Fire Ocean 大気圏焼却戦域   作:ウソカラマコト

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03: 戦犯法廷 / 世界の重さ、エゴの軽さ

## 戦犯法廷

 

 北緯五〇度、極圏連合《ポーラー・ユニオン》の前線基地。

 その一角にある多目的会議室は、法を執行するにはあまりに殺風景であり、そして暴力的なまでに冷え切っていた。

 無機質な打ちっぱなしのコンクリート壁。頭上を走る剥き出しの配管からは、絶え間なく何かが流れる低い重低音が響いている。必要最小限の暖房しか効いていない室内は、肺腑を刺すような底冷えが支配し、乾燥した空気には焦げた鉄錆と重油、そして誰かの古い血の臭いが混じっていた。

 

 中央に置かれた長机が一つ。その向こうに、裁判官を務める極圏の将校が座っていた。資格などない。形式的なものだ。

 結論の決まっている話に、形ばかりのお墨付きを与える儀式だ。

 

 分厚い防寒服に身を包んだ彼は、手元のタブレットに目を落としたままで、被告人の顔を見ようともしない。そこに「司法」の尊厳はなく、ただ「事務処理」という名の義務感があるだけだった。

 

 弁護人は不在。傍聴人もいない。

 あるのは、壁面の巨大スクリーンに無音で映し出される、東南アジアの凄惨な記録映像だけだ。

 炎上し、黒い煙を噴き上げるスラム街。

 川を埋め尽くす瓦礫と、泥に塗れた死体の山。

 それが、この密室における唯一の証言者だった。

 

 槐《えんじゅ》ワタルは、パイプ椅子のない被告人席に、直立不動を強いられていた。

 

 パイロットスーツはボロボロに引き裂かれ、凍りついた泥とどす黒い血がこびりついている。顔の左半分は、ここへ連行される最中、警備兵の銃床で殴られた青黒いあざで膨れ上がっていた。

 

 背中で両手首を噛む手錠は、彼が身じろぎするたびに鋭い金属音を立てて皮膚を削り、新たな血をコンクリートの床に滴らせている。

 

 だが、その瞳だけは焼失していなかった。

 檻に入れられた飢えた獣のようにぎらつき、己を包囲する理不尽を、網膜に焼き付けるように睨みつけている。

 

 将校が、廃棄物のリストを読み上げるような抑揚のない声で宣告した。

 

「被告人・槐ワタル。貴官の行為は、『第3級・国際重要資産損壊罪』、および戦場における抗命罪、および多数の民間人死傷を招いた過失致死傷罪に該当すると認定された」

 

 今どき電子生成された声でも聞けないほどの事務的な声が、書類を読み上げていく。

 

「GODAとの犯罪者引き渡し協定、および世界統一合意《コンセンサス》に基づき、本法廷は以下の判決を下す」

 

 将校は一度だけ顔を上げた。

 

「――死刑。執行は一時間後とする」

 

 ガイン。

 木槌が机を叩く。その乾いた音は、断頭台の刃が落下する音と酷似していた。

 記録用カメラの赤いLEDだけが、獲物を仕留めた蛇の目のように、無感動な点滅を続けている。

 

「……はあ!?」

 

 ワタルの喉から、空気が漏れるような音がした。

 

「死刑だと……? ふざけるな! なんでだよ!」

「判決は確定した。退廷させろ」

「待てよ! 俺は戦ったんだぞ! 俺が倒したんだ! 俺が戦って、生き残ったのが……それが死刑になる理由かよ!!」

「静粛に」

 

 両脇に控えていた極圏の憲兵たちが、猛る彼の肩を強引に押さえつける。

 ワタルは全身の腱が軋むほどの力を振り絞り、その拘束に抗った。

 

「だいたいお前ら、ナギをどこへやった! あいつを、私の相棒を――」

 

 パン!

 

 乾いた破裂音が、室内の空気を真空に変えた。

 ワタルの右頬を、焼け付くような熱い風が掠める。

 直後、背後のコンクリート壁に小さな孔が穿たれ、微細な粉塵が雪のようにパラパラと舞った。

 射撃。

 わずか三センチのズレ。冷徹に計算された殺意。

「――ッ!?」

 

 ワタルが息を呑み、視線を巡らせた。

 憲兵たちも動きを止め、困惑したように銃声の方角を見つめた。

 部屋の最奥。

 白く煤けた硝煙の匂いと共に、人影が闇の淵《ふち》からゆっくりと歩み出た。

 

「黙れ、小僧」

 

 カツ、カツ、カツ。

 男が立ち上がり、光の中へと歩み出る。磨き抜かれた軍靴の音が、重力を測るかのように等間隔で響く。

 その肩には、真新しいGODAの『大佐』の階級章が鈍く光っていた。

 

 サイオン・ミラー。

 

 彼は憎しみを込めた瞳でワタルを見下ろし、歪な笑みを浮かべた。

 

「お前の死刑はGODA《ゴーダ》の決定だ。つまり――世界の決定だ」

 

 

 

## 世界の重さ、エゴの軽さ

 

 ミラーが顎をわずかにしゃくった。

 それだけの合図で、裁判官席の将校と、両脇を固めていた警備兵たちが、一斉に退室していった。

 

