ヒーローと探偵 作:タルマヨ
「……え? 橋下さん……ですか?」
圭人は混乱した。声が、先ほどまで話していた男と全く違う。電話の主は、さらに言葉を続けた。
『はい。私の部下の麻美理沙という女性が失踪しまして。彼女、取引先の稲森という男にストーカー被害を受けていたんです。そいつはうちのお得意先の御偉いさんの息子で、私も強くは言えず……』
圭人の背筋に冷たいものが走った。
「……ちょっと待ってください。その依頼、もう受けましたよね?」
『え? いえ、そちらにお電話するのは初めてですが……』
「そ、そうですか…」
電話を切った圭人が、隣のコナンと目を合わせた。二人の結論は一つだった。
「「……まさか、あの『橋下』って男……!」」
「――正解だよ。よくそこまで辿り着いたね」
背後から、低くねっとりとした声が響いた。
振り返ると、そこには先ほどカフェで別れたはずの自称・橋下――実の名を稲森が、ガラの悪いチンピラを三人引き連れて立っていた。
「僕みたいな素人の尾行にも気づかないなんて、意外と詰めが甘いんだね、探偵さん」
「稲森……さん……!?」
麻美が悲鳴に近い声を上げる。稲森は歪んだ笑みを浮かべ、麻美に一歩ずつ歩み寄った。
「理沙ちゃん、やっと見つけたよ。会社を辞めてまで逃げるなんて水臭いじゃないか。君がどこにいても、僕は必ず見つけ出すって言っただろう?」
「来ないで! 助けて!」
恐怖に耐えかねた麻美は店を飛び出し、暗い路地裏へと逃げ込んだ。
「追え!」
稲森の号令で、男たちが麻美を追いかける。圭人とコナンも即座にその後を追った。
行き止まりの路地裏で、麻美が追い詰められる。立ちはだかった圭人の前に、三人の男たちが拳を握って迫る。
「どけよ、兄ちゃん!」
「悪いけど、それはできない相談だ」
襲いかかる二人を、圭人は流れるような動作で受け流し、急所を突いて一瞬で沈めた。残る一人がナイフを取り出そうとした瞬間、コナンの腕時計型麻酔銃が火を噴く。
「うっ……」
最後の一人も、崩れるように眠りに落ちた。
「……君、ただの探偵じゃないね」
稲森が顔を歪ませ、圭人を睨みつける。圭人は静かに構えを取った。
「アンタの執着はもう終わりだ、稲森。大人しく出頭してくれ」
「終わり? 冗談じゃない……。理沙ちゃんは僕のものだ。邪魔をするなら、お前も消してやる……!」
稲森の身体が、不気味な黒い霧に包まれた。
ミシミシと骨が軋む音が響き、彼の身長は一気に一メートル九十センチ近くまで膨れ上がる。皮膚は硬質な甲殻に覆われ、背中からは巨大な蠍の尾が突き出した。
「なっ……!?」
「蠍のゾルブ……。鬼人クラスか…。心を食われて、もう手遅れみたいだな」
コナンの言葉通り、そこにいたのは人間ではなかった。蠍の姿へと変貌を遂げた化け物が、咆哮を上げる。
「麻美さん、こっちへ!」
驚きで腰を抜かしていた麻美を、コナンが素早く誘導して安全な場所へ避難させる。
「圭人、後は頼んだぞ」
「ああ、任せろ」
コナンが麻美を連れて物陰へ隠れたのを見届け、圭人は一人、化け物の前に立つ。
無言のまま懐からスパークレンスハイパーを取り出し、静かにそれを掲げた。
目も眩むような閃光が路地裏を包み込み、そこには光の戦士、ティガが降臨していた。
コンビニの裏路地は喧騒から隔絶された異空間のようだった。ゴミ収集箱が並ぶ狭い空間に、二人の「何か」が対峙していた。
一方は、銀を基調とし、赤と青紫のラインが流れるような体躯を持つ戦士――ティガ。身長190センチ、人間の姿ながら、その存在は明らかに常軌を逸していた。もう一方は、蠍のような外骨格に覆われた鬼人ゾルブも190センチの巨体。路地の壁に触れんばかりで、尾のようにしなる鋭い尻尾がゆっくりと動く。
風が一枚のビニール袋を舞い上げた瞬間、動いたのはゾルブだった。壁を蹴り、爆発的な加速で突進する。ティガは間一髪、身をかわす。ゾルブの拳がコンクリートの壁を砕き、粉塵が舞い上がる。
