ヒーローと探偵 作:タルマヨ
米花水族館で起きた凄惨な騒動から数日が経過した。
夜の帳が下りた工藤邸のリビングには、張り詰めたような緊張感が漂っている。ソファには圭人とコナン、そしてFBIのジェイムズ、ジョディ、キャメルが顔を揃えていた。その中心に座る大学院生の沖矢は、喉元の変声機に手を当て、工藤邸の主を演じる柔和な仮面の下から、鋭い赤井の声で切り出した。
「集まってもらったのは他でもない。例の『銀色の砂』を遺して消える敵――ゾルブについて、本国経由で新たな情報が入ったからだ」
赤井の言葉に、圭人とコナンは表情を引き締める。コナンはFBIを前に、努めて子供らしい振る舞いを保ったまま問いかけた。
「ねぇ、赤井さん。そのゾルブっていうの、やっぱり今までのナノマシンとは違うものなの?」
「ああ。結論から言えば、ナノマシン説は奴らが潜伏のために流布した偽りの出自だ。ジェイムズ、例の報告を」
赤井に促され、ジェイムズが重々しく口を開く。
「星野君、コナン君。我々の調査によれば、ゾルブの正体は、超古代に地球の深淵へ封印された『精神寄生生命体』であることが判明した。かつての『光』によって地底へ退けられた闇の系譜……それが、現代に呼び覚まされた……いわば、この地球に根ざした負の遺産だ」
ジョディが手元の資料を操作し、解析されたデータを提示する。そこには、以前よりも遥かに攻撃的で、硬質な外骨格を持つ怪異のイメージが映し出されていた。
「これまでは潜伏のために静かな擬態を選んでいたようだけど、ベルウッドホテルの一件以来、奴らは『捕食』へと舵を切ったわ。強大なエネルギーを得るために、人間の生命エネルギーを直接喰らう……その際の犠牲者の血液が変質したものが、あの『銀色の砂』よ、星野君、クールキッド」
「……」
圭人は膝の上で拳を握りしめた。あの不気味に輝く砂が、かつて人間だった者の成れの果てだという事実に、胸の奥でどす黒い怒りが渦巻く。キャメルがさらに、組織の内部構造について補足した。
「さらに厄介なのは、奴らには厳格な階級が存在することです。頂点に君臨する『邪神』、高い知性を持つ幹部クラスの『魔人』、捕食本能が剥き出しの『鬼人』、すると不完全な擬態で獲物を探る『亜人』……。星野君、我々が今直面しているのは、単なる怪物の群れではない。統制された軍勢です」
キャメルは、解析途中の不鮮明な画像をタブレットに表示させた。
「末端の『亜人クラス』は蟻に似た醜悪な姿で、個体ごとに狡猾に獲物を狙います。その上位、『鬼人クラス』に至っては、通常の拳銃では阻止すら困難でしょう。奴等はいずれも異形の姿に変身可能な怪人達で、それぞれ蜘蛛や蝙蝠、つまり何かしらの動植物の能力を持っている。……これらは、潜入中の捜査官が命懸けで捉えた、この街に潜む『異形』の正体です」
「(……昆虫や節足動物のような下位種の上に、さらに『知性』を持つ上位種がいるってことか……)」
コナンは画面を覗き込み、心の中でで呟いた。
「そして、その幹部である『魔人クラス』は、我々が掴んだ伝説上の鳥を模した四つの形態……翼竜、鳳凰、雷鳥、氷鳳のどれかとして現れることが確認されています。奴らは人間に完璧に擬態し、我々の社会に溶け込みながら、獲物を品定めするように観察している……。MDRですら、その尻尾を掴みきれていないはずです」
キャメルの声が、微かに震える。
「そして、そのすべての頂点……。超古代の記録にのみ記された、世界を終焉へと導く『邪神』。……残念ながら、我々の情報網でもそのビジュアルや能力については一切不明です。わかっているのは、それが実在し、今この瞬間に目覚めようとしているという……絶望的な事実だけです」
ジョディがキャメルの言葉を継ぎ、圭人を真っ直ぐに見据えた。
「星野君。敵は、かつてこの星を闇に染めた『闇の王国』の再建を狙っているわ。……私達FBIも独自に動くけれど、この戦いはかつてないほど厳しいものになる」
重苦しい沈黙がリビングを支配する。赤井は鋭い眼光を二人に向け、あえて突き放すような冷徹な響きで告げた。
「組織とはまた別の、新たな勢力だ……。ハッキリ言って相当厄介だな。しかも奴らは人間を殺めることをなんとも思っちゃいない。ボウヤ達、命をかける覚悟はあるか?」
その問いに、コナンは迷いなく頷いた。圭人もまた、静かに、しかし決然とした声で応える。
「……もちろんです、赤井さん。これ以上の犠牲者は出させない」
