその通りに運ぶわけではありません。地形や予算、施主の要望によって、あなたは望まぬ『非対称』な設計を余儀なくされてきた。違いますか?〉』

小五郎は自分の問いが無視されたことに目を点にし、口を半開きにして呆然と立ち尽くした。

「……オーイ。無視すんなよ……」

「新一の言う通りだ」

圭人がその横で、鋭い眼差しを森谷に向ける。

「教授……あなたは西多摩市ニュータウンの計画中止によって、自身の『完璧』を汚された。だからその原因を作った新一を恨み、今回の爆破事件に引きずり出すことで、彼の名を汚そうとしたんだ」

『〈……さらに付け加えるなら、教授。あなたの美学は、あなた自身の首を絞めることになりました。……河川敷で自転車を走らせていた爆弾のタイマーが一時停止した理由。それは、あなたが自ら設計したあの街灯を壊したくなかったからだ。……そうでしょう?〉』

「フン……。状況証拠を並べたところで、物証がなければただの絵空事だ」

森谷が冷笑を浮かべた瞬間、部屋を抜け出していたコナンが、皆の前に一つの「証拠」を突きつけた。

「……これのこと? 」

コナンの手には、精巧な付け髭と、縁の太い眼鏡が握られていた。

「なっ……! なぜそれを……!」

森谷が初めて狼狽を見せる。コナンは不敵に笑い、さらに畳みかけた。

「これ、ギャラリーの棚の隠し蓋にあったよ。これって、変装道具だよね。……この眼鏡、度が入ってないし」

「……バカな! それは金庫に入れたはず……!」

口を滑らせた森谷が、ハッとして自分の口を押さえる。だが、時すでに遅かった。目暮が重々しく宣告する。

「……今、金庫と言いましたな、森谷教授」

森谷の顔から優雅な仮面が完全に剥がれ落ち、左右対称に整えられたその表情が、怒りと屈辱で醜く歪んでいく。

「……そうだ。私の完璧な芸術を、あんな下俗な市長や、若造の探偵に汚されてたまるか……!」

森谷が懐から一つのスイッチを取り出した。

「……この屋敷には爆弾が仕掛けてある。私と共に、灰になるがいい!」

狂ったようにスイッチを押し込む森谷。だが、爆発音は響かない。

「……無駄だよ。電池、抜いといたから」

コナンが手のひらの上で、二本の乾電池を転がして見せた。森谷はその場に力なく膝をついた。

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