ティガの反撃は静かだった。踏み込む足音もなく、掌底がゾルブの脇腹を捉える。鈍い音。ゾルブは僅かに体勢を崩すが、すぐに尻尾をしならせる。ティガは後方へ飛び退き、鋭い尾先が眼前をかすめる。
《……速いな》
思考と呼べるかどうかわからない、意識の閃き。ティガの目はゾルブの動きを追う。蠍の鬼人は、不合理な関節の動きで襲いかかる。壁を伝い、天井に張り付き、あらゆる角度から攻撃を繰り出す。
ティガの動きは流れるような回避と最小限の打撃。銀の拳が外骨格を叩き、青紫の軌跡が残る。一撃ごとに、ゾルブの動きが僅かに鈍る。だが、逆もまた真なり。ゾルブの爪がティガの肩を掠め、赤い何か――血ではない、光に近い液体が飛散する。
互いの距離が詰まり、組み合う。ゾルブの力は圧倒的だ。ティガの足がアスファルトを削り、後退する。外骨格に覆われた腕が締め上げてくる。呼吸が苦しい。
その時、ティガの胸の中央、あの菱形の結晶が、不規則に明滅し始めた。
点滅。赤い警告のリズム。
ゾルブの複眼が、その光を捉える。締め付ける力が一瞬緩む。その隙だ。ティガの額、眉間の上部にある透明なクリスタルが、突然、深紅の輝きを宿した。
次の動きは一連の流れだった。
両腕を胸の前へ。左手が右肩の上へ、右手が左肩の上へ。まるで自身を抱きしめるように、しかしそれは一瞬の交叉――Xの字を描く。
その瞬間、路地裏に赤い閃光が走った。
銀と青紫の体色が、一瞬で燃えるような深紅へと変容した。体躯そのものは変わらないが、筋肉の隆起がより明確になり、立ち姿に重々しい威圧感が加わる。パワータイプ。形態転換の光の残像がまだ網膜に焼き付いているうちに、ティガは動いた。
動きそのものは、以前より「遅く」見えた。だが、その一歩の踏み込みが、アスファルトを割った。
ゾルブが襲いかかる。先ほどと同じ、壁を利用した高速の側面攻撃。
赤いティガは、わずかに体勢を低くする。
そして、振り抜いた。狙いすましたというより、軌道上にたまたま現れたゾルブの胴体を、紅の拳が直撃した。
鈍重で乾いた音。外骨格に亀裂が走る。ゾルブの巨体が、吹き飛ばされるようにして反対側の壁に激突し、金属のゴミ箱を押し潰す。ゾルブは起き上がる。だが、動きに明らかな軋みが生じていた。複眼が赤い戦士を捉え、初めて後退の一歩を踏み出そうとする。
《遅いっ》
赤い影が路地を埋め尽くす。ティガの突進は風を切り、圧力を生んだ。ゾルブは必死に尻尾を突き出す。毒針の付いた先端が、ティガの胸を狙う。ティガはそれを、左手で掴んだ。ぎしり、と外骨格が軋む音。握り潰すわけではない。動きを止めた。そして右手を引く。ゾルブはもう一方の爪で応戦しようとするが、紅の掌底がその腕を弾き、中段が完全に空く。次の一撃は、ゾルブの心窩へ、ゆっくりと、しかし確実に沈められた。
「ぐあっ……!」
初めて聞く、蠍の唸り。ゾルブの体が折り曲がり、膝がつく。ティガは掴んでいた尻尾を放し、一歩下がる。戦いは決した。あとは終わらせるだけ。
赤い戦士の構えが変わる。両腕を、斜め下へ大きく広げる。掌は前に向け、指は力を込めて伸びる。路地の空気が震え始める。ゴミの切れ端が微かに舞い、地面の小さな砂利が跳ねる。ゆっくりと、その腕が大きく弧を描いて上方へ回される。風を切る音ではなく、エネルギーが凝縮される重い唸り。
胸の前で、左右の掌が向かい合う。その狭間で、大気中の光、熱、すべてのエネルギーが吸い寄せられ、圧縮されていく。赤い閃光が幾重にも渦を巻き、拳大の灼熱の光球となる。ティガの手は、その危険な輝きを左右から包み込むように掴む。
ゾルブは起き上がろうとする。複眼に映る赤い光球に、本能的な恐怖が走る。逃げなければ…動けない。先の一撃で、外骨格の内部が破壊されていた。
ティガは、光球を宿した右手を、ゆっくりと後方へ振りかぶる。
一瞬の静止。
そして、敵へとまっすぐ伸ばす。
《はぁぁぁぁ!》
意志が解放される。
光球は形を崩し、収束されたエネルギーが一気に奔流と化す。赤い光の大河が、狭い路地をまっすぐに貫いた。それは熱ではなく、純粋な破壊の意志そのものだった。
