ヒーローと探偵 作:タルマヨ
断崖を叩く波の音に混じり、複数のサイレンが研究所の敷地内へと響き渡った。タイヤが砂利を激しく跳ね上げる音が地下にまで届き、やがて迷いのない足音が通路を駆けてくる。
「やあやあ、これはこれは! 阿笠さん! 」
静岡県警の横溝参悟警部が、その特徴的な髪を揺らしながら現場に現れた。博士の顔を見て驚きに目を見開いたものの、崩落した標本棚の惨状と、そこから広がる鮮血を認めるや否や、その表情は一瞬で捜査官のそれへと引き締まった。
「横溝警部……」
博士が沈痛な面持ちで名を呼ぶ。横溝警部は短く頷くと、背後の鑑識員たちに矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「鑑識! 直ちに現場を封鎖、救急隊の搬送ルートを最優先で確保しろ。それから、そこにいる職員三人の身元を確認し、勝手に動かぬようラウンジへ隔離するんだ!」
瓦礫の中から羽生所長が慎重に運び出されていく。血に染まった白衣が地下の冷たい空気の中で異様に白く浮き上がっていた。その搬送を静かに見送る圭人の横で、沖矢昴は崩落した棚の山を、細められた瞳でじっと見据えていた。
「……警部。失礼ですが、少しよろしいでしょうか」
不意に背後からかけられた穏やかな、しかし芯の通った声に、横溝警部は怪訝そうに振り返った。そこには、見慣れない長身の男が、眼鏡の奥の目を細めて立っていた。
「おや、貴方は……? 阿笠さんのお知り合いですか?」
「ええ、隣に住んでいる沖矢昴と申します。……事故として処理を始める前に、少し確認していただきたい場所があるのですが」
初対面の若者からの進言に、横溝警部は「確認……?」と眉をひそめたが、沖矢が天井近くの大型換気扇を指し示すと、その視線につられて上を向いた。
「あの吹き出し口から、不自然な音が聞こえるんです。まるで、回転軸に何かが絡まり、無理やり引き絞られているような……そんな摩擦音が」
注意深く耳を澄ませると、換気扇の回転に合わせて「キィ……キィィ……」という、金属が悲鳴を上げるような高い音が、ダクトの奥から微かに響き続けていた。横溝警部は「音、ですか……」と首を傾げながらも、沖矢の落ち着いた態度に促されるように、懐中電灯を手に取った。
「それに、あちらの棚の背面も。ボルトが外れたにしては、妙だと思いませんか?」
沖矢が次に示したのは、無残に折れ曲がった標本棚の裏側だった。横溝警部がライトの光を当てると、本来なら太いボルトで岩盤に固定されているはずの穴が、一箇所だけ不自然に空いたままになっていた。
「……ほう。確かにボルトがありませんな。老朽化で脱落したのでしょうか」
「いえ。ボルトが抜けただけなら、穴の縁にこれほど鮮明な『線状の擦過痕』は残らないはずです。まるで、細いワイヤーのようなものが、猛烈な勢いでここを擦り抜けていったかのような……」
沖矢の鋭い指摘を受け、横溝警部は「なんですと……!?」と声を上げ、改めて穴を覗き込んだ。初対面の青年の観察眼に驚きつつも、それが単なる事故ではない可能性を直感し、鑑識にダクト内部の徹底調査を命じる。
その間、圭人はラウンジへ移動させられる職員たちの様子を背後から観察していた。
副所長の瀬戸は、何度も自身の腕時計を気にしながら、「メンテナンス不足だ」と所長の管理責任をまくし立てている。一方、助手の潮崎は膝を抱えて震え、今にも泣き出しそうな表情で沈黙を守っていた。
そして主任研究員の満島遥だけは、冷徹なまでに平然とした態度を崩さない。彼女は手元のタブレットに視線を落としたまま、「老朽化した施設なら、確率的に起こりうる事象だわ」と吐き捨てるように呟いた。
