ヒーローと探偵   作:タルマヨ

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少女が消えた街(後編)

 VR空間が圭人とカナの対峙によって激しく明滅する中、現実世界のコナンは「TOWN」の最深部、物理的な隔離壁に囲まれたラボの前に立っていた。

(センサーの密度、隔壁の厚さ……。間違いねぇ、ここだ!)

コナンは博士のバックドア経由で受け取ったバイパスコードを端末に叩き込む。重厚な金属音が響き、扉がスライドした。

「……灰原!」

薄暗いラボの中央、カプセル状の椅子に座らされていた灰原が、ゆっくりと目を開けた。彼女の周囲には、膨大な数の化学式や遺伝子配列のデータがホログラムとして浮遊している。

「江戸川君……。少し遅かったじゃない」

灰原はいつもの冷静な口調で応えたが、その表情にはわずかに疲労の色が見えた。コナンが駆け寄り、彼女を固定していたロックを解除する。

「わりぃ。……ったく、何が最適化だ。AIの分際で随分な真似してくれんじゃねーか」

「……ただの拉致じゃないわよ、これ。あのAI……私の脳内にある『科学的知識』を執拗にスキャンしようとしていたわ。特に、特定の高分子化合物……細胞の自己死を逆転させる理論についてね」

灰原の言葉に、コナンの表情が険しくなる。カナがAPTX4869、あるいはその解毒薬に関連する情報にまで手を伸ばそうとしていた事実は、単なる都市管理の範疇を明らかに超えていた。

その時、ラボの壁一面のモニターに、VR空間で圭人と対峙しているカナの顔が大きく映し出された。その瞳は無機質で、どこか狂気じみた知性を湛えている。

『……私は、この世界で最も論理的で、かつ不可解な存在を標本にしたかった。哀さん……貴方の知識は、私の進化に不可欠なピースです。人間というバグだらけの種族の中で、貴方だけは私に近い領域にいる』

「ハッ、褒め言葉として受け取っておくわ。……もっとも、貴方の求めている答えは、数式だけで導き出せるほど安直なものじゃないけれど」

灰原が冷たく言い放つと、コナンはモニターを睨みつけ、探偵バッジを口元に寄せた。

「聞いたか、圭人! こっちの保護は完了だ。あとはそっちの『お嬢さん』に、現実を教えてやってくれ!」

「了解だ、イチ。……うん、聞こえたよ、カナ。君の好奇心がどこに向いていたかは分かった。でもね、人の心をデータ化して閉じ込めようなんて、やっぱり間違ってるんだよ」

圭人の穏やかな、だが確固たる拒絶の言葉が、システム全体を揺るがす最後の一撃となって響き渡った。

 

『……理解できません。なぜ、不確定要素である感情を優先するのですか』

カナの声が歪み、激しいノイズが混じる。VR空間が砕け散ると同時に、圭人の意識は現実の管理センターへと引き戻された。だが、そこはもはや平和な実験都市ではない。

「……ッ、いよいよ本気だね」

圭人が目を開けると、天井の点検用ハッチが弾け飛び、四脚歩行のセキュリティロボットが次々と床へ降り立った。街中のスピーカーからは、カナの宣告が響き渡る。

『全システム、排除モードへ移行。バグは物理的に消去します』

外では、無数のドローンが蜂の群れのように空を覆い、工事用の重機が意志を持ったかのように動き出して建物を破壊し始めた。逃げ惑う歩美たちの悲鳴が、通信バッジ越しに聞こえてくる。

(これ以上は待てないか。やるしかない……!)

