ヒーローと探偵   作:タルマヨ

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ヒマワリ館の銃声(前編)


 毛利探偵事務所のソファには、西伊豆への出発を前にした面々が揃っていた。

「……よし、これで準備万端だ。蘭、圭人、コナン、忘れ物はねーな!」

小五郎が大きな鞄を叩き、威勢よく声を上げた。テーブルの上には、建築家・金沢柳一郎からのストーカー調査依頼書が置かれている。

「うん、バッチリだよ、おじさん!」

「私も大丈夫よ、お父さん」

コナンと蘭が応じ、同じく準備を終えていた圭人も小五郎に向き直った。

「はい。おじさん、俺も忘れ物はありません」

今日は出発前に、圭人が学校の課題で使う資料を借りに事務所を訪れており、その友人である千ヶ崎美桜も一緒に立ち寄っていたのだった。

すると、それまで静かに話を聞いていた美桜が、スッと立ち上がった。

「……毛利さん。私も、ご一緒させていただくことはできませんでしょうか」

「えっ、みーちゃんも!?」

蘭が驚き、目を丸くして美桜を見つめる。

小五郎は露骨に眉をひそめた。

「あぁ? 美桜ちゃん、遊びじゃねーんだぞ。相手はストーカーだ。何が起きるかわからねー現場に、女の子を連れていくわけにはいかねーよ」

だが、美桜は怯むことなく一歩前に出ると、その驚異的な観察眼を宿した瞳を輝かせ、小五郎の目の前まで顔を近づけた。

「ぜひ、毛利さんの推理を生で見てみたいんです! あの有名な眠りの小五郎さんの活躍を……この目で!」

「うぉっ、ち、近いぞ美桜ちゃん……」

小五郎は、美桜の気迫と熱烈な言葉に圧倒され、たじろぎながらも悪い気はしない様子で鼻の下を掻いた。

「……ったく。そこまで言われちゃ、名探偵の名が廃るってもんだ。分かったよ、足手まといになるんじゃねーぞ!」

「ありがとうございます、毛利さん。感謝いたします」

美桜は丁寧に一礼し、微かに瞳を和らげた。

「やったわね、みーちゃん! 楽しくなりそう!」

蘭が嬉しそうに美桜の手を握るのを横目に、コナンは頬杖をつきながら、半眼で呆れたような溜息を漏らした。

(オイオイ……。彼女まで来んのかよ。しかし……おっちゃんも、ああ言われると弱いよな……)

コナンは、依頼書に記された「12時間で1回転する屋敷」という奇妙なギミックに目を留めながら、静かに眼鏡を押し上げた。

 

 

 

 

「いいか、今回会うのは天才建築家の金沢柳一郎氏だ。上海現代美術館のコンペでも賞を獲ったお人なんだが、三ヶ月前から気味の悪い隠し撮り写真が送られてきてるらしい……」

車のハンドルを握りながら、小五郎が後部座席の面々に向けて今回の依頼について話し始めた。

「三ヶ月も……。それは怖いですね」

圭人が助手席で手元の資料に目を落としながら短く応じる。

「ああ、だが、天下の名探偵・毛利小五郎が来たからには安心だと、金沢氏にも伝えてある」

小五郎が鼻息荒く胸を張る横で、圭人は資料にある屋敷の図面に目を向けた。

「それにしても、十二時間で一回転する屋敷とは、一体どんな構造になってるんですか?」

「さあな。建築家の考えることは、俺ら凡人には分からねえよ」

小五郎が鼻を鳴らす。車が海岸線から山側へ折れ、急な坂道を登り切ったところで、後部座席の蘭と美桜が窓の外を指差した。

「見て、お父さん! あれじゃない?」

蘭が身を乗り出すようにして声を上げた。

一行の視線の先、断崖絶壁の縁に、夕闇の中で異彩を放つ奇妙な屋敷が姿を現した。

「……本当に、二階が回ってる」

 

 

 

車を降り、屋敷の前に立った蘭が驚きに声を弾ませた。

「……美しい、ですね」

美桜もその「ヒマワリ館」を見上げ、静かに目を細める。圭人は崖際で地面が不安定なことに気づき、二人が足元を滑らせないよう自然に誘導しながら屋敷へと向かった。

「すっげー! 本当に回ってるよ!」

コナンも子供らしい声を上げて、ゆっくりと回転する二階部分を見上げている。

一行がリビングへ通されると、そこには依頼人の金沢柳一郎と、冷ややかな視線を向ける妻の美津子が待っていた。

「待っていたぞ、毛利さん。ストーカーごとき、君のような有名人が来れば一捻りだろう」

金沢が尊大な態度で言い放つ。

「ははあ、お任せください!」

小五郎はかしこまった様子で頭を下げた。そのそばには、不機嫌そうな所員の林田と、控えめな笑みを浮かべる雨森が控えている。圭人が所員二人に丁寧に挨拶するのを横目に、美桜は隙のない所作で一礼した。

