ヒーローと探偵 作:タルマヨ
とある日のJKカルテット
休日の陽光が穏やかに降り注ぐ米花町。園子が数週間前から予約していたという英国風カフェ『ティー・ガーデン』のテラス席では、蘭、園子、世良、美桜の四人がアフタヌーンティーを楽しんでいた。
「もう、新一君ったら相変わらずよね。蘭を放ったらかして、今度はどこの事件に首突っ込んでるのかしら。少しは京極さんを見習ってほしいわ!」
園子が呆れたようにスコーンを割りながらぼやくと、蘭は困ったような、それでいてどこか愛おしそうな苦笑いを浮かべて紅茶を啜る。
「あはは……。でも、事件が解決したら、今度こそゆっくり会えるって電話で言ってたし」
「出たわね、その『今度こそ』! 蘭、あんた本当に甘いんだから」
園子が唇を尖らせて茶化すと、世良が楽しそうに笑いながら会話に加わった。
「まあ、工藤君の推理への執着心は、以前会った時も相当なものだと感じたよ。一度スイッチが入ると、周りが見えなくなるタイプなんだろうね。……それは、コナン君も同じだけど」
世良はそう言って、どこか遠くを見つめる。その瞳には、単なる子供を見るのとは違う、探偵としての鋭い光が宿っていた。
「そういえば、星野君も最近、何だか妙に忙しそうに動き回っているみたいだね。放課後に何度か見かけたけど、いつも何か考え事をしているような顔をしていてさ」
世良がふと話題を振ると、それまで静かに三人の会話に耳を傾けていた美桜の瞳が、僅かに輝きを増した。美桜は背筋を正したまま、徹底した礼節を持って言葉を紡ぐ。
「星野さんのことでしたら……はい、私もお見かけいたしました」
美桜は三人の話を一言一句漏らさず記憶しており、それを反芻するように、かつ好奇心を隠しきれない瞳で語り始める。
「先週の火曜日、放課後の廊下です。星野さんはいつもより三度ほど深く眉間に皺を寄せていらっしゃいました。左手に持っていた資料の束は厚さ二センチほどで、表紙の右端がわずかに折れていました」
美桜の口から語られる情報は、あまりに具体的で精緻だった。彼女にとっては、数日前の光景も今さっき見た写真のように鮮明なのだ。好意を寄せる相手や友人たちの細かな変化を振り返り、美桜は納得したように目を和らげると、薄く、穏やかな微笑みを浮かべる。
「皆さんが大切に思っていらっしゃる方々が、それぞれの使命に邁進されている様子……。お話を聞いているだけで、とても心が温かくなりますね」
「相変わらず、みーちゃんの観察眼は恐ろしいわね。そこまで見てるなんて、私なんてお菓子のことしか考えてなかったわよ」
園子が感心したように肩をすくめると、蘭も優しく微笑む。
「本当。みーちゃんと話してると、新一やコナン君の知らない一面を知れる気がして、なんだか嬉しい」
「それはボクも同感だよ。美桜君の記憶は、時として僕ら探偵の推理よりも真実を突くことがあるからね」
世良がそう言って美桜に笑いかけると、美桜は恐縮したように静かに一礼した。
四人の間には、休日らしい穏やかで賑やかな時間が流れ、カフェの庭園に咲く花々の香りが風に乗って運ばれてきた。
カフェを出た四人は、春の柔らかな風に吹かれながら米花町の商店街を歩いていた。
「あ、見て蘭! あのショップの新作、蘭に絶対似合うと思うわよ!」
「本当だ、可愛い。でも園子、今日はアンティークショップに行く予定でしょ?」
「そうだったわ! ほら、世良ちゃんもみーちゃんも、こっちよ!」
園子が軽快に先頭を切り、蘭がそれに続く。世良はポケットに手を突っ込み、周囲の様子を窺いながら楽しげに歩を進めていた。
「園子君、蘭君。ボクも掘り出し物には興味があるからね。美桜君はどうだい? 英国風の小物は君の雰囲気に合いそうだけど」
世良が隣を歩く美桜に視線を向けると、美桜は一歩引いた礼節を保ちながら、微かに目を和らげた。
「はい。私も、古い歴史の重みを感じる品物は、とても好ましく思います」
やがて一行は、レンガ造りの外観が特徴的なアンティークショップ『オールド・ベル』の前に到着した。園子が「ここよ!」と扉に手をかけようとした、その瞬間。
美桜がピタリと足を止めた。
その瞳は、いつもの穏やかな光とは異なる、鋭く深い色を帯びている。美桜は瞬きを忘れ、一点を見つめていた。そのただならぬ様子に、先に進もうとしていた三人も足を止める。
