## GODA本部・戦略管制室
「熱源、減速しません! 弾道軌道ではありません、揚力再突入《リフティング・エントリー》です!」
数百のモニターが、警告色である血の赤一色に染まり、明滅していた。
中央の巨大ホログラム地球儀には、成層圏の外縁から、一本の深紅の航跡線が刺さるように伸びている。それは最短の重力曲線を描き、一直線に落下していた。
「高周波K・レゾナンス極大! ……怪獣《KAIJU》です! 推定Class-A!」
K・レゾナンス。生命体から発せられるはずのない、空間を歪める高周波共鳴。もはや確率論を論じる余地はない。
叩きつけられるキーボードの打鍵音。怒号。頭上のスピーカーから降り注ぐ、鼓膜を突き刺すような高周波のアラート。
最大級の警戒体制であることを誰もが認識している。
メインスクリーン上で、極圏上空に展開していた防衛衛星群のアイコンが、瞬く間に赤い「LOST」表示へと反転し、ノイズの中に消滅していく。
それは「攻撃」ですらなかった。
怪獣はただ、巨大な質量体として通過しただけの出来事だった。
それだけで、周囲の電子機器が焼き切られていったのだ。
「軌道計算《オービット》完了! 現在の落下ベクトル……カスピ海上空を通過!」
「最終落下予測地点出ます! 座標、北緯50度、東経93度……モンゴル高原です!」
司令であるヴァンス准将がマイクを握り締め、怒声を発した。
「極圏に伝えろ! アイギスリングは間に合わん! 成層圏迎撃に切り替える! 出せるインターセプターはすべて出撃させろ! 1ミリだって地表に触れさせるな!」
彼らは移動する「光点」を見つめる。
ただの、赤い光点。
だがその光点は、確実に、モンゴルの地上を焼き払う「死」の矢であった。
## 堕ちる妖精
大気が激しく震えている。
キィィィィン、という鼓膜を直接針で刺すような超音速ジェットの咆哮だ。
鉛色の雲の亀裂から、狂い乱れる風を切り裂き、編隊を組んだ九機の影が躍り出た。
最新鋭高高度迎撃ドライバー『シルフ』。
流線型の有機的な翼。太陽光を反射して銀色に輝く装甲。人類が保有する最高の航空工学と、怪獣から手に入れたマテリアルの一部を継承したそのエリート機体は、空中で重力を無視するかのようなマニューバを刻み、迎撃のターゲットを定めた。
一斉射撃を開始した。
105ミリ・リニアライフル。電磁加速によってマッハ8を超えた徹甲弾が、真っ赤な曳光の尾を引いて、黒い槍のような姿をした怪獣に突き刺さる。
全弾直撃。
キンッ! キンッ! キンッ!
だが、冷淡な大気に響いたのは、硬質な「拒絶」の音だった。
着弾の瞬間、怪獣の表面を覆う共鳴結晶装甲が瞬時に格子状に励起し、物理的な運動エネルギーをすべて真空へと逃がしたのだ。
跳弾《リコシェ》。
空中でオレンジ色の火花が虚しく散るだけで、怪獣の装甲には、微かな擦り傷一つ刻まれていない。
「……そんな、馬鹿な!」
シルフのパイロットは絶句した。
攻撃が通じない。当たっているのに、当たらない。
次の瞬間、怪獣が「意思」を見せた。
物理定数を無視した急制動。
落下慣性を、空気を掴むかのように一瞬で殺し、漆黒の四翼を展開する。
高速で突っ込んでいた先頭のシルフが、対応できぬまま、その捕食者の懐へと自ら飛び込んでいった。
待ち構えていたのは、機体サイズよりも巨大な、共鳴結晶の「大顎」だった。
グシャアッ!!
金属と合成セラミックが根こそぎ破砕される。
シルフの優雅な胴体が、湿った薪のように容易く、真っ二つにへし折られた。
直後、エンジンの爆発。
カッ!! という無慈悲な蒼白い閃光が、網膜を焼き焦がす。
空の英雄たちは、わずか数秒の間に火の玉へと変わり、焼けた鉄屑となって極寒の平原へと降り注いでいった。
## 対決
独房エリアは、阿鼻叫喚の地獄と化していた。
ウゥゥゥゥ――!!
けたたましい非常警報が、心臓を直接揺さぶるように鳴り響く。回転するパトライトの赤が、白濁した視界の中で影を長く引きずって踊る。
看守たちが、顔面を蒼白にして独房の前を走り抜けていく。
「総員退避! ゲートを封鎖しろ!」
「囚人はどうするんですか!?」
「構わん、捨てろ! 巻き添えにする気か!」
「早くしろ! 崩れるぞ!」
彼らは囚人を置き去りにしたまま、我先にと脱出していく。
「ふざけるな! 死んでたまるか!!」
ワタルは鉄格子の冷たさに額を押し付け、呪詛を吐いた。
このまま檻の中で焼かれるのか。
ナギを助けられないまま。
直後。
宇宙そのものが裏返るような、巨大な質量衝突の衝撃が基地を貫いた。
ズガガガガァァァァン!!!
