ヒーローと探偵   作:タルマヨ

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黒と銀の包囲網編
糸のないマリオネット(前編)


 都内にある巨大なイベントホール。今日はここで『ミス・ジャパネスク』全国最終選考会が行われる。ロビーには華やかなドレスやスーツに身を包んだ業界関係者が溢れ、至る所でフラッシュが焚かれていた。

「蘭、コナン。待たせてごめんね」

圭人が、隣に立つ美桜を伴って、先に待っていた二人の元へ歩み寄る。圭人は仕立ての良いダークグレーのスーツをスマートに着こなし、その隣の美桜は、艶やかな黒髪を整った姫カットに切り揃え、深い紺色の落ち着いたドレスを身に纏っていた。

「あ、圭人。ううん、私達も今来たところよ」

「圭人兄ちゃん、美桜姉ちゃん、こんにちは!」

淡いピンクのパーティードレスで着飾った蘭が明るく応じ、コナンも子供らしい笑顔で二人を見上げた。コナンは、青いジャケットに白いシャツ、そして首元にはトレードマークである真っ赤な蝶ネクタイを締めた、彼にとっての「正装」スタイルだ。

美桜は一歩引いた位置で足を止め、姫カットのサイドを揺らしながら、丁寧な所作で深く一礼する。

「星野さん、蘭さん、江戸川さん。本日もご一緒できて光栄です」

美桜は顔を上げると、蘭の持っている小ぶりなバッグに視線を落とした。

「蘭さん、今日は少しお荷物が少ないようですが……。お父様はご一緒ではないのですか?」

「あ、よくわかったわね、みーちゃん。そうなの、お父さんたら……」

圭人が周囲を見回しながら言葉を継ぐ。

「そういえば、おじさんは? 今日は園子の招待なんでしょ?」

蘭は困ったように眉を下げて溜息をついた。

「それがね……。家を出る直前に、お父さんたら階段で派手に足を滑らせて、思いっきり捻挫しちゃったのよ。今は家で湿布を貼って寝てるわ」

「またかよ……。あのおじさん、相変わらずおっちょこちょいだな……」

圭人は内心で(大事な時に何やってんだか)と呆れつつ、苦笑いを浮かべた。それを聞いたコナンも、心の中で(相変わらずだな、あのおっちゃん……)と呆れ顔で応じる。

「あら。小五郎さんほどの御方でも、そのようなことがおありなのですね。少し意外です」

美桜が微かに目を和らげて微笑むと、そこへ賑やかな声が響いた。

「おーい! 蘭、圭人君、みーちゃん!」

特別審査員のタグを首から下げ、背中が大きく開いた大胆なパーティードレスに身を包んだ園子が、人混みをかき分けてやってきた。

「こっちこっち! 最高の席を用意してるんだから!」

「園子、今日は一段と張り切ってるわね」

「当然でしょ! 今回の大会は、この鈴木園子様が特別審査員としてガッツリ関わってるんだから! 演出もセキュリティも、この私が太鼓判を押す完璧な布陣よ」

園子は腰に手を当てて高笑いし、上機嫌に一行を促す。

「へぇ、園子姉ちゃんが審査員なんだ。なんだか凄いね」

「でしょー? 眼鏡のガキンチョには、この美の祭典の奥深さはまだ早いかもしれないけどね!」

園子はコナンの頭を軽く小突くと、美桜の方を向いてニカッと笑った。

「みーちゃんも、今日は存分に楽しんでいってよね。鈴木財閥がバックアップしてるんだから、食べ物も豪華よ!」

「お気遣い、ありがとうございます、園子さん。先ほど入り口で見かけたお料理の準備も、素晴らしい手際でした。さすが園子さんが関わっていらっしゃるだけありますね」

「あら、みーちゃん。見てるところが渋いわねぇ! 嬉しいこと言ってくれるじゃない!」

美桜のさりげない観察眼に基づいた言葉に、園子はますます上機嫌になる。

「さあ、まずは一般客が入れないバックステージの方を案内してあげるわ! 蘭、圭人君、ついてきて!」

一行は園子の案内でホールの奥へと進んでいく。美桜は表情を変えず、ただ静かに、慌ただしく立ち働くスタッフたちの動きを視界に収めていた。

 

その時、舞台袖へと続く通路で、激しい怒鳴り声が響いた。

「――技術さえあればいいと思っているのか! 私は芸術を冒涜するような輩は認めんと言っているんだ!」

声の主は、白髪混じりの眼鏡をかけた男――藤田教授だった。彼は大会スタッフを突き放すようにして、憤慨した様子でその場を去っていく。

一瞬にして現場の空気が凍りついた。コナンと圭人は反射的に顔を見合わせ、立ち去る藤田の背中に鋭い視線を向けた。

 