光はゾルブを粉砕した。既にゾルブに寄生されていた稲森の身体は無くなり、残ったのは銀の砂だけ。
ティガは静かに息を吐きながら、変身を解除した。戦いの熱が冷め、路地の日常的な匂い――ゴミと埃と漂白剤の匂いが戻ってくる。
その時だった。
頭の中を、鋭い痛みのような映像が走る。
――闇。漆黒の闇。その中で蠢く、自分自身のシルエット。しかし、色は黒い。銀でも赤でも青紫でもない、全てを吸い込む深淵の黒。黒いティガが、何者かと戦っている。その動きは狂っている。獣のよう。喜んでいるよう。破壊そのものを愉しんでいるよう――
映像は一瞬で消える。
「……まただ!またあの姿だっ…クッ……」
脳裏を掠めた不吉な黒い影の残像を振り払うように、圭人は強く頭を振った。変身を解いた路地裏には、凄惨な戦いの痕跡が残されている。ゾルブの依代となっていた稲森の肉体は消滅し、そこには彼が人間ではなかった証である「銀の砂」が、夕方の風に舞いながら静かに降り積もっていた。
「圭人、大丈夫か」
物陰から麻美を連れて現れたコナンが、鋭い視線で周囲を警戒しながら声をかける。
「ああ……なんとかね。それより、麻美さんは?」
「腰を抜かしてるけど、怪我はねぇよ」
やがて、遠くからサイレンの音が近づいてきた。コナンが事態の急変を受けて、即座に目暮警部たちへ直接通報を入れたのだ。目暮を筆頭に、高木や佐藤たちが路地へ踏み込んでくる。
気絶していた三人のチンピラは即座に確保され、手錠をかけられた。
「星野君、コナン君! 無事かね!」
目暮が駆け寄り、周囲の破壊痕跡と地面に散らばる銀の砂を見て、表情を険しくした。
「……やはり出たか。今回の犯人も『ゾルブ』という怪物だったのだな」
「ええ。依頼人の橋下を名乗っていた稲森という男が、中級クラスの蠍のゾルブに変貌しました。……ですが、間一髪でティガが現れて、彼を浄化してくれました」
圭人が静かに告げると、目暮は深く頷いた。
「そうか……。また彼に救われたというわけか。依代となった人間を救う手立てがない以上、致し方あるまい……」
現場には本物の橋下も到着し、震える麻美と合流した。
「ああ、理沙君! 無事でよかった……本当に申し訳ない。私の監督不行き届きだ」
「課長……。いいえ、助けていただいて、ありがとうございます」
涙を流す麻美を、橋下が沈痛な面持ちで支える。麻美は、自分を執拗に追い詰めていたストーカーの正体が、信頼していたはずの取引先の男だったことに絶句していた。
結局、依頼人そのものが凶悪なストーカーであり、既にゾルブに変貌していたという事実に、圭人とコナンはやりきれない沈黙を共有した。
「……結局、報酬は受け取れないな。依頼人本人があんなことになっちゃあ」
「ああ。皮肉なもんだぜ。『可愛い部下を守ってくれ』っていう依頼を、まさか依頼人自身から守る形で果たすことになるとはな」
圭人はアストロウォッチを操作し、事務所で待つ蘭へ連絡を入れた。
「あ、蘭? うん、依頼は解決したよ。……いや、結局おじさんが出るまでもない、ちょっとした勘違い……というか、警察が介入するような事件になっちゃって。報酬? それが、色々諸事情があって報酬は無しなんだ。ごめんよ」
苦笑いしながら状況を濁す圭人の横で、コナンも小さく溜息をついた。
◆
数時間後。
事件の処理を終え、疲れ果てた二人は米花町へと戻ってきた。月明かりの下、阿笠邸の門の前まで辿り着いた時だ。
「――あら、おかえりなさい。随分と遅かったじゃない、二人とも」
背後からかけられた、華やかで、どこか悪戯っぽい響きを持つ声。
二人が弾かれたように振り返ると、そこには夜の静寂に似つかわしくない、洗練されたオーラを纏った美女が立っていた。
「……えっ!? ゆ、有希子さ……?」
圭人が驚愕に目を見開く。その隣で、コナンは引き攣ったような声を上げた。
「か……母さんっ!?」
工藤有希子は、驚く二人を見て満足そうに微笑むと、優雅に髪をかき上げた。
物語は、予期せぬ来訪者によって新たな局面を迎えようとしていた。