Fire Ocean 大気圏焼却戦域   作:ウソカラマコト

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10 激突 / 代償 - バックフロー

## 激突

 

 ギャァァァァァン!!

 

 その抱擁を、無機質な警告音が切り裂いた。

 背後のエアロック外壁が赤熱し、溶断されていく。

 ヒューッ、という甲高い音が鼓膜を刺す。空気が漏れていた。

 

 世界が白く濁る。

 急激な気圧低下による断熱膨張。室内の空気が瞬時に霧となり、絶対零度の宇宙へと吸い出されていく。

 肌にまとわりつく湿気と、凍てつくような寒気。

 生身だ。

 このままでは、血液が沸騰して死ぬ。

 

「離れるな!」

 

 ワタルは強くナギを抱き寄せると、無重力の壁を蹴った。

 目指すは、口を開けたままのモリビトのコクピット。

 霧の中を遊泳し、シートへと滑り込む。

 

 ナギを膝の上に抱え込み、コンソールを叩いた。

 

「ハッチ閉鎖! 急速加圧!」

 

 プシュウゥゥゥ……!

 

 分厚い装甲板が閉じられ、外界の「死」が遮断される。

 耳がツンと痛むほどの急速な気圧上昇。

 直後。

 

 ドォォォォン!!

 

 隔壁が限界を迎え、爆発的な減圧が外の世界を破壊した。

 だが、ここは安全だ。

 鋼鉄の胎内。

 

 システムが再起動する。

 

『コア・システム再接続。パイロットバイタル確認……』

 

 ワタルは震えるナギの身体を左腕で抱きしめたまま、右手で操縦桿を握った。

 モニターが明滅し、外部カメラの映像が復帰する。

 

 そこに映っていたのは、霧の晴れたエアロックに侵入してくる、八つの赤い眼だった。

 アラクネだ。

 壁に叩きつけられたはずの怪獣が、外側からゲートを破壊し、侵入してきたのだ。

 

 アラクネが跳躍する。

 速い。

 暴風の名残の中を、まるで不可視の糸の上を走るようにジグザグに迫ってくる。

 モリビトの火器管制システムがロックオンを試みるが、追いつかない。

 

「くそっ、速すぎる……!」

 

 ワタルは膝上のナギを庇うように身を固くし、残りの腕で応戦しようとする。

 だが、K・フルイドのサポートがあっても、守るべきものが懐にある緊張感が、操作を鈍らせる。

 

 アラクネの鋭利な脚が、モリビトの装甲を掠める。

 

 ギャリィィン!

 

 火花。

 装甲が紙のように裂け、内部フレームが露出する。

 その刹那、アラクネの別の脚がモリビトの脇腹に叩き込まれた。

 

「うわあああっ!」

 

 50トンの鋼鉄が、まるで空き缶のように吹き飛ばされる。

 慣性の暴力。

 加速度が、K・フルイドの許容値を一瞬で超えた。

 ワタルの内臓が肋骨に押し潰される。肺から空気が絞り出され、声にならない悲鳴があがる。

 

 ギィンッ!

 

 モリビトが隔壁に激突し, 跳ね返る。

 コクピット内にも火花が散り、ワタルの頬を焼いた。

 

 恐怖。

 

 死ぬかもしれない。

 だが、その恐怖の裏側で、奇妙なほど冷静な「感覚」が覚醒していた。

 モリビトの鉄骨と自分の骨格が、不気味なほどに重なった。

 マニュアル操作の重たさと、神経接続の直感。その二つが完全に同期し、脳が「6本腕の怪物」へと作り変えられていく。

 

「かまうかよッ!」

 

 対する怪物ーーアラクネが振りかぶった。

 その質量移動が、宇宙空間の重力波の歪みとして、網膜ではなく脳に直接焼き付く。

 ワタルは右手のマニピュレータを腰のウェポン・ラックへ走らせた。

 迷いはない。

 何千回と繰り返した作業のように、指が勝手に動く。

 

 抜刀。

 高周波振動刀《ヒート・バイブロ・カタナ》。

 

 世界が、遅くなる。

 飛び交う火花の一粒一粒、アラクネの多層装甲の継ぎ目、噴き出すガスの粒子までもが、凍りついたように鮮明に見える。

 その静止した時の中で、ワタルの刃だけが、オレンジ色の残像を引いた。

 