藤田教授が憤慨して去った後の通路には、形容しがたい重苦しい沈黙が流れていた。

「……なんだか、大変そうね」

蘭が少し身を縮めるようにして呟くと、案内役の園子が肩をすくめた。

「あのおじ様、藤田教授はあーゆー性格なのよ。音楽学部では超がつくほど厳格で有名なんだから。でも、あそこまで声を荒らげるなんて、よっぽど気に食わない演奏だったのかしら」

一行が通路を進もうとすると、前方から慌ただしく機材を運ぶスタッフたちの間を縫って、一人の男が近づいてきた。使い込まれたインカムを首にかけ、ひどく疲れた顔をした舞台監督の天野だ。

「あ、園子様。……すみません、今はリハーサルの調整で手が離せなくて。足元にケーブルがあるので気をつけてください」

天野は、園子が鈴木財閥の令嬢だと知っているためか、丁寧だがどこか焦燥感を滲ませた口調でそう告げると、すぐに音響ブースの方へ去っていった。その背中を見送りながら、圭人が小さく呟く。

「舞台監督さんも楽じゃないな。相当ピリピリしてる」

「無理もないわよ。何しろ今日は日本中の注目が集まってるんだから」

園子がそう答えた直後、近くの楽屋のドアが開き、光沢のある真っ白なドレスを纏った少女と、その背後にぴたりと張り付く黒いスーツの女性が現れた。

「あ、あの子よ! 今回の目玉、天才ピアニストの寿かれんちゃん!」

園子が声を潜めて教えると、コナンと圭人は自然とその二人組に目を向けた。かれんの美貌は、ロビーにいた他の候補者たちを圧倒するほど清廉だったが、その表情には血色が通っていない。そして、姉でありマネージャーでもある美々の行動は、誰の目から見ても異様だった。

美々は無言のまま、かれんの肩にかかった髪を一房ずつ、ミリ単位の狂いも許さないといった手つきで整えていく。

「かれん、背筋を伸ばして。あなたは私の最高傑作なんだから……」

美々の声は甘く、しかし逃げ場を許さない冷徹な響きを帯びていた。

「糸が切れた人形に価値はないのよ。完璧でいなさい。私のために」

「……はい、お姉様」

かれんの返事は、意思を感じさせない機械的なものだった。その時、通路の反対側から、派手なダンス衣装を着た川田鏡美と、清楚な白いワンピースの安倍澄香が通りかかる。鏡美は鼻で笑うようにかれんを横目で見て、澄香は嫉妬を隠しきれない鋭い視線を向け、足早に立ち去っていった。

「マネージャーっていうより、まるで……」

圭人が眉をひそめて言葉を呑み込むと、美桜が静かに言葉を継いだ。

「……あの方の瞳には、ご自身の意志が映っていないように見受けられます。星野さん、あのかれんさんの指先……微かに震えています」

美桜の指摘通り、かれんの指はかすかに痙攣していた。過剰な練習とプレッシャーによる限界の兆候だ。

「あら、園子様。お揃いでいらしたのね」

美々が一行に気づき、即座に「完璧な営業用の笑顔」を顔に貼り付けた。そこへ、恰幅の良い男性――審査委員長の三浦が歩み寄ってくる。

「おや園子君、ご友人かね? 寿さん、先ほどの藤田君の言葉は気にしなくていい。君の技術は、私の審査基準では最高得点だよ」

三浦の言葉に美々は満足げに頷くが、かれん本人はただ人形のように俯いているだけだった。姉妹が三浦と共に去っていく後ろ姿を見送りながら、コナンは通路の隅に落ちていた一枚の紙切れに気づく。

それは、激しく書き込みがされ、端がボロボロになった楽譜の断片だった。

「(……単なるスパルタ教育にしちゃ、空気が重すぎるな。あの姉妹……)」

コナンは楽譜を拾い上げ、眼鏡の奥で鋭く思考を走らせた。

 

 

 

 選考会の幕が上がり、会場内は色とりどりの照明と割れんばかりの拍手に包まれた。圭人たちは、園子が手配した審査員席に近い特等席で、ステージの行方を見守る。園子自身は特別審査員として、少し離れた審査員席に座り、真剣な表情でステージへ視線を送っていた。