情報共有が一段落した後、圭人はコナンに小声で話した。
「コナン。……今の話、博士には当然共有するつもりだけど、哀ちゃんには伏せておきたい。これ以上、彼女に恐怖や負担を与えたくないんだ」
圭人の瞳には、灰原を案じる切実な色が浮かんでいる。しかし、コナンは少し声を潜めつつも、子供らしい口調を混ぜて首を振った。
「圭人兄ちゃんの気持ちは痛いほどわかるよ。でも、相手は正体のわからない怪物なんだ。生物や化学に詳しい灰原の協力は、これから絶対に必要になると思うんだよ。今までだって、アイツの機転に救われてきたでしょ?」
「……それは、そうだけど……」
「隠し事をしたまま戦える相手じゃないよ。圭人兄ちゃん、信じようよ。アイツだって、僕たちと一緒に戦う覚悟はできてるはずだからさ」
コナンの真っ直ぐな視線に、圭人は天を仰ぎ、長く息を吐き出した。
「……わかったよ。お前の言う通りだ。……哀ちゃんにも、すべてを話そう」
渋々とではあったが、圭人はついにその決断を下した。それは、深淵から這い上がってきた闇との、真の激闘が始まる予兆でもあった。
工藤邸を後にした圭人とコナンは、隣の阿笠邸へと足を進めた。夜の静寂の中、圭人はまだ迷いを振り切れない様子で、硬い表情のままインターホンを押す。
リビングに入ると、ソファには紅茶を淹れたばかりの灰原と、分厚い資料を広げていた博士が座っていた。二人の尋常ではない雰囲気を察し、博士が真っ先に声をかける。
「おかえり、二人とも。……新一君、圭人君。何か進展があったんじゃな?」
コナンは上着を脱ぎ捨てると、大人びた表情で圭人の隣に腰を下ろした。ここではもう、子供を演じる必要はない。一人称も、本来の「俺」へと戻る。
「ああ。さっきFBIから、ゾルブの『本当の正体』を聞いてきた。……博士、灰原。いいか、驚かないで聞いてくれ」
コナンの切り出しに、灰原はカップをソーサーに置き、静かに背筋を伸ばした。その視線は、隣で俯き加減になっている圭人へと向けられる。
「……ナノマシンではないということね。これまでの検体データに、どうしても拭えない違和感があったもの」
圭人は意を決したように顔を上げ、絞り出すような声で志保さんを見つめた。
「……うん。ゾルブの正体は、ナノマシンなんかじゃない。超古代……かつてティガによって封印された『精神寄生生命体』だ。俺が光の力を手にしたことで、連動するように呼び覚まされた……地球そのものに根ざした闇の系譜なんだよ」
博士が息を呑む。これまで「未知の変異体」と考えていたものが、はるか昔から続く因縁の再来であった事実に、戦慄を隠せない。
「精神寄生生命体……。ワシらが相手にしていたのは、それほどまでに底知れぬ存在じゃったのか……」
「それだけじゃないよ。奴らには厳格な階級制度が存在するんだ。イチ、例の四段階と奴等の見た目の話を」
圭人に促され、コナンが情報を引き継ぎ、ゾルブの階級等について話した。
「……」
灰原は黙って聞き入っている。圭人は、彼女が抱くであろう恐怖を案じ、いたたまれない気持ちで言葉を重ねた。
「…ねぇ、志保さん、本当は……君をこんな恐ろしい話に巻き込みたくなかった。ベルウッドホテルの時みたいに、あいつらは今、人間の生命エネルギーを直接喰らう『捕食』へ完全に舵を切っている。あの銀色の砂は……犠牲者の、成れの果てなんだ」
圭人の声は微かに震えていた。守るべき女性に、死を連想させる凄惨な事実を突きつける苦痛が、その表情に滲み出ている。
しかし、灰原の反応は圭人の予想とは異なるものだった。彼女は静かに立ち上がり、研究者としての冷徹さと、一人の戦友としての強さを孕んだ瞳で圭人を真っ直ぐに見据えた。
「貴方ねぇ…今更何バカなことを言っているのよ。いい?相手が超古代の生命体なら、なおさら科学的なアプローチが必要になるわ。細胞の変質や捕食のメカニズム……私にしか解析できないことが山ほどあるはずよ」
「う、うん……」
「私を戦力外にして、貴方一人で背負うつもり? そんなこと、私が許さないわ。……工藤君。今すぐFBIが持っている詳細な解析データを共有して。今夜中に目を通しておくわ」
コナンの説得通り、灰原の決意は揺るぎなかった。彼女の力強い言葉に、圭人はようやく、自分の中にあった過保護な迷いが、彼女の誇りを傷つけるものであったことを悟る。
「……分かった。志保さんの言う通りだ。一緒に戦ってほしい。俺も……全力で君を守りながら、この闇を叩く」