「そこだッ!!」

 

 カウンター。

 振り下ろされる死の鎌を紙一重でかわし、その懐へ、逆袈裟に斬り上げた。

 

 手応えは、あまりにも軽かった。

 ジュボッ……。

 

 金属音ではない。

 シリコンの結晶体が、高熱で瞬時に融解し、気化する音。

 硬い殻を手応えなくすり抜ける、気持ちの悪い感触。

 まるで熱したナイフでバッテリーを切ったような、粘り気のある抵抗感。

 

 斬り落とされたアラクネの脚が、赤熱した断面を晒して回転しながら飛んでいく。

 怪獣がバランスを崩す。

 その隙を見逃すな。

 教官の言葉が蘇る。

 

『躊躇うな。殺意を叩き込め』

 

「おおおおおおおッ!!」

 

 ワタルはスラスターを全開にした。

 刀を構え、アラクネの懐へ飛び込む。

 狙うのは一つ。

 あの不気味に輝く、八つの目の奥にある中枢核《コア》。

 

 

 

## 代償 - バックフロー

 

 

 ズプッ!

 

 抵抗はなかった。

 超振動する切っ先は、シリコンの装甲も、生体組織も、中枢核の防壁も、すべてを等しく溶解させながら突き進んだ。

 

 モリビトの腕を通じて、核を破壊した手応えが伝わってくる。

 熱いコーヒーの中に角砂糖を突っ込んだような、崩れゆく感触。

 

(勝った!)

 

 そう確信した瞬間。

 

『――――――――――――――――――――ッ!!』

 

 怪獣の絶叫が、逆流してきた。

 

 声ではない。

 鼓膜など介さない。脳のひだを直接ヤスリで削られるような、膨大な情報の奔流。

 

 断末魔の瞬間に放出された、膨大な負の感情エネルギー。

 死への恐怖、痛み、憎悪、未練、そして生物としての「生」への渇望。

 アラクネが感じている「死」そのものが、接触している刀身を伝わり、共鳴デバイスを伝わり、脊髄を経由して、結合されているワタルの脳へと雪崩れ込んできたのだ。

 

 痛覚逆流《バックフロー》。

 

 人間とは全く違った進化を遂げた怪獣の共鳴器官は、このようにも作用するのだ。

 

 口の中に、さっき嗅いだ「腐った花」の味が広がった。

 いや、それは味ではない。

 脳が直接味わわされている「死」の食感だ。

 

 色が見えた。痛みの色だ。

 音が聞こえた。細胞が壊死する音だ。

 

 自分の目が「あるのにない」という矛盾した感覚が暴れまわり、幻の指先が千切れる熱さが脳髄を駆け巡った。

 人間とは違う進化を遂げた神経系の断末魔が、ワタルの自我を塗り潰していく。

 

「あ、あぐっ……、が、ぁ……!?」

 

 視界が明滅する。

 コクピットの計器類が歪み、世界が溶け出す。

 他者の死を、自分の死として追体験させられる現象。

 それは孤独な地獄だ。

 けれども、今は違う。

 

「――っ……!」

 

 その汚泥のような情報の奔流の中に、ナギがいた。

 ナギもまた、この地獄の中で溺れかけていた。

 独りぼっちで、暗い水底へ沈んでいく彼女が見えた。

 

(一人には、させない!)

 

 ワタルは反射的に、膝の上のナギを抱きしめていた。

 感触があった。重さがあった。

 トクトクと脈打つ、温かい鼓動があった。

 

 命。

 

 この生命の感覚だけが、唯一の錨《アンカー》だった。

 生を繋ぐための、確かな楔になってくれる。

 それだけが、現実だ。

 

「が、あ、ぁ……っ!!」

 

 限界を超えた負荷が、身体中の血管を駆け巡る。

 ブシュッ!

 右目から、鮮血が噴き出した。

 毛細血管の破裂。視界の半分が赤く染まる。

 鼻からも、耳からも血が流れる。

 それでも、ワタルはナギを抱く腕を緩めなかった。

 

 ドォォォン……。

 

 モニターの向こうでアラクネが崩壊し、光の粒子となって霧散していく。

 その最期の輝きを見届けると同時に、ワタルの意識もまた、深い闇の中へと吸い込まれていった。

 

 プツン、と糸が切れるように。

 

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