Fire Ocean 大気圏焼却戦域   作:ウソカラマコト

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07: 無音の地獄

## 無音の地獄

 

 

『緊急スクランブル! 未観測の Class S 個体、デブリベルトを透過し直撃コース! 全機、出られるものから出せ! カウントを待つな!!』

 

 管制室の、理性をかなぐり捨てた悲鳴がインカムで割れる。

 ハンガーは狂乱の中にあった。

 正規のチェック手順も、燃料の充填確認も飛ばされ、整備兵たちが整備車両を文字通り投げ捨てて走り回っている。

 

 ワタルは、一人で飛び出した。

 むしろチャンスだとすら思った。

 

(一人で出撃してやる!)

(俺だけで、倒す!)

(そうすれば、証明できる!)

 

 だが、今のステーション全体を支配する「退っ引きならない迎撃シークエンス」は、ワタルの後悔など一顧だにしない。

 

「槐ワタル、不知火《シラヌイ》、出ます!」

 

 不知火《シラヌイ》が、暗い宇宙の海へと放り出された。

 コクピットの中は、恐ろしいほど静かだった。

 かつて一度だけ背中に感じた、あの体温がない。

 

 コクピットの中は、恐ろしいほど静かだった。

 自分の呼吸音だけが、ヘルメットの中で反響している。

 背後にあるべき、もう一つの呼吸が――ない。

 あの柔らかく不規則な吐息。

 緊張すると速くなり、集中すると止まる、生きた呼吸のリズムが。

 セカンドシートは空席だ。

 たったそれだけのことで、鋼鉄の棺桶は数倍も広く、そして骨の髄まで冷える空洞になっていた。

 

『エンジュ機、目標、デブリベルト深度3。熱源反応なし。Class S 個体は流体装甲により物理センサーを無効化しています!』

「了解。自力で探す!」

 

 ワタルはソナーのゲインを上げ、必死にノイズを睨んだ。

 

 先日の怪獣ギロチンとの死闘を思い出す。

 あの時、視界を奪われたハンガーの中で、ナギの『感覚』が自分を追い越して反応したこと。

 

『全部、肌で、感覚で見える……!!』

 

 あの時のナギは、俺よりも「視えて」いた。

 おそらくだが、痛覚逆流《バックフロー》以外でも、ドライバーと怪獣の間では共鳴通信のようなものが発生している。

 

 ドライバーも怪獣の亜種だからだ。

 

 ナギは怪獣の精神波をつかんで、敵の居場所、その動きを察知していた。

 痛覚逆流《バックフロー》対策の特性上、ファーストは怪獣の精神波に対しては鈍感になる。

 ナギがセカンドに選ばれたのは、才能の結果とも言えるのだ。

 

「ふざけんなよッ!」

 

 そんなことに気づいてしまった自分に腹が立ち、毒づく。

 操縦桿を握る手に力が入る。汗で滑る。グローブの内側が、自分の体温で不快にぬるい。

 

 ナギがいなくても、あの時の感覚を思い出せば、やれるはずだ。

 そう自分に言い聞かせて、神経を研ぎ澄ます。

 

 ……だが。

 

『ピ……ザザッ……』

 

 聞こえてくるのは、歪んだノイズだけだった。

 まるで水底に沈んでいるかのような、あやふやで、距離感のない音。

 耳を澄ませれば澄ますほど、ノイズの粒子が意味を持たない泥のように脳内に堆積していく。

 

(おかしい……、なんで聞こえない?)

 

 焦りが滲む。

 あの鮮明な感覚は、ワタルの才能ではなかった。

 ナギという共鳴器があって初めて成立する、二人の実力だったのだ。

 

 今のワタルは、ただの突撃野郎に過ぎない。

 この広大で、死に満ちた宇宙空間において、それは盲目と同義だった。

 

『逃げるのか?』

 

 スピーカーのノイズに混じって、ミラーの声が聞こえた気がした。

 

『お前は子供だ。汚れることから逃げている』

 

「うるさい……消えろ!」

 

 ワタルは幻聴を振り払うように頭を振った。

 だが、ヘルメットの中で反響した自分の声は、虚勢で薄められた恐怖そのものだった。

 

『右舷! 回避してください!』

 

 不知火の戦術支援AIが叫ぶ。

 

「え?」

 

 反射的に操縦桿を倒すが、遅かった。

 右側から衝撃。

 警報音が鳴り響き、機体がきりもみ回転する。

 操縦桿の反力が消え、一瞬、何もかもが無重力の中で意味を失った。

 

「なっ……!?」

 

 見えなかった。

 音は左から聞こえた気がしたのに。

 レーダーにも反応はなかったのに。

 

『損傷軽微! 敵は流体装甲《スライム》です! 表面で衝撃とセンサー波を拡散しています!』

 

 モニターに映し出されたのは、デブリの隙間をぬるりと這う、銀色の不定形だった。

 

『パターン照合……K-Type "Slime Eater"の亜種』

 

 金属を捕食し、自らの質量に変える厄介な捕食者。

 

「くそっ……こんな、見えない相手と……!」

 

 ワタルは必死に機勢を立て直そうとするが、敵の動きが速すぎる。

 予測できない。どこから来るかわからない。

 恐怖で指が震え、照準レティクルが小刻みに揺れる。トリガーに掛けた人差し指が、引くべきタイミングを完全に見失っていた。

 

(だめだ……!)

 

 ワタルは悟った。

 一人では、勝てない。

 怪獣を、倒すことができない。

 

(これが……、本当の戦い!)

 

 たった二回。

 これまではまぐれで勝ったに過ぎない。

 それを実力と思い込んでいた自分の愚かさを、この無音の宇宙が冷酷に笑っている。

 

『警告! 酸性粘液の付着を確認! 装甲融解率、上昇中!』

 

 AIの無機質な声が、機体の稼働限界《タイムリミット》を告げる。

 

 その時、警告音の海の中で、彼らの声が走馬灯のように蘇った。

 

『お前は子供だ』

『汚れることから逃げている』

 

 ミラーの冷徹な断罪。

 そして、ナギの悲痛な叫び。

 

『半分でいいの。二人で背負いたいの』

『一人で全部背負わないで』

 

 ああ、そうだ。

 俺は「守る」という美名に酔って、彼女の願いを踏みにじった。

 その報いがこれだ。

 誰にも理解されず、誰とも繋がれず、ただの独りよがりなゴミとして宇宙に溶ける。

 

 ジュウウウウ……。

 

 不快な音が、思考を遮った。

 生肉を鉄板で焼くような音。

 酸性の粘液が、複合装甲を化学的に分解している音だ。

 コクピットの温度が上がり始めている。冷却系が追いつかない。額を伝う汗が、目に入って沁みた。

 

「……!」

 

 完全気密のはずのコクピットに、硫黄と、溶けた接着剤を焦がしたような臭いが漏れ出してくる。

 それは装甲の内側に塗布された断熱コーティングが気化し始めた証拠だった。

 

『左舷装甲、剥離! 動力パイプ露出! もう保ちません!』

 

 AIが冷酷に告げる。

 モニターの隅に、銀色の触手が映り込んだ。

 スライム状の怪獣が、機体の関節にねっとりと絡みつき、装甲の隙間から内部へと侵入してくる。

 それは、ワタルの心臓を直接握り潰そうとする死神の手触りだった。

 

「……ナギ……」

 

 最期に呼んだのは、神の名ではなかった。

 自分が置き去りにした、あの少女の名前だった。

 許してくれとは言わない。ただ、もう一度、彼女の声が聞きたかった。

 

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