リビングに、四人の静かな、しかし確かな連帯感が生まれた。未知の脅威であったゾルブが、明確な「打倒すべき敵」へと変わった瞬間だった。
◆
翌日、正午。
警視庁本部の特別会議室には、重々しい沈黙が降りていた。
正面中央の席には、その顔に刻まれた深い傷跡以上に鋭い眼光を放つ松本管理官が座している。その脇を、目暮警部、白鳥警部、佐藤刑事、高木刑事ら捜査一課の面々が固めていた。
対面に陣取るのは、警察庁警備局直轄の秘匿組織・MDR(怪物対策室)の一団。かつての傲慢な空気は影を潜め、そこにはプロフェッショナルとしての静謐さが漂っていた。
「……これより、広域重要指定事案についての合同捜査会議を始める」
松本の野太い声が室内を圧する。松本は正面に立つ一人の女性を見据え、短く促した。
「一条君、説明を頼む」
MDR二代目現場責任者、一条恵美。隙のないボブカットを揺らし、凛とした佇まいで一礼した彼女は、松本の言葉に応える。
「はい。失礼いたします」
一条はモニターへ、米花水族館をはじめとする直近の現場データを映し出した。そこには無残に散らばる「銀色の砂」が映し出されている。
「本件の敵を、我々MDRは『新生ゾルブ』と定義しました。これまでの調査で有力視されていたナノマシン説を破棄。彼らの正体は、超古代より地球の深淵に潜伏していた『精神寄生生命体』であると断定します」
室内に、刑事たちのざわめきが広がった。目暮が居住まいを正し、松本の隣で口を開く。
「……一条君。ワシらがこれまで追ってきたのは、ナノテクノロジーによる犯罪ではなかったというのかね?」
「残念ながら、目暮警部。彼らは生物の枠を越えた存在です。生存のために人間の生命エネルギーを直接奪う『捕食』……。その果てに、犠牲者は跡形もなく砂へと変質します。これはもはや、通常の事件の延長ではありません」
その言葉に、白鳥が冷静ながらも険しい表情で問いかけた。
「……バカげた話だと言いたいところですが、あの遺体の消え方は科学では説明がつかない。ですが一条さん、その『精神寄生生命体』とやらは、一体どこから湧いて出たのですか? 突然変異というには、あまりに飛躍しすぎている」
「彼らは、新しく生まれた存在ではありません」
一条は静かに、しかし断固とした口調で答える。
「我々MDRの古文書解析、および地質調査の結果……ゾルブは三千万年前、超古代の地球を闇に染めた『負の遺産』であることが判明しました。長きにわたり地球の深淵へ封印されていたはずの彼らが、なぜ今、目覚めたのか。それは、対極にある『光』が覚醒したからです」
一条がモニターを操作すると、これまでの事件で断片的に記録された残光が映し出された。
「三千万年前、闇を退けた守護者……光の戦士、ティガ。その光が再び現れたことが、ゾルブを永い眠りから呼び戻す引き金となったのです。奴らにとってあの光の戦士は、かつての屈辱を晴らすべき仇敵であり、同時に、喰らうことで完全な存在へと至るための、最上のエネルギー源なのです」
その言葉に、目暮、白鳥、佐藤、高木の4人は、かつての事件現場で、常識を超えた光景を目にした記憶を呼び覚ましていた。
「……あの、光の戦士か……」
目暮が絞り出すような声で呟いた。彼は以前、人知を超えた怪異に包囲された現場で、闇を切り裂く眩い光をその眼に焼き付けていた。
「一条さん。あれは単なる自然現象や、未知の兵器などではない。そう言いたいのかね?」
白鳥が狙り動揺を隠さず、問いを重ねる。彼はかつての現場で、闇の影と対峙する光の神々しさを至近距離で目撃していた。それは科学を信奉する彼ですら、言葉を失うほどの圧倒的な存在感だった。
「……僕、あの時……。崩落する瓦礫の中から、あの光に救われたんです。温かくて、でもどこか悲しいような……あんな存在が、この星の闇を呼び覚ましたっていうんですか?」
高木が震える手で資料を握りしめ、信じがたいといった表情を見せる。
佐藤もまた、厳しい表情で一条を見据えた。
「……皮肉ね。私達を救ってくれたあの光が、今度はこの街を戦場に変える原因になるなんて。でも一条さん。あの光の戦士がいなければ、私達はとっくに殺されていたわ」
一条は佐藤の言葉に、小さく、しかし力強く頷いた。
「その通りです、佐藤刑事。今の我々に、あの光を責める資格はありません。ゾルブは今、光という標的だけでなく、無関係な市民をも捕食し、勢力を拡大しています。奴らの目的は、この星を再び『闇の世紀』へ戻すこと。……松本管理官。我々警察が守るべきは、この街の治安だけではありません。この星の未来そのものです」
