Fire Ocean 大気圏焼却戦域   作:ウソカラマコト

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08: 戦場のプロポーズ

## 戦場のプロポーズ

 

 

 ズドン!!!!

 

 突然、コクピット全体が鐘のように鳴り響いた。

 不知火に食らいついていた怪獣が、神の拳で物理的に殴打されたかのように弾け飛ぶ。

 装甲を軋ませていた圧力が消滅し、鋼鉄の皮膚を引き裂くような甲高い金属音だけが、断末魔のように鼓膜を劈いた。

 

「なっ……敵か!?」

 

 ワタルが顔を上げた、その時。

 高度300キロメートル。

 系全体を支配する第一宇宙速度、秒速7.9キロメートルの疾走。

 磁性流体の干渉で歪んだモニターのノイズを割って、漆黒の機影が視界を横切った。

 デブリの影から躍り出た重装甲――第13軌道師団所属、特機ヘカトンケイルだ。

 

 ガギンッ!

 

 ヘカトンケイルの背部ドラムが爆開し、10本のワイヤーアンカーが放射状に射出される。

 それは独立した意思を持つ蛇の群れのように、吹き飛ばされた不定形の怪獣へ殺到した。

 救助ではない。

 捕食者が獲物を引き裂くような、容赦のない「狩り」の一撃。

 アンカーが怪獣の肉体に深く突き刺さり、運動エネルギーを叩きつけることで、怪獣を不知火から完全に引き剥がし、周囲の巨大デブリへと縫い付けた。

 

「はい、捕まえた」

「逃がさないよ」

 

 インカムから流れてきたのは、驚くほど平坦な、いつもの温度の声だった。

 死地においてなお、彼らは遊戯《ゲーム》を楽しんでいるかのようだ。

 

「アニオン中尉!? イオン中尉!? なんで、ここに……!」

「おやおや」「お取り込み中かな」「ワタル君?」

「『特別配達《スペシャル・デリバリー》』だよ」

「君が一番欲しがっていたもの」「お届けだ」

 

 先輩たちの、どこか揶揄うような声。

 不知火《シラヌイ》の外部モニタが、ヘカトンケイルの肩装甲をズームした。

 

 あそこには、誰もいなかったはずだ。

 だが、ノイズの走る画面の隅。

 激しく機動する重装甲の上に、あり得ないものが見えた。

 

 マグネットブーツだけで踏ん張り、身体を固定している小さな人影。

 気密ヘルメットの中で、黒髪が無重力に漂っている。

 

「ナギ……!?」

 

 ワタルの愕然とした呟きを、ナギの鋭い声が貫いた。

 

『――バカ! ワタル! 私を置いて死ぬ気!?』

 

 ナギはヘカトンケイルの装甲を蹴った。

 

 怖くないと言えば、嘘になる。

 ブーツの磁力が途切れた瞬間、世界が消えた。

 上下も左右もない。

 あるのは、ヘルメットの中の自分の呼吸と、心臓が喉元まで競り上がってくる圧迫感だけ。

 バイザーの内側が、自分の吐息で白く曇る。

 スーツの関節部から、宇宙の冷気が毛穴を刺すように侵入してくる。マイナス150度の放射冷却が、薄い繊維の向こう側で牙を剥いている。

 

 けれど。

 あの人が、あの鉄の棺桶の中で、一人で死のうとしている。

 それだけで、恐怖は燃料に変わった。

 

 デブリとバーニアの噴射炎が飛び交う、超音速の風さえ吹かない静寂の地獄へ、ナギは身を投げ出した。

 正気の沙汰ではない。

 ドッグファイトの最中に戦闘機から戦闘機へ飛び移る、極限の死中行。

 

「やめろッ!!」

 

 ワタルの絶叫は、自分の喉が裂けるほどの衝撃で響いた。

 モニター越しに見える彼女は、あまりにも小さく、脆い。

 外は第一宇宙速度の世界だ。

 指先が一つ滑れば、スラスターの推力が少しでも狂えば、彼女は永遠に虚空へと弾き飛ばされ、二度と戻らないデブリとなる。

 

