Fire Ocean 大気圏焼却戦域   作:ウソカラマコト

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08: 鉄の雨 / 処刑人 / 再会

## 鉄の雨

 

 天を揺らす轟音が、極圏の密度を物理的に変えていく。

 不規則な凹凸の雪原を走るワタルの頭上から、何かが――巨大な死の断片が、唸りを上げて降り注ぐ。

 

 ヒュゥゥゥ……――ズドォォォォン!!!

 

 わずか数十メートル、視界が真っ白に染まるほどの爆圧と共に激突した衝撃が、ワタルの全身を叩いた。

 

「うわっ!」

 

 ワタルは雪の斜面に激しく吹き飛ばされ、突き刺さるような冷たさの中に顔を埋めた。

 顔を上げると、雪煙が晴れたその場所に、燃え上がる翼が突き刺さっていた。

 地面から垂直に生えるようにして、銀色の翼が赤熱していた。

 高純度ジュラルミンの装甲はひしゃげ、焦げ付いた表面には、極圏連合が誇る最高位エース部隊「シルフ」の青い紋章が、煤にまみれて滲んでいた。

 

「……ああ」

 

 言葉にならない吐息だけが漏れた。

 知っていた。

 基地の壁が吹き飛んだあの瞬間から、分かっていたことだ。

 

 だが、ワタルは震える瞳で空を見上げずにはいられなかった。

 重く垂れ込める鉛色の雲の向こうから、次々と、小さな黒い「点」が、重力に従って落ちてくる。

 

## 再会

 

 瓦礫を越え、崩落した廊下を曲がった先。

 無機質なリノリウムの上に引かれた不吉な朱色の筋は、その行き止まりの隅で、プツリと情報の終わりを告げるように途切れていた。

 その先に、小さな、信じられないほど小さな影があった。

 泥に塗れ、千切れかけた真っ白な包帯。

 寸断された四肢の断面。

 床の冷気に魂を吸われ、冬眠する獣のように微動だにしない少女の輪郭。

 

「ナギ……ッ!」

 

 ワタルは狂ったように駆け寄り、雪と血に汚れたその愛しき存在を、壊れ物を扱うように、しかし必死に抱き上げた。

 

 軽い。

 あまりにも、軽すぎた。

 

 腕に伝わるのは、包帯越しの鳥の骨のような脆さと、体温を失いかけた皮膚の冷たさ。

 かつてプールで語らい、共に笑い合った少女の重さではなかった。手足という質量を失った身体は、羽毛のように恐ろしいほど簡単に、ワタルの腕の中に収まった。

 それなのに、その軽さが、彼の胸を潰れるほどの重さで締めつけた。

 

「……ん……」

 

 ナギが、うっすらと鉛色のまぶたを震わせた。

 その肌は極寒の廊下に晒され、氷のように透きとおって冷たくなっていた。

 だが、ワタルの腕の熱に触れた瞬間、剥き出しの首筋では弱々しく、けれどトクトクと切実な鼓動が刻まれているのが伝わってきた。

 

「ワタル……? ほんとに……ワタルなの……?」

「ああ、そうだ、俺だ! 遅くなってごめん、ごめんな……っ!」

 

 ワタルは彼女を、骨が鳴るほどの強さで抱きしめた。

 己が持つ全ての体温を、心臓の絶叫を、全て彼女の空洞になった身体へと移し替えるような、祈祷に近い抱擁だった。

 

 ナギは、泣き顔のままワタルの広すぎる胸に顔を埋めた。

 彼女にはもう、大切な誰かを「抱き返す」ための腕が存在しない。

 ただ、己の頬を、彼の体温へと必死に擦り付けることしかできないのだ。

 

「ぁ……、あったかい……。まだ、あったかいよ、ワタル……」

 

 その震える一言が、ワタルの胸腔を暴力的に引き裂いた。

 基地全体を支配する、絶望的な鉄と硝煙と死の匂いの中、互いの皮膚が発する僅かな熱だけが、この理不尽な宇宙における唯一の、そして最後の「生」の証明だった。

 

