ヒーローと探偵   作:タルマヨ

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仇討ち


 毛利探偵事務所の窓の外では、春の柔らかな日差しが東京の街を照らしていた。しかし、事務所内に漂う空気は、どこか落ち着かない熱を帯びている。

「実はな、おっちゃん。大阪で知り合ったおっちゃんから、ある相談を受けたんや」

ソファにどっかと腰を下ろした服部平次が、いつになく低い声で切り出した。その隣には、心配そうに彼を見つめる遠山和葉の姿もある。

「息子の自殺の真相を調べてほしい、とな。どうも東京の広告代理店が深く絡んどるみたいで、俺らだけじゃあ足が足りん。……よー聞いたら、かなりエグい話になりそうなんや」

「ちょっと平次、厄介って分かってるなら一人で突っ走らんといてや!」

「やかましいわ。お前は付いてきただけやろ。……あ、星野も居ったんか。お前が居てくれると助かるわ」

平次の言葉に、窓際で外を眺めていた星野圭人が振り返る。

「うん、事情は分かったよ。平次がわざわざ東京まで来るなんて、相当なことなんだね」

その時、事務所のドアが静かに、だが重々しく開いた。

入ってきたのは、初老の男性、奥寺明彦。使い古されたスーツの肩を落とし、まるで魂が抜けたような足取りで部屋の中央に立つと、彼は深々と、折れそうなほど長く頭を下げた。

「……毛利先生。突然、申し訳ございません。服部さんからお聞きしているかもしれませんが……」

奥寺は顔を上げたが、その瞳には光がなく、深い隈が刻まれていた。絞り出すような声が、静まり返った事務所に響く。

「息子……年男は、真面目だけが取り柄の、本当に一生懸命な社員やったんです。それが、あんな……。私は、あの子が自ら命を絶つなんて、どうしても信じられんのです。会社に……会社に殺されたんやないかって……」

奥寺の唇が小刻みに震え、こらえきれずに一筋の涙が頬を伝う。

それまで競馬新聞を片手に茶化そうとしていた毛利小五郎だったが、そのあまりに悲痛な姿に、ゆっくりと新聞をデスクに置いた。

「……成る程。息子さんが自殺、ですか。奥寺さん、まずは座ってください。蘭、お茶を」

「あ、はい……」

蘭が慌てて淹れたお茶を差し出すと、奥寺は震える手でそれを受け取り、「……すみません、おおきに」と蚊の鳴くような声で礼を言った。

ふと、背後のテレビから軽快なジングルと共にニュースが流れる。

 

『――続いてのニュースです。新宿区内の駅構内や路上で、ホステスの女性やJR社員を執拗に脅していた恐喝男が逮捕されました……』

画面の中では、派手なシャツを着た男が連行されながら騒いでいる。そんな、どこか日常的で矮小な悪意のニュース。それが、いま目の前で一人の父親を絶望に突き落としている「目に見えない巨大な悪」との対比を、残酷なまでに浮き彫りにしていた。

コナンは、ソファの隅で奥寺のわずかな表情の変化も見逃さなかった。

(広告代理店に、自殺の真相……。単なる過労死や悩み事じゃない。お父さんがここまで怯えているのは、何かに『口を塞がれた』からか?)

 

「ええか? おっちゃん。まずは俺とボウズ、星野で現場周辺を洗う。おっちゃんと和葉、蘭姉ちゃんは事務所で待機や。ええな?」

調査方針を巡り、平次がテキパキと役割を振っていく。

「おいコラ! 何で大阪の探偵ボウズが俺を顎で使ってんだ! 大体、何でそのガキまで連れて行くんだよ!」

「これ、俺が持ってきた依頼や言うたやろ! 東京の地理に詳しいおっちゃんがドッシリ構えとってくれんのが一番なんや。それに……」

平次はジト目を向けているコナンを指差してニヤリと笑った。

「このガキも中々使えるからな。な、コ、コナン君?」

「え、あ、うん……。僕、平次兄ちゃんのお手伝いするよ!(いい加減慣れろよな!)」

コナンが子供らしく振る舞うのを横目に、圭人は再び奥寺の前に腰を下ろした。

「……奥寺さん。一つ、確認させていただけますか? どうして警察には、これ以上頼らなかったのでしょうか。息子さんの死に不自然な点があるのなら、本来なら警察が動くべき案件だと思うのですが」

その問いに、奥寺の表情が激しく歪んだ。

「……行きました。何度も、何度も警察署に足を運びましたわ。でもな、警察からは『息子さんは痴漢の常習者だった』と言われたんです。会社の上司……飯島という男が、目撃証拠があると言い張り、牧瀬みどりという被害者の証言も揃っておった。警察は『自殺の動機は痴漢の罪の重圧だ』と決めつけて、まともに取り合ってくれへんかった……」

