レッドウィンターの敷地内。そこには広大な雪原が広がっている。その大雪原のさらにその中にある忘れ去られた種子貯蔵庫の管制室の一室。本来ならばもう誰も立ち入ることなかったはずの部屋に何の因果か預言者と呼ばれる二体のAIが顔を合わせていた。その部屋の温度だけ周囲よりも気温が低いように感じるのはきっと今明らかに普段と違う様相を示した期待がいるからであろう。それは一見するとダッフルコートとマフラーを巻いているただの女子生徒のようにしか思えない姿形をしている預言者。イェソドによるものであった。
俗な表現を使うのならば「イラついている」。そう表現するのがぴったりなオーラだ。それに向かい合うのは心臓のような形をしている美を司る同じく預言者であるティファレト。第三者が見れば一触即発のように見える空気。それを最初に破ったのはティファレトのほうであった。
【辛気臭いですの。】
【え?】
【もっとシャキッとしますの。私、つぼみの時期を愛らしいと持ち合わせる感性はありますが、お生憎様。それは生物専用ですの。私の隣に立つ同僚の一人として胸を張ってくださいませ。】
意外にも最初に投げかけられた言葉は辛辣であった。奥底に隠された言葉の本質は激励であるとはいえ、そんな言葉からキャッチボールを始めれば剛速球の投げ合いに発展してしまいそうなものである。
しかし、そのボールがイェソドに届いてから数秒経った今でもイェソドはそのボールを投げ返せていなかった。二機の時間は今のところ静止している。そこからさらに、時間をかけて10秒後。イェソドは自らの艶やかでしなやかな髪を乱暴にかきむしった。
【そんなに顔に出てた?】
【ええ、とっても。】
【そうかぁ、そうだな。うん、今じゃないな。教えてくれてありがとう。気合い入れなおす。】
【そうしてくれると有り難いですわ。ああけれども、そのような姿も珍しいですわね。後ほど時間を取りますわ。】
【すまん。助かる。】
二機が顔を合わせることは少ない。基本的には業務連絡の通信のみだ。多くの人ならば、こんな連絡頻度で数十年来の親友のように断続的な短い会話で語り合うくらい仲良くなることは非常に稀有であろう。
しかしながら彼らは同じ預言者という確固たる、ともすれば友人関係、恋人、家族、その他諸々の関係性を凌駕しうる深い繋がりがある。だからこそ、ティファレトはイェソドの苛立ちに容赦なく突っ込んでいけたし、イェソドはその言葉をたやすく受けいれられたのだろう。
お互いが黙る。数秒の間が開く。まだ僅かに緊張を孕んだこの場から完全にその空気を消し去るために本来の目的に戻る。
【本題に入ろう。】【本題に入りましょうか。】
仮にこの二機が人と同じ声帯を持っていたら確実に同時に発せられていたであろう台詞から会話は再開した。
【依頼内容は"ここに保存されている種子たちを鋼鉄大陸に輸送し保管する"で間違いない?】
【ええ。できれば保管設備のクオリティはなるべく高くでお願いしたいですの。可能ならば……ここと遜色ないレベルが望ましいですわ。】
イェソドの眼がわずかに見開かれる。それもそのはずこの種子貯蔵庫はもう放棄されているとはいえレッドウィンターなどが主軸となって当時の科学技術の粋を詰め込んで作られたもの。これを再現するのはデカグラマトンでも苦労するレベルである。
再現することやそれ以上に改良することはできるだろうがそれまでにいったいどれほどのコストがかかることであろうか。
【なぁ。それってここのままじゃダメなのか? ティファレトがそういうってことは何かしら問題があるんだろうが……。】
【無いですわ。】
【無いんかい!? じゃあこのままでいいじゃん!】
イェソドの突っ込みでその場の空気が和らいだ。ティファレトは微笑しながら言う。
【短期的には、ですの。長期保存を考えるとここには多くの欠陥がありますわ。建物の建築素材、人の手が入らない保存状況、ギリギリで賄っている電力。この船はいつ沈没してもおかしくないですわ。】
なるほど。イェソドの中で合点がいった。確かにそれではこの種子貯蔵庫も長くは持たないだろう。いくら預言者の一角、『美』ティファレトがいて、中からできる限りのことをしたとてそれはあくまで終わりを先延ばしにするだけの姑息な手段にしかならない。だから彼女はイェソドを頼ったのであろう。
【あ゛ーー、設計図とかある? できれば主要な機械の青写真も。鋼鉄大陸のデータはいつでも接続できるから確認してみる。】
【ありますわ。データと……一応紙でもお渡ししますわね。少々お待ちを。】