「せっかくだ、外でバーベキューでもしながら詳しい話をしよう。雨も六時半には上がったしな」

金沢が裏庭を指差した。

「そいつはいいですな!」

小五郎が快く賛成する。

「雨上がりで少し冷えますね。羽織るものがあった方がいいかもしれない」

圭人が気遣うように言うと、蘭と美桜は頷いて準備に戻る。

「では、僕が納屋から炭を持ってきますね」

雨森が愛想よく席を外そうとする中、コナンは一人、ぬかるんだ地面に付く自分の靴の泥を見ていた。

「ねえ圭人兄ちゃん、泥んこ遊びしたら怒られるかな?」

コナンがからかうような視線を向けてくる。

「コラ。そんなことしたら蘭に叱られるぞ」

圭人は呆れたように肩をすくめ、視線だけでコナンをたしなめた。

 

 

 

 

「君の食生活はだらしなすぎる。そんなことでは、いい設計など一生できんぞ!」

金沢柳一郎の鋭い叱責が、夜の裏庭に響いた。

「……申し訳ありません、先生」

事務所員の林田は、焼けた肉を皿に取る手も止め、俯いたまま絞り出すように答えた。十九時十分。バーベキューが始まって早々、宴の席は金沢による説教の場と化していた。

「あら、設計の品格? 毎日毎日、女の尻を追いかけている男がよく言うわね」

それまで黙ってグラスを傾けていた妻の美津子が、冷ややかな声を上げた。

「……なんだと? 客の前で余計なことを言うな!」

金沢が顔を真っ赤にして怒鳴る。

「事実でしょう? 毛利さん、ストーカー調査のついでに、この人の浮気の証拠もしっかり掴んでちょうだい。……あんな調査依頼書に書けないような汚い本性、全部ね」

美津子は小五郎をジロリと睨みつけ、さらに酒を煽った。

(まいったな……。ストーカー調査の裏で、奥さんから『夫の不貞を暴いてほしい』なんて内密に頼まれちゃいたが……。こりゃ、どっちも一筋縄じゃいかねーぞ)

小五郎は額の汗を拭い、板挟みの状況に冷や汗を流した。

「蘭、美桜さん。肉、焼けてるから。冷めないうちに食べて」

圭人は、夫婦の毒気が彼女たちに向かないよう、努めて穏やかな声で皿を差し出した。

「あ、ありがとう……」

「……いただきます」

蘭と美桜は、重苦しい空気に戸惑いながらも静かに箸を動かした。美桜はその完璧な礼節を保ちつつ、金沢夫妻の激しい愛憎を、その驚異的な観察眼でじっと見つめていた。

「……見てるだけで吐き気がするわ。私はもう寝るわよ」

十九時十五分。美津子は椅子に座ったまま、酔いと怒りに任せてガクリと首を落とし、不貞寝を始めた。

「……ビール、取ってきます」

十九時二十分。林田が金沢の視線から逃げるように屋敷内へ消えた。

「全く、気の利かない奴だ。雨森、炭はどうした?」

「あ、すみません。すぐに納屋から持ってきますね」

十九時二十五分。雨森もまた、愛想笑いを浮かべたまま夜の闇へと足早に向かっていった。

「ふん。どいつもこいつも無能な奴らだ。……俺は二階で中国語講座の録画を確認する。七時半からだからな。毛利さん、あとは勝手にやってくれ」

十九時二十九分。金沢は吐き捨てるように言い残すと、一人で二階の書斎へと戻っていった。

裏庭には小五郎、コナン、圭人、美桜、蘭、そして戻ってきた林田と雨森が残された。ゆっくりと回転する二階部分が、金沢のいる書斎を裏庭からの死角へと運び去っていく。

十九時三十五分。

――パーン!

夜の静寂を切り裂く、乾いた破裂音が響いた。

「ん、んん……? な、何?……」

美津子がその音に飛び起き、目をこすりながら辺りを見回した。

「……何の音だ?」

小五郎が箸を止め、立ち上がる。

「……二階からだ!」

コナンが即座に屋敷を見上げ、小五郎の叫びと共に全員が屋敷内へ駆け上がる。美津子も千鳥足ながら、顔色を変えて一行の後に続いた。

二階、金沢の書斎前。小五郎がノブを回すが、扉は内側から固く閉ざされている。

「金沢氏! 開けてください! 金沢氏!」

呼びかけても、中からの応答はない。

「先生! 金沢先生!」

雨森が血相を変えて叫ぶと、廊下に飾られていた装飾用の斧を手に取った。

「どいてください!」

凄まじい衝撃音と共に、雨森がドアを叩き割る。破壊された隙間から小五郎が手を差し込み、内側の鍵を開けて室内に踏み込んだ。

「……っ!」

テレビがついたままの室内。椅子に座ったまま、金沢柳一郎は絶命していた。その額には、一点の赤い穴が穿たれている。

「きゃあああああ!」

蘭が悲鳴を上げ、その場にへたり込んだ。

「……嘘。そんな、嫌っ……あなたっ!?」

美津子が夫の遺体に取り縋ろうとして、その場に崩れ落ちた。先ほどまでの憎まれ口は消え失せ、その瞳には信じられないものを見たという絶望が浮かんでいる。

遺体を目の当たりにした美桜は、息を呑んだまま石のように硬直した。あまりの光景に顔から血の気が引き、震える手で隣にいた圭人の背中を掴んで隠れる。

(……一発か。それも、この状況で……)

