## 切断
キュイイイイイイイイイ!!
脳髄を直接蹂躙されるような、高周波のモーター音。
ダイヤモンドカッターが骨を噛み、削り取っていく。
不快で硬質な破壊音。
そこは影の一つもない。
白すぎて遠近感すら狂いそうな、冷徹な手術室だった。
室温は極限まで下げられているのだろう。吐く息が白く濁るほどの冷気が肌を刺す。
カルシウムとリンで構成された硬組織が、高速回転するダイヤモンドカッターによって粉砕され、摩擦熱で焦げていく。
有機的な異臭。
冷え切った空気の中で、その熱を帯びた臭いだけが鮮烈に鼻腔を犯した。
視界が真っ白に焼けている。
無影灯の光が強すぎて、覗き込んでくる医師たちの顔は、黒く塗りつぶされた逆光のシルエットだ。
彼らは機械のように腕を動かしていく。
見えるのは、彼らの手だけ。
ゴム手袋にべっとりと付着した、鮮烈な赤。
「右前腕部、切断開始。……バイタル安定。止血鉗子」
医師の声には熱がなく、事務的だ。
スーパーで肉の部位を切り分けるような手際で、彼らは少女の腕を人体から「物体」へと変えていく。
そこには躊躇いも、憐憫もない。ないほうがよい。あればこんなことは出来ない。
健康に何の問題もない少女の体から、両手両足を切断するような真似は。
「――ぁ」
声が出ない。
手術台に拘束されたナギの口は、開口器で強制的に開かれ、喉の奥まで人工呼吸器の管《チューブ》が押し込まれていた。
透明なマスクの内側が、彼女の絶叫と白い呼気で曇っていく。
麻酔が効いていないのか、それともこれは魂が覚えている痛みの記憶なのか。
手術着の胸元には、無機質な管理タグが揺れていた。
TAG: NAGI SHIRASAGO / TYPE: K-ADAPTER
氏名、白砂ナギ。分類、怪獣因子受容体《K・レセプタ》。
もはや彼女は生徒ではない。
人類を救うために改造される希少な「生体部品」だった。
ズズズ、という振動。
鼓膜ではなく、頭蓋骨と歯根を直接震わせる不快な骨伝導。
骨髄の中で神経が焼ききれる感覚。
白い肢体が、ビクンと痙攣する。
革製の拘束具がガタガタと暴れる。
逃げようとしているのではない。痛みに肉体が勝手に跳ねているのだ。
切り離される。
自分の肉体が。
自分が十数年間、爪を切り、指を動かし、ピアノを弾いてきた自分の体の一部が、自分の意志とは無関係に、他人によって物理的に持ち去られる絶対的な喪失感。
「断面処理よし。神経束《ニューロン・バンドル》の露出、完了」
「拒絶反応なし。きれいな検体だ。これならスコポレンドラとも良い適合を見せるだろう」
医師たちの会話が、右から左へと消えていく。
カラン、と乾いた音がした。
切り落とされた右腕が、ステンレスのトレイに無造作に放り投げられた音。
人間としての意味を失った音。
ただの肉塊となり、物質になった瞬間。
その音だった。
「あ……、わあっ……」
薄れゆく意識の底で、ナギの唇が微かに動く。
チューブに塞がれた声帯が、音にならない音を紡ぐ。
助けを求めるように。あるいは、約束を破ったことを謝罪するように。
愛しい人の名前を、呼んだ。
「……ワ……タル」
## 放課後
「……ナギ?」
呼ばれた気がして、ワタルは振り返った。
誰もいない。
放課後の音楽室の廊下だった。
ステーションの生命維持系が刻む微かな低周波が、鼓膜の奥を等間隔で叩くようなリズムとして聞こえていた。
窓の外、高度500kmの蒼ざめた大気層の向こう側では、巨大な火炎の壁――『ファイア・オーシャン』が、西太平洋を舐めるように赤黒く蠢いている。
その毒々しい赤光が、厚いアクリル窓を透過し、白い床に長く、長く、不吉な影を伸ばしていた。
音楽室にはグランドピアノ。
その黒い鏡面塗装が、その破滅的な夕日を吸い込み、固まった血のような色で鈍く光っている。
鍵盤蓋は閉じられたままだ。
その表面には、一週間前にはなかったはずの、微細な塵の粒子がうっすらと積もり始めていた。
わずか数日の不在。
だが、主を失った漆黒の楽器は、もはや音を奏でる機能を忘れた巨大な墓標のように冷たく沈黙している。
そこにあったはずの、ナギが弾くショパンの『別れの曲』の熱量も、鍵盤を叩く爪の微かな音の残滓も、今はただの無臭の空間に塗り潰されていた。
棚に並ぶ楽譜。その背表紙の整理された順序。何事もなくここにあり続けている。
「風邪をこじらせたって言ってたけど……」
ワタルはポケットからスマートフォンを取り出した。
手汗で少し湿った画面をスワイプし、学園公認の学生位置情報共有アプリを開く。
生徒同士がお互いの居場所を確認するための(学校側が子供たちを監視するための)ツール。
本来は待ち合わせや安否確認に使われる、空疎で平和なアプリだ。
液晶画面の地図に、自分の現在地を示す青いドットが、音楽室の中央で力なく点滅している。
そして、探している赤い点は……。
病院施設には、なかった。
学園区画の学生寮にも、実習教室のどこにも、彼女の痕跡はなかった。
あったのは、学校でも学生寮でもない場所だった。
自分たちのいるクレイドル宇宙ステーション、その最深部。
立入禁止区域。
核熱リアクターや環境維持プラントが集中していることから、生徒はもちろん一般の教職員すらも立ち入りを禁じられた、重厚な鉛の壁に隔てられた区画。
『Sector 3: Restricted Area 《第3プラント》』
「ナギのやつ……、こんなところで何を……」
画面を二本指でタップし、最高倍率まで拡大する。
赤い点は、ここ数日間、数ミリの座標のブレすらも見せず、死石のように固着していた。
寮へ戻った形跡も、カフェテリアへ移動したログも、何もない。
排泄も、食事も、そして睡眠すらも放棄しているかのように、赤い点はただひたすらに、プラント中央部の座標――巨大な動力シャフトの真上に固定されていた。
まるで、そこに物理的に釘で打ち付けられているかのような。
もはや自力で「移動する自由」を剥奪された、囚人か何かに成り果てたかのようだ。
液晶のバックライトが発する無機質なスペクトルが、不気味な警告信号となってワタルの網膜を刺した。
自分のいる座標から、直線に直してわずか数百メートル。
だがその距離は、低軌道から地表までの絶望的な高度差よりも、遠く、冷たい絶壁に思えた。
何かがおかしい。
ただの風邪じゃない。隔離病棟に入れられたわけでもない。
動力炉のど真ん中で、数日間、一歩も動かない人間。
それはもう、人間として扱われていないのではないか。
ドクン。
心臓が嫌な音を立てた。
胸の奥で、正体のわからない不安が黒い泥のように渦巻き始めていた。
考えてはいけない気がする。
そんな本能的な恐怖が一瞬のうちに駆け抜け、ワタルはしばし、立ち尽くした。