Fire Ocean 大気圏焼却戦域   作:ウソカラマコト

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10: 限界の全能 / 軌道戦闘

## 限界の全能

 

 

「――ああ、見える」

 

 ワタルの言葉は、確信に満ちていた。

 不知火《シラヌイ》のセンサーは、爆発的なノイズに塗れている。

 だが、ナギと共有した感覚野には、敵の「重心」が真紅の輝点として焼き付いていた。

 

 視覚ではない。

 ナギの神経を通して流れ込んでくる、怪獣の精神波そのものだ。

 それは温度のない熱として脊髄を這い上がり、網膜の裏に像を結ぶ。

 

 視線の先。

 双子の駆るヘカトンケイルが、スライム・イーターを抑え込んでいる。

 10本の展開アームが、不定形の肉に食い込み、物理的な檻となって拘束していた。

 

「捕まえた。これで終わりだね」

「簡単な仕事だ」

 

 インカムから響くイオンとアニオンの声は、相変わらず無機質で、退屈そうにさえ聞こえる。

 だが。

 ナギの感覚が接続された今、ワタルには「それ」が聞こえていた。

 

 ギチチチチチチチ……!

 

 それは、金属の悲鳴ではない。

 彼らの神経が、きしみ、千切れそうになっている「音」だ。

 共鳴回線を通じて、双子の痛覚の残響がナギの神経を経由し、薄められたノイズとしてワタルの側頭部を叩いている。頭蓋骨の内側を、錆びた針で引っ掻かれるような不快感。これが「薄められた」ものだとすれば、当事者である双子が今、何を感じているのか。

 

「……嘘だ」

 

 ワタルは呻いた。

 余裕なんかじゃない。

 ヘカトンケイルの関節部から、火花ではなく、動脈血のような冷却液《K・フルイド》が噴き出している。

 スライム・イーターの質量と出力は、彼らの想定を遥かに超えていた。不定形の怪獣は、10本の腕の隙間から粘液状の触手を伸ばし、逆にヘカトンケイルの装甲を侵食し始めている。

 

「く、ぅ……」「あ……!」

 

 通信のノイズに、双子たちの押し殺した呻きが混じった。

 10本のアーム。そのすべてが彼らの神経と直結している。

 一本の腕がきしむたび、アニオンたちの脳には「腕をねじ切られる幻痛」が走っているはずだ。それを10倍の密度で受け止めながら、二人は笑ってみせているのだ。

 

 あの食堂で「修理された廃棄物」と自分たちを呼んだ子供たち。痛みに慣れた身体は、もはや警報すら鳴らさない。だからこそ、限界を超えていることに本人たちが気づかない。

 

「まだだ……まだ、演算《あそ》べる……!」

「僕たちの計算に、誤差はない……!」

 

 意地だ。

 天才双子としてのプライド。

 あるいは、互いに不安をかけまいとする、彼らなりの優しさ。

 

 だが、現実は無情だった。

 

 バキィッ!

 

 右舷の第3アームが、根元からへし折れた。

 折れた瞬間、共鳴回線を通じてワタルの右腕に幻痛が走った。

 腕の骨が裂ける感覚。

 それはナギのフィルターを突き抜けてきた、双子の悲鳴の残滓だった。

 

「ガァアアアアッ!?」

「イオン!?」

 

 絶叫。

 ヘカトンケイルの制御が一瞬乱れ、怪獣がその隙を逃さずに膨張した。

 檻が砕ける。このままでは彼らが食われる。

 

「――ナギ!」

「うん、分かってる!」

 

 言葉はいらなかった。

 ワタルが操縦桿を倒すと同時に、ナギがスラスターの推力制御を最適化する。

 思考するよりも速く、機体《ドライバー》が反応した。

 ナギの意識がワタルの運動野に溶け込んでいる。

 右手が操縦桿を引く角度を、ナギの神経がミリ単位で補正する。

 一人の技量では不可能な精密機動が、二つの脳の演算として実現する。

 

「そこをどけ! 獲物は俺たちが貰う!」

 

 不知火《シラヌイ》が加速する。

 リミッターを解除した高密度シリコン燃焼炉が、爆音という名の咆哮を上げた。

 加速Gがシートにワタルの背中を押し付ける。内臓が後方へずれる不快感。だが、ナギが推力曲線を滑らかに制御しているおかげで、意識は途切れない。

 

「ワタル! 二人が潰される! 急いで!」

 

 ナギの絶叫が、共鳴回線を通じてワタルの脳幹を直接叩く。声ではない。彼女の恐怖と焦燥が、電気信号として脊髄を駆け抜ける。

 悠長に遠心力を使っている暇はない。

 最短・最速で、あの「粘着く怪物」を双子から引き剥がす。

 

 

 

## 軌道戦闘

 

 

「こいつで……無理やり引きちぎる!」

 

 ワタルはスラスターを逆噴射し、急制動をかけながらヘカトンケイルへと肉薄した。

 獲物に食らいつく猛禽のような挙動。

 減速Gが逆方向からワタルの身体を引き千切ろうとする。ハーネスが鎖骨に食い込み、歯を食いしばった奥歯が軋んだ。

 

 ガギンッ!

