テストは、思ったより早く返ってきた。
昼休み前の中途半端な時間で、教室の空気が少しだけざわつく。
「はい、順番に回して」
教師の声と一緒に、答案用紙の束が前から後ろへ流れてくる。紙の擦れる音が、妙に現実的だった。
マコトは自分の答案を受け取って、すぐに点数を見る。
悪くはない。
良くもない。
まあ、こんなもんだと思う。
見直しもしないで、机の端に置いた。
後ろから、紙が一枚、軽く机に落ちる音がした。
りりの分だ。
りりは答案を受け取ると、一瞬だけ数字を見て、それから折り畳んだ。表情は変わらない。
「どうだった?」
マコトが小さく聞く。
「んー、まあまあ」
「まあまあって、大体いいやつじゃん」
「そう?」
りりはそう言って、机に頬杖をついた。
マコトは少しだけ気になって、りりの答案を覗いた。
「……高くない?」
「そうでもない」
「いや、普通に高い」
「マコト基準でしょ」
「基準にしても」
マコトは自分の点数と見比べて、鼻で小さく息を吐いた。
「負けたわ」
「勝ち負けじゃないでしょ」
「でも悔しい」
「珍しいね」
「そっちが」
りりは一瞬だけ考えてから、
「暗記、嫌いじゃない」
と言った。
「ギャルなのに?」
「関係なくない?」
「まあ、関係ないか」
マコトはそう言いながら、答案の余白を指でなぞる。
「てかさ」
「なに」
「りり、授業あんま聞いてない顔してるのに」
「聞いてる時もある」
「どの時」
「黒板がうるさくない時」
「意味わかんない」
「わかんなくていい」
りりはそう言って、答案を鞄にしまった。
点数の話は、それで終わりだった。
周りでは、
「やばい、低すぎ」
「親に殺される」
と、分かりやすい悲鳴が上がっている。
りりはそれを聞き流して、マコトを見る。
「マコトはさ」
「ん」
「点数、ちゃんと気にするタイプ?」
「気にするけど、期待はしてない」
「それ、いちばん疲れない?」
「たぶんね」
少し間があって、マコトが続ける。
「りりは?」
「期待してない」
「でも取るよね」
「取れる時は」
「雑」
「事実」
マコトは笑いそうになって、やめた。
この人は、勝っても勝ちにしない。
チャイムが鳴る。
「次、移動だっけ」
「うん」
「一緒に行く?」
「行く」
それも、確認だけだった。
廊下に出ると、答案を見せ合う声があちこちから聞こえる。
数字に意味を持たせる人たちの声だ。
マコトは、歩きながら言った。
「りりが点高いの、なんか腹立つ」
「なんで」
「余裕そうだから」
「余裕はないよ」
「顔が」
「顔は元から」
「それが腹立つ」
りりは何も言わなかった。
否定もしない。
ただ、少しだけ歩く速度を緩めて、
マコトが横に並ぶのを待った。
テストの点数は、もうどうでもよかった。
この並びの方が、今は現実だった。
午後の授業は、眠気が均等に降ってくる。
窓の外は曇っていて、明るいのに影が薄い。雨が降りそうで降らない、そういう空だった。
席替えがあったわけでもない。
事件もない。
誰かが泣いたり、怒ったり、告白したりもしない。
ただ、時間が進んでいる。
りりは頬杖をついて、黒板を見ていた。チョークの音が一定で、教師の声も抑揚が少ない。ノートは取っていない。取らなくても困らないと判断した内容は、最初から聞き流す。
一つ前の列に、マコトがいる。
背中は小さくて、姿勢は少しだけ悪い。ノートを取るスピードは遅い。考えてから書くから、間に合っていないことも多い。
りりは、それを気にしているわけではない。
ただ、見えている。
教師が振り返って、黒板に何か書き足す。
その隙に、マコトのペンが止まった。
りりは、小さく紙をちぎって、丸めた。
投げない。
ただ、マコトの机の角に、そっと転がす。
マコトは一瞬だけ首を傾げてから、後ろを見た。
「なに」
声は小さい。
授業を邪魔しない大きさ。
「今日、眠くない?」
「眠い」
「でしょ」
「そっちは?」
「普通」
「普通って顔じゃない」
りりは返さない。
そのまま視線を黒板に戻す。
マコトも、それ以上は言わなかった。
紙は開かれないまま、机の端に置かれる。
それで十分だった。
しばらくして、外で雨が降り始めた。
気づく人と、気づかない人がいる。窓に近い席ほど、反応が早い。
マコトは、窓を見てから、小さく言った。
「帰り、だるそう」
「傘ある?」
「ある」
「じゃあ平気じゃん」
「靴下が終わる」
「替え、持ってないの?」
「持ってない」
「学ばないね」
「りりに言われたくない」
その一言は、少しだけ雑だった。
でも、角は立っていない。
りりは一瞬だけ口角を上げて、すぐに戻した。
チャイムが鳴る。
教師が「ここまで」と言う。
ノートを閉じる音が重なる。
椅子が引かれる。
りりは立ち上がる前に、マコトに言った。
「次、体育だっけ」
「うん」
「サボる?」
「りりがサボるなら」
「じゃあ行く」
「じゃあ行く」
理由はない。
選択に、重さもない。
廊下に出ると、湿った空気が流れてきた。
ギャル友たちの笑い声が、遠くで弾んでいる。マコトはそちらを見ない。
りりも、見ない。
雨は強くも弱くもならず、一定の音で降り続ける。
この日のことを、後から思い出す理由はない。
記念日にもならない。
関係が変わったとも言えない。
ただ、
隣にいることが、説明なしで続いている。
それだけだった。