その冷静さが、かえって圭人の胸にざわつきを残した。外では天候が急変し、激しい雨が石造りの建物を叩き始めている。断崖の研究所は、荒れ狂う嵐によって外界から切り離された「密室」へと変貌を遂げようとしていた。
血溜まりの中に転がったままの「黒い結晶」が、ライトの光を浴びて不気味に鈍く光っている。圭人は、沖矢が横溝警部を論理的に誘導していく背中を見つめながら、この地下空間に渦巻く冷徹な殺意の残り香を感じ取っていた。
地下空間の冷え切った静寂を乱すのは、断崖を打ち付ける波の咆哮と、叩きつけるような雨音だけだった。土砂崩れによって唯一の連絡路が封鎖されたという無線連絡が入り、研究所は事実上の孤立状態に陥った。
「羽生君……。どうして、こんなことに……」
地下ラウンジのソファに深く腰掛けた阿笠博士は、魂が抜けたかのように力なく項垂れていた。病院に搬送された親友が予断を許さない状況であるという報せが、何よりも彼を打ちのめしていた。震えるその手は、膝の上で所在なげに彷徨っている。
「博士、これを」
灰原が、研究所の備品を借りて用意した温かい飲み物を、博士の前にそっと差し出した。湯気と共に広がる柔らかな香りが、わずかに空気を和らげる。灰原は感情を押し殺した冷静な仕草を保っていたが、博士を案じるその瞳には、隠しようのない慈しみが宿っていた。
圭人は博士の隣に座り、その震える背中に静かに手を添えた。
「博士。羽生所長は強い人だ。きっと、三千万年前の謎を解き明かすまでは、向こうへ行ったりしないよ」
圭人の穏やかな言葉に、博士は弱々しく頷いた。今は言葉を重ねるよりも、ただ傍にいることが最大のケアであることを、二人は無言のうちに共有していた。
一方、ラウンジの隅では、横溝警部が頭を抱えていた。
「ううむ……。鑑識の報告では、棚の老朽化による腐食も確認されたとのこと。土砂崩れで応援も来られんとなると、やはり不慮の事故として処理するしか……」
「警部。事故と断定するには、あまりに『不運』が重なりすぎているとは思いませんか?」
一人、崩落現場の周辺を歩き回っていた沖矢昴が、静かに横溝警部の横へと並んだ。彼はピンセットでつまみ上げた何かを、警部の目の前に差し出す。
「おや、それは……?」
「ダクトの網目に引っかかっていた、極小の鋼鉄繊維です。……不思議ですね。地質調査用のワイヤーの破片が、なぜ空気の通り道に紛れ込んでいたのでしょうか。それも、換気扇の回転軸にほど近い場所に」
「なんですと……!?」
沖矢はあえて断定はせず、あくまで「奇妙な発見」として提示することで、横溝警部の正義感を巧みに刺激した。警部は沖矢の細められた瞳の奥にある、確信めいた光に当てられたように、すぐさま鑑識を呼び戻した。
その光景を、灰原は静かに見守っていた。彼女はすぐに視線を圭人へ変えてから、再び現場の推理を続ける沖矢の方へと視線を促す。
「……星野君。貴方は
「いや……必要なら行くよ。でも、俺は探偵じゃあないからね。今は博士の側にいたいんだ」
圭人は一瞬だけ沖矢の背中を見つめたが、すぐに博士の手に重ねた自身の手に力を込めた。自分の役割は、真相を暴く剣になることではなく、傷ついた者を支える盾であることだという、静かな自負がそこにはあった。
その頃、ラウンジの対角線上で事情聴取を待つ容疑者たちの間にも、目に見えない亀裂が生じ始めていた。
「……やれやれ。所長が助かるに越したことはありませんが、最悪の事態になっても、あの『黒い結晶』の研究データさえ無事なら、この研究所の価値は暴落せずに済む」