 

 左肩の射出式アンカーが、スライム・イーターの不快な粘液質のボディに深々と突き刺さる。

 食いついた。鋼鉄の爪が、液状化した装甲の下にある「核」に近い硬度を捉える。

 アンカーが怪獣の肉体に接触した瞬間、共鳴回線を通じて不快な感触が神経に流れ込んできた。冷たく、湿り、脈動する何か。生き物の内臓に指を突っ込んだような吐き気。

 

「うおおおおぉぉぉッ!」

 

 ワタルは操縦桿を限界まで引き倒した。

 最大後進推力《フル・リバース》。

 不知火《シラヌイ》の機体が悲鳴を上げ、カーボンワイヤーが千切れんばかりに張り詰める。

 その張力が操縦桿を通じてワタルの両腕に跳ね返ってくる。肩関節が抜けそうな負荷。腕の筋繊維が、一本一本引き裂かれていくような灼熱感が肘から手首へと走った。

 

 ギチギチギチ……!

 

 スライム・イーターの体が無様に伸びた。

 だが、離れない。

 怪獣はヘカトンケイルにフジツボのように癒着し、その触手を装甲の隙間へとさらに深く食い込ませて抵抗する。双子の機体が、ワイヤーの張力に引かれて、ミシミシと歪む音が聞こえた。

 

「だめ! これじゃ双子の機体が先に壊れる!」

 

 ナギのアラート。

 彼女のモニターには、ヘカトンケイルの構造ストレスがリアルタイムで赤く点滅している。

 力任せの綱引きでは、構造的に脆いヘカトンケイルの方が先に砕け散る。

 

「くそっ、しつこい……!」

「ワタル、焼いて! メインスラスターで!」

 

 ワタルは瞬時に意図を理解した。

 ナギの提案は正気を疑うべき代物だ。

 メインスラスターを至近距離で点火すれば、噴射炎の反動と熱量が自機にも跳ね返る。だが、他に手がない。

 不知火《シラヌイ》の姿勢制御バーニアを吹かし、独楽のように機体を反転させる。

 コクピット内の重力方向が暴力的に入れ替わり、胃の中身がせり上がった。

 機体の背中――メインスラスターの噴射口を、眼下の怪獣へと向ける。

 ゼロ距離射撃ならぬ、ゼロ距離噴射。

 

「剥がれろぉぉぉッ!!」

 

 高密度シリコン燃焼炉の出力を臨界点へ叩き込む。

 

 ボォォォォォォッ!!

 

 真空の宇宙に、青白いプラズマの暴風が吹き荒れた。

 数千度の熱量を持った推進剤の奔流が、スライム・イーターの粘液を瞬時に沸騰させ、気化させる。

 噴射の反動が不知火を前方へ蹴り出し、コクピットの外壁温度が警告域に突入した。背中側の装甲板が熱膨張で軋み、シートの背面からじりじりと熱が伝わってくる。

 

 キシャァァァァァァッ!!

 

 怪獣が「熱い」という悲鳴を上げた――ように聞こえた。

 その精神波がナギの感覚を通じて流れ込み、ワタルの皮膚に一瞬だけ灼熱の幻覚が走った。怪獣の痛みの残響。これが「ヒューズ」の負う痛覚逆流の正体だ。

 癒着していた触手が熱に耐えかねて溶解し、剥離する。

 その一瞬の隙を、張り詰めていたアンカーの張力が見逃さない。

 

 バチュンッ!

 

 汚い音を立てて、スライム・イーターがヘカトンケイルから引き剥がされた。

 ワイヤーに引かれた怪獣の巨体が、不知火の背後へと大きく吹き飛ばされる。

 

「やった……!」

 

 だが、安堵する間はない。

 自由になった怪獣は、空中で体勢を立て直すと、今度は自分を焼いた「熱源」――すなわち不知火へと、その敵意のすべてを向けた。

 無数のレンズ眼が、ワタルとナギを睨みつける。

 共鳴回線を通じて、怪獣の殺意がナギの神経を焦がす。彼女の呼吸が一瞬だけ詰まるのが、回線越しに伝わった。

 

 ターゲット変更。

 最優先排除対象:高熱源体《サーマル・ソース》。

 

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