天井が崩落したのではない。
真横の壁が、巨大な鉄の槌に殴られたように爆散したのだ。
凄まじい爆風と熱波。
そして吹雪と共に、真っ赤に焼けた「巨大な鉄の塊」が、回廊を押し潰しながらなだれ込んでくる。
それは怪獣の直接攻撃ではなく、先ほど空中で噛み砕かれたシルフの残骸――メインブースター・ユニットだった。
「うわああああっ!?」
ワタルは衝撃波に吹き飛ばされ、ベッドの下の狭い隙間へ押し込まれた。
コンクリートの粉塵が、酷い粒子となって晴れていく。
目の前にあるのは、瓦礫と化した壁、そしてひしゃげたシルフのノズルだった。
吹き飛んだ外壁の穴からは、極寒の暴力的な吹雪が、待っていたとばかりに室内に叫びながら流れ込んでいる。
そして。その巨大な残骸の下からは、先ほど逃げ出した看守たちの、軍靴を履いた足だけが突き出していた。
真っ白な雪の上に、温かい血溜まりが急激に彩度を増しながら広がっていく。
皮肉な、そして救いようのない結末。
自由を求めて逃げた彼らは鉄に潰され、檻に閉じ込められていたワタルだけが、壁の消滅によって「外」への切符を掴んでいた。
ワタルは瓦礫を乗り越え、凍てつく穴の外へと這い出した。
猛烈な風と雪。視界は限りなくゼロだった。
肺が凍りつくような冷気が酸素を奪う。
呆然と立ち尽くす彼の唇から、白く震える言葉がこぼれた。
「……ナギ」
この嵐の中、あの子はどこにいる。あの身体で、一人きりで。
行かなきゃ。助けなきゃ。
ワタルが雪原へ一歩、踏み出した瞬間。吹雪のカーテンを割って、一人の男が立ちはだかった。
「どこへ行く気だ、戦犯」
低く、地を這うような重低音。
サイオン・ミラーだった。
彼は極寒の嵐の中でも微動だにせず、軍帽の影の下から、猟犬の瞳でワタルを射抜いていた。
「どけよ!」
「行ってどうする? その体で何が守れる。死体が増えるだけだ」
「うるさい!」
「世界をお前のエゴの犠牲にするつもりか、槐ワタル」
「世界が……! 世界が最初にあいつを裏切ったんだろ! 悪いのはそっちだ。ナギじゃない!」
「聞いたふうなことを!」
「あんたもナギを怪獣にしようとした連中と同じなのかよ!」
「!!!!」
ミラーの頬を、激しい痙攣が走った。
妻の声が、脳裏を駆け抜けた。
「……なん、だと?」
「もっともらしい理屈で、ナギを見捨てるなら、あんたも同じだ!」
「違う!」
「俺はあいつの味方をする! 俺だけでもあいつの隣にいる! 世界がナギを殺すなら、俺は世界を殺してやる! あいつが生きたいって思う限り、俺が、全部……!!」
論理も、計算も、大義もない。
すべてを焼き捨てると決めた、剥き出しの狂気だった。
ワタルはミラーの横を、肩がぶつかるほどの距離ですり抜け、雪原の闇へと狂ったように走り出した。
ミラーはゆっくりと、機械的な動作で背後を振り返り、懐から自身の拳銃を抜き放った。
銃口が、吹雪に溶けていくワタルの脆弱な背中を正確に捕捉する。
「……そうだな。確かにお前は、生かしてはおけない存在だ」
指が、冷えたトリガーへと重くかかる。
外さない。この距離ならば、少年の心臓を1発で狙撃できる。
「死ね。……正しい世界の、ために」
その時だった。
『パパ!』
耳鳴りのような、澄んだノイズが、ミラーの脳幹を直撃した。
娘の声だ。10年前、世界と引き換えに彼が切り捨てた、ステラの絶叫。
『行きたくない! パパ、助けて! パパ! どうして見てるだけなの!?』
白い車へと連れ去られる日。窓ガラスに押し付けられた、小さな、小さな掌。
『すまない……、命令なんだ……、世界を守るためには、これしか……!』
雪の上に膝をつき、娘が化物に変わっていくのを、ただ「正論」で耐えていた自分。
大儀名分という鎧を纏い、いちばん大切な存在を、誰よりも守りたかった命を、見殺しにしてしまった自分。
ワタルの叫びが、呪詛となってミラーの鼓膜を抉る。
『世界がナギを殺すなら、俺は世界を殺してやる!』
「……くっ」
ミリ単位の狂いもなく標的を捉えていた銃口が、惨めに震えた。
引けない。
指が、金縛りに遭ったように石化する。
(俺も……。あの時、そう言っていれば……!)
自分が10年前、喉まで出かけて飲み込んだ、言葉。
それを、目の前の小僧は、微塵も疑わずに叫んでみせた。
過去の亡霊が、ミラーの指に縋り付いていた。
ステラ。俺の娘。
もし俺が、世界を裏切る勇気を持っていたなら。少なくともお前は、愛を信じることだけは出来たのではないか——。
「…………ッ!!」
ミラーは、叩きつけるように拳銃を下ろした。
ワタルの背中は、もう完全に白濁した吹雪の壁に飲み込まれ、消えていた。
ミラーは独り、狂ったように吹き荒れる雪原に立ち尽くす。
己の軍服に積もる雪が、まるで弔いの花びらのように見えるのを。彼は、ただ黙って受けいれていた。