「……レベルが高いわね、みんな」

蘭が感嘆の声を漏らす。ステージ上では、川田鏡美が激しいダンスで若さを弾けさせ、続いて登場した安倍澄香が、その清楚な外見からは想像もつかないほど力強く澄んだ歌声を響かせていた。

しかし、コナンの目は、ステージよりもその袖に立つ影に向けられていた。美々だ。彼女は腕を組み、他の候補者の出番の間も、獲物を狙う鷹のような鋭い視線でステージを凝視している。

やがて、会場が静まり返り、ついに寿かれんがステージ中央のピアノへと歩み寄った。彼女が鍵盤に指を触れた瞬間、研ぎ澄まされた旋律がホール全体を支配する。一音一音の粒が立ち、完璧に制御された音の奔流。それは素人目にも圧倒的な技術の差を感じさせるものだった。

だが、隣に座る美桜が、静かに、そしてどこか悲しげに呟いた。

「星野さん……。あの方、客席を見ていらっしゃいません」

「え?」

圭人が美桜の視線を追うと、かれんは一度も前を見ることなく、まるで見えない糸に引かれるように、袖に立つ姉の影だけを意識して指を動かしていた。

「……ああ。美桜さんの言う通りだ。あんなに完璧なのに、どこか息苦しい演奏だな」

圭人の言葉に、コナンも無言で頷く。それは音楽というより、精巧な自動人形が刻む記録のような響きだった。

演奏が終わり、会場が奇妙な静寂に包まれる中、講評を求められた藤田教授がマイクを握った。

「技術は完璧だ。……だが、それだけだ」

冷徹な声がスピーカーを通じ、冷ややかに響き渡る。かれんはステージ上で、弾かれたように顔を上げた。

「君の音には、君自身の感情が欠片も存在しない。誰かの顔色を窺い、指示通りに指を動かしているだけだ。……まるで糸で操られた人形だよ。そんなものに、私は一点も入れるつもりはない」

容赦ない酷評に、会場からどよめきが起きる。審査委員長の三浦が慌てて「藤田君、言葉が過ぎるぞ!」と割って入るが、藤田は鼻で笑い、そのまま席を立ってしまった。

ステージから降りてきたかれんに、真っ先に駆け寄ったのは美々だった。しかし、その手は妹を抱きしめるためではなく、彼女の肩を強く掴み、揺さぶるためのものだった。

「かれん! 何を呆っとしているの! あの男に、あんな屈辱的なことを言わせて……!」

「ご、ごめんなさい、お姉様……」

廊下の隅で繰り広げられる叱責を、一行は通りがかりに目撃してしまう。そこへ、楽屋へ戻ろうとする藤田教授が冷ややかな足取りで近づいてきた。

「見苦しいな。君が彼女を追い詰めていることに、まだ気づかないのかね」

「……なんですって?」

美々が殺気立った目で藤田を睨みつける。その時、彼女の傍らの机には、藤田が持ち歩いている透明なスポーツドリンクの水筒が置かれていた。怒りに震える美々の指先が、その水筒の縁を強く、白くなるほど握りしめていたのを、コナンと美桜の視線は逃さなかった。

藤田は吐き捨てるように鼻を鳴らすと、そのまま険悪な空気を残して楽屋へと消えていった。残された美々は、屈辱に顔を歪めたまま、立ち尽くすかれんの腕を無理やり引いて反対側へと歩き出す。

「……ねえ、あの子……大丈夫かな。あんなに言われて、お姉さんにも……」

蘭が、かれんの後ろ姿を今にも追いかけそうなほど心配そうに見つめ、眉を下げて呟いた。

「……うん。なんだか、すごく嫌な予感がする。何事もなければいいんだけどね」

圭人が蘭の言葉に合わせるようにそう漏らし、重苦しい沈黙がその場を支配した。

 

 

 

 選考会の第一部が終了し、場内に休憩を告げるアナウンスが流れると、張り詰めていたホールの空気が一気に弛緩した。その喧騒の中、審査員席から立ち上がった園子が、こちらに気づいて大きく手を振りながら駆け寄ってくる。

「ちょっと! 聞いた!? かれんちゃんの演奏、完璧だったのに……あの藤田教授の言い草! 審査員席も今、すっごくピリピリしてるわよ」

園子が憤慨した様子で肩を怒らせると、蘭が困ったように眉を下げた。

「本当ね……。あんなに厳しく言わなくてもいいのに。かれんちゃん、大丈夫かな」

「……でも、あの教授が言っていたことも、あながち間違いじゃないと思うよ。技術は確かに凄かったけど、心に響くものがなかったというか……」

圭人が冷静にそう口にすると、隣のコナンも眼鏡の奥の瞳を鋭くして頷いた。

「うん。僕もそう思ったよ。なんだか、言われた通りに指を動かしているだけの機械みたいだったもん」

「あんたたち、子供のくせに生意気言っちゃって……。まあ、私はちょっと、三浦のおじ様のところへ行って文句の一つでも言いつつ、裏の様子を覗いてくるわ! 蘭、みーちゃん、また後でね!」

