## 戦場のプロポーズ
ズドン!!!!
突然、コクピット全体が鐘のように鳴り響いた。
不知火に食らいついていた怪獣が、神の拳で物理的に殴打されたかのように弾け飛ぶ。
装甲を軋ませていた圧力が消滅し、鋼鉄の皮膚を引き裂くような甲高い金属音だけが、断末魔のように鼓膜を劈いた。
「なっ……敵か!?」
ワタルが顔を上げた、その時。
高度300キロメートル。
系全体を支配する第一宇宙速度、秒速7.9キロメートルの疾走。
磁性流体の干渉で歪んだモニターのノイズを割って、漆黒の機影が視界を横切った。
デブリの影から躍り出た重装甲――第13軌道師団所属、特機ヘカトンケイルだ。
ガギンッ!
ヘカトンケイルの背部ドラムが爆開し、10本のワイヤーアンカーが放射状に射出される。
それは独立した意思を持つ蛇の群れのように、吹き飛ばされた不定形の怪獣へ殺到した。
救助ではない。
捕食者が獲物を引き裂くような、容赦のない「狩り」の一撃。
アンカーが怪獣の肉体に深く突き刺さり、運動エネルギーを叩きつけることで、怪獣を不知火から完全に引き剥がし、周囲の巨大デブリへと縫い付けた。
「はい、捕まえた」
「逃がさないよ」
インカムから流れてきたのは、驚くほど平坦な、いつもの温度の声だった。
死地においてなお、彼らは遊戯《ゲーム》を楽しんでいるかのようだ。
「アニオン中尉!? イオン中尉!? なんで、ここに……!」
「おやおや」「お取り込み中かな」「ワタル君?」
「『特別配達《スペシャル・デリバリー》』だよ」
「君が一番欲しがっていたもの」「お届けだ」
先輩たちの、どこか揶揄うような声。
不知火《シラヌイ》の外部モニタが、ヘカトンケイルの肩装甲をズームした。
あそこには、誰もいなかったはずだ。
だが、ノイズの走る画面の隅。
激しく機動する重装甲の上に、あり得ないものが見えた。
マグネットブーツだけで踏ん張り、身体を固定している小さな人影。
気密ヘルメットの中で、黒髪が無重力に漂っている。
「ナギ……!?」
ワタルの愕然とした呟きを、ナギの鋭い声が貫いた。
『――バカ! ワタル! 私を置いて死ぬ気!?』
ナギはヘカトンケイルの装甲を蹴った。
怖くないと言えば、嘘になる。
ブーツの磁力が途切れた瞬間、世界が消えた。
上下も左右もない。
あるのは、ヘルメットの中の自分の呼吸と、心臓が喉元まで競り上がってくる圧迫感だけ。
バイザーの内側が、自分の吐息で白く曇る。
スーツの関節部から、宇宙の冷気が毛穴を刺すように侵入してくる。マイナス150度の放射冷却が、薄い繊維の向こう側で牙を剥いている。
けれど。
あの人が、あの鉄の棺桶の中で、一人で死のうとしている。
それだけで、恐怖は燃料に変わった。
デブリとバーニアの噴射炎が飛び交う、超音速の風さえ吹かない静寂の地獄へ、ナギは身を投げ出した。
正気の沙汰ではない。
ドッグファイトの最中に戦闘機から戦闘機へ飛び移る、極限の死中行。
「やめろッ!!」
ワタルの絶叫は、自分の喉が裂けるほどの衝撃で響いた。
モニター越しに見える彼女は、あまりにも小さく、脆い。
外は第一宇宙速度の世界だ。
指先が一つ滑れば、スラスターの推力が少しでも狂えば、彼女は永遠に虚空へと弾き飛ばされ、二度と戻らないデブリとなる。
腕を伸ばして掴み取りたい。
だが、マニュピレーターを動かせば、その余波だけで彼女を吹き飛ばしてしまう。
何もできない。
ただ見ていることしかできない。
操縦桿に食い込んだ爪が割れる感触すら、意識の外だった。
モニターに映る彼女の軌跡を追う目が乾き、瞬きすら恐ろしい。
一瞬でも視線を外した隙に、あの小さな点が闇に呑まれてしまいそうで。
視界が白むほどの恐怖が、ワタルの心臓を氷漬けにした。
だが、彼女の動きに迷いはなかった。
慣性で流される直前、構えた『ハンディ・ウインチ』のトリガーを引く。
パンッ!
ガス圧で射出された吸着アンカーが、不知火のハッチ付近に突き刺さる。
衝撃が手首を通じてナギの肩関節に噛みつく。だが、彼女はその痛みを無視し、躊躇なく巻き取りスイッチを叩いた。
ギュンッ!!
カーボンワイヤーが張り詰め、ナギの小さな身体が無理やり軌道を変えられる。
強烈なGが彼女の四肢をきしませる。
首が折れそうなほど頭が引っ張られ、視界の端が赤黒く滲む。
だが、ナギは加速を利用して不知火へと突っ込んできた。
背負ったスラスターを逆噴射し、叩きつけられる寸前で衝撃を殺す。
ドォォォン!!
コクピット全体が再び激しく揺れた。
溶解しかけた装甲板の上に、ナギが着地し、しがみついている。
振動がワタルの歯を鳴らした。
噛み合わせた奥歯の間から、安堵とも恐怖ともつかない息が漏れる。
彼女はパイロットスーツを着用してはいたが、機外はマイナス150度の放射冷却と死の放射線が吹き荒れる真空だ。
あらゆる熱を奪い去る、絶対的な無の世界を、彼女は生身で踏み越えてきた。
ナギは即座に、外部ハッチの緊急作業用スイッチへと手を伸ばした。
安全装置《インターロック》は、怪獣の酸によって既に回路ごと焼き切れている。
ナギがスイッチを叩き、手動レバーを一気に引き下げると、ハッチは油圧の抵抗もなく、あっけなく解放された。
ボシュウウウウウ!!
爆発的な減圧。
コクピットの空気が白い霧と化して噴出する。
宇宙の真空が、コクピット内の空気を暴力的に引き剥がしていく。
全身が硬直し、視界がホワイトアウトする。
コクピットの中から外への爆風のような圧は、ナギを吹き飛ばすほどだった。
「馬鹿野郎ッ!!」
ワタルは反射的に手を伸ばしていた。
目の前で、彼女が宇宙に放り出され、暗黒に溶ける光景だけは、死んでも見たくない。
ガチリ、と硬質な感触。
ナギのチタン合金製義手が、ワタルの生身の手をしっかりと握り返した。
スーツ越しにも伝わる、義手の絶対的な硬さと、確かな質量。
それでもなお、指先に込められた不器用な力加減が、ワタルの掌を痛いほど締め付ける。
機械には持てないはずの「必死さ」が、そこにあった。
「捕まえた……っ!」
気密が失われた霧の中で、ナギはワタルを支えにし、狭いコクピットへと滑り込んだ。
ハッチが緊急閉鎖され、再加圧のアラートが鳴り響く。
シューッ、という酸素充填音と共に、気圧が正常値へと戻っていく。
圧が戻った瞬間、止めていた呼吸が弾けた。
二人の、掠れた、荒い呼吸音が、コクピットの狭さを際立たせた。