Fire Ocean 大気圏焼却戦域   作:ウソカラマコト

6 / 33
06 回想 / 尋問室

## 回想

 

 

 数週間前のことだ。

 

 そこは、無影灯に照らされた閉鎖空間だった。

 壁も床も、天井さえもが雪のような『白』で塗りつぶされている。

 窓はない。

 空気は完全循環システムによって濾過され、埃ひとつ、生活の匂いひとつもしない。

 まるで世界の裏側に隔離されたような、行き場のない無機質な静寂だけがあった。

 

 ナギの前に、一枚の手術同意書が置かれていた。

 紙切れ一枚。

 そこに書かれた文字が、彼女の人生の終わりを意味していた。

 

『四肢切断手術同意書』

 

 目の前には白衣の医師と、軍服の男――教官が立っていた。

 

「……ケイレセプタ?」

「そうだ。君はK・レセプタ、怪獣因子受容体だ。人類でも数少ない、怪獣の細胞を受け入れられる体質の持ち主だ」

 

 教官の言葉は淡々としていた。

 感情の一切こもらない。今やロボットですらしないような、事実だけを並べる口調。

 

「プロジェクト・ゴーレム。人を怪獣の脳と接続し、新たな兵器として奴らを操る計画だ」

 

 まるで明日の天気を告げるように、彼女に「人間をやめろ」と告げているのだ。

 

「い、嫌です……!」

「安心したまえ、手足を失うだけだ」

 

 男はモニターを指差した。

 そこに映し出されたのは完成予想図だった。

 怪獣の頭部に、人間が埋め込まれ、四肢を切断されて中枢神経を直結されている設計図。

 

 はりつけのようにも見える姿は、まさに人柱だった。

 

「失うと言ったが間違いだ。怪獣が、君の手足になる。それだけだ」

「…………!!!!!!」

 

 ナギは震える手で書類を突き返した。

 

 嫌だ!

 絶対に嫌だ!

 

 吐き気がする。そんな姿を想像するだけで気が狂いそうだ。

 だが、教官は無言で壁のモニターを切り替えた。

 

 ニュース映像だった。

 オーストラリア大陸、メルボルンが炎に包まれていた。

 逃げ惑う人々。瓦礫の下敷きになる子供。泣き叫ぶ母親。

 テロップに『死者300万人』の文字が流れていた。

 戦争でも災害でもない。

 

 たった一匹の怪獣を、軌道上で撃ち漏らした。

 

 それだけのことで、これだけの災厄を地上にもたらしたのだ。

 

「君も知っての通り、怪獣との戦いは過酷を極めている。現在の我々では、怪獣を衛星軌道上で倒しきることは叶わず、たった一回の迎撃に失敗しただけで、これほどの命が失われてしまう」

 

 教官の声が低く響いた。

 脅しではない。

 事実としての重みだ。

 

「次は学園《ここ》かもしれない。君の大事な友人も死ぬだろう。ワタルくんだったかい? 君の大事な友達だって」

「!」

 

 男は床に落ちた同意書を拾い上げると、再びナギの前に差し出した。

 静かに、丁寧に、穏やかに。

 それは選択肢ではなかった。

 処刑宣告であり、同時に踏み絵だった。

 

「君の腕一本と、人類100億の命だ」

 

 逃げ場のない正論だった。

 数の暴力だった。

 功利主義という名の悪魔の天秤だった。

 

「…………!」

 

 ナギの瞳が小さくわなないた。

 涙が溢れ出し、首がわずかに横に揺れた。

 嫌だ、嫌だと言いたいのに、喉が張り付いて声が出なかった。

 断れば、ワタルが死ぬかもしれない。仲間たちが死ぬかもしれない。

 別の場所に落ちれば、何百万という命が失われてしまう。

 

 その責任を、一生背負って生きていけるのか。

 

「わ、わたしは……!」

 

 100億という圧倒的な数字の前では、塵芥に等しい「エゴ」だった。

 

 

 

## 尋問室

 

 

 ドカッ!