「怖かった。……一人で、このままゴミみたいに捨てられるのかと思って……、痛くて、怖くて……嫌だったよ……!」

 

 子供のような、剥き出しの鳴き声を、ナギはあげた。

 今まで彼女を支えていたプライドも、パイロット候補生としての意地も、そんな不純物は、彼の前では完全に決壊し、ただの少女へと回帰していた。

 

 ワタルは言葉にならぬ呻きを飲み込み、ただ彼女が泣き疲れるまで、その乱れた銀髪を、血の滲んだ掌で撫で続けた。

 

 ズドォォン――!!

 至近距離で、基地の隔壁が物理的に破砕される爆鳴が轟いた。

 天井から、コンクリートの粉塵が真っ白な灰のように降り注ぐ。

 

「……ナギ。ここでは死なせない」

 

 感傷を噛み締める時間は、もはや神ですら与えてはくれなかった。

 ワタルはナギを背負い直した。

 手足のない彼女の身体は、崩れやすい脆い彫像を運ぶようで、背中に一点の重みを感じるたびに、彼は自身の罪の深さを自覚せずにはいられない。

 

「行くぞ! まだ、あがける!」

 

 半壊した整備ハンガーへと飛び込む。

 そこは、機械の墓場だった。

 押し潰された整備兵たちの肉の断片。

 ひしゃげ、内部機構を晒したまま沈黙する装甲車。

 そして、その最奥。

 暗がりの蜘蛛の巣に絡まるようにして、無骨な鉄の塊が鎮座していた。

 

 極圏連合・地上重機動仕様ドライバー「スヴァーログ (Svarog)」。

 

 戦術洗練度を度外視し、ただ出力と装甲圧力のみを追求した旧時代の兵器。

 外装はあちこち剥がされ、油圧のバイパスチューブが内臓のように無様に垂れ下がったままの、死に体のテスト機だ。

 だが、現在の狂った磁場の中で、論理的に動く可能性があるのは、この鉄の塊しかなかった。

 

「……ねえ、ワタル」

 

 背中で、ナギが呟いた。

 

(私は、死にたかったのかもしれない)

 

 独房で震えていた夜。ナギはそう思っていた。

 

 自分が消えれば、彼は優しいままでいられるから。

 自分の「生きたい」という願いが、ワタルを怪物に変えてしまうことこそが、死ぬことよりも恐ろしかった。

 

(けれど、ワタルは来てくれた)

 

 世界を敵に回してでも、この私を選んでくれた。

 

 ――お前が生きて助けを求めれば、ヤツは正真正銘の『怪物』になるしかない。

 

 あの時、ミラーはそう言った。

 けれど、それはもう呪いではない。

 彼がそれを望んだのだ。

 彼が地獄を選んだのなら、私がその背中から降りることなど許されない。

 死んで楽になるなんて、そんな逃げ道はもう残されていない。

 

(なら、私は生きる。……たとえ、あなたの足枷になるとしても)

 

 あなたが流す血の理由になり続けるとしても。

 

(私はあなたの「呪い」になって、地獄の底まで付き合ってやる)

 

 その声から、湿り気が完全に消えていた。

 助けを求める子供ではない。

 極低温で研ぎ澄まされた、氷点下の冷たさを湛えた「刃」の響き。

 

「あいつを……。私の、私だったものを奪っていったあいつを……。殺そう」

 

 ああ、ワタルは頷いた。

 そして腹の底から、短く答えた。

 

「地獄の果てまで、付き合ってやる」

 

 コクピットハッチを乱暴にこじ開ける。

 複座式の、狭苦しい金属の檻。

 ワタルはナギを、後部座席《セカンドシート》の冷たいクッションへと押し込んだ。

 

「痛いかもしれねえけど、我慢しろ! 死ぬよりはマシだ!」

 

