## 痛み分けの暴力
吹き飛ばされたスヴァーログの巨体は、凍土の上を無様に転がりながらも、油圧シリンダーの悲鳴を響かせ、四肢を雪に突き立てて体勢を立て直した。
「おおおおおおおッ!!」
ワタルは咆哮する。
歪んだ操縦桿を、骨が弾けるほどの力で奥へと叩き込む。
スヴァーログの全身が限界を超えた摩擦音を上げ、後部バーニアが青白い臨界プラズマを吐き出し、物理法則をねじ伏せる爆発的な突進力を生んだ。
直線の、剥き出しの突撃。
だが怪獣ギロチンは、死の淵にあっても、あまりに狡猾な捕食者だった。
ワタルが肉薄し、絶対の間合いを掴んだと確信した刹那。漆黒の巨躯を低く沈め、ワタルの残像を嘲笑うように、死角となる左側面へと回り込んだのだ。
速い。
質量が、意識の隙間をすり抜ける。
「しまっ……!?」
ワタルが事態を認識したときには、目前にはすでに、氷河を砕くほど巨大な、あの処刑人の大顎が迫っていた。
「負けるかよ!」
怪獣ギロチンが反応し、その処刑人の大顎を開くよりも速く。
ワタルはスヴァーログの巨体を、砲弾のように敵の懐へと叩き込んでいた。
ドゴォォォォォンッ!!
鈍重な金属とシリコンの衝突音。
スヴァーログの鋼鉄の肩が、ギロチンの胸部装甲を強引にへし折った。
ミシミシと、怪獣の肋骨にあたる結晶体が砕け、破片が飛び散る。
確かな手応え。
敵の肉を砕いた感触が、操縦桿を通して伝わってくる。
ガガギギィィィィンッッ!!
不快な高周波の金属衝突音がコクピットを揺らした。
『ギャアアアアアアアアアアッ!!』
怪獣の絶叫。
それと同時に、ワタルの背筋を冷たい悪寒が駆け抜けた。
来る。
宇宙でアラクネの息の根を止めた際に味わった、あの感覚だ。
敵を傷つけた代償。
怪獣が感じている「痛み」や「死への恐怖」が、流れ込んでくる。
ワタルは反射的に歯を食いしばり、瞳を固く閉じた。
脳のひだを直接ヤスリで削られるような、理不尽な精神汚染。
口の中に広がる、腐った花のような「死」の味と食感。
細胞のひとつひとつが壊死していく音が聞こえる、あの孤独な地獄が再び――。
だが。
どれほど身構えても、あの「呪い」の感触はやってこなかった。
スヴァーログの機体操作は驚くほどクリアで、ワタルの神経は凪いだ海のように静かだった。
「ああああああああああああああッッ!!!」
代わりに。
鼓膜を引き裂かんばかりの絶叫が、インカムを、そして座席の底から響いてきた。
ナギの叫びだ。
彼女の細い体が、シートの拘束具を弾き飛ばさんんばかりに大きく仰け反り、口からはどろりと鮮血が溢れ出す。
ワタルはまだ知らない。
これが対怪獣戦兵器、レゾナンス・ドライバーが二人乗りである真の理由。
痛覚逆流《バックフロー》の回避。
怪獣に致命傷を与えた際に発生する、致死量の激痛。
共鳴駆動《レゾナンス・ドライブ》は神経接続によって鉄の巨人と一体化するが、怪獣の組成を使ったシステムゆえに、痛覚逆流をカットしきれない。
システムがカットしきれない激痛を、セカンドパイロットが引き受ける。
ファーストパイロットを守るための、生贄。
ワタルに届くはずだった激痛が、絶命の恐怖が。
まるで排水管に吸い込まれる汚水のように、一滴の漏れもなく、ナギ一人の脳へと流れ込んでいたのだ。
セカンドシートに座る彼女は、ワタルの安全装置《ヒューズ》として、彼の精神を守るためだけに、地獄の火を一身に飲み込んでいたのだ。
「ナギ! どうした!? 大丈夫か!?」
「ぐぅ……ッ! あ、あああああッ!!」
「怪獣の声か!? 怪獣の声を聞いたのか!? 俺の代わりに!」
「だ、大丈夫……っ」
「待ってろ! ハーネスを外してやる!」
ワタルは操縦桿から手を離し、後部コクピットへ向かおうとした。
「いいから! 刺して!! こいつを殺して、ワタル!!」
ナギの瞳は、鬼の怒火が灯っていた。
(ワタルを守れている!)
盾でもいい。生贄でもいい。
大好きな人を守れているなら。
大嫌いな奴を倒すためなら。
その歪んだ全能感が、脳を蒸発させるほどの激痛すらも祝福に変えていた。
ワタルは、ナギの声を背中で受け取った。
噛み締めて、噛み締めて。
操縦桿を、握りしめた。
「……おうッ!!」
ワタルは、自身の唇を肉が千切れるまで噛み切った。
予備のフットペダルを力任せに踏み抜き、スヴァーログの右肩部装甲を展開、強制固定アンカーを爆射した。
ズドォォォォンッ!!
直径30センチの超硬度杭が、ゼロ距離で怪獣の外殻を貫き、食らいついた。
二つの異形は物理的に縫合され、逃げ場なく固定された。
「これで……終わりだああああああああッ!!」
重質量パイルバンカー。
狙い定めるのは破壊ではない。
明日を開くという、ただ一つの怒りだ。
「貫けえええええええええええッ!!」
ドゴォォォォォォォォン!!!
一撃。二撃。
杭の底に仕込まれた追加炸薬が次々と爆発し、怪獣の強靭な肉を強引に撥ね退けて、さらに深く、深淵へと潜り続けた。
そして三撃目。
装甲が耐えきれず、叫び声を上げながら砕け散る。
キンッ。
空になった巨大な薬莢が、小気味よい音を立てて排莢された。
その刹那。
衝撃波がコクピットを白く染め、ナギが再び、激しい喀血と共に仰け反った。
痛覚逆流《バックフロー》だ。
コンソールの隅々に、少女の温かい血が飛沫となってこびりつく。
ズギュゥゥゥゥゥゥゥンッッ!!
ギロチンの頭部が、中心核から無惨に炸裂した。
どす黒い生体液と、結晶の破片。
不条理の残骸が、雨のようにスヴァーログを汚していく。
それは勝利の祝杯などではなく、二人の幼い共犯者を、決して拭えぬ罪で染め上げる、暗黒の洗礼だった。