さらに、一条は補足するようにモニターの画像を切り替えた。そこには、これまで各地で確認されたゾルブ以外の異形たちが映し出される。
「また、留意すべき点はゾルブだけではありません。キリエロイド、ガギ、レイキュロスといった、これまで出現した個体……。これらはゾルブの勢力とはまた異なる、同じく超古代より目覚めてしまった『ゾルブ以外の超古代生物』であると推測されます。地球そのものが、かつての混沌とした時代へと揺り戻されているのです」
松本は沈黙を守ったまま、自らの眼で「光」を見た部下たちの顔を一人ずつ見渡した。彼らの瞳に宿る、恐怖を越えた確かな「信頼」の色。それが、何よりの証拠だった。
「……古代の遺産か。ワシらが相手にしていたのは、組織や犯罪者といった次元ではない。この星の闇そのものということか」
一条はさらに踏み込み、核心的な情報を告げる。
「さらに、ゾルブには厳格な階級制度が存在します。頂点の『邪神』、幹部の『魔人クラス』、捕食本能に忠実な『鬼人クラス』、そして兵隊クラスの『亜人クラス』。特に『鬼人クラス』以上は人間に完璧に擬態し、我々の社会に深く入り込んでいる。隣にいる人間が本物か、あるいはゾルブか……その判別すら困難なのが現状です。そして、いずれも異形の姿に変身可能な怪人達で、それぞれ蜘蛛や蝙蝠、つまり何かしらの動植物の能力を持っていると思われます」
一条の背後で、異形のシルエットが次々と映し出されていく。
「末端の『亜人クラス』は蟻を模した姿で、集団ではなく個別に、狡猾に獲物を追い詰めます。その上位、『鬼人クラス』に至っては、通常の装備では阻止すら困難でしょう。奴等は……そして最も警戒すべきは、高い知性を持つ幹部クラスの『魔人クラス』です」
モニターには、伝説上の鳥を彷彿とさせる四つの紋章が浮かび上がる。
「彼らは恐らく四人。翼竜、鳳凰、雷鳥、氷鳳というそれぞれ何かしらの四つの形態を持ち、人間に完璧に擬態して我々の社会に深く入り込んでいる。隣にいる人間が本物か、あるいはゾルブか……その判別すら困難なのが現状です」
高木が思わず隣の佐藤を見て、戦慄したように声を漏らした。
「そ、そんな……。蟻や蠍の化け物だけでも手一杯なのに、伝説の鳥みたいな幹部が人間に化けて紛れてるなんて……。そんなの、捜査なんてまともにできませんよ!」
不安を隠せない高木を宥めるように、佐藤が毅然とした口調で一条に視線を向けた。
「でも一条さん。それら全ての頂点にいる『邪神』についてはどうなの? まさか、そいつも街中に紛れているっていうんじゃないでしょうね」
一条の表情に、微かな、しかし深い影が差した。
「……邪神。超古代の記録に『世界を終焉へと導く者』として記された、階級の頂点。……残念ながら、我々MDRの最新鋭センサーですら、その姿や能力を捉えることはできていません。それがどのような特徴を持ち、どこに潜んでいるのか……。唯一わかっているのは、それが実在し、今この瞬間に目覚めようとしているという、最悪の事実だけです」
不安を隠せない隣の高木を宥めるように、佐藤が毅然とした口調で一条に視線を向けた。
「微かに目を和らげ、佐藤の問いに応えた。
「一条さん。あなたがここで私達にそれを話したのは、ただ絶望させるためじゃないはず。……私達に、何か勝算があるのね?」
一条は微かに目を和らげ、佐藤の問いに応えた。
「その通りです、佐藤刑事。疑うことが仕事である我々警察が、隣の仲間すら信じられなくなれば、この脅威には到底立ち向かえません。現場を熟知した捜査一課の皆さんの足と、我々MDRの装備。これを融和させることこそが、唯一の対抗手段です」
かつての黒崎のように権力で屈服させるのではなく、一人の警察官として共闘を呼びかける一条の姿勢に、目暮は小さく頷いた。
「松本管理官、私としても一条君の提案に異存はありません。市民を守るため、全力を尽くす所存です」
「……うむ。目暮の言う通りだ。今は面子や縄張り争いをしている時ではない」
松本は立ち上がり、一条を真っ直ぐに見据えた。
「一条君、指揮権は君に預ける。だが、部下を無駄に死なせることは、このワシが許さんぞ」
「承知いたしました。全員、必ず生きて帰還させます」
会議が終了し、隊員たちに指示を飛ばす一条の背中に、松本と目暮は静かな、しかし確かな信頼の視線を送っていた。