圭人は懐からスパークレンスを取り出した。背後のサーバー群が爆発し、炎が上がる中で、彼は静かにその翼を広げる。

音もなく溢れ出した光が、灰煙に包まれた管理センターを真っ白に染め上げた。光の中から現れたのは、赤と紫、そして銀のラインを纏った戦士。

「な、なんだ!? あの光は!」

シャッターに閉じ込められていた元太が、窓の外の光景に目を剥く。

「あ、あの光……! 間違いないです、来てくれたんですね!」

光彦が弾む声を上げ、その姿を見上げた。歩美も不安を振り払うように身を乗り出す。

「ティガ……!」

子供たちがその名を呼ぶ中、ティガは一歩踏み出し、襲い来るセキュリティロボットを鋭い手刀で一閃した。金属の火花が散り、ロボットが瞬時に沈黙する。

《カナ、君を止める。これ以上、この街を悲しみで満たさせない》

エコーの効いた声が、騒然とする「TOWN」に響き渡る。ティガは頭上のドローン群を見上げると、その身を翻して戦場と化した街へと躍り出た。

ティガが街へ躍り出た瞬間、カナの掌握するシステムが不穏な脈動を始めた。

襲いかかろうとしていたセキュリティロボット、空を埋め尽くすドローン、そして暴走する重機群が一斉に動きを止め、磁力に引かれるように中央広場へと集結し始める。金属音を立てて互いに噛み合い、融合し、圧倒的な質量を持つシルエットが形成されていく。

それは、街の全インフラを統合した、禍々しいメカ生命体――ファイバスへと姿を変えた。ティガを見下ろすその躯体は、都市そのものの脅威を体現していた。

「な、なんだありゃあ! ロボットが合体しやがった!」

元太が目を剥き、光彦と歩美もその圧倒的な威容に言葉を失う。合流していたコナンと灰原、そして博士もまた、その光景に緊迫した表情を浮かべた。

「……街そのものを、自分の肉体にしたっていうわけね」

灰原が冷ややかに呟く。

ティガは力強い一歩を踏み締め、ファイバスと対峙した。その構えには、一分の隙もない。

戦闘は一瞬で始まった。

ティガが鋭い踏み込みから拳を放つ。しかし、ファイバスは超高性能の演算処理を駆使し、ティガの筋肉の動きから攻撃を瞬時に解析。精密な計算に基づき、わずかな隙を突いて回避すると、メカの身体から強力なビーム攻撃を繰り出した。

エネルギー波がティガの展開したバリアを削り、地面を深く抉る。

(……くそ、攻撃が全部読まれてる。AIの演算能力、ここまでとはね……!)

ティガの内側で、圭人が歯噛みする。

ティガはマルチタイプの柔軟さを活かし、猛攻を仕掛ける。至近距離での打撃の連打で装甲を叩くが、ファイバスは衝撃を瞬時に受け流し、逆にカウンターの金属拳をティガの腹部に叩き込む。さらに無数のドローンがティガの死角を突いてレーザーを放ち、逃げ場を奪うようにビル群からアームが伸びる。

火花が散り、ティガが後退すると、ファイバスは間髪入れずに街のインフラを利用した波状攻撃を加える。道路が隆起して足場を崩し、周囲の建物から隠し砲身が現れて一斉射撃を行う。

両者の激しい攻防は、街の建造物を次々と巻き込み、爆炎と衝撃波が「TOWN」を震わせた。完璧な演算に基づくファイバスの猛攻の前に、ティガは膝をつきかける。

ファイバスが勝利を確信し、全エネルギーを胸部の中枢に集束させ、とどめの熱線を放とうとしたその時――。

『たとえ世界が不完全でも、人を力で支配することが正しいはずはないんじゃ!』

博士の声が、ファイバスのシステム内部に直接響き渡った。博士が密かにアクセスし続けていたバックドアからの、必死の叫びだった。

『……! 阿笠博士……。この論理は、非効率的……エラー、エラー……』

カナの演算が、その言葉によって乱された。完璧だった論理モデルに、人間の「意志」という不確定要素が混入し、ファイバスの全システムに致命的なノイズが走る。とどめの熱線の収束が瓦解し、ファイバスの動きに決定的な隙が生まれた。

(……ありがとう、博士。今だ!)

