シンオウ地方。
神話が眠り、伝説が息づき、人々が歴史を語り継ぐ土地。
……そんな場所で俺は今、人生最大級の「詰み」を迎えていた。
目の前には――
ヒカリ。
そして、シロナ。
どっちもシンオウ地方の顔役みたいな存在で、普通のトレーナーなら会えただけで泣く。
でも俺は違う。
泣きたいのはこっちだ。
俺の背後には、黒い霧が漂っている。
気温が明らかに下がっている。
そしてその中心に立つのは――
悪夢のポケモン。
ダークライ。
ヒカリは、固まったまま震えていた。
「……え……なに……これ……」
シロナは目を細め、冷静に状況を分析している。
だが、その目は完全に戦闘態勢のそれだった。
俺は、肩の上のミュウを指でつつきながらため息を吐く。
「……お前ら、ほんと空気読めないよな」
「みゅー♪」
読めてないわけじゃない。
絶対読んだ上でやってる。
セレビィは「びぃ」と鳴き、どこか誇らしげに胸を張った。
なにを誇ってるんだよ。
そして、ダークライは無言で俺の背後に立ったまま、圧だけを撒き散らしている。
圧だけで相手を殺しにくるタイプのポケモン。
ヒカリが小さく呟く。
「……夢、じゃないよね……?」
俺は真顔で答えた。
「夢だったら俺が一番助かってる」
シロナが一歩前に出る。
足音は静かなのに、空気が変わった。
「零くん」
「はい」
「あなたは……ダークライと関わりがあるの?」
俺は正直に言った。
「いや、勝手に出てきました」
シロナは即答した。
「そんなことある?」
「俺もそう思う」
ヒカリは完全に涙目で、俺の服の袖を掴んだ。
「ねえ……零……」
「はい」
「……それ……本当にやばいよ……?」
俺は乾いた笑みを浮かべた。
「うん、俺もそう思う」
この状況、何がやばいって。
シンオウ地方は神話に近い土地だ。
ギラティナ、アルセウス、ディアルガ、パルキア。
その辺の単語を出すだけで空気が変わる。
そんな場所で。
ダークライが普通に出現してる。
しかも、俺の背後で護衛みたいに立ってる。
完全に「事件の中心人物」だ。
俺はシロナとヒカリの視線を感じながら、軽く咳払いした。
「……あのさ」
二人が俺を見る。
俺はできるだけ平然とした声で言った。
「……ダークライだ」
ヒカリが「うん……」と頷く。
シロナも無言で頷く。
いや、そりゃそうだ。
誰が見てもダークライだ。
俺はそのまま、続けて言った。
「……2人とも写真撮ります?」
ヒカリの目が一瞬で見開かれた。
「……は?」
シロナも固まる。
「……え?」
俺はスマホを取り出しながら、割と真剣な顔で言った。
「いや、だってさ」
俺はダークライを指差した。
「こんなの現実で見れることないし」
「いや」
「しかも野生じゃなくて普通に出てきてるし」
「いやいや」
「写真撮ってネットに上げればバズりますよ」
ヒカリが叫んだ。
「バズるとかそういう問題じゃない!!」
俺は首を傾げた。
「え?でもバズるよ?」
シロナが静かに言った。
「零くん……」
「はい」
「あなた、危機感がないの?」
俺は即答した。
「危機感はありますよ?」
「ならなぜ写真を……」
俺は当たり前のように言った。
「だって記念になるじゃないですか」
ヒカリが崩れ落ちた。
「記念……?」
俺はさらに畳み掛ける。
「それに知り合いに反応されまくりますけど」
ヒカリがゆっくり顔を上げる。
「……知り合い……?」
俺は頷いた。
「はい。レッドとかゴールドとかグリーンとか」
シロナの眉がぴくっと動いた。
「……レッド?」
ヒカリも固まった。
「……ゴールド?」
俺は普通に言った。
「あとワタルとかシルバーとか」
ヒカリが息を呑む。
「……え、え、え?」
シロナが静かに目を細めた。
「……零くん。あなたの交友関係、少しおかしくない?」
俺は苦笑いした。
「いや、俺もそう思います」
ダークライが、無言で俺のスマホを覗き込むように近づいた。
怖い。
いや、怖いけど。
この状況、俺が一番怖い。
俺はスマホのカメラを起動し、二人に向けて言った。
「ほら、撮りましょう」
ヒカリが必死に首を振る。
「無理無理無理無理!!」
シロナも冷静に断る。