ティファレトがそう発言すると同時にイェソドの預言者用の端末から通知が鳴り、さらにコピー機が稼働し始める音が聞こえる。イェソドは素早く端末を取り出し食い入るように内容を見つめる。イェソドは鋼鉄大陸の中で設計などのものづくりを担当しているわけではない。
しかし、もう一人の輸送担当として、鋼鉄大陸の防衛者として、何よりも預言者として、今までに得た経験や知見をフル活用して自らを頼ってくれたティファレトからの期待にできる限り応えようとしていた。
印刷された用紙が出てくる速度がひどく緩慢に見えた。それほどまでに、イェソドの思考は鋭く研ぎ澄まされていた。イェソドが完全に静止する。
(細かいことはあとでネツァクとも相談して決めるとして。そうだな……。スペースに関しては余っている地下フロアと新たに増築することで賄えるか。素材に関しては流石に当時の最新鋭。今でも希少なものが多いが……手が届かないほどではない。システム面は基本的にここのまま流用できるし、必要に応じて改変できる技術者も多くいるから問題ない。やはり一番ネックなのは一部の素材と……移動方法かもしれないな。人手に関しては俺がやればある程度は大丈夫だし。)
イェソドの頭の中に鋼鉄大陸の3Dモデルが回転し、スペースが色分けされていく。同時に種子のリストを検分し、保管難易度順に分けていく。比較的容易かつメジャーなものが多いが一部希少で保管に工夫が必要な種もある。それが終われば使用機器の確認。
どこにどんな配置がなされているか、それは鋼鉄大陸ならどのような置き方ができるか、さらに最適化するにはどうすればいいか。また、それらに必要なものはあるか。素材、改修、運搬。脳内でチェックリストが作られ、リアルタイムで鋼鉄大陸の情報にアクセスしながら論理を組み立てていく。
イェソドは一つ思考をリセットするための瞬きをして、結論を言葉にする。
【まぁ……多分。いけるんじゃ……ないか?】
なんとも煮え切らない返事である。それもそのはず、イェソドは預言者の中で特段偉いわけではない。GOサインが出るかはまた別の話である。開発者会議にて却下されればあとは個人的に開発を進めるしかできない無力な預言者、それがイェソドであった。
【貴方がそういうならそうなんでしょうね。期待して待っていますわ。……それにしても、貴方演算能力高くなりました? やけに速く感じられたのですが。】
【あはは、中途半端ですまん。演算能力に関しては心当たりはないけど……確かにちょっと速かったか?】
イェソドはあとで少しばかり演算能力の検証をしようと心に決めつつ、ティファレトに結論にたどり着くまでの論理を簡潔に順序だててまとめたデータを送信する。
【ん、特に問題はなさそうですわね。ただ、素材の採取場所が気になります。アビドス砂漠のほうが近いのではなくて?】
アビドス砂漠周辺にはレアメタルなどは埋まっていない。言ってしまえば貧相な土地である。けれどもアビドス砂漠には一部砂の質が川砂のようになっている部分がある。その部分は建築資材としては大変有用である。最も、今は表層にある部分は歴代アビドス高校の生徒により取られてしまったので砂中に埋まっているのを探すしかないのだが。
結論までの論理データを瞬く間に確認し、アビドス砂漠という改善案まで提供したティファレトは人間体のイェソドからジト目を向けられていることに気づく。しかし、ティファレトにはそんな目を向けられる身に覚えがないので疑問符を浮かべて、オレンジ色の1つ目をぱちくりさせるばかりである。
【ティファレト……。あの一瞬で確認できるなんて絶対お前のほうが演算能力高いじゃん。】
【お褒めいただき光栄ですの。けれども、いくら私が照合が得意だといえども元データからだともう少し時間がかかったと思いますの。そうならなかったのは貴方の資料のおかげですわ。】
ティファレトの謙遜する言葉にイェソドはマフラーに手を当てつつティファレトのほうを見つめなおした。
【うーん……。ちょっと思うとこはあるけど素直に誉め言葉として受け取っておくよ。】
【これで依頼の話は終わりましたね。さ、そんなことよりも何故ここに来た時あんなにも辛気臭そうにしてたか教えてくださいまし。】
【辛気臭そうって……。事実だから別にいいけど。】
イェソドは佇まいを崩しその場に胡坐をかく。同時に今まで外すのを忘れていたマフラーなどの装飾品を外し、適当に畳んで床に置く。預言者としての話は終わった。ここからは友人同士の会話だ。居住いを崩したって注意するものはいない。そしてイェソドはティファレトに促されるままぽつぽつと自分の中で整理していくように今日あったことを話し始めた。
ーーーーー
【ーーって俺は思ったんだよな。】