園子はそう言い残すと、颯爽と審査員専用の控え室エリアへと消えていった。その後ろ姿を見送りながら、コナンは半眼で小さく毒づく。

(……オメーだって十分ガキじゃねぇか……)

園子が去った後、コナンは表情を引き締め、圭人の裾を軽く引いて囁いた。

「……圭人兄ちゃん。さっきの姉妹、気になるよ。特にお姉さんの方」

「ああ。あの水筒も、な。……蘭、俺とコナンは少しあっちの様子を見てくるよ」

圭人が蘭に断りを入れると、蘭は少し喉が渇いたのかロビーの自販機の方へ視線を向ける。

「わかったわ。私はちょっと飲み物でも買ってこようかな。みーちゃん、何か飲む?」

「ありがとうございます、蘭さん。では、私もご一緒してよろしいでしょうか」

美桜は丁寧な歩調で蘭の隣に寄り添った。ロビーへ向かう途中、二人は舞台裏の廊下で複数の人物とすれ違う。

壁際で、震える手で何度も口紅を塗り直している安倍澄香。彼女の視線は虚空を彷徨っており、蘭が「大丈夫ですか?」と声をかけようとしたが、澄香は弾かれたようにその場を去っていった。

また、インカムに向かって「予備の電源を急がせろ!」と声を荒らげている舞台監督の天野や、派手な衣装のまま不機嫌そうに自販機のボタンを叩いている川田鏡美の姿もあった。

美桜の瞳は、それら一瞬の風景を、後でいつでも引き出せる記録映像のように静かに記憶へ刻んでいく。

その時だった。

重厚な扉の向こう、藤田教授の専用控え室がある廊下の奥から、静寂を切り裂くような美々の絶叫が響き渡った。

「っ……!? 今の声……」

「蘭さん、あちらです!」

突然の悲鳴に、美桜は一瞬だけ肩を震わせて驚きを見せたが、すぐに蘭の半歩前へ出て、声のした方向へと急いだ。

控え室の前には、既に圭人とコナンの姿があった。二人は開いたままの扉の前で立ち尽くしている。蘭と美桜がその肩越しに中を覗き込んだ瞬間、二人は絶句した。

デスクに突っ伏したまま、微塵も動かない藤田教授。

そのすぐ傍らで、美々が腰を抜かして床にへたり込み、ガタガタと歯の根も合わないほどに震えていた。床には、先ほど廊下で目にしていたものと同じ、スポーツドリンクの水筒が転がっていた。

「……っ!」

コナンは素早く遺体に歩み寄り、その手首に指を当てる。しかし、すぐに厳しい表情で顔を上げた。

「圭人兄ちゃん……これ……」

「……ああ、分かってる。蘭! 警察に連絡して目暮警部を呼んでくれ! あと、天野さんに言って誰もここへ近づけないように!」

圭人の鋭い指示に、蘭は一瞬だけ表情を強張らせたが、即座に頷いた。

「わかったわ! すぐに呼んでくる!」

蘭が駆け出していくのを見送り、圭人は現場を汚さないよう慎重に入り口を塞ぐように立った。

美桜は、遺体の生々しい質感と現場に漂う異様な緊張感に、顔からさっと血の気が引いていくのを感じた。彼女は恐怖に耐えるように自らの指先を握りしめ、震える声で呟いた。

「……星野さん。これは、一体……」

「美桜さん、大丈夫。……少し離れていて」

美桜は圭人の言葉に従い一歩下がりながらも、その瞳は止まらなかった。激しく乱れたデスクの上の譜面、全開になった窓から吹き込む風に煽られるカーテン、そして廊下の角でこちらを盗み見ていた誰かの影を、ただ必死に記憶に留めることしかできなかった。

 

コナンは圭人の陰に隠れるようにしながら、遺体の口元から漂う微かなアーモンド臭を嗅ぎ取った。

(……間違いない、毒殺だ。あの人が持ってた水筒が、なんで藤田教授の足元に転がってんだ……?)

華やかな『糸のないマリオネット』たちの祭典は、最悪の事件現場へと変貌した。

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