 腕を伸ばして掴み取りたい。

 だが、マニュピレーターを動かせば、その余波だけで彼女を吹き飛ばしてしまう。

 何もできない。

 ただ見ていることしかできない。

 操縦桿に食い込んだ爪が割れる感触すら、意識の外だった。

 モニターに映る彼女の軌跡を追う目が乾き、瞬きすら恐ろしい。

 一瞬でも視線を外した隙に、あの小さな点が闇に呑まれてしまいそうで。

 視界が白むほどの恐怖が、ワタルの心臓を氷漬けにした。

 

 だが、彼女の動きに迷いはなかった。

 慣性で流される直前、構えた『ハンディ・ウインチ』のトリガーを引く。

 

 パンッ!

 

 ガス圧で射出された吸着アンカーが、不知火のハッチ付近に突き刺さる。

 衝撃が手首を通じてナギの肩関節に噛みつく。だが、彼女はその痛みを無視し、躊躇なく巻き取りスイッチを叩いた。

 

 ギュンッ!!

 

 カーボンワイヤーが張り詰め、ナギの小さな身体が無理やり軌道を変えられる。

 強烈なGが彼女の四肢をきしませる。

 首が折れそうなほど頭が引っ張られ、視界の端が赤黒く滲む。

 だが、ナギは加速を利用して不知火へと突っ込んできた。

 背負ったスラスターを逆噴射し、叩きつけられる寸前で衝撃を殺す。

 

 ドォォォン!!

 

 コクピット全体が再び激しく揺れた。

 溶解しかけた装甲板の上に、ナギが着地し、しがみついている。

 振動がワタルの歯を鳴らした。

 噛み合わせた奥歯の間から、安堵とも恐怖ともつかない息が漏れる。

 

 彼女はパイロットスーツを着用してはいたが、機外はマイナス150度の放射冷却と死の放射線が吹き荒れる真空だ。

 あらゆる熱を奪い去る、絶対的な無の世界を、彼女は生身で踏み越えてきた。

 

 ナギは即座に、外部ハッチの緊急作業用スイッチへと手を伸ばした。

 安全装置《インターロック》は、怪獣の酸によって既に回路ごと焼き切れている。

 ナギがスイッチを叩き、手動レバーを一気に引き下げると、ハッチは油圧の抵抗もなく、あっけなく解放された。

 

 ボシュウウウウウ!!

 

 爆発的な減圧。

 コクピットの空気が白い霧と化して噴出する。

 宇宙の真空が、コクピット内の空気を暴力的に引き剥がしていく。

 全身が硬直し、視界がホワイトアウトする。

 コクピットの中から外への爆風のような圧は、ナギを吹き飛ばすほどだった。

 

「馬鹿野郎ッ!!」

 

 ワタルは反射的に手を伸ばしていた。

 目の前で、彼女が宇宙に放り出され、暗黒に溶ける光景だけは、死んでも見たくない。

 

 ガチリ、と硬質な感触。

 ナギのチタン合金製義手が、ワタルの生身の手をしっかりと握り返した。

 スーツ越しにも伝わる、義手の絶対的な硬さと、確かな質量。

 それでもなお、指先に込められた不器用な力加減が、ワタルの掌を痛いほど締め付ける。

 機械には持てないはずの「必死さ」が、そこにあった。

 

「捕まえた……っ!」

 

 気密が失われた霧の中で、ナギはワタルを支えにし、狭いコクピットへと滑り込んだ。

 ハッチが緊急閉鎖され、再加圧のアラートが鳴り響く。

 シューッ、という酸素充填音と共に、気圧が正常値へと戻っていく。

 

 圧が戻った瞬間、止めていた呼吸が弾けた。

 二人の、掠れた、荒い呼吸音が、コクピットの狭さを際立たせた。

 

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