01: The Council
## The Council
闇しかなかった。
外界から隔絶された、底冷えのする深深度地下。
分厚い鉛板と特殊コンクリートの層を何重にも潜り抜けたその先に、戦略会議室はあった。
肺胞を刺すような、酷く乾いた無菌の空気。
何重もの濾過装置を経て「管理」された酸素には、地上の熱気も、泥の匂いも、生命の揺らぎすら混じる余地はない。
そこにあるのは、精巧な機械部品のような、冷徹な秩序だった。
唯一の光源は、円卓の中央に浮かぶ巨大なホログラム地球儀だけ。
蒼白い電子の奔流が、円卓を囲む老人たちの貌《かお》を下から虚ろに照らし出す。
深く刻まれた皺の一つ一つが、電子光の陰影によって、枯死した大地に走る亀裂のように強調されていた。
たるんだ皮膚、光を反射しない濁った瞳。
その貌はもはや生きている人間というよりは、保存処理に失敗した年代物の蝋人形か、あるいは意味を失ったまま言葉を紡ぎ続ける髑髏《どくろ》の群れのように見えた。
静寂。
空調の低い重低音が、まるで巨大な鋼鉄の獣のいびきのように、足の裏から骨伝導で響いてくる。
透明な光の球体の中で、東南アジアの島嶼周辺を起点に、爛《ただ》れたような深紅のX印が明滅を繰り返していた。
それは惑星という巨体が負った傷口であり、人類という種の皮膚を焼き切った、直視し難い巨大な創痍《そうい》そのものだった。
「……以上が、第一次損害評価《ダメージ・アセスメント》の初期報告です」
闇の中から響いたのは、ミャオ情報局長の声だった。
悲痛さの欠片《かけら》もない。彼の声色は、負債を計算する査定人が減価償却の帳尻を合わせるような、戦慄を覚えるほどの事務的平坦さに満ちていた。
乾燥した指先がタブレットを弾くたび、空中で無機質な数列が、汚泥のように溢《あふ》れ出し、増殖していく。
「クレイドル統合軌道基地は再突入時の熱負荷により構造崩壊。降下した破片群《デブリ・クラスター》による地表損害は極めて甚大です」
ミャオは淡々と、帳簿の数字を読み上げるように言った。
「推定人的損害、2300万。沿岸の主要経済圏が数箇所、非可逆的に消滅。GODA発足以来、最大規模の損耗です」
2300万。
「なんてことだ……」
沈黙を破ったのは、その末席の男――サトウ評議委員だった。
頭を抱え、自身の管理責任と失態に打ちのめされている。
「怪獣よりも、我々の基地が、こんな事態を招くとは……」
だが、その感傷は瞬時に叩き潰された。
バン!
乾いた音が響く。
上席に座る最高指揮官、ブラッドマン将軍が、革張りのテーブルを拳で殴りつけたのだ。
「2000万の凡俗などどうでもいい!」
ブラッドマン老は怒号を飛ばした。
それは人命への憂慮ではない。
もっと別の、彼らにとって遥かに切実な何かの損失に対する苛立ちだった。
「『ゴーレム』だ! 無事に回収できているのか!? どうなっている!?」
食い気味に問うブラッドマンの目は血走り、唾霧が青白い光の中で舞った。
情報局長も気圧され、僅かに言葉を詰まらせる。
だが、すぐに意を決したようにコンソールを叩いた。
「口で説明するより、回収されたブラックボックス映像をご覧いただいた方が早いでしょう」
空間のホログラムが切り替わる。
映し出されたのは、大気圏上層、成層圏の縁での死闘の記録だった。
ノイズ混じりの粗い映像。だが、そこで起きている事象は、物理学と常識を嘲笑うかのような異常性に満ちていた。
一機の量産型ドライバー「モリビト」が映っている。
旧式の、本来ならば実戦に耐えうるはずのない機体だ。
それが、Grade I Class A怪獣アラクネの懐に飛び込み、その強靭な共鳴結晶装甲を――素手で引き裂いていた。
まるで濡れた紙を破るように。
あるいは粘土細工を捻じ切るように。
マッハの速度域で繰り広げられる暴力。
モリビトはアラクネの懐に飛び込み、その中心を物理的に貫き潰していた。
「馬鹿な……! モリビトだぞ!?」
ブラッドマン老が目を見開いた。
鼻梁から老眼鏡が滑り落ちるのも構わず、画面に顔を寄せる。
「出力係数が想定外だ! パイロットは誰だ!?」
「セカンドなしでこの反応速度が出るわけがない!」
「痛覚逆流《バックフロー》はどうなっている?」
「天才か? ……い、いや、化け物だ!」
映像はそこで終わらなかった。
それが、ゴーレム――すなわち怪獣スコポレンドラの首を切断し、中枢である白砂ナギを強奪していたのだ。
スコポレンドラは第三プラントの崩壊に飲み込まれ、宇宙基地クレイドルごと、地球重力圏へと落下していく。
すべてが炎と化す。
大気圏《ファイアーオーシャン》のなかで。
「あぁ……」
誰かの喉から、間抜けな音が漏れた。
爆散。
映像の中で、怪獣が四散し、信号が途絶えた。
「ゴーレム、完全大破。……物質としての連続性を喪失《ハル・ロス》」
オペレーターが、死刑宣告のように告げた。
「テレメトリ途絶、回収不能《ロスト》と認定されました」
その瞬間だった。
物理的な空調の限界を超え、会議室の温度が絶対零度まで急降下したような錯覚に襲われたのは。
「なんという……損失だ……!」
ブラッドマン老が、まるで魂を抜かれたように椅子に崩れ落ちた。
その顔に浮かんでいるのは、2300万人の死を聞いた時とは比較にならないほどの、純粋で深い絶望だった。
「あれにどれだけの予算と時間を注ぎ込んだと思っている!」
「計画が十年は後退するぞ! 誰が責任を取るんだ!」
「あれは唯一の成立個体だったんだ! 代替など存在しない!」
ブラッドマンだけではない、老人たちの悲鳴のような嘆きが交錯した。
彼らが嘆いているのは命ではない。再調達不能な「資産」だ。
十年という時間、天文学的な予算、そして再現不可能なテクノロジー。それらが灰燼に帰したことへの、身を切られるような痛み。
彼らの帳簿においては、たった一体の怪獣が遥かに重いのだ。
「フン……」
その醜悪な愁嘆場の隅で、嘲るような鼻音が漏れた。
照明の及ばぬ闇の淵《ふち》。壁に背を預け、影そのもののように佇む男がいた。
GODA守護環《アイギス・リング》防衛司令官、サイオン・ミラー中佐だ。
軍帽の庇《ひさし》の奥に潜むその瞳は、獲物を待つ爬虫類のように温度を欠き、彼は退屈そうに自身の指先に残る火薬の残り香を愉《たの》しんでいた。
「……唯一の成功例、か」
独り言ちる唇が歪む。
その言葉には、隠そうともしない侮蔑の色が滲んでいた。
成功例? あれが? あんなものが?