奥寺は膝の上で拳を握りしめた。

「『証拠不十分だ、もう立件は終わってる』って門前払いや。しかも、私が一人で調べようとした途端、家の周りに不審な車が回るようになって……夜中には『余計な真似はするな』という脅しの電話が。……あの上司は、裏で芸能プロダクションの社長と繋がってるという噂があります。もう、法なんて信じられん。家族にまで危害が及ぶと思ったら、怖くて……」

震える声で語られる事実に、事務所の空気が一気に凍りつく。

「卑怯やわ……そんなん、あんまりや……」

和葉が悔しそうに声を詰まらせ、蘭もまた奥寺の苦しみを受け止めるように、沈痛な面持ちで俯いた。

「……そうですか。そんなことが……」

圭人は静かに、だが確かな意志を込めて奥寺の目を見つめた。

「奥寺さん、もう大丈夫ですよ。あなたが動けないのであれば、俺たちが代わりに動きます。警察が見逃したその『証拠』とやらが本当に正しいものなのか、俺たちが必ず暴いてみせますから」

コナンの眼鏡の奥に、鋭い光が宿る。

巨大な広告代理店と、その背後にうごめく芸能界の闇。

一人の青年の名誉と、父親の涙。

探偵たちは、既にその重すぎる因縁の中に足を踏み入れていた。

 

 

 

 

 

 事務所を出て、春の日差しが照りつける米花町の街頭を三人は歩き出した。平次が先頭を切り、その後ろを圭人とコナンが並んで歩く。

「さて、まずはその広告代理店の周りから洗っていくか。……そういえば星野、お前今もまだヒーローごっこは続けとんのか?」

不意に平次が、思い出したようにニヤニヤしながら肩越しに振り返った。

「ヒーローごっこって……お前ねぇ、こっちも色々大変なんだから。世の中には、変身しなきゃ守れないものだってあるんだよ」

圭人は困ったように眉を下げて応じる。その隣で、コナンが呆れたように小さく肩をすくめた。

「まあ、圭人の場合は『ごっこ』で済まないレベルの修羅場を潜り抜けてるからな。……服部、オメーこそ、大阪で変な首突っ込みすぎて和葉ちゃんに怒られないようにしろよ」

「へっ、和葉の小言はいつものことや。で……冗談や冗談。テレビでよーみるからなぁ、変身したお前の姿は。えらい人気者やないか」

平次が笑いながら言うと、圭人は黙ってジト目を向けた。

「……茶化すなら先に帰っていいよ、平次」

「ハハッ、悪かったって! さあ、仕事や仕事!」

 

調査が始まると、三人の空気は一変した。

コナンは子供のフリをして代理店の入るビル周辺の喫煙所やカフェを回り、社員たちの世間話に耳を立てる。平次と圭人は、年男が所属していた部署の関係者を個別に当たり、執拗に揺さぶりをかけた。

 

 

数時間の聞き込みの末、三人は人気のない路地裏で合流した。コナンが手帳を片手に、鋭い表情で口を開く。

「……間違いない。年男さんの直属の上司は飯島毅。そして、その飯島としょっちゅう密会してたのが、外部の芸能プロダクション『バンバ・プロ』の社長、番場忠之だ」

コナンの報告に、平次が忌々しそうに顔をしかめる。

「やっぱり裏で繋がっとったか。社員たちの間でも、あの二人の関係は有名みたいやな。表に出せんような汚い仕事を、年男さんに押し付けとったんやろ」

「うん、その通りだよ」

圭人が、手元にまとめた証言を指でなぞりながら続けた。

「聞き込みで分かったんだけど、年男さんは正義感が強すぎて、飯島たちがやってた芸能界の裏工作……不正な仕事の押しつけや金銭の受発注に気付いて、真っ向から反発してたみたいなんだ。だから飯島たちは、口封じのために『痴漢事件』を捏造したんだね」

「その捏造、手貸した奴がおるんやろ?」

平次が鋭く問うと、圭人が頷く。

「共犯者は、同じ部署の加田里子という女性。彼女が年男さんの行動予定を飯島に流して、現場をお膳立てしたんだよ。さらに、被害者を装った牧瀬みどりっていう女性の証言……あれ、当時の電車の遅延状況と照らし合わせると、時間的な矛盾だらけなんだ。物理的に、年男さんがその車両に乗っていることは不可能だったんだよ」

