Fire Ocean 大気圏焼却戦域   作:ウソカラマコト

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04: 慈悲という名の毒薬

## 慈悲という名の毒薬

 

 

 敵意、あるいは殺意。

 眠りにつかされていたナギが目覚めたのは、男が放つ、熱であった。

 

「……だれ……?」

 

 見知らぬ男だった。

 軍服。磨き上げられたベルト。そして、獲物を狙う爬虫類のような、温度を欠いた瞳。その男からは、先刻の「仕事」の残響《エコー》か、微かに剥き出しの暴力の熱(興奮)が漂っているように見えた。

 ナギは、芋虫のようにもがいて身を縮めた。手繰り寄せるべきシーツも、己を隠すべき腕もない。

 

「GODA、サイオン・ミラーだ。お前を引き取りに来た」

 

 ミラーと名乗った男は、無遠慮に硬い軍靴で病室に入り込み、サイドテーブルに影を落とした。

 ナギの視線が、ふと彼の足元に吸い寄せられた。

 黒檀のような輝きを放つ革靴。そのつま先に、どろりと新鮮な、赤い血がへばりついていた。

 まだ熱を失っていない、鮮やかな、生命の飛沫。

 

「血……?」

 

 直感が、神経系を逆流するような警鐘を鳴らした。

 誰の血? ここに来る直前、この人は誰を?

 薬のせいでボヤけていた頭の中が、一気にクリアになった。

 

「ワタルは!? ワタルを助けてください!」

 

 ミラーは己の靴の汚れを一瞥すると、ハンカチを広げて、それを無造作に拭った。

 

「ああ、ヤツか。案ずるな、ヤツは無事だったよ」

「本当ですか!」

「もうすぐ殺すがな」

「中止してください」

「決定事項だ」

 

 ミラーは無表情のままスマートデバイスを起動し、ナギの網膜の直前に突き出した。

 

 画面に並ぶ、血の色の文字列が、彼女の脳内に火を放つ。

 

 CRIMINAL: ENJU WATARU (ARTICLE 163 - DESTRUCTION OF NATIONAL ASSETS) - SENTENCE: DEATH

 槐ワタル。死刑。第3級・国家資産損壊罪。

 

「GODAの決定だ。覆ることはない」

 

 ナギは絶句した。

 肺の動きが止まり、意識が白濁していく。

 犯罪者。逮捕。死刑。

 どうして? 私を助けようとしただけで?

 

「そん……な、こと……!」

「安心しろ。死ぬのは奴だけだ」

「私の……せいで……、ワタルが……」

「そうだ」

 

 ミラーは即答した。躊躇《ためら》いも、慰めもなかった。

 

「お前を助けるというエゴのために、彼は命令を侵し、基地を破壊し、結果として数千万の命を殺した。代償としての死刑は、至極真っ当な清算だ」

 

 カチ、カチ、カチ。

 ナギの奥歯が激しく鳴った。

 恐怖と、それを上回る底なしの絶望が、身体をガタガタと震わせる。

 

「……なら、私も……私も殺して……!」

 

 ナギは、喉を血で濡らすように叫んだ。

 

「ワタルだけ、そんな……! 私だけ生きてるなんて……出来ない! お願い、一緒に死刑にして!」

 

 その悲鳴にも似た懇願を聞いて、ミラーは鼻先で乾いた笑いを漏らした。

 心の底から、滑稽な劇を観たときのように。

 

「死刑? お前ごときに、そんな『権利』があると思っているのか?」

 

 彼は冷酷な瞳で、ベッド上の「生体ユニット」を見下ろした。

 

「勘違いするなよ、白砂ナギ」

 

 死よりも残酷な事実を、一字一句噛み砕くように告げた。

 

「軍がお前を廃棄する許可を出すわけがない。お前はただの人間ではないのだ。……唯一の適合成功例《オリジナル・コア》なのだからな」

「嫌です!」

「お前の移送先は決定済みだ。アイギス・リング。高度1000kmに浮かぶ、機械仕掛けの監獄だ」

 