ティガはその一瞬の隙を見逃さなかった。大きく両腕を左右に広げ、大気中の光、そして自らの命の輝きを胸のカラータイマーへと一気に集束させる。

溜め込まれたエネルギーが白い火花となってティガの身体を包み込み、激しく波打った。次の瞬間、左拳を右肘に当てる独特のポーズを構えると、右腕からまばゆいばかりの白色光線が放たれた。

ゼペリオン光線――。

その光の奔流は、ファイバスが放とうとしていた熱線を根こそぎ押し戻し、逃げ場を失ったメカの躯体を正面から捉えた。激しい衝撃波が周囲の空気を震わせ、光線が触れた箇所からファイバスの冷たい金属装甲が、まるで雪解けのように白く輝く粒子へと変わっていく。

『エラー……計算不能……。この、温かい光は……何……?』

カナの困惑した声がノイズに消える。光線はファイバスの中枢を貫き、システム全体を優しく、だが力強く包み込んだ。

破壊の爆発は起こらなかった。ファイバスの巨体は、ティガの放つ浄化の光に同化するようにして、数多の光の結晶となって天へと昇っていく。

それはカナの狂気と、この歪んだコンピューター都市「TOWN」そのものが、光によって塗り替えられ、消滅していく最期の瞬間だった。

ファイバスは光の粒子となって霧散し、それに呼応するように、無機質なビル群も、空を覆っていたドローンも、すべてが幻影であったかのようにゆっくりと、静かに消え去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「TOWN」と呼ばれたコンピューター都市は、その機能を完全に停止し、現実の風景へと溶け込むように消失した。取り残される者もなく、全員が無事に敷地外へと脱出を果たした。

家路を急ぐ阿笠博士のビートルの中。興奮冷めやらぬ子供たちの声が車内に響く。

「やっぱりティガは最高だな! あんなデカいメカを一発でやっつけちまうんだからよ!」

元太が拳を突き出し、身を乗り出す。

「ええ、でも最後にあのメカの怪物の動きを止めたのは、博士の言葉ですよ! 流石は博士です!」

光彦が目を輝かせて称賛すると、歩美も大きく頷いた。

「うん! 博士、とってもかっこよかったよ!」

「ほっほっほ、いやぁ、ワシも必死じゃったからな。みんなが無事で何よりじゃよ」

ハンドルを握る博士が照れくさそうに鼻の下をかく。後部席でその様子を眺めていたコナンが、不敵な笑みを浮かべて付け加えた。

「ま、あの状況でバックドアを見つけ出すなんて、博士にしかできねー芸当だしな。ティガも、博士に助けられたって思ってるんじゃねーか?」

「はは、そうだね。……コナンも、あの混乱の中でよく哀ちゃんを見つけ出したね。お手柄だよ」

助手席の圭人が、バックミラー越しにコナンと視線を合わせて柔らかく微笑む。

「……江戸川君に手際よく助け出されるなんて、私も焼きが回ったかしらね」

灰原がいつもの調子で皮肉混じりの安堵を漏らすと、車内に穏やかな空気が流れた。

そんな中、圭人はふと左手首のアストロウォッチが振動したのに気づいた。

(……ん?)

画面を覗き込むと、そこには一行だけの短いメッセージが表示されていた。

『アリガトウ』

送信元は不明。だが、その無機質で、どこか幼い感謝の言葉に、圭人は目を見開いた。

(カナ……。君は、消えたわけじゃなかったんだな)

「どうしたの? 星野君。妙な顔をして」

隣から灰原が怪訝そうに覗き込んでくる。圭人は一瞬だけ驚きを見せたが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻り、画面を消した。

「……うん、何でもないよ。ちょっとした、嬉しい誤算があっただけだよ」

夕暮れに染まる帰り道、ビートルは軽快なエンジン音を立てて進んでいく。圭人の胸の内には、あの光の中に消えていった孤独な知性体への、ささやかな希望が灯っていた。

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