「パイロットのデータを出せ!」
ブラッドマンの怒号が飛ぶ。
画面の端に、データが表示される。『Enju Wataru』。
「……子供じゃないか」
会議室全体がざわめいた。
「Enju……。候補生名簿のEランクだぞ? どこにこんな潜在値が隠れていた!」
「訓練記録を洗え! この少年、何者だ!」
「情報局長! どういうことだ!?」
称賛ではない。純粋な理解不能なものへの恐怖と、怪獣という戦略資産を破壊した者への憎悪だった。
オペレーターが淡々と事実を追記する。
「槐《エンジュ》ワタル候補生。白砂《シラサゴ》ナギ候補生。……両名とも、北緯五〇度、極圏連合領の雪原にて生存が確認されました」
「極圏連合だと……!?」
ブラッドマン老が忌々しげに舌打ちした。
「面倒なところに堕ちよって……」
絶滅危機が迫ってもなお、人類は一枚岩ではない。
アメリカ・ブラジルをはじめとする主要国が参加するGODA(Global Orbital Defense Alliance 地球軌道防衛同盟)と、そこから脱退したロシア、カナダなどの高緯度地域によるPDA(Polar Defense Front 極圏連合)は、同志でありながら敵でもあるという、複雑な緊張状態にあった。
よりにもよって、そんな場所に機密の塊が落ちたのだ。
「人形遣い計画《ゴーレム・プロジェクト》を連中に嗅ぎつけられるわけにはいかん」
ブラッドマン老はゆっくりと首を巡らせ、闇の中に佇む男を睨みつけた。
「ミラー中佐。貴官が直々に動け」
指名されたミラーは、大仰に肩をすくめて見せた。
「私は宇宙の番犬です。雪かきは管轄外ですが」
「ゴーレムは未承認の計画だ。部外者には任せられん」
幕僚長の声は、有無を言わせぬ圧力を含んでいた。
「一刻も早く宇宙に戻りたいだろうが、ゴーレムの『破片』を完全に回収しに行ってくれ」
手元のコンソールを弾く音が響く。
送信音。
ミラーの胸ポケットで、端末が短く震えた。
「本日付で、貴官を『大佐』に昇進させた」
ミラーが眉を片方だけ持ち上げる。
「……は?」
「階級で向こうを黙らせろ」
ブラッドマン老は言い放つ。
「向こうの司令官がゴネてきたら、強引な手段を使ってもいい。絶対にゴーレムを回収しろ。秘匿したままでな」
白砂ナギという存在の正体を悟られないまま持ち帰れ、ということだ。
ミラーは端末を取り出し、新しく更新された自身のIDデータを見下ろした。
大佐。
悪くない響きだが、子供一人の回収ごときで階級が上がるというのも、今後の軍隊人生を考えると、なかなかに虚しい。
命を捨てても二階級しか特進しないというのに、ただだか子供一人の連れ戻しで。
口にはしない。
「イエッサー」
返事をして、踵を返した。 そしてふと、思い出したように足を止めて。
「こちらの英雄気取りの少年兵はどうしますか?」
ブラッドマン老は、吐き捨てるように言った。
「殺せ」
即決だった。
「罪状はそうだな……『第3級・国際資産損壊罪』。抗命罪もつけておく。ゴーレムの件を表に出すわけにはいかないからな。基地破壊につながる暴力的反抗行為ということで処理しろ」
口封じということだ。
ミラーは、端末に送られてきたデータを開いた。
槐ワタルの顔写真を見た。
幼さの残る、意志の強そうな瞳をしていた。
それと一対になるようにモニターに表示されたニュース映像では、「2300万人の犠牲」という非情なテロップが、無味乾燥な青い光となって会議室の闇を泳いでいる。
「たった一人の女のために、2300万人を道連れか」
フン、と鼻を鳴らす。
馬鹿げている。一人の女の命と、人類の生存。
どちらが大事かなど、考えるまでのことでもないだろうに。
ミラーはデータを閉じた。
ふっ、と画面の光が消え、彼の顔が再び闇に沈む。
冷え切った目が、虚空を睨んでいた。
「……死んで当然だな、貴様は」
誰に聞かせるでもなく、吐き捨てた。