「捏造の泥を塗って、社会的に殺してから物理的に追い詰めた……っちゅうわけか。胸クソ悪い話やな」

平次が吐き捨てるように言ったその時、コナンの携帯に新たな着信が入った。画面を確認したコナンの表情が、さらに険しくなる。

「……それだけじゃないぞ。飯島と番場の周辺を嗅ぎ回っていた代理店の関係者の女性が、数日前に不審な死を遂げてる。表向きは事故死だけど、不自然な点が多すぎるな」

コナンの言葉に、平次が息を呑む。

「消されたんか……?」

「ああ、その可能性が高い」

コナンが周囲を警戒するように視線を走らせ、声を低めた。

「どうやら番場の後ろには、かなりタチの悪いヤクザがついてるみたいだ。奥寺さんが怯えていたのは正解だったよ。あいつら、自分たちの利権を守るためなら、邪魔者は誰だろうと冷酷に排除する……そういう手口に慣れてる連中だ」

圭人の瞳から、先ほどまでの柔らかさが消え、静かな怒りが宿った。

「……ただの会社内の不正じゃない。これは、組織的な犯罪だね。一人の青年の名誉を奪うだけじゃ飽き足らず、命まで弄ぶなんて……」

夕闇が迫る中、三人の影が長く伸びる。

浮き彫りになったのは、飯島毅と番場忠之という二人の男が作り上げた、嘘と暴力の檻。一人の実直な青年を死に追いやり、さらにその真実を追う者さえも闇に葬ろうとする、底なしの悪意だった。

「法が裁かんのなら、俺らがその化けの皮、剥がしてやるまでや」

平次の言葉に、コナンと圭人は無言で、だが強く頷いた。

危険な陰謀の渦中へ、三人はさらに深く足を踏み入れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕闇が米花町を包み込み、街灯が寒々しく灯り始めた。平次は路地裏で拳を強く握りしめ、絞り出すような声で吐き捨てた。

「……警察が動かんのも、相手がヤクザやからやろか。……許せへん、こんな理不尽があってたまるか!」

平次はスマホを取り出すと、毛利探偵事務所で待機している小五郎へ発信した。これまでに集めた、飯島と番場の癒着、捏造された痴漢事件、そして口封じの殺人の可能性。その全てを伝えると、受話器越しに小五郎の低い怒声が響いた。

『くそっ、会社とヤクザが癒着してるような事件か。……放っとけねえな、胸クソの悪い』

「おっちゃん、おっちゃん達は一応目暮警部に連絡しといてくれ! 証拠のデータは今から送るさかい!」

『な、何? お前たちはどうするんだ? おい、待て!』

「……さぁのう……。ちーとばかし、直接挨拶に行ってくるわ」

平次は短くそう言って電話を切った。

全ての証拠が揃った夜。一行は新宿の雑居ビルにある番場エンタープライズの前に立っていた。

「相手はヤクザやろ? それでも、ここらでケジメつけさせなアカンわ。俺らで真相を暴いたる!」

平次の気合の入った声に、コナンが頷こうとしたが、平次はそれを制した。

「工藤、お前は今はガキの姿や。お前に何かあったら探偵事務所の姉ちゃんに何言われるか分からへんからなぁ……。ここは俺と星野に任せとき」

「……圭人、いいのか?」

「うん。大丈夫だよ。俺たちに何かあったら、そのときはイチ……お前に全て任せる。後ろは頼んだよ」

「そういうこっちゃ」

コナンは「……分かったよ。無理すんなよ、二人とも」と渋々納得し、暗がりに身を潜めた。

 

 

 

事務所のドアを、平次が勢いよく蹴り開ける。

中にはソファに踏んり返る番場忠之と飯島毅、そして周囲を固めるヤクザ風の男たちが7名。

「あァ? なんだてめえら。餓鬼の使いか?」

番場は煙草を灰皿に押し付けながら、圭人と平次を値踏みするように睨みつけた。

「……見たところ、ただのガキじゃなさそうだな。どこの組の差し金だ?」

「どうも。地獄への片道切符、お届けに参りました」

圭人が鋭い目つきで言い放つと、室内の空気が一瞬で凍りついた。平次は壁に立てかけてあった木刀を迷わず手に取り、不敵な笑みを浮かべる。

「地獄だと……? 面白い。ハハッ、餓鬼のくせに大層な口を叩きやがる! ここは俺の城だぞ、てめえら! ナメやがって……ぶち殺せ!」

番場の怒号と共に、ナイフや棍棒を手にした男たちが一斉に襲いかかってきた。

「せいやッ!」

平次は剣道の達人らしい鋭い間合いで懐に入り、木刀での「突き」を活かした掌底を男の顎に叩き込む。そのまま体当たりで一人を吹き飛ばし、素早い回転技で棍棒を振り下ろそうとした男の脛を薙ぎ払った。