 アイギス・リング。

 緯度0度、西経50度の静止軌道に建設された宇宙ステーション。

 地球からもっとも遠い場所に作られた、怪獣戦の最前線基地だ。

 

「そこでお前を待っているのは、治療ではない。『人格の初期化《フォーマット》』と『生体制御器への再加工』だ」

 

 ミラーは淡々と続ける。それは変えようのない運命だから。

 

「お前の感情も、記憶も、自我も。システムにとっては不純なノイズでしかない。綺麗に消去し、空っぽの灰色の脳になる」

 

 ナギの顔面から、血の気が失せていく。

 死ぬことすらできない。私が「私」でなくなる。ただの計算機として、永久に使い潰され続ける。

 

「小僧は死んで終わりだが。お前は、死ぬことすら許されない。それがお前の未来だ」

 

 絶望に凍りつくナギを見透かし、ミラーはサイドテーブルに、一本の小さな小瓶を無造作に置いた。

 

「最後の慈悲をやる」

 

 カツン。

 冷たい薬瓶の音。中には、不気味なほど透明な、青い液体が揺らめいていた。

 

「安楽死用の中枢神経遮断薬だ。一分足らずで呼吸が止まり、苦痛もない」

 

 ナギは、弾かれたようにその小瓶を見つめた。

 

「一時間待ってやる。その間に心の整理をしろ」

 

 彼は顔を狂気に近い距離まで近づけ、悪魔の甘い誘いを口にした。

 

「人間として終わりたいなら、これを飲むんだな」

 

 ナギは小瓶を見つめたまま、幻の指先で必死にシーツを掴み取ろうとした。

 死。虚無。すべてが楽になる場所。

 けれど。

 

「……いや」

 

 拒絶が、掠れた声となって漏れた。

 

「怖いか? 実験体になることよりも、死ぬことが」

「ちがう……。死ぬのが怖いんじゃない。……でも」

 

 ナギはミラーを射抜くように睨み返した。

 涙に濡れた瞳の深淵に、消えることのない光が灯る。

 

「ワタルは……死なない気がするから」

 

 何物にも代えがたい、狂気に似た確信だった。

 ワタルは運命ごときに殺されたりしないという直感。

 ほう、とミラーは目を細めた。

 

「……あの満身創痍の脱走兵が、助けに来るとでも?」

 

 ナギは答えなかった。

 会いたい。危険は冒して欲しくない。

 矛盾する二つの想いがあったからだ。

 

「そうだな。来るかもしれん」

 

 ミラーは、ナギの額に自身の影を落とした。

 

「……だが、それが何を意味するか、理解できているのか?」

 

 彼はナギの耳朶に、こう告げた。

 

「槐ワタルは、お前を生かすためなら何でもする。今日のように、世界を焼き払ってでも、その手を血の海に浸し続ける。……お前が生きたいと願う限りな」

「っ!」

 

 ナギは心臓を撃ち抜かれたようになった。

 

「お前の『生』は、ヤツにとっての『呪い』だ。お前が生きて助けを求めれば、ヤツは正真正銘の『怪物《モンスター》』になるしかない」

「…………」

 

 ミラーはナギから離れ、冷たく突き放した。

 

「ヤツを修羅の道へ引きずり込み、化け物に変えていくのは、世界などではない。お前のその『生きたい』というエゴだ」

 

 ナギは、全ての言葉を奪われた。

 反論はなかった。

 ワタルなら、そうする。

 ただ一人の自分のために、世界中の地獄を引き受ける。

 

 そう、思った。

 

「……答えは出んか。まあいい、置いておく」

 

 ミラーは踵を返し、一度も振り返ることなく去っていく。

 

「自分の処遇くらい、自分で決めろ。『部品』になりたくないならな」

 

 プシュウゥゥ。

 重い扉が閉まり、気密が保たれた。

 残されたのは、四肢のない少女と、月の光を反射する青い毒薬のボトルだけだった。

 

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