 カオン……。

 

 閉鎖音が、墓石の蓋のように重く響いた。

 

 広い法廷に残されたのは二人だけ。

 手錠で拘束された少年と、銃を持った男。

 空調の低い唸りだけが、この場の沈黙を埋めていた。

 

「……」

 

 ミラーは、ワタルの目の前にある事務机に、浅く腰掛けた。

 手にした拳銃の銃口は下げない。

 黒い銃口が、ワタルの眉間を正確に捉え続けている。

 

「威勢がいいな。馬鹿だから計算ができないのか?」

 

 ミラーは、背後のスクリーンを親指で指し示した。

 そこには依然として、炎上する都市と、積み重なる遺体の映像が流れている。

 

「2300万人だ」

 

 ミラーの声は、氷点下の蒸気のように白く、冷たい。

 

「お前が『戦った』結果、消えた命の数だ。……どう思う?」

 

 ワタルは唇を噛んだ。鉄の味が口の中に広がる。

 スクリーンに映る地獄絵図。瓦礫に埋もれた子供の手。焼けた皮膚。

 その全てが、自分の背中にのしかかってきた。

 

 だが、ワタルは視線を逸らさなかった。

 逸らせば、自分のしたことから逃げているような気がしたからだ。

 

「…………!」

「罪の意識はわかないのか?」

「精一杯だったんだ!」

「生き延びるためなら、何をしてもいいと?」

「そんなことは言ってない!」

「だが、結果はこうだ」

 

 ミラーはスクリーンの前にたち、クレイドル落下地点の惨状を見つめた。

 

「お前がしたことの結果が、これだ」

「ナギを見殺しにするのが、あんたらの正義なのかよ!」

「……ほう」

 

 ミラーが目を細める。

 それは感心ではなく、観察者の目だ。

 

「さすがは怪獣を一人で倒しただけはあるな。罪悪感より生存本能が勝つか」

「何が悪い!」

「悪いとも」

 

 ミラーが言葉を遮る。

 彼は上体を前に倒し、爬虫類のような冷たい顔をワタルに近づけた。

 

「お前は本当に『守った』のか?」

「え?」

「お前が無辜の命を踏み台にして優先したその女は、本当に『生きている』と言えるのか?」

 

 ワタルの心臓が跳ねた。

 嫌な汗が背筋を伝う。

 

「お前はさぞ英雄気分だろうが、彼女はどうなった? 四肢を失ってただのダルマになっているぞ? 絶望して死にたがっているかもしれんなあ!」

「……黙れ!」

「生きてるって保証はどこにある?」

 

 不安という猛毒が、一瞬で血管を駆け巡る。

 ワタルは表情を一変させた。

 怒りから、縋《すが》るような焦燥へ。

 

「知ってるのか! ナギの居場所を!」

「守ったんだろう、ナギを。学校の仲間たちと世界を生贄にして」

「教えてくれ! ナギはどこなんだよ!!」

 

 ワタルは身を乗り出し、手錠を引きちぎらんばかりに手を伸ばした。

 その瞬間。

 

 ゴッ。

 

 鈍く、重い音がした。

 ミラーが無造作に振り抜いた拳銃のグリップが、ワタルの頬骨を打ち砕いたのだ。

 

「がはっ……!」

 

 視界が明滅する。ワタルは椅子ごと床に転がった。

 鼻の奥で何かが折れる感触。熱い血が噴き出し、冷たいコンクリートの床に赤い飛沫を散らす。

 

「甘えるなッ!」

 

 ミラーの声には、一切の感情がなかった。

 ワタルが激痛に耐え、這いつくばって起きあがろうとする。

 その頭を、磨き上げられた黒い軍靴が踏みつけた。

 

 グリッ。

 

 髪の毛ごと頭皮が床に押し付けられる。靴底の硬いゴムの感触と、容赦のない体重。

 ワタルの顔が歪む。

 

「頼む……、お願いだ……、なんでもする……」

 

 床に押し付けられた口から、血と唾液が漏れる。

 

「教えてくれ。ナギは、今……」

「その程度なのか? 貴様」

 

 ミラーは、踏みつけた頭にさらに体重をかけた。

 

「うまくいかなかったら頭を下げればいい。謝ればなんとかなる。その程度の覚悟で、ドライバーに乗ったのか!?」

「違うっ! 俺は!」

「同じことだ!」

 

 ドカッ!

 

 今度は蹴り上げられた。

 ワタルの体がボールのように転がり、壁に激突する。肺から空気が強制的に排出され、咳き込むことすらできない。

 

「無力な奴が中途半端にいきがった結果が今の貴様だ! 女は奪われ、居場所もわからず、涙と鼻血を流して懇願するしか能がない!」

 

 ミラーはゆっくりと歩み寄る。

 その足音は、死刑執行人のそれのように規則正しく、残酷だった。

 彼はワタルの前にしゃがみ込むと、冷え切った銃口を、の真っ赤に染まった額に押し付けた。

 死の匂い。硝煙の残滓。鉄の冷たさが、骨まで凍らせるようだった。

 

「生きる価値がないとはこのことだなあ! 死刑の前に殺してやろうか! 寝言ばかりのクソガキが!」

 

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