 ナギの不完全な肉体は、自力でシートに定着することすらできない。

 このまま加速すれば、一瞬でコンソールの壁に叩きつけられ、内臓破裂で終わる。

 ワタルは緊急用の5点式ハーネスを、ナギの細い胴体へと、および深く食い込むほどきつく固定した。

 その時。

 ナギの背中の背もたれから不気味に突き出していた、共鳴駆動用の神経接続プラグ《レゾナンス・ニードル》が。ナギの脊髄後端のコネクタへと、無防備に、吸い込まれるように噛み合った。

 

 カチリ、と。

 世界が静止したような、絶対的な接続音。

 

「よし、これなら落ちない! 飛ぶぞ、ナギ!」

 

 ワタルはそれを、ただのロック機構の作動音だと思い込み、前方パイロット席へと移動した。

 コンソールの隅、赤いエラーログの隙間に一瞬だけ表示された致命的な通知—— [ResonanceLink: PAIN INTERFACE ENGAGED.] ——を、彼はまだ知る由もなかった。

 

 

 首を失い、内部回路を露出させた胴体。

 操縦士を乗せたまま、絶望的に千切れ飛んだコクピット・ブロック。

 オイルと猛火を撒き散らしながら回転する、巨大なエンジンユニット。

 

 鉄の雨だ。

 人類が、科学の粋を結集して作り上げたはずの最強の航空戦力が、まるで高い空から投げ捨てられた不燃ゴミのように、あえなく極寒の地へとばら撒かれている。

 

「全滅……したのか? あんなに、たくさんいたのに……」

 

 数分前まで、あれほど優雅に、そして力強く空を支配していた翼たちが。

 たった1機の、たった1つの「敵」に対して、微塵の足止めすら叶わずに、ただのスクラップへと成り果てた。

 

 ワタルの全身の肌が、予感を超えた恐怖で泡立つ。

 希望という概念の、物理的な剥奪。

 もはや。この空を守るものは、文字通り何一つ残っていなかった。

 

 

 

## 処刑人

 

 主役は最後に現れた。

 

 ズドォォォォォォォン……!!!

 

 極圏基地の滑走路そのものが、巨大なハンマーに打ち砕かれたかのような、内臓を揺らす重い地響き。

 瞬間、数百トンの粉雪とコンクリートの破片が爆風を伴って舞い上がり、ホワイトアウトした死の視界を形成した。

 その不透明な極寒の幕の向こうから、巨大な、黒い「拒絶」そのものの輪郭が姿を現した。

 

 Grade II Class A/B怪獣『ギロチン』。

 全長約30メートル。

 その外貌は、巨大なクワガタムシの意匠を、宇宙的な悪意で煮詰めたかのような、絶対的な不条理を体現していた。

 全身を覆うのは、周囲のあらゆる光と色彩を貪り食うような、漆黒の共鳴結晶装甲。

 

 ブォォォン……、ブォォォン……。

 

 装甲の各パネルが常に不規則な周期で微細に励起し、物理的な接触を拒むような、耳障りな低周波のうなりを周囲に撒き散らしている。

 そして。その頭部から前方へと突き出した、最大の特徴たる長大な二股の大顎《マンディブル》。

 身の丈の半分以上にも及ぶその巨大な鎌のような刃の内側には、先ほど「咀嚼」したばかりのインターセプターのものと思われる、青い火花を散らすオイルと。……かつて人間だった、赤い飛沫がこびりついていた。

 

 怪獣は。何の衒いもなく、ゆっくりと歩を進めた。

 ズシン。ズシン。

 防衛のために展開していた装甲車を、まるで枯れ葉を避けることもせず踏み潰し。

 決死の対空砲火を、ただ皮膚を撫でるそよ風ほどにも気に留めず、前進する。

 複眼のような感覚器は、足元に群がる人間など、1分1秒たりとも視界に捉えていない。

 

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