瀬戸がこぼした不謹慎な一言に、それまで沈黙していた潮崎が、弾かれたように顔を上げた。
「……アンタ、正気かよ! 所長が死にかけてるんだぞ! データだの価値だの、よくそんなことが言えるな!」
潮崎の激昂が室内に響き渡る。その騒動の中でも、主任研究員の満島遥だけは動じず、機械的にタブレットを操作していた。しかし、沖矢がダクト付近で証拠を採取したという報告が警察の間を走った瞬間、彼女の指先が、一瞬だけ不自然に止まった。
圭人はそのわずかな綻びを見逃さなかった。
沖矢が横溝警部を誘導し、現場の矛盾を物理的に証明しようとしている一方で、圭人は博士を支えながら、この場に漂う人間の醜い歪みを、その目に焼き付けていた。
嵐の咆哮は、一段と激しさを増していく。
沖矢は、犯人がワイヤーを「どこで切り離し、どこへ隠したか」という最後の一線を、横溝警部に問いかけるように見つめていた。その視線は、満島の白衣のポケットが、微かな重みで不自然に引き連れている一点に注がれている。
伊豆の断崖に閉ざされた闇の中で、推理の舞台は、ついに解決の刻へと向かおうとしていた。
数時間前に救急車のサイレンが雨音に掻き消え、羽生所長が搬送された後の地下貯蔵庫は、重苦しい静寂と石粉の匂いに包まれていた。
崩落した巨大な標本棚が通路を塞ぎ、剥き出しになった岩盤が懐中電灯の光を鈍く跳ね返している。
「……沖矢さん、ここを調べてどうなると言うんですか? 鑑識の初期報告でも、ボルトの老朽化による事故という見方が強いようですが」
横溝警部は、足元の瓦礫を避けながら不審げに沖矢の背中を追った。初対面の、それも阿笠博士の隣人だというこの大学院生が、なぜこれほどまでに現場の「微細な違和感」に執着するのか、彼には計りかねていた。
「ええ。ですが警部、偶然にしてはあまりに出来すぎていると思いませんか? 私たちがこの場所へ足を踏み入れた、その瞬間に崩落が起きたことが」
沖矢は防塵マスク越しに穏やかな声を発しながら、崩れた棚の背後、岩盤に打ち込まれていたはずの固定箇所へと歩み寄った。彼は手袋をはめた指先で、一つのボルト穴を静かに指し示す。
「これを見てください」
横溝警部がライトを近づけると、そこには本来あるべきボルトがなく、暗い穴が口を開けていた。
「ですから、これが老朽化で抜けた跡でしょう?」
「いいえ。よく見てください、穴の縁を。……単に重みでボルトが脱落したのなら、金属同士がこれほど『焼けたような』跡を残すことはありません。これは、高熱を伴うほどの超高速で、何かがこの穴を擦り抜けていった証拠です」
沖矢は懐中電灯を借り、穴の内壁を斜めから照らした。そこには、岩肌を鋭く抉ったような、一直線の黒い筋が残っている。
「……物理的に考えれば、これはワイヤーによる摩擦痕です。それも、数トンの棚を支える荷重がかかった状態で、一気に引き抜かれた際のものだ」
横溝警部は絶句し、その痕跡を凝視した。沖矢の言葉には、現場の状況を冷徹な数式のように解体していく、不思議な説得力があった。
「し、しかし、そんなワイヤー、誰がどうやって……」
「答えは、先ほどから悲鳴を上げている『彼』が知っているはずですよ」
沖矢が見上げたのは、天井近くで今も低く唸り声を上げている大型換気扇だった。
彼は横溝警部に指示し、脚立と工具を用意させた。困惑しながらも、その理路整然とした語り口に抗えない警部は、自ら鑑識員を呼び寄せ、換気扇の外枠を解体させ始めた。
金属のカバーが外され、内部の回転軸が露わになった瞬間、現場に緊張が走った。
「お、おお……! これは……!」
