Fire Ocean 大気圏焼却戦域   作:ウソカラマコト

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10: 痛み分けの暴力

## 痛み分けの暴力

 

 吹き飛ばされたスヴァーログの巨体は、凍土の上を無様に転がりながらも、油圧シリンダーの悲鳴を響かせ、四肢を雪に突き立てて体勢を立て直した。

 

「おおおおおおおッ!!」

 

 ワタルは咆哮する。

 歪んだ操縦桿を、骨が弾けるほどの力で奥へと叩き込む。

 スヴァーログの全身が限界を超えた摩擦音を上げ、後部バーニアが青白い臨界プラズマを吐き出し、物理法則をねじ伏せる爆発的な突進力を生んだ。

 

 直線の、剥き出しの突撃。

 だが怪獣ギロチンは、死の淵にあっても、あまりに狡猾な捕食者だった。

 

 ワタルが肉薄し、絶対の間合いを掴んだと確信した刹那。漆黒の巨躯を低く沈め、ワタルの残像を嘲笑うように、死角となる左側面へと回り込んだのだ。

 

 速い。

 質量が、意識の隙間をすり抜ける。

 

「しまっ……!?」

 

 ワタルが事態を認識したときには、目前にはすでに、氷河を砕くほど巨大な、あの処刑人の大顎が迫っていた。

 

「負けるかよ!」

 

 怪獣ギロチンが反応し、その処刑人の大顎を開くよりも速く。

 ワタルはスヴァーログの巨体を、砲弾のように敵の懐へと叩き込んでいた。

 

 ドゴォォォォォンッ!!

 

 鈍重な金属とシリコンの衝突音。

 スヴァーログの鋼鉄の肩が、ギロチンの胸部装甲を強引にへし折った。

 ミシミシと、怪獣の肋骨にあたる結晶体が砕け、破片が飛び散る。

 確かな手応え。

 敵の肉を砕いた感触が、操縦桿を通して伝わってくる。

 ガガギギィィィィンッッ!!

 不快な高周波の金属衝突音がコクピットを揺らした。

 

『ギャアアアアアアアアアアッ!!』

 

 怪獣の絶叫。

 それと同時に、ワタルの背筋を冷たい悪寒が駆け抜けた。

 

 来る。

 

 宇宙でアラクネの息の根を止めた際に味わった、あの感覚だ。

 敵を傷つけた代償。

 怪獣が感じている「痛み」や「死への恐怖」が、流れ込んでくる。

 ワタルは反射的に歯を食いしばり、瞳を固く閉じた。

 脳のひだを直接ヤスリで削られるような、理不尽な精神汚染。

 口の中に広がる、腐った花のような「死」の味と食感。

 細胞のひとつひとつが壊死していく音が聞こえる、あの孤独な地獄が再び――。

 

 だが。

 どれほど身構えても、あの「呪い」の感触はやってこなかった。

 スヴァーログの機体操作は驚くほどクリアで、ワタルの神経は凪いだ海のように静かだった。

 

「ああああああああああああああッッ!!!」

 

 代わりに。

 鼓膜を引き裂かんばかりの絶叫が、インカムを、そして座席の底から響いてきた。

 

 ナギの叫びだ。

 

 彼女の細い体が、シートの拘束具を弾き飛ばさんんばかりに大きく仰け反り、口からはどろりと鮮血が溢れ出す。

 

 ワタルはまだ知らない。

 これが対怪獣戦兵器、レゾナンス・ドライバーが二人乗りである真の理由。

 

 痛覚逆流《バックフロー》の回避。

 

 怪獣に致命傷を与えた際に発生する、致死量の激痛。

 共鳴駆動《レゾナンス・ドライブ》は神経接続によって鉄の巨人と一体化するが、怪獣の組成を使ったシステムゆえに、痛覚逆流をカットしきれない。

 システムがカットしきれない激痛を、セカンドパイロットが引き受ける。

 

 ファーストパイロットを守るための、生贄。

 

 ワタルに届くはずだった激痛が、絶命の恐怖が。

 まるで排水管に吸い込まれる汚水のように、一滴の漏れもなく、ナギ一人の脳へと流れ込んでいたのだ。

 セカンドシートに座る彼女は、ワタルの安全装置《ヒューズ》として、彼の精神を守るためだけに、地獄の火を一身に飲み込んでいたのだ。

 

「ナギ! どうした!? 大丈夫か!?」

「ぐぅ……ッ! あ、あああああッ!!」

「怪獣の声か!? 怪獣の声を聞いたのか!? 俺の代わりに!」

「だ、大丈夫……っ」

「待ってろ! ハーネスを外してやる!」

 

 ワタルは操縦桿から手を離し、後部コクピットへ向かおうとした。

 

「いいから! 刺して!! こいつを殺して、ワタル!!」

 

 ナギの瞳は、鬼の怒火が灯っていた。

 

(ワタルを守れている!)

 

 盾でもいい。生贄でもいい。

 大好きな人を守れているなら。

 大嫌いな奴を倒すためなら。

 その歪んだ全能感が、脳を蒸発させるほどの激痛すらも祝福に変えていた。

 

 ワタルは、ナギの声を背中で受け取った。

 噛み締めて、噛み締めて。

 操縦桿を、握りしめた。

 

「……おうッ!!」

 

 ワタルは、自身の唇を肉が千切れるまで噛み切った。

 予備のフットペダルを力任せに踏み抜き、スヴァーログの右肩部装甲を展開、強制固定アンカーを爆射した。

 

 ズドォォォォンッ!!

 

 直径30センチの超硬度杭が、ゼロ距離で怪獣の外殻を貫き、食らいついた。

 二つの異形は物理的に縫合され、逃げ場なく固定された。

 

「これで……終わりだああああああああッ!!」

 

 重質量パイルバンカー。

 狙い定めるのは破壊ではない。

 明日を開くという、ただ一つの怒りだ。

 

「貫けえええええええええええッ!!」

 

 ドゴォォォォォォォォン!!!

 一撃。二撃。

 杭の底に仕込まれた追加炸薬が次々と爆発し、怪獣の強靭な肉を強引に撥ね退けて、さらに深く、深淵へと潜り続けた。

 そして三撃目。

 装甲が耐えきれず、叫び声を上げながら砕け散る。

 

 キンッ。

 空になった巨大な薬莢が、小気味よい音を立てて排莢された。

 

 その刹那。

 衝撃波がコクピットを白く染め、ナギが再び、激しい喀血と共に仰け反った。

 痛覚逆流《バックフロー》だ。

 コンソールの隅々に、少女の温かい血が飛沫となってこびりつく。

 

 ズギュゥゥゥゥゥゥゥンッッ!!

 

 ギロチンの頭部が、中心核から無惨に炸裂した。

 どす黒い生体液と、結晶の破片。

 不条理の残骸が、雨のようにスヴァーログを汚していく。

 

 それは勝利の祝杯などではなく、二人の幼い共犯者を、決して拭えぬ罪で染め上げる、暗黒の洗礼だった。

 

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