カロス地方。
海を越えた先にある、上品で、綺麗で、そして――面倒な予感しかしない地方。
船が港に到着した瞬間、俺は甲板から飛び降りる勢いで地面に降り立った。
「……やっと着いた」
潮風がイッシュとは違う匂いを運んでくる。
どこか甘いような、花みたいな匂い。
街並みも整っていて、建物も洒落ている。
さすがカロス地方。
全体的に「オシャレ」を押し付けてくる感じがする。
俺は深呼吸した。
「……よし。今回は静かに生きる」
そう誓った瞬間。
スマホが震えた。
ピコン。
【ヒカリ:零、今どこ!?!?】
「……」
俺は無言でスマホを耳に当てた。
「……もしもし」
すると、開口一番。
『ちょっと!!また逃げたでしょ!!』
ヒカリの声が耳を貫く。
相変わらず元気すぎる。
「いや、逃げたっていうか……」
『イッシュ地方のリーグ関係者が大騒ぎだよ!?』
「知らんがな……」
『トウコもメイも泣いてたし!』
「泣くなよ!?重いんだよ!」
俺は頭を抱えた。
電話越しにヒカリが続ける。
『で、今どこ?』
「……カロス」
『は?』
「カロス地方」
『は????』
沈黙。
そして、ヒカリが呆れた声で言った。
『……あんた、ワープでもしてんの?』
「俺もそう思う」
そんな会話をしていると、目の前の道を歩いてきた少女がいた。
赤い帽子に、可愛らしい服装。
髪は明るい茶色で、目は優しい色。
手にはモンスターボール。
どう見ても旅立ったばかりの新人トレーナー。
彼女は、少し緊張したように俺を見た。
そして、小さく会釈する。
「……あ、あの」
俺は反射的に口を開いた。
「あ、こんにちは」
その瞬間。
ヒカリの声が電話越しに響く。
『え?誰!?女!?』
「うるさいな」
少女は、俺のスマホ越しの声を聞いて、ちょっと驚いた顔をした。
「あ……電話中でしたか?」
「いや、まぁ……うん」
俺は適当に頷いた。
そして、目の前の少女の顔を改めて見る。
……可愛い。
いや、可愛いとか言ってる場合じゃない。
こっちは炎上中だぞ。
俺は自分を戒めた。
少女は少し恥ずかしそうに笑った。
「私、セレナって言います」
――あ。
セレナ。
カロス地方の主人公枠。
アニメでもゲームでも「ヒロイン」扱いされがちな存在。
つまり、関わったら面倒くさいやつだ。
俺の中の危険センサーが全力で鳴り響く。
だが、俺の口は勝手に動いた。
「……セレナさん、こんにちは」
丁寧に言ってしまった。
その瞬間。
電話の向こうのヒカリが叫んだ。
『セレナ!?!?!?!?!?』
うるせぇ!!!!!
「お前なんで知ってんだよ!!」
『知ってるに決まってるでしょ!?』
セレナは困ったように首を傾げた。
「……あの、お知り合いですか?」
俺は即答した。
「違います」
『違うって何!?』
「ただの幼馴染です」
『幼馴染って何!?』
やめろ。
言葉が勝手に出る。
俺は電話を持ちながら、セレナに笑いかけた。
「今うるさいですけど気にしないでください」
セレナは少し笑った。
「ふふ……はい」
可愛い。
可愛いけど、これ以上関わると俺の人生が終わる。
俺は電話に向かって言った。
「ヒカリ、今忙しいから切るぞ」
『ちょっと待って!今の状況説明して!』
「無理」
『無理じゃないでしょ!』
「無理なもんは無理」
俺は通話を切った。
そして、空を見上げる。
――静かになった。
最高。
だが、静寂は長く続かない。
セレナが少しだけ距離を詰めて、俺を見上げた。
「えっと……あなたは旅をしてるんですか?」
俺は一瞬迷った。
旅をしている。
それは事実だ。
だが、正確に言えば「逃亡」だ。
俺は曖昧に笑った。
「……まぁ、そんな感じ」
セレナは嬉しそうに言った。
「私もなんです!今日から旅に出るんです!」
初心者特有の、キラキラした目。
眩しい。
眩しすぎる。
俺は目を逸らした。
「そっか……頑張って」
セレナはモンスターボールを握りしめる。
「私、ポケモンバトルもまだ慣れてなくて……」
俺は嫌な予感がした。
まさか。
まさかだよな?
セレナは続ける。
「よかったら……少し、バトルしてもらえませんか?」
ほら来た。
カロス地方に来て早々、チュートリアルが始まった。
俺は天を仰いだ。
「……」
俺の平穏、開始5分で終了。
俺はセレナの目を見て、静かに頷いた。
「……いいよ」
セレナの顔がぱっと明るくなる。
「ほんとですか!?」
俺はため息を吐く。
「ただし、優しくな」
セレナは元気よく頷いた。
「はい!」
――こうして。
俺の「静かに生きる」という誓いは、カロス地方に着いて即死した。
そして俺は気づいていなかった。
この出会いが、また俺の人生を大きく狂わせることになるということを。
次回
「うるさいですけど気にしないでください」