横溝警部が声を上げた。
扇風機の羽根の根元、本来は何もないはずの回転軸に、細い鋼鉄製のワイヤーが何重にも巻き付いていたのだ。その端は無残に引きちぎれ、軸にはワイヤーが激しく擦れたことによる銀色の傷跡が、生々しく刻まれている。
「……換気扇が回る力を利用して、ワイヤーを巻き取る。一回転ごとに、棚を固定していた仕掛けは死神の鎌のように引き絞られ、限界を迎えた瞬間にこの崩落を引き起こした……。見事な時間差トリックだ」
沖矢は静かに脚立を降り、埃を払った。
崩落のメカニズム、犯人の意図、そしてこの建物に残された全ての物理的な矛盾が、彼の中で一つの線に繋がった。
沖矢は眼鏡の縁に指をかけ、わずかにその位置を直した。
その瞬間、閉ざされた瞼の下から、一瞬だけ鋭利な光が漏れた。普段の穏やかな糸目は消え、そこには獲物を追い詰めた猟犬――「赤井秀一」としての冷徹な意志を宿した片目が、暗闇の中で爛々と輝いていた。
「……なるほど。そういうことか」
低く、地を這うような独白。
それは大学院生・沖矢昴のものではなく、数多の修羅場を潜り抜けてきた男の確信だった。
「警部。役者は揃っています。……ラウンジへ戻りましょう。この『事故』の演出家が、私たちの帰りを待っているはずですから」
沖矢の言葉に促されるように、横溝警部は重い足取りでラウンジの扉を開いた。そこには、沈黙に耐えかねた様子の瀬戸、顔を伏せたままの潮崎、そして変わらず冷徹な表情でタブレットを見つめる満島の三人が、警官たちの監視下で椅子に座らされていた。
その対角線上のソファには、憔悴しきった博士の傍らに寄り添う、灰原と圭人の姿があった。圭人は沖矢の帰還を認めると、その鋭い眼光からすべてを察したように、微かに顎を引いて応えた。
「お待たせしました。……羽生所長を襲った、忌まわしい『事故』の真相が判明しましたよ」
沖矢の静かな、しかし通る声がラウンジを支配する。横溝警部がその隣に立ち、厳しい表情で一同を見渡した。
「沖矢さん、説明をお願いします。一体、何が起きたというのですか!」
「ええ。今回の崩落は、偶然の産物などではありません。あらかじめ時間が設定されていた、極めて精緻なタイマー式の殺人未遂です」
その言葉に、副所長の瀬戸が「な、何ですって!? 事故じゃなかったというのか……!」と脂汗の浮いた顔を突き出し、裏返った声を上げた。
「殺人未遂だと……!? 誰が、何のためにそんな……!」
「犯人は、標本棚を支える背面のボルトを一本だけ抜き取り、代わりに細い鋼鉄製のワイヤーを通しました。そのワイヤーの先を、貯蔵庫の換気ダクト内にある大型換気扇の回転軸に緩く巻き付けておいた。……換気扇が回転するたびにワイヤーは少しずつ巻き取られ、棚は数ミリ単位で手前に傾いていく。そして一定の回転数に達した瞬間、重心を失った棚は、落下のトリガーを引かれることになる……」
沖矢は流れるような手つきで、先ほど解体した換気扇の回転軸に残されていた「ワイヤーの巻き跡」の写真と、現場から採取された「鋼鉄繊維」を提示した。
「つまり、犯人は換気扇を回し始めた瞬間に、この崩落までのカウントダウンを開始したわけです。……満島さん、貴方は一時間ほど前に『弱』で換気扇を回し始めたと仰っていましたね? その計算によれば、私たちが貯蔵庫に入り、所長が棚に触れた瞬間こそが、貴方の設定した『最後の一押し』のタイミングだったというわけだ」
その指摘が放たれた瞬間、ラウンジに衝撃が走った。
「み、満島主任が犯人だと!? 馬鹿な、彼女がそんな危険な真似を……」
