その日は、りりがいなかった。
理由は知らない。保健室か、早退か、そういうやつだ。
昼休みの教室は、少しだけうるさい。
マコトはいつもの席で弁当を広げていた。
「ねえ」
声をかけられて、顔を上げる。
りりの友達の一人だった。名前は、まだ覚えきれていない。
「なに」
「マコトさ、りりと仲良いよね?」
直球だった。
マコトは一瞬、考える。
「……普通」
「普通であんな一緒にいる?」
「いる」
「へえ〜」
周りのりりの友達たちが、少しだけ近づいてくる。
囲む、というほどじゃない。興味の輪、くらい。
「あのさ、なんで仲良くなったの?」
「きっかけとかあんの?」
マコトは弁当箱を閉じてから答えた。
「りりが、話しかけてきた」
「それだけ?」
「それだけ」
「理由は?」
「知らない」
「え〜」
笑いが起きる。
でも、馬鹿にする感じじゃない。
「りりさ、人選ぶじゃん」
「うん」
「なのにマコトなの、不思議」
「わたしも不思議」
「そこ否定しないんだ」
「事実だから」
一人が言う。
「マコト、りりのことどう思ってんの?」
少しだけ、間が空く。
マコトは答えを急がない。
「……一緒にいて、疲れない」
「それ、好きじゃん」
「好きかは知らない」
「でも特別でしょ」
「特別にしないのが、りりだから」
りりの友達たちは顔を見合わせる。
「なにそれ」
「りりっぽ」
そのとき、教室のドアが開いた。
りりが戻ってくる。何事もなかった顔。
「あ、りり」
「なに」
「マコトに尋問してた」
「やめな」
「だって気になるじゃん」
りりはマコトを見る。
「変なこと言ってない?」
「別に」
「ならいい」
それだけ言って、自分の席に座る。
りりの友達の一人が、少し声を落とす。
「マコトさ」
「なに」
「りりって、あんたの前だと静かだよね」
「もともと静か」
「違う、そうじゃなくて」
言葉を探して、
「無理してない感じ」
マコトは、その表現を少し考えた。
「……わたしの前でも、無理してないと思う」
「それが不思議なんだって」
「じゃあ、相性」
「軽」
「重くすると、りり嫌がる」
友達は、少し笑った。
「マコトさ、思ったより話すね」
「聞かれたら」
「じゃあさ」
一人が言う。
「今度、あたしたちとも話そ」
「……いいよ」
「即答じゃないのに?」
「慣れた」
その瞬間、
友達は、マコトを“りりの隣の人”じゃなく、
マコトとして見始めた。
りりは、それを横目で見ていたけど、何も言わなかった。
放っておいても大丈夫だと、
最初から知っているみたいだった。
放課後の廊下は、音が抜けている。
部活に行く人、帰る人、教室に残る人。全部が混ざって、でも少し距離がある。
りりとマコトは並んで歩いていた。
今日は特に用事もない。帰る方向が同じだから、そうしているだけ。
「今日さ」
「なに、マコト」
「宿題、あったっけ」
「ないと思う」
「よかった」
「安心の基準そこなんだ」
昇降口が見えてきたところで、声をかけられた。
「りり!」
振り返ると、同じ学年の男子だった。
名前は、マコトも知っている。クラスが近いから。
「ちょっと、いい?」
りりは一瞬だけ立ち止まって、
「ここでいいけど」
と言った。
マコトは、自然に半歩下がる。
でも離れない。
「あのさ……」
男子は言葉を探して、視線を落とす。
「前から、好きで」
廊下の音が、少し遠くなる。
「よかったら、付き合ってほしい」
りりは、すぐに答えなかった。
困った顔もしない。ただ、考えるみたいに瞬きをする。
マコトは、りりの横顔を見る。
表情は、いつもと変わらない。
「あたしさ」
りりが口を開く。
「今、誰かと付き合う気ない」
それだけだった。
「……そっか」
「ごめんね」
「いや、大丈夫」
男子は少し笑って、
「ありがとう、聞いてくれて」
と言って、去っていった。
残ったのは、二人と、さっきまでより静かな空気。
しばらく歩き出してから、マコトが言う。
「……はっきり言ったね」
「曖昧にする意味ないし」
「優しい断り方だった」
「そう?」
「うん」
昇降口で靴を履き替える。
外は夕方で、空が少しオレンジだ。
「マコトさ」
「なに」
「あたし、冷たかった?」
「全然」
「ならいい」
校門を出て、並んで歩く。
「告白されるの、慣れてる?」
「たまに」
「たまにで済むの、すごい」
「すごくはない」
「わたしだったら、挙動不審になる」
「想像つく」
「ひどい」
少し間が空く。
マコトは、言うか迷ってから口を開いた。
「……さっき」
「うん」
「断った理由、聞いてもいい?」
「いいよ」
「なんで?」
りりは前を見たまま答える。
「今、あたしの生活、ちょうどいいから」
「それだけ?」
「それだけ」
「マコトがいるから、とかじゃないんだ」
「それ、言ったら重いでしょ」
「まあ」
でも、否定もしない。
マコトは、その曖昧さをそのまま受け取る。
「マコトはさ」
「なに」
「あたしが誰かと付き合ったら、どうする?」
質問は軽い。
でも、少しだけ間ができる。
「……今と同じでいたい」
「へえ」
「変わるなら、理由が欲しい」
「理由、なさそう?」
「今のところ」
りりは、それを聞いて、少しだけ口角を上げた。
「じゃあ、しばらくこのまんまだね」
「そうだね」
駅に着く。
別れる直前、りりが言う。
「さっきさ」
「うん」
「横にマコトいて、楽だった」
「……それ、褒めてる?」
「たぶん」
「なら、受け取る」
電車の音が近づく。
りりは振り返らずに手を振って、マコトはそれを見送った。
特別なことは起きたはずなのに、
帰り道に残ったのは、
今日も一緒に帰ったという事実だけだった。