 

 腹を思い切り、蹴り上げられた。

 

 ワタルの視界が火花を散らして極彩色に明滅し、次の瞬間には床の冷たいタイルの感触が頬に伝わった。

 肺から空気が強制的に絞り出され、ヒューヒューという無様な音しか出ない。

 口の中が切れ、生温い鉄錆の味が支配する。

 

 ここは無機質な尋問室だ。

 倒れた拘束椅子の脇で、ワタルは虫のように床を這っていた。

 取り押さえる兵士たちの軍靴に、加減はない。

 今のワタルは、ただの犯罪者だった。

 

「落ち着け、ワタル候補生。吠えたところで何も変わらん」

「落ち着けるわけないだろ! あんたら、おかしいのか!」

 

 憲兵官の声は、冬の空のように冷え切っていた。

 ワタルは胃液が逆流する不快感に耐えながら、血混じりの唾を吐き捨てた。痛みを怒りに変換しなければ、圧倒的暴力の恐怖で心を失いそうだった。

 

「あんたら……狂ってる! ナギを、あんな……人間をあんな風に扱うなんて、どうかしてる!」

「彼女は『自分で選んだ』んだ。法的な手続きには一切の瑕疵はない」

「ふざけるな! あんな同意書、脅して書かせたんだろう!」

 

 勝手に断言した。

 

 脳裏に焼き付いた、プラント3の深部。

 手足を奪われ、怪獣の脳と融合させられ、羞恥の涙を流しながら「自分が選んだ」と言わされていたナギ。

 あれが人間の、ましてや女の子の末路であっていいはずがない。

 

「ナギは……、ピアニストになりたかったんだ……、それを!」

「彼女はたった一人のK・レセプタだ」

「部品みたいに言うな! 人間だ!!」

「部品だよ。我々もな」

 

 憲兵官は冷徹に言い放ち、ワタルの胸倉を掴み上げた。

 その左手の感触に、ワタルは息を呑んだ。

 硬い。

 骨ばった感触ではない。

 機械の感触だった。

 手袋の中にあるのは、機械だった。

 

 おそらくはむき出しのカーボンと強化プラスチック。

 精巧な義手ではない。細くて、柔らかくて、人間のそれのように、ちょっとしたことで折れたり、曲がったりする指ではない。

 激しい使用にも耐えられるよう、作業用アームのように無骨で、傷だらけで、人間らしい温かみの一切ない、ただの「機能部品」だった。

 

「100億。この数字が理解できるか?」

「……なんだよ、それが」

「地球圏に住む全人類の数だ。君が彼女を『人間』として扱いたいと願うたびに、この巨大な数字が天秤の反対側で消えていく。ピアニストになりたい。それもいいだろう。代わりに何百万人が怪獣の牙に掛かる。それがこの世界の方程式だ」

「ナギは女の子なんだぞ! それをよくも……! あんな……! 腕をッ!」

 

 ワタルの声が涙で裏返る。

 言葉にならない嗚咽が混じった。

 

「世界が滅んでもいいと?」

「そんなことは言ってない!」

「逃げるな、小僧!」

 

 憲兵官はワタルの前髪を掴み、強引に顔を上げさせた。

 至近距離で睨みつけられる、死人のような眼光。

 そこにあるのは悪意ではなく、あまりにもまっすぐな絶望だった。

 

「彼女しかいない。彼女しか、あの怪獣と一体になれるK・レセプタはいないんだ。代わりがいない。それが事実だ! 世界の現実だ!」

「だ、だからって!」

「お前は何ができるんだ? 代わりに手足を切り落とすか? それで誰が救えるんだ? 100億の命が救えるのか!? ああん!!」

 

 唾が顔にかかるのを拭うこともできず、ワタルは言葉に詰まった。

 反論が出来なかった。

 この男が突きつけてくる「100億」という質量が、口を塞いでいった。

 

「ち、違うっ、俺は、そんなことを言ってるんじゃ……」

「逃げるなと言ってるだろう!」

 

 拳が飛んできた。

 衝撃。頬骨がきしむ音。

 ワタルは再び床に転がった。意識が飛びかける。

 

「文句なら聞いてやる! お前が怪獣どもを根絶やしにしたあとでならばな! できないなら黙っていろ! 部屋に戻って、枕に頭を突っ込んで、気の済むまで一人わんわん泣いていろ! 今の我々に子供の寝言を聞いてる暇はない!」

 

 憲兵官たちは部屋を出て行った。

 鉄の扉が閉まる音が、静かに響いた。

 

 残されたワタルは、冷たい床の上で拳を握りしめた。

 爪が皮膚に食い込み、血が滲んだ。

 その痛みだけが、今の自分に許された唯一の抵抗だった。

 

 だが、気づいた。

 こんな痛み、ナギが感じている痛みの万分の一にも満たない。

 満たないのだ。

 

「くっ……、ううっ、あああああああ!」

 嗚咽が漏れた。

 床に流れる自分の涙が、あまりにも無力で、無価値で、死ぬほど惨めだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。