自分でも消化しきれていない出来事を話すというのはなかなか難しかったが、それにより自分をより客観視できた。ティファレトも相槌を打ちながら真剣に聞いていて、良き聞き手になってくれたのも大きいだろう。ティファレトのほうをじっと見て感想を待つ。
【……随分、貴方らしい悩み方だと思いましたわ。心の有無から論考が始まってこの先ずっとそれについて考える決意を固めるなんて唐変木ですわね。ですが、気持ちはわかりますわ。】
一言一句たりとも聞き逃さないように機能をフル稼働させて聴く。それが自分自身と向き合うことにもつながると感じていたからだ。
【自分には何か欠けてるのではないかという不安や劣等感はなんともぬぐいがたいものですもの。私だって例外ではなく貴方だって例外ではない。】
その発言は正鵠を射ていた。劣等感というものは誰にでも付きまとい、切り離せない影のようなものだ。光に照らされ俺の影が長く伸びている。
【けれども、今の話を聴いていて私はこうも思います。それを感じることこそが心なのではないかと。貴方は言いましたね。『この機能は心モドキなのではないか』と。ええ。確かにその可能性もありますわね。ですが、そもそも心なんて見比べることのできないもの。体の中には存在しない器官ですもの。それがもし他人と違っていてもそれは心ではないなんて言えるわけがありません。それは『個人差』というものですの。あくまで持論でしかありませんけどね。】
ティファレトがじっとこちらを見る。機械らしい金属の間から俺を捉えるモノアイは何かを伝えようとする意志が感じられた。その瞳を見ていると色が変わっていないはずなのに、朝焼けに似た色になっているようにも思えた。
【そして、もう一つ言っておきたいことがありますの。この私の持論を鵜呑みにしないで欲しいんですの。貴方の考えは貴方の考えで尊ぶべき大切な種。いつか美しい花を咲かせるためにも他人に正解を求めすぎない方が、今の貴方にとっては得になる気がしますの。】
そういうとティファレトは自らの役目は終わったと言わんばかりに機械のボディの甲殻を器用に動かし目を塞いだ。そしてそれが閉じるのと入れ替わるように後ろ側のドアが開いた。どうやら本当に帰れと言われているらしい。俺はどうにも名残惜しくてティファレトにかつかつと存在証明の足音を鳴らしたのちに、そのボディに触れた。その中には見た目と裏腹な温かさが多く詰まっているのだろう。
「ありがとう」
精一杯の音声。それでも俺は感謝を伝えたかった。伝わっただろうか。それを探るのはもはや無粋かもしれない。そう思いティファレトがそうしたのに習って俺も瞼を閉じた。雪はもう解けていた。これからまた降り積もるだろう。それはたぶん確定している。けれども、それをそっと払ってくれる仲間がいるのだ。恐れることはもうない。俺が今後、何かを恐れるとしたらこの経験を忘れてしまうただそれだけであろう。そう結論付け、俺は種子貯蔵庫を後にした。
ーーーーー
日が落ち、ライトをつけなければ一寸先も見えないほどの暗闇の中。その暗闇と同化してしまった海をかき分けるようにして、俺は鋼鉄大陸近海を泳いでいた。鋼鉄大陸の存在を捕捉されないようにレーダーからはステルスしたり、潜水を織り交ぜたりと、なかなかな量の工夫を凝らして向かっている。種子貯蔵庫から直行しても良かったんだが、そこまで急ぐ必要も感じられなかったからこうやって夜の海を泳いでいる。
正直大人しく種子貯蔵庫から帰らせてもらったらよかったと思う。創造よりもいくつかの学園を警戒しての隠密行動はストレスがたまるし、時間もかかる。次からは絶対ティファレトの輸送経路を使わせてもらおうと、俺は固く心に決めた。ん~、そういう雰囲気じゃなかったとはいえお願いすればよかったなと、暗い水面をかき分けながら未練がましくそう思う。っと、そろそろ潜水艦モードになって潜ったほうがいいか。体を変形させつつ、冷たい海の中にゆっくりと潜水する。
念のため少し深めに潜る。正直海面より水中のほうが不思議と楽である。鋼鉄大陸までは今のペースだとあと2時間。鋼鉄大陸での定期会議はあと3時間。十分に間に合うペースである。普段は参加しない定期会議だけれども今回ばかりは参加しないわけにもいかないであろう。非常に憂鬱ではあるが、なにせ鋼鉄大陸の開発にもかかわってくる部分なのだから。ティファレトのためにも頑張らねば。そう意気込む、意気込んだものの。
「あa.それDeもめンどクさいな。」
やっぱりめんどくさいものはめんどくさいのである。いまだに慣れない機械音声を水の中で震わせて俺は会議に想いを馳せるのであった。
機家ソドちゃんの手はでかいし暖かいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!