圭人も流れるような格闘術で男たちの攻撃をいなし、最短距離で一人一人を確実に沈めていく。その時、二人の死角である背後から一人の男がナイフを振りかざして迫った。

その瞬間、入り口で見守っていたコナンの眼鏡が冷徹に光った。彼は一瞬の迷いもなく左腕の腕時計型麻酔銃を構え、トリガーを引いた。

シュッ、と小さな風切り音が響く。男の首筋に針が正確に突き刺さり、男は圭人の背中に倒れ込むようにして崩れ落ちた。

「……遅いぞ二人とも。格闘に夢中になりすぎだ」

入り口に立つコナンの手には、既に証拠のボイスレコーダーが握られていた。

「番場さん、飯島さん。あんたたちが年男さんに着せた痴漢の罪。牧瀬みどりの証言と当時の列車の運行記録、照らし合わせたら全部ボロが出たよ。加田里子から情報を買ったことも、口封じの殺人もね」

コナンが冷徹な声で推理を突きつけると、番場は顔を真っ青にして震え出した。しかし、その混乱の隙を突き、飯島毅だけが裏口から必死の形相で逃げ出していった。

「飯島が逃げおった!」

平次の鋭い叫びに、コナンが瞬時に反応する。

「服部、任せろ!」

コナンはすぐさま追おうとしたが、倒れた手下たちが入り口を塞いでおり、わずかに足止めを食らう。その一瞬の隙に、飯島は夜の街へと消えていった。

「クソッ…!」

一方で、番場がデスクの引き出しに手をかけようとした瞬間、圭人の身体がバネのように弾けた。

「悪いけど、手加減は抜きだよ」

圭人はデスクを跳び越え、番場の手首を踏みつけて銃を封じると、顔面に鋭い掌底を叩き込んだ。さらに腕を取り、一気に床に叩きつける。衝撃で意識が飛びかけた番場の腹部へ、追い打ちをかけるように膝を深く沈めた。そこへ、サイレンの音と共に目暮警部たちが踏み込んでくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の昼下がり。街の喧騒から少し外れた公園のベンチ。

飯島毅は警察とヤクザの両方から逃れるように身を潜め、震える手でタバコに火をつけようとしていた。

「……あ」

背後に人の気配を感じ、飯島が振り返る。そこに立っていたのは、虚ろな瞳をした奥寺明彦だった。奥寺は何も言わず、ただ静かに、コートの内に隠し持っていた包丁を抜き放った。

「や、やめろ……! 助けてく……!」

叫びは届かない。奥寺は渾身の力で、飯島の背中を深く突き刺した。一発、二発……何度も、何度も。駆けつけた警察官たちが奥寺を取り押さえたが、彼は抵抗することもなく、血に染まった包丁を落としてただ静かに涙を流していた。

毛利探偵事務所のテレビからは、中継ニュースが流れていた。

『――本日午後1時過ぎ、千代田区内の公園で、指名手配中だった広告代理店社員、飯島毅容疑者が刺殺されました。警視庁はその場にいた奥寺明彦容疑者を殺人未遂の疑いで現行犯逮捕しました。奥寺容疑者は調べに対し、「息子を殺した男を許せなかった。これで、あの子のところへ行ける」と容疑を認めているということです』

アナウンサーの淡々とした声が、皮肉なほど静かな事務所内に響き渡る。小五郎は手にしていた湯呑みを机に置き、深く、重いため息をついた。

「……世の中、ままならねえな。ヤクザ相手に証拠を揃えて、ようやく悪事が暴かれたってのに……結局、こんな終わり方かよ」

隣に座る蘭は画面に映る奥寺の姿を正視できず、和葉の肩に顔を埋めて震えている。平次は事務所の壁に寄りかかり、苦虫を噛み潰したような顔で床を睨みつけていた。

「……法で裁けへんからって、自分でケリをつけるしかなかったんか。俺らが動いたんは、あのおっちゃんに人殺しをさせんためでもあったはずやろ。クソッ……!」

圭人はテレビのスイッチを静かに切った。画面が暗転し、事務所に本当の沈黙が訪れる。

「奥寺さん……ずっと、あの包丁を持っていたんだね。俺たちが証拠を暴こうが暴くまいが、最初から自分の手で終わらせるつもりだったんだ……」

圭人の声は低く、沈んでいた。

 

コナンは一人、窓の外を見つめていた。夕暮れに染まり始めた米花町の街並み。

(…俺は真実を暴けば、全てが解決すると思っていたのか……? 嘘を剥ぎ取った後に残ったのは、救いでも希望でもない。ただの、剥き出しの悲劇だ。俺たちが暴いた真実は、あの奥寺さんの背中を押す刃に変わってしまった……。奪われた命は二度と戻らない。たとえ黒幕を地獄へ叩き落としたとしても、失われた平穏が戻るわけじゃねぇんだ……)

都会の空は、どこまでも冷たく、濁っていた。

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