ヒーローと探偵   作:タルマヨ

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ヒマワリ館の銃声(後編)

 横溝警部が、屋敷の所員である雨森に鋭い視線を向けていた。

「雨森さん。この屋敷の回転システム、外部から操作される可能性はありませんか?」

「いえ、それは考えにくいですな。一時間ごとに十五度ずつ自動で回るようプログラムされていますが、管理権限は先生と、システムを組んだ林田さん、それと私だけです。手動操作のログも残りますが、先ほど確認した限り、十九時三十五分前後に異常はありませんでした」

雨森の説明を聞きながら、小五郎も「ふむ……となると、やはりプログラム通りに動いていたわけか」と腕を組んで唸っている。

その傍らで、圭人は目立たないようにコナンへと歩み寄った。

「……イチ、どう思う。雨森さんの言う通りなら、システムに細工はされてないってことになるけど」

「……いや、何かあるはずだ。彼女があれだけはっきりと言い切ったんだ、見間違いなわけがねーよ」

コナンはそう言って、蘭の隣で静かに佇んでいる美桜を見つめた。

「ねぇ、美桜姉ちゃん。さっき言ってた影のズレのこと、もう一度詳しく教えてくれない?」

「はい、江戸川さん」

美桜は静かに頷き、淀みのない声でコナンに答えた。

「あちらのサイドボードの影ですが、床の寄木細工の模様に対して、本来重なるはずのない位置に落ちています。……私の計算に間違いがなければ、この部屋は今、プログラム上の定位置から『1.2度』ほど、余計に回っています」

(……1.2度か)

圭人は隣でその数字を聞き、眉を寄せた。

「……イチ。時速十五度なら、一分間に零点二五度。1.2度ってことは、だいたい五分弱のズレか?」

「ああ。そのわずかなズレが、この密室を解く鍵なんだよ。……あったぞ圭人! 見てくれ!」

書斎の現場へ戻り、床の隅を調べていたコナンが、絨毯の陰に隠れた小さな「穴」を指し示した。

「……穴? これ、ダクトに繋がってるのか?」

圭人が尋ねると、コナンは不敵な笑みを浮かべた。

「そうさ! この屋敷が特定の角度……本来より余計に回った位置にきた時だけ、この穴が下の階のゴミ捨て場に繋がるダクトの真上にくるようになってるんだ。犯人は、銃を撃った後に薬莢をこの穴に放り込んだんだよ。そうすれば、密室の中に証拠を残さずに済むからな!」

コナンの推理を目の当たりにし、圭人は深く感心したように頷いた。

「へぇ……。流石だな。彼女がズレを正確に数値化してくれたおかげで、一気に繋がったな」

「ああ。俺も違和感はあったが、あの短時間で『1.2度』なんて正確な数字を出されたら、確信に変わるぜ。……全く、大した観察眼だよ」

コナンはそう言って、リビングで事情聴取を受けている容疑者たちに鋭い視線を投げた。

「警部! 庭の柵の近くに、不審な遺留品を発見しました!」

鑑識員の声に、横溝が「よし、外部の犯行の証拠か!」と色めき立つ。

だが、コナンは冷めた目でその様子を一瞥した。

「……仕掛けは解けた。あとは、さっき聞いたあの『泥』の話で、犯人の足元をすくってやるだけだぜ」

「……了解だ。俺も、お前の推理を邪魔しないように立ち回るよ」

圭人はコナンの意図を察し、信頼を込めた視線を送った。

 

 

 

 

「よし、外部の犯行で間違いなさそうですな! 鑑識にこの遺留品を徹底的に調べさせますぞ!」

庭で見つかったライフルを手に、横溝が鼻息を荒くする。小五郎も「うむ、金沢先生を付け狙っていたストーカーの線が濃厚ですな」と、したり顔で頷いていた。三ヶ月前から毎週のように送りつけられていた隠し撮り写真によって、現場には「見えないストーカー」という虚像が完璧に作り上げられていた。

(……やれやれ、このままじゃ迷宮入りだぜ)

邸宅の隅でコナンは小さく息をつき、隣に立つ圭人へ視線を送った。圭人は壁際で静かに状況を見守っている。その隙に、コナンは腕時計型麻酔銃を放った。首筋に命中し、小五郎はフラフラと後退しながら、背後の椅子へと沈み込んだ。

「お! 毛利さん! 真相が見えたんですな!?」

横溝の叫び声が響く。だが、傍らにいた美桜だけは、瞬きもせずその驚異的な観察眼を小五郎へと注いでいた。

〈ええ、警部……。犯人は三ヶ月も前からストーカーを装い、我々の目を外へと向けさせていたんですよ。……だが、詰めが甘かった。圭人、そのライフルの引き金と、釣り糸をよく見せてくれ〉