「……? どうしたんだい、美桜君。何か気になるものでもあるのかい?」
世良が美桜の顔を覗き込むようにして問いかける。美桜は静かに、しかし確信に満ちた声で言葉を紡いだ。
「あそこの扉の真鍮の取っ手ですが……。十日前、私がここを通った時にあったはずの、右側から十五ミリほどの位置にある僅かな擦り傷が、完全に消えています。代わりに、以前よりも三トーンほど、磨き上げられたような明るい光沢があります」
「え? 掃除でもしたんじゃないの? アンティークショップだし、磨くくらいするでしょ」
園子が不思議そうに首を傾げるが、美桜の観察は止まらない。視線は、ショーウィンドウ越しに背を向けて作業をしている店主へと固定されている。
「いえ、それだけではありません。あの方、十日前にお見かけした店主の方よりも、歩幅が正確に五センチほど広くなっています。さらに、先ほど時計を直そうとされた際の手の動き……以前の方は、肘を十五度ほど外に逃がす癖がありましたが、あの方は肘を完全に固定されています。呼吸の周期も、以前の方よりわずかに早いです」
美桜の口から淡々と語られるのは、推理ではない。彼女の脳内に完璧に保存された「過去」と、今目の前にある「現実」を重ね合わせ、そのズレを冷徹に指摘する、機械的なまでの比較結果だった。
「……待てよ。それってつまり、店主が『別人』に入れ替わってるってことかい?」
世良が声を低くする。蘭も「ええっ、そんな……。でも、顔が似てるとかじゃなくて?」と戸惑いを見せるが、美桜は首を横に振った。
「骨格の動きそのものが違います。あの方は、店主の方の『動作の癖』を記憶していません。……そして、あの取っ手も、傷を消したのではなく、扉ごと、あるいは取っ手ごと新しいものに交換されています。わざわざそんなことをする必要があるのは、以前の取っ手に、残されては困る『何か』があったからではないでしょうか」
美桜の言葉には、妄想や推測を排した、事実の積み重ねによる圧倒的な説得力があった。世良の表情から、一瞬で遊びの気配が消えた。その瞳に、獲物を狙う探偵の鋭い光が宿る。
「…………。なるほど。美桜君のその『記憶』、信じても良さそうだね。どうやら、園子君が目をつけてたこの店は、今、とんでもなく『熱い』場所になってるみたいだ」
世良は帽子のつばを指で軽く跳ね上げ、不敵な笑みを浮かべて扉の奥を見据えた。
「……まあ、せっかくここまで来たんだ。中を覗いていこうじゃないか」
世良が不敵な笑みを浮かべて扉に手をかける。蘭と園子は美桜が指摘した違和感に緊張を走らせながらも、真純の意図を汲んで顔を見合わせた。
「そうね。アンティークの小物、私も見たかったし!」
「……ええ。お父さんの好きそうな古い時計もあるかもしれないわ」
二人が明るい声を出しながら、普通の客を装って店内に足を踏み入れる。美桜もそれに続き、徹底した礼節を保ちながら店内の隅に視線を走らせた。
カラン、とドアベルが乾いた音を立てる。
店内は薄暗く、所狭しと並べられた古時計が、独特の沈黙を刻んでいた。カウンターの奥では、眼鏡をかけた初老の男が、ピンセットを手に機械時計を弄っている。
「いらっしゃい。何かお探しかな?」
店主が顔を上げずに声をかける。真純がカウンターに歩み寄り、何気ない風を装って店主に問いかけた。
「ええ。以前この店の入り口にある真鍮の取っ手が素敵だと思ってね。今日はそれをボクの友人達にも見せようと思ったんだけど……なんだか、新しくなっちゃったみたいだね?」
世良が美桜から得た情報を武器に、真っ向から揺さぶりをかける。店主は手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
「ああ……よく気づかれましたね。古くなってガタがきていたので、数日前に新調したんですよ」
店主は柔和な笑みを浮かべる。しかし、美桜はその言葉を聞きながら、店主の「反応」を冷静に記録していた。
店主の視線が真純の質問に対してわずかに右下へ逃げ、机の下で握られた左手の拳が白くなっている。美桜は真純の斜め後ろで、彼女と視線を合わせた。言葉は発しない。ただ、美桜が微かに目を和らげるのをやめ、真顔で一点を見つめる。それが「異常あり」のサインだった。