「やめておきなさい。危険よ」
俺は一瞬だけ黙り込んだ。
……確かに。
普通はそうだ。
でも。
俺は、ちょっとだけ笑った。
「じゃあ俺が撮ります」
「え?」
ヒカリが驚く。
俺はダークライの隣に立ち、肩を組むみたいに寄った。
……いや、寄っただけで寒い。
氷タイプか?ってくらい寒い。
俺はスマホを構え、無表情で言った。
「はいチーズ」
カシャ。
シャッター音が鳴った瞬間――
ヒカリのスマホが震えた。
通知。
ピコン。
ヒカリが画面を見て固まる。
「……え?」
シロナもスマホを見る。
「……これは……」
俺が首を傾げる。
「ん?」
ヒカリが震える声で呟いた。
「……今……投稿した……?」
俺は笑顔で親指を立てた。
「しました」
「なんで!?」
俺は当然のように言った。
「バズるから」
ヒカリが叫んだ。
「バズる前に死ぬ可能性もあるよ!?」
俺は首を傾げる。
「え?でもダークライ味方だし」
ヒカリは泣きそうになりながら言った。
「それが意味わかんないんだってばぁぁぁ!!」
シロナがスマホを見つめ、目を細める。
「……すでに反応が来てるわね」
ヒカリも画面を見ながら、顔が青くなっていく。
「……やば……」
俺もスマホを確認する。
通知が、狂ったように鳴っている。
ピコン。
ピコンピコンピコン。
俺は読み上げた。
「……グリーンから『は?』」
「……ゴールドから『お前どこにいんだよ』」
「……シルバーから『ふざけてんのか?』」
「……ワタルから『何をしている』」
ヒカリが叫んだ。
「ほらぁぁぁぁぁぁ!!!」
俺は顔を上げて、ヒカリとシロナを見た。
「……知り合いしかいないな」
ヒカリは崩れ落ちた。
「なんなのその人脈……」
俺はスマホを見つめ、ふと気づいた。
通知欄に、とんでもない名前があった。
俺の目が見開かれる。
「……え?」
シロナが俺の顔色の変化に気づく。
「どうしたの?」
俺は、乾いた声で呟いた。
「……ダンデが反応してる」
ヒカリが目を丸くする。
「……え?」
俺はさらに呟く。
「……ダイゴも反応してる」
ヒカリの口が開いたまま止まった。
シロナも一瞬だけ沈黙する。
「……ダイゴ?」
俺はスマホの画面を見つめながら、ゆっくり言った。
「……え?ダイゴはまだしもダンデ?」
ありえない。
だって。
この世界の繋がり方、バグってる。
俺が呆然としていると、ヒカリのスマホが再び鳴った。
ピコン。
画面には――
【シルバー:今すぐ説明しろ】
そして、次の通知。
【ハルカ:ねえ零くん!ダークライって本物!?】
さらに。
【ユウキ:え、これ怖すぎるんだけど】
ヒカリが泣きながら俺を揺さぶった。
「零!!どうするのこれ!!」
俺は虚無の目で答えた。
「……逃げるしかなくない?」
シロナが静かに言う。
「零くん」
「はい」
「逃げるの?」
俺は真顔で言った。
「逃げます」
その瞬間。
遠くの空が――ピカッと光った。
雷。
いや、雷じゃない。
空間が歪むような感覚。
ヒカリが震える声で呟く。
「……これ……まさか……」
シロナの目が細くなる。
「……ギラティナ……?」
俺は即座に叫んだ。
「違う違う違う!!俺じゃない!!」
ダークライが、無言で空を見上げる。
ミュウが楽しそうに鳴く。
「みゅー♪」
セレビィが頷く。
「びぃ」
俺は頭を抱えた。
「お前ら、やめろぉぉぉぉ!!」
そのとき。
俺のスマホに、新しい通知が来た。
【ダイゴ:今すぐ連絡してくれ】
【ダンデ:君、最高に面白いね!】
俺は真顔で呟いた。
「……終わった」
ヒカリが泣きながら叫ぶ。
「終わったじゃないよ!!」
シロナは静かに、しかし確実に言った。
「零くん。あなたは今日から、シンオウの重要人物よ」
俺は顔を引きつらせた。
「やめてください」
だが。
世界はもう、俺を放してくれない。
俺が望んでいるのはただ一つ。
静かで平和な旅。
なのに。
俺の背後にはダークライ。
肩にはミュウとセレビィ。
スマホは炎上。
そして――
神話が動き始めている。
俺は空を見上げて呟いた。
「……俺、普通に旅したいだけなんだけどな」
次回
「知り合いしかいないな」