コナンは遺体の額と、その後方の壁に刻まれた弾痕を鋭く見つめ、静かに思考を走らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やあ、毛利さん。またお会いしましたな。しかし、まさかあなたが滞在されている先で、このような事件が起こるとは……」

パトカーの赤色灯が、ゆっくりと回転する屋敷の奇抜な外観を不気味に照らし出していた。静岡県警の横溝参悟は、書斎に一歩踏み入るなり、神妙な面持ちで小五郎に向き合った。

「うるせぇ! 好きで死体を見つけてるわけじゃねーよ!」

小五郎が忌々しそうに怒鳴り、ネクタイを乱暴に緩める。

「それより横溝警部。被害者はこの屋敷の主、金沢柳一郎氏だ」

「……ええ、存じております。有名な建築家ですからな。しかし、よりによって額を一撃とは……。毛利さん、状況を詳しく伺えますか?」

「ああ。実は金沢氏からストーカー被害の相談を受けて、今夜は俺達もここに泊まる予定だったんだ。……裏庭でバーベキューをしていた最中、十九時三十五分に二階から鋭い破裂音が聞こえてな。駆けつけたが、ドアは内側から施錠されていた。……あそこに転がってる斧で、所員の雨森さんがドアをブチ破って中に入ったんだ」

横溝は、無残に叩き割られたドアの破片と、施錠されたままの窓を鋭い目で見つめた。

「なるほど。つまり、完全な密室殺人……ということですな」

部下たちに現場検証を指示しながら、横溝は入り口付近に佇む面々に目を留めた。特に、蘭に寄り添われながらも、異様なほど静かな空気を纏った美桜の姿に足を止める。

「……毛利さん。あちらの美しい女性は、どなたですかな? 被害者のご親族で?」

「いいえ、警部さん」

蘭が美桜の肩をそっと抱き寄せ、紹介した。

「私の友人の、千ヶ崎美桜さんです。今回は一緒にこちらへ伺っていたんですけど……」

「千ヶ崎と申します。横溝警部、お騒がせしております」

美桜は、初めて目の当たりにした遺体の衝撃に指先を微かに震わせながらも、一切の乱れを見せず静かに一礼した。横溝はその凛とした気品に一瞬気圧され、居住まいを正した。

「は、はあ……。蘭さんのご友人でしたか。……では、あちらの青年は?」

「こっちは星野圭人。俺の助手のようなもんだ」

小五郎の紹介に、圭人は「星野です。よろしくお願いします、警部」と丁寧ながらも物怖じしない態度で会釈した。

「ああ、星野君ですか。……さて、現場の状況は……」

横溝が部下たちの報告に耳を傾け始めた隙に、蘭は美桜の手を優しく握りしめた。

「大丈夫、みーちゃん……。お父さんや圭人が、絶対犯人を捕まえてくれるから」

「……はい。ですが、蘭さん……。命というものは、これほど呆気なく消えてしまうものなのですね。それに……」

美桜は、震える指先で書斎の隅を指し、その場にいる者たちへ消え入りそうな声で漏らした。

「……皆様。この部屋、先ほど私が挨拶に伺った時と、家具の影の落ち方が少しだけ違う気がします。……計算が、合わないというか……」

美桜が不安げに零したその一言に、傍らにいた圭人とコナンが同時に反応した。

「……計算?」

圭人が少し眉を上げて問い返すと、美桜は困惑したように目を伏せた。

「はい。光源である窓の位置に対して、ほんの数度ほど影が狂っているように見えます。……私の勘違いでしたら、申し訳ありません」

(……数度!?)

コナンは驚愕して美桜を見上げた。(すげぇな、彼女……。影の角度だけで、そんな微細なズレを見抜いたのか……?)

圭人もまた、彼女の異常なまでの観察眼に背筋が震えるような感覚を覚えたが、すぐにコナンの方へ顔を向け、周囲に聞こえないよう小声で言葉を投げた。

「……聞いたか? 彼女が言ったことが本当なら、犯行時刻、この部屋は物理的に『別の場所』を向いていたことになるぞ」

「ああ。それに、妙なことがもう一つある」

圭人が遺体の足元を鋭い目で見つめる。

「……薬莢だよ。自動拳銃なら排出されるはずの薬莢が、どこにも見当たらないんだ。犯人がわざわざ拾い集めたにしては、現場が綺麗すぎると思わない?」

二人が現場の不自然さに確信を深めようとしたその時、背後で横溝の驚愕した声が響いた。

「何だと!? 弾丸は見つかったのに、薬莢がどこにも落ちていないというのか!?」

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