「へえ、そうなんだ。でも、掃除の仕方も変えたのかい? 前の店主さんはもっと隅々まで磨き上げるのが癖だったようだけど、あの棚の隅、少し埃が溜まっているみたいだね」
世良の鋭い追求に、店主の呼吸が一瞬だけ止まった。
「……今日は少し、手が回っていなくてね。お嬢さん方も、あまり店内をジロジロ見られると困るんだが」
店主の口調がわずかに険を帯びる。その時、世良がピタリと動きを止めた。
店内の静寂を縫うように、チクタクという時計の音に混じって、床下から微かな、規則的な異音が聞こえてくる。
「……? 今、何か聞こえなかった?」
蘭が不安そうに店内の床を見渡す。園子も「えっ、何? 幽霊?」と世良の背後に隠れた。
世良はその音のした方向――カウンター奥の重厚な絨毯が敷かれた床――を鋭く見据える。
「いや、園子君。幽霊じゃなさそうだ。……美桜君。君の記憶では、この店の地下に倉庫や入り口はあったかい?」
世良の問いに、美桜は淀みなく答えた。
「十日前、店の搬入口側に『地下室あり』と書かれた避難経路図が貼ってありました。ですが……今、あそこの壁には別の絵画が掛けられています」
「なるほどね。……店主さん、ちょっとその下、見せてもらってもいいかな?」
世良が帽子を深く被り直し、確信に満ちた足取りでカウンターの内側へと一歩踏み込んだ。
「な、何を言っているんだ。そこはただの私室だ、客が入る場所じゃない……!」
店主を名乗る男の声が明らかに上ずった。真純がカウンターの内側へ一歩踏み込むと、男は咄嗟に身を引く。その挙動そのものが、美桜が指摘した「本来の店主」とは異なる反応であることを、世良は確信していた。
「みーちゃんが言った避難経路図、本当に隠されてるみたい。あの絵画だけ、不自然に浮いてるもの」
蘭が鋭く指摘すると、園子も真純の隣で援護するように声を張り上げた。
「そうよ! 隠し事がないなら見せなさいよ。それとも、世良ちゃんに調べられたら困るようなことでもあるのかしら?」
「し、しつこいお嬢さん方だ。警察を呼ぶぞ!」
男が手を伸ばして電話を掴もうとした瞬間、美桜が静かに口を開いた。
「無駄ですよ。その電話線は十秒前、あちらの棚の陰で断線していることを確認しました。……そして、そのお顔の左側、耳の裏の皮膚がわずかに浮いています。真純さん、あの方は……」
「ああ、分かってるよ美桜君!」
世良が電光石火の速さで男の腕を掴み、その背後へと回り込む。
「ただの変装にしては出来がいいと思ったけど……美桜君の記憶力と、蘭君たちの観察眼を甘く見すぎたね!」
世良が男の耳裏に手をかけ、一気に引き剥がす。現れたのは、初老の店主とは似ても似つかない、鋭い眼光を持つ若い男の素顔だった。
「チッ、ガキどもが……!」
正体を暴かれた男は、懐からナイフを取り出し、最も近くにいた園子へと向けた。
「園子!」
蘭の叫びが響く。だが、男が動くよりも早く、美桜がその「筋肉の予備動作」を完璧に捉えていた。
「……右、十五度」
美桜の短い、しかし的確な助言が飛ぶ。世良はその言葉を信じ、男が踏み込む前にその軸足を払い、流れるような動作でナイフを叩き落とした。
「させるかよ!」
よろめいた男の胸元に、蘭の鋭い上段蹴りが突き刺さる。
「ぐはっ……!」
壁際の棚に叩きつけられた男は、そのまま崩れ落ちた。間髪入れずに真純がその腕を捻り上げ、床に押さえつける。
「園子君、今のうちに警察へ連絡を! 蘭君、美桜君、地下の入り口を探してくれ。本物の店主さんがそこにいるはずだ!」
「了解!」
「分かりました、真純さん。……あそこの絨毯の厚みが、右側だけ三ミリほど低くなっています。そこが隠し扉の支点です」
美桜の誘導に従い、蘭が迷いなく絨毯を剥ぎ取ると、そこには頑丈な地下への木扉が隠されていた。
数分後、園子の迅速な通報により警察が駆けつけ、地下から無事に救出された店主と店員。
夕暮れに染まり始めた商店街で、四人はようやく安堵の息を漏らした。
「はぁ……。せっかくの休日が、とんだ大事件になっちゃったわね」
園子が肩をすくめると、蘭が優しく微笑む。
「でも、みんなが無事でよかったよ!みーちゃんの記憶力のおかげね、ありがとう!」
「いいえ、私はただの比較をしたまでです!それより、蘭さんや園子さん、そして真純さんの勇気ある行動、とても感銘を受けました!」
美桜はその瞳を和らげ、本当に嬉しそうに微笑んだ。