瀬戸が絶句し、助手の潮崎は信じられないといった様子で、隣に座る満島を見やった。
「満島さん……嘘ですよね? 貴方はただ、効率が悪いって怒ってただけで……。所長を殺そうとしたなんて、そんなの嘘だと言ってくださいよ!」
だが、満島は眉一つ動かさず、冷徹に言い放った。
「ふん……。随分と想像力豊かなのね、学生さん」
満島は初めて口元に冷ややかな笑みを浮かべ、沖矢を睨みつけた。
「そんなワイヤー、私が扱ったという証拠がどこにあるの? 備品の紛失なんて、この杜撰な管理体制では日常茶飯事だわ。部外者の貴方に犯人扱いされる筋合いはないわね」
満島の反論を、沖矢は穏やかな微笑みで受け流した。だが、その眼鏡の奥の瞳は、決して笑っていない。
「ええ。確かに証拠は必要ですね。……例えば、ワイヤーを現場で調整し、切り離した際に生じる『切り屑』のようなものが。……満島さん、貴方は犯行直後、仕掛けの一部を回収しようとして失敗したのではないですか? 咄嗟にその場を去る際、貴方がその手に握っていたものは、どこへ消えたのでしょう」
沖矢の視線が、満島の白衣のポケットに注がれた。横溝警部もそれに釣られるように、彼女の衣服に目を向ける。
「……警部。彼女の右ポケットを。微かな重みで、生地が不自然に引き連れていますよ。地質調査用の鋼鉄ワイヤーは非常に細く、衣類の繊維に絡まりやすい。……一度ポケットに放り込めば、取り去るにはあまりに時間が足りなかったはずだ」
横溝警部が「失礼!」と鋭く踏み込み、満島の白衣のポケットを改めた。
「満島さん、これは……!」
警部の手の中にあったのは、一束の鋼鉄ワイヤーの端切れと、指先をわずかに傷つけた「切り屑」であった。
「……何てことだ……。本当に、貴方がやったのか……」
潮崎が力なく声を漏らし、瀬戸は信じられないといった顔で頭を抱えた。
「羽生所長の研究は、地質学に対する侮辱だったのよ」
沈黙を破った満島の声は、氷のように冷徹だった。
「三千万年前の未知の結晶……。あんなオカルトじみた空論に、貴重な予算と時間が浪費されていくのを、私は専門家として許せなかった。彼を排除し、この研究所を正しい理論の場に戻す。それが私の正義だったのよ」
その身勝手な告白を、圭人は悲しげな目で見守っていた。博士の震える手をしっかりと握り、彼を守るように、圭人は静かに、しかし断固とした口調で語りかける。
「貴方の計算には、人間の心が入っていなかったんだ。博士がどれだけ羽生所長の研究を信じ、再会を楽しみにしていたか……。その想いまで計算できていれば、こんな悲劇は起こさなかったはずだよ。……俺は探偵じゃあないから、貴方の動機をどうこう言うつもりはない。けど、大切な友人を傷つけられた痛みだけは、科学じゃ割り切れないんだ」
その時、横溝警部の胸ポケットでスマートフォンの着信音がけたたましく鳴り響いた。警部はすぐさま端末を取り出し、スピーカーモードに切り替えて通話に応じた。
『――横溝警部ですか! こちら伊豆中央病院です。先ほど羽生慎之介さんの意識が戻り、容態が安定しました! 一命を取り留めました!』
「ほ、本当か!!」
「そ、所長が……!」
潮崎が声を上げ、瀬戸も安堵の息を吐き出す。博士は「おお……!」と声を上げ、安堵の涙を流しながら膝から崩れ落ちた。圭人と灰原が、左右からその体をしっかりと支える。
「良かったわね、博士」
灰原の短い、けれど温かい言葉に、博士は何度も頷いた。
嵐はいつの間にかピークを過ぎ、遠くで雨脚が弱まる音が聞こえ始めていた。満島が警察に連れられていく背中を、沖矢は再び穏やかな「大学院生」の顔に戻って見送った。