「……警部、泥が付着しています」

圭人が物静かに、手袋をした手で証拠を指し示した。

〈ライフルが濡れていたということは、マツの木に仕掛けられたのは雨が降る前だ。当然、糸や引き金の泥は雨で綺麗に流されているはず……。だが、そこに泥が付いているということは、雨が降った後に誰かが細工をした証拠だ!〉

「な、何ですと!?」

〈十九時二十五分。炭を取りに行くと言って席を立った人物は、あらかじめ土を被せて隠しておいた釣り糸を引き上げ、トリックを完成させた。竿として使った新聞紙をバラして炭を包み、何食わぬ顔で戻ってきた……。釣り糸を張っていられる時間はわずか十分。その間に席を外したあなた以外に、犯人は考えられない……! そうでしょう、雨森さん?〉

不意に名を指名され、それまで協力的に振る舞っていた男の肩が、激しく震えた。

「ば、馬鹿を言うな! 証拠があるのか! 角度の計算もなしに、外から狙い通りに撃てるはずがないだろう!」

〈ええ、ありますよ。……彼女(美桜)は、確かに見ていた。システム上の定位置から、わずか『1.2度』だけ余計に回った邸宅の角度をね。あなたが装置室のギヤを手動で操作し、その刹那の射線を作り出したことを!〉

「1.2度……だと……?」

雨森の顔から、一気に血の気が引いた。自身の完璧な計算が、少女の「ただ見たまま」の指摘によって崩れ去った事実に、彼は言葉を失う。

〈往生際が悪いですな。……上海現代美術館の国際コンペで賞を獲ったあのデザイン。本当は、あなたのものだったのではないですか?〉

小五郎の静かな指摘が、雨森の中で張り詰めていた糸を断ち切った。雨森は天を仰ぎ、邸宅の静寂を切り裂くような、乾いた狂気的な笑い声を響かせた。

「……ハハ、ハハハ! そうだ……その通りだよ! あいつが……金沢が、私の魂を盗んだんだ!」

雨森は膝をつき、拳で床を叩きながら絶叫した。

「上海のコンペで賞を獲った私のデザインを、あいつは自分の手柄のように発表しやがった! 私が心血を注ぎ、辿り着いた極致を、あいつは土足で踏みにじったんだ! 直接問い詰めても、あいつは鼻で笑ってこう言い放ちやがった……。『建築業を続けたいなら、余計な口は慎んで私の犬になれ』となあ!」

雨森の声は、もはや慟哭に近いものとなっていた。

「盗っ人の分際で、私を脅し、踏みにじり、私の美学を汚し続けたあいつを……! 生かしておけるはずがないだろう! 私の命よりも大事な誇りを、あんな男に握らせてたまるか……っ!」

邸宅に雨森の激しい呼吸と、啜り泣くような声が響き渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぁ〜あ……。まあ、俺の名推理のおかげで、この難事件も無事に解決というわけだな!」

雨上がりの金沢の夜。小五郎は満足げに欠伸を噛み殺しながら、レンタカーの運転席に腰を下ろした。助手席にはコナンが座り、後部座席には蘭、美桜、そして圭人の三人が並んで収まっている。

車内は、事件の熱が引いた後のしっとりとした空気に包まれていた。小五郎がエンジンをかけると、静かなアイドリング音が夜の静寂に溶け込んでいく。

「みーちゃん、本当にあんな一瞬で角度の違いに気づくなんてびっくりしちゃった。ずっとみんなと一緒にいたのに、よく見てたんだね」

隣に座る美桜に向き直り、蘭が感嘆の声を上げる。同じ高校の友人として、その瞳には純粋な尊敬の色が浮かんでいた。美桜は徹底した礼節を保ったまま、静かに蘭へと向き直る。

「お気遣い、痛み入ります。蘭さん。……私はただ、静謐が乱れたことに、違和感を覚えただけですから」

淀みなく、どこまでも落ち着いたその声に、隣の圭人と助手席のコナンは静かに耳を傾けていた。同じ高校の隣のクラスでありながら、どこか超越した雰囲気を持つ彼女の横顔を、圭人は同級生としての距離から改めて見つめる。

「……星野さん、どうかされましたか?」

「いや、何でもないよ。……ただ、君のような観察眼を持つ人が同じ学校にいるのは、心強いと思ってね」

圭人の言葉に、美桜は感情の起伏を見せないまま、納得したように微かに目を和らげた。

「フフッ。昔から観察眼だけは自信があるんです」

 

やがて車は、美桜の滞在先へと到着した。車を降りた彼女は、開いた窓越しに車内の一行へ向かって深く、丁寧な一礼をする。

「毛利さん、蘭さん、江戸川さん、星野さん。本日は、ありがとうございました」

一人一人の名を、彼女なりの規則性を持って呼び上げると、美桜は最後に一度だけ薄く微笑み、静かな足取りで闇の中へと消えていった。

「……随分不思議な娘だなぁ……」

車を出しながら、小五郎が独り言のように漏らし、コナンは静かに窓の